11 ヘイス・カフェトー
ヘイスは恐れる様子もなく、短剣の切っ先を見つめていた。視線を動かさないまま、腰のベルトに手を伸ばしているのが見えた。
オーネットが短剣を横に構え直す。
(……そうか、カフェトー……北の狼!)
エッカーナの鼓動が早くなる。
しかし、ヘイスはナイフを抜かずベルトを外し、オーネットに渡そうとするように突き出した。
「床に置き、蹴飛ばしてこちらに寄越せ」
オーネットが指図する。
ヘイスは言われた通りに行動すると、こちらが何かを言う前に、上の服を脱いで遠くに放った。
(……ファルトーソーはナイフでキトン王を刺し、宰相ハルバドの首を上衣で締めた)
彼の行動は、エッカーナの祖父の代に起きたという故事を思い起こさせる。ヘイスの行動はまるでそれを知っていて、手放すことで危害を加える気がないことを表明しようとしているようだった。
服と姿勢の悪さに隠されていたのは、鍛えられた細身。全身には傷跡がある。顔立ちが幼いために、それらは尚更、異常に映った。
「ヘイス・カフェトー。何者だ」
オーネットは問いただした。
「カフェトー家の四男だ。歳は十六」
「なぜ船にいる。目的はなんだ?」
「やらなければならないことを、やりたくなくなった。……港に大きな船があったから乗ってみたかった」
ヘイスは平坦な声で言った。
(こんなことが起きるなんて……)
緊張で胸が詰まり、鼓動が頭の内側で鳴り響いている。
オルミスに敵対し、危害を与えてきた北の町。それを支配している、ファルトーソー家とカフェトー家――その一人が、今目の前に立っている。
(本当にいたんだな……)
幼い頃から恐ろしい話ばかり聞いてはいるものの、実際に関わることになるなんて考えたこともなかった。
「やらなければならないこととは?」
オーネットはいつもの仕事を思い出したように問いただす。オルミスの秩序を司るサキタリ家の、宰相オーネットその人だ。
オルミス国民ならば、彼の前で罪を暴かれることを恐れるだろう。罪を犯した者には、しかるべき処分が下される。
しかし、ヘイスは声を震わせもしなかった。
「“封印されし狼王の剣”、“精霊付きの第三王女エッカーナ”を盗むこと」
自分の名が聞こえ、エッカーナはわずかに身を揺らした。
「なぜやらなければならない? 自分の意思で? 誰かに命じられて?」
オーネットがかける圧力にも、ヘイスは「ふん」と鼻を鳴らす。
「父親のリオン・カフェトーだ。ずっと、その計画のためだけに育てられてきた」
「父親はなぜその計画を立てた?」
「カフェトー家は立場が弱くなった。北の町を制御するために必要なものは、力と精霊だ」
ヘイスは淡々と答える。
「君の、父親は……いや。では、なぜやらなかった?」
「俺はやると言った覚えはない」
「幼い頃から実行する意思がなかったのか?」
「北の町よりオルミスがいい。何も生み出さない、秩序もない、暴力と策略ばかりの町よりも。そう思ってるのは、俺だけじゃない。奴らはそれをオルミスを奪って叶えようとしている。だけど、俺は……」
ヘイスがはじめて、言い淀んだ。
「……」
「……オルミス人になりたいと思った。自由の国は俺の意思を許すのか、試したかった」
「それで、私をオーネット・サキタリと知って名乗ったのか」
「殺すなら殺せばいい。……俺はもう北の町を裏切った。戻れはしない。岩牢行きでもかまわない。それがオルミスの答えなら」
「……」
オーネットはそれ以上、問いを重ねなかった。
しばらくの間、沈黙で空気が張り詰め――。
「つまり、君のおかげで剣と王女は無事に……オルミスに在る」
短剣が下ろされた。
「……君は船が好きなのか」
エッカーナはほっとした。
それまで、いつ刺し殺してもおかしくないほどの気迫があったからだ。
「動きを見たければ、普通は甲板に行くだろう。動力区域に来るなんて、よほどの物好きだな」
「好きだ。船は一通り仕込まれている」
ヘイスの言葉に、オーネットの顔色が変わった。
「カフェトーを名乗ったのは権力者に会うためだ。ファルトーソーが襲うのは海からだと教えてやるために」
「……わかった。話を聞こう」
オーネットは彼の上衣を拾い、ヘイスに手渡した。
「君の身柄は私が預かる。船長室に来なさい」
張り詰めていた空気が元に戻った。エッカーナは、深呼吸をした。
(……北の狼が私を……)
幼い頃からそんな危険にさらされていたなんて、エッカーナは露ほども知らなかった。
もしヘイスがそれを実行していたら、どうなっていたのだろうかと、考える。オルミス城からさらわれて、北の町へ――想像しただけで、身震いがした。
三人は船長室へ向かおうとした。するとアキリが甲板から駆け降りてきて、言った。
「船長! 上で騒ぎが起きていますがァ……」




