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セレニアの物語  作者: さなか
第2章 オルミスの三人

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16 ヘイスとエッカーナ

 オーネットはカラットに、ルワリ島に帰港次第、船から降りるよう言い渡した。

 カラットはうなずき、とぼとぼと船員室に降りて行く。与えられる仕事はなく、食事は一日に一度きりだ。集めた面々にグィオ甲板長と交代で舵を取ると伝え、船長室に戻ってきた。


 オーネットはエッカーナに言った。

 

「あなたはここでは、民の一人。私の妻というだけの立場で乗組員に命令する権限はない」


 カラットには怒っていなかったくせに、三姉妹に時折見せる厳しい表情をしたオーネットがいた。


「航路を外れ漂う船。ロベリタスを失い、船乗りたちは私を認めてはいない。私の立場を超えて振る舞う者があれば、この船の規律を乱しかねない」


 オーネットは緊張を緩めることなくエッカーナを責め立てた。

 しかし、叱責よりも彼のやつれた顔の方が気にかかる。目の下は大きな隈、青白い顔。この二日、ろくに寝ていないのだ。


 叱り終えると、オーネットは椅子に深く座り込み目を閉じた。エッカーナは安堵した。叱責が終わったことにも、オーネットが休んだことにも。

 ――寝息が聞こえはじめた。エッカーナは黒い帽子をオーネットに返し、船長室を出た。


 甲板で風に当たっていても、心は晴れない。

 思い立って、メインの帆柱へと向かう。繋がっているロープを掴み、足を引っ掛けた。尖った靴のつま先を預けたロープは柔らかくたわみ、揺れに体重が持っていかれる。二歩目を上にかければ、体がさらに外側に引っ張られる。

 エッカーナは一瞬躊躇したが、口元を引き締め、上に手を伸ばした。体重を支える手のひらにロープが食い込んでいく。高さが上がっていくと風が強くなり、垂らしている赤毛の三つ編みさえ重く感じた。

 見張り台に手をかけ、中に入り込む。


「あっ」


 オーネットがヘイス・カフェトーを見張り台に置いたことを忘れていた。逃げるべきかという一瞬の迷いにバランスを崩しかけたが、なんとか踏みとどまる。


「……なぜ、船長夫人がここに来る」


 ヘイスが立ち上がっていた。恐れを見せてなるものかと、姿勢を正す。

 

「お前が不審な動きをしていないか確認に来たんだ。それと、交代してやる。お前は降りろ」


「……高慢な船長夫人だな」


 ヘイスは呆れたようにため息をつき、ロープに手をかけた。

 エッカーナの眉間がぴくりと動いた。


「待て。高慢だと? わたくしが?」


「それ以外の何者でもないだろ」


「わたくしが何者かなどを、北の狼に決められたくない」


「……なんでもいいが、どうすればいいんだ。船長の命令は見張り。船長夫人の命令は降りろ?」


 ヘイスは不満そうに言った。

 オーネットに言われたことを思い出し、エッカーナの気分は重く落ち込む。

 

「……わたくしに、命令を下す権限などない。わたくしが降りる」


「なら、そうしろ」


「……少しだけ、ここで海を見させてくれ。高いところが好きなんだ」


 高いところを見ても、空と海しか見えない。

 昨日と、その前と、同じ景色。

 結局、自分の部屋の窓辺にいるのと変わらない。城に閉じ込められて、海に閉じ込められて。

 わがままを通して探したかったものは、これなのだろうか――航路や計画を外れたことを、自由と呼ぶのだろうか。


「ルワリ島はまだ見えないか」


「まったく何も」


 独り言をつぶやいたつもりだったが、ヘイスが返事をした。

 ヘイスは今のところ何もしそうにない。だとしたら、オーネットの代わりに監視をしておくべきだ。話をするくらい大丈夫だろう――そう思い、会話をつなげる。


「……副船長の不在で流されたとはいえ、オーネット殿が朝方には舵を取ったのに。まだ島も見えないとはおかしいな」


「あの船長は舵が取れるのか?」


「当然だ。子どもの頃からずっと船の勉強をしてきたんだぞ。この船を設計したのもオーネット殿と、わたくしの父様だ」


「……」


「わたくしも、船が好きだ。そう……だけど……夢見ていたのは船長ごっこではなく、こうして見張り台に立つことだった……」


 夕陽に照らされた海面が黄色く輝いている。星空とも精霊とも違う光の眩さだ。


「こんなに海が大きいなんて……オルミスは案外、小さいな」


「そうだろうな」


 国をバカにされたように聞こえて、エッカーナは思わず睨む。

 ヘイスは面倒くさそうにため息をついた。


「……精霊王は、“巨大大陸(サルトカティス)”があると言ったんだろ。なら、オルミスがある陸地は小さいということだ」


 ヘイスは服の中から折りたたんだ紙を取り出し、飛ばされないよう屈み込んで広げた。

 陸と海の地図が描かれていた。オルミス城、シロニア港、二つの島。白い山や森。東には×印が書かれている。


「……この辺りにいたはずだ。風は東南に吹いていたから流されたとしても数刻ならこの程度……」


 エッカーナは、ヘイスが指さす地図を興味深く見つめる。城で見る地図やオーネットの持つ海図とは違い、北の町だけでなく、まだ誰も住んでいないオルミスの東側地形までもが詳細に描かれている。


「この地図……」


「……東の海を回って城へ」


 ヘイスの指が、地図の上を辿る。

 

「城で"狼王の剣"と"第三王女エッカーナ"を盗み、崖下に隠した舟で北の港に戻る」


「……港だと? 北にも港があるのか? 船があり、東までの海図も出来ている?」


「そうだ。オルミス人はもっと危機感を持ったほうがいい」


 エッカーナは地図にしがみつき、もう一度じっくりと眺める。

   

