9 乗組員たち
ヘイスが階段を降りて行くと、荷運びの男たちが背負ってきた重い木箱や樽を、甲板下の倉庫に降ろしているところだった。
その中に、ドラギエルもいた。
「これは船長室へ運んでくれ。この箱はすべてここに」
さすがのドラギエルも、言われたとおりに物を動かす程度のことはやってのけた。
(指示を出している男は、身なりからして副船長といったところか)
荷物を運び終えると、赤い瞳の男――グィオ甲板長がやって来た。
彼はドラギエルのほかに六人の男たちを呼んだ。
一行は甲板下を抜け、さらに狭い階段を降りて、船底前部の区画に入った。天井は低く、グィオもドラギエルも頭をすくめている。太い木柱が何本も立ち、柱と柱のあいだを、縄が複雑に張り巡らされていた。
区画の中央には、一本の太い木の軸が、床から天井へ突き刺さるように立っている。その根元には、何人もが同時に押せるよう、短い棒が放射状に差し込まれていた。
吊るされた灯りが揺れるたび、縄がきしみ、軸の影が壁を横切る。
(……なんだ、これは)
ヘイスは息を呑んだ。それぞれが前にある棒を掴んで、押し回すということらしい。天井の梁を伝って伸びる縄は、前方へ――船首の方へと続いていた。
「合図が来たら、これを動かす。すると、碇が巻き上がるという仕組みだ」
そう言って、グィオが軸に手を置いた。
「合図で一斉に、力を合わせるんだ。素晴らしい装置だろう? オルミスに感謝を捧げよう」
グィオは一人視線を彷徨わせているドラギエルに気付き、声をかけた。
「君は海は初めてだな」
「はい、船長!」
ドラギエルはうっかりそう答えた。
男の赤い瞳がじっとドラギエルを見る。
「あ……いえ、あの……」
「ははは、元気の良い若者だ。女の船長に雇われたな? 君が気に入ったよ。俺の時はそう……返事は、“はい、甲板長“だな」
「はい! 甲板長!」
「そうだ。……君の名前は?」
「ドドラギエロドーデミリオン!」
大声で名乗ると、周囲の男たちが和やかに笑った。
「俺は合図を受けるために上に戻る。声が聞こえたら力いっぱいその棒を押すんだ。安心しろ、君だけがやるんじゃない。他が動き出したら、それに合わせればいい」
そう言って、グィオは船底後方へ伸びる梯子へ向かった。
(階段で戻るかと思ったが……あちらは船尾側に通じているのか)
「碇を上げろ!」
「碇を上げろぉーっ!」
ほどなく、甲板から声が聞こえてきた。
オーネット船長が叫び、それを受けて副船長が復唱。
次の瞬間、船底にいる彼らの耳に甲板長グィオの号令が響いた。
「回せぇ!」
屈強な男たちが、腕と脚に全身の力を込め棒を前に押す。ドラギエルも一瞬遅れて加わった。
碇が、海底を離れた。
「右三十度旋回! 両舷回転翼、回せ!」
続いて、甲板から新たな指示が飛び、別の振動がヘイスの足元を揺らした。
(まさか、進んだのか? 帆を張っていないのに)
ヘイスは船の仕組みを思い描き、甲板へ走った。
覗き込むと、船底の両舷に伸びた軸がゆっくり回り、船を推し進めていた。
しばらく、夢中になって眺め――我に帰り、顔を上げた。
どこかから、にぎやかな話し声が聞こえてくる。
ヘイスは声がする方へ行き、荷樽の陰に身を寄せた。
「俺はアキリだ、よろしくなァ。二十五年生きてるが、船に乗るのは初めてだ」
甲板の一角、荷樽を風除けにした即席の作業場で、クネ芋の皮をむきながら、明るく茶色い髪に青い瞳をした青年が言った。
「二十五!? あたしより下かと思ったぜ」
「姐御はいくつなんだい?」
「姐御じゃねえよ。十七だ」
青年は「イテテ」と、軽く切った指を舐め、自分の持つ曲がりくねった芋茎を見て憎々しげに舌打ちをした。
「なんだ、このぐにゃぐにゃの芋は。むきにくいったらありゃしないなァ」
「それはこうやって回しながら剥くんだ。ナイフは動かさないように……」
カラットは一つ、くるくると器用に剥いて見せる。青年は一枚につながった螺旋状の皮を持ち上げ、感心して言った。
「すごいなァ。食堂で働いてたのかい?」
「ああ、うん」
カラットの口数が少ない。農場の息子だというのを隠そうとしているからだろう。乗り込むときに名前を偽ったのを、ヘイスは聞いていた。
(あの噂をずいぶん気にしていたからな……)
しかし、しゃべらずにはいられないのか、
「あ……知ってるか? このミズハ草は、便秘に効くんだぜ」
と、間をつなぐ。
「消化にいいんじゃなかったか」
桟橋で見た、頭に布を巻いた少女が言った。男物の作業着に、大きめのズボンの腰と足首を紐で縛って着ている。
振舞いも粗野な男のようだったが、胸が大きいので遠くからでも一目で女であることはわかる。
「あ、ああ。そうだった、ちょっと違ったな」
「ナバルは物知りだ。船にも詳しいみたいだ。なァ?」
「……港町の生まれだからな」
ナバルは無愛想に言った。
樽に座り、大きく広げた足の間にバケツを置き、アキリよりもカラットよりも早く芋の皮を剥いていく。
「下を向いて作業をすると、船に酔うよ」
「……あたしは船酔いしない方法を知ってんだ」
「そんなもんがあるのかァ、どうすりゃいい?」
「あんたたちのゲロの臭いで、耐え切れなくなったら教えてやるよ」
ナバルがあまりに下品な物言いをするので、男二人は顔を見合わせた。
ヘイスが移動しようとすると、老齢の男が立っていた。
「何だね? 君も調理場の人間か?」
「俺は雑用だ」
色斑のある上衣はところどころに染みがある。腰には変わった形状のナイフを差している。
「料理長」
三人が振り向き、
「ヘイス?」
カラットが言った。
「雑用か。なら、甲板が汚れていたから掃除をしておいてくれ。つまみ食いを狙っているなら、芋剥きより調理場に来た方がいいぞ」
料理長、という男は灰色の口髭を震わせて笑う。
カラットたちは下の調理場へ降りて行った。
舷側に結ばれたロープを手繰り、ヘイスは海水を汲み上げた。夜露と潮で黒ずんだ板が、濡れて色を変える。
ブラシを押しつけると、砂と塩がざらりと音を立てた。
前方では舵のきしむ音。
背後では、縄と滑車が擦れ合う低い鳴り。
「あ……へ、ヘイス……」
聞き覚えのある、歯切れの悪い声。
「ドラギエル。久しぶりだな」
「え、あの……ついさっきだ。その、別れたのは」
「仕事は終わったのか?」
「う、うん……今は……いいって、言われたんだ。……見てきても」
「そうか」
「あの……あっち、船に舟がある……」
ドラギエルは船尾を指差した。
「ああ……浅瀬で使うんだろうな。こんな大きな船じゃ船底に穴が空く。あとは、沈没しそうなときとかな」
教えてやると、ドラギエルは納得してうなずいた。
「なあドラギエル、俺はこれから掃除をするんだが、仕事が終わったなら少し手伝ってくれないか? 何、船に乗ってから一皮剥けたお前には簡単すぎる仕事だよ」
「え? ……うん、わかった」
掃除用具を差し出すと、ドラギエルは快く受け取った。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