(急ぎ帰って、父様に知らせなくては……)


 エッカーナは焦った。陸と西側の監視は厳重にされているが、東の海から襲ってくるなんてことは想定されていない。船などという大掛かりなものを作れるのは、オルミスだけだと思っていた。


「オーネット殿があんなに無理をしているのは、これを知ったからだったのか……!」


「これももう、俺には必要ない。持っていろ」

 

 ヘイスは地図を折り畳み、こちらに差し出す。


「本当に……戻らないのか、北の町に」


 エッカーナはつい、尋ねる。


「そう言ったろ。城下町にも港町にも、戻るつもりはない。俺はルワリ島で降りる」

 

「……降りるつもりなのか? せっかく、船に乗れたのに? オーネット殿が言えば、きっとオルミスでも暮らせる」


「一人、降ろされる奴がいるだろ。あいつも戻る気はないだろうからな」


「カラット・ローレウスのことか? あの男のために?」


 エッカーナは受け取ろうとしなかった。

 

「お前も、船が好きなんだろう? わたくしと同じ夢を持っているんじゃないのか?」

 

 表情のない灰色の瞳の真意を探ろうと、詰め寄る。

 

「……あいつを疑うなら、俺も疑うだろ。いつかそうなるなら、島で降りた方がマシだ」


「……」


 エッカーナは地図を受け取った。大切に服の中にしまい込み、再び海を見つめる。海は真っ赤に染まっていた。


(夜の帳は、精霊王セレニアの髪――。精霊王は海の上でも人を見守っている。それなのに、この航海は誰の願いも叶っていない)


 そう思い、見張り台の縁に肘をつく。

 風を受けていると、オルミス城を思い出す。

 

(そういえば、わたくしは反省するために、ここへ来たんだったな。――高慢、か。オルミスの王女としての振る舞いを心掛けていたつもりだったが……)


 はあ、とため息をつく。


 エッカーナは精霊がいて目立つので、城からあまり出ずに過ごしてきた。城下町をエッカーナが歩いていると、人々に魔法を使って欲しいと頼まれる。けれど、それを叶えることは難しかった。エッカーナの望んだものは手に入るけれど、他人の望むものはどうやっても叶えてやれない。

 表立ってこの船に乗らなかったのも、オーネットが正体を隠すよう言ったのもそのためだ。

 

 今は、精霊がいなくなってせいせいしている。自分の望むものくらい、精霊がいなくても手に入れてみせる。


「……」


 エッカーナは歌を口ずさんだ。気持ちのままに溢れ出る、風が吹くような、川が流れるような、言葉のない歌を。


「!」


 ヘイスが、呆然とした顔でエッカーナを見つめる。一応、城では評判の歌声だ。聞いていて不快になるようなものではないと思っていた。しかしずっと見つめられているのが落ち着かず、エッカーナは歌をやめた。


「……なんだ。うるさかったか?」


 と、口を尖らせる。


「……エッカーナ?」


「だから、何……だ……あっ」


 失態に気がつき、口を押さえる。


(よりによって、ヘイス・カフェトーに……!)


 後ずさるが、背中はすぐに見張り台の縁に当たった。ロープを探る手は、焦って空中をつかんだ。

 ヘイスは一歩も動こうとはせず、エッカーナから目を逸らすと、その場に座り込んだ。


「ここから逃げたって無駄だろ。船にいる限り」


 何もしないという意思を、行動で表しているようだった。

 

「……なぜ、わたくしをエッカーナと呼んだ?」


「確信したからだ。いろいろと腑に落ちた」


「なんでわかった? ばれるようなことは言っていないはずだ」


「……歌を聴いた。城に、侵入したとき」


「侵入?」


「一応、やりたくない仕事でもやりに行った」


 ふん、と鼻で笑う。


「精霊を漂わせながら、王女が歌っていた」


「……なぜお前は、わたくしをさらわなかった?」


 エッカーナもロープに手を伸ばすのをやめる。

 

「……ふ」


 それを見て、鼻を鳴らすのではなく、軽く笑った。

 まるで、エッカーナに微笑みかけたように。

 

(この男……、本当は……)


 エッカーナは、思った。

 本当は自分たちに心から信用されたいのではないか。友人を心配して船を降りるのではないか。居場所を求めているのではないか。心優しいから自分を見逃したのではないか――。

 そう思ってヘイスの言葉を思い返してみると、何もおかしいところはない。彼は一度も嘘をついていなかった。

 エッカーナは真剣な眼差しでヘイスを見つめた。


「教えてほしい。わたくしが無事でいられた理由を」


「……」


 エッカーナがしゃがみ込むのを見て、ヘイスは顔をしかめた。が、しばらくするとその表情のまま口を開いた。

 

「俺の母親は、さらわれてきたオルミス人だった」


「さらわれた? そんな話、聞いていないぞ」


「……自由の国だからだろ。人がいなくなるのも自由。心配しない。自分で北の町にやってきて捕まったらしい。俺が子どもの頃に死んだ。……歌だけが記憶にある。北の町で歌われるものとは、全然違う歌だった。それが聞こえたのかと思った」


「母様を思い出したから、襲うのをやめたのか?」


「違う。嫌になっただけだ。オルミス人? 北の狼? 何が俺に関係ある……人間は、自由を与えられたはずなのに」


「……そう! ……そうだな……」


 エッカーナは、星空を見上げる。

 すっかり海を包み込んだ、精霊王に願った――早く無事に航路に戻れること。それから、ヘイスがオルミス人として自由に生きられることを。



挿絵(By みてみん)


挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。

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