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セレニアの物語  作者: 和州さなか
第2章 オルミスの三人

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1 独活の大木

 ドラギエルは、オルミス城下町のあまりの賑わいに立ち尽くしていた。

 立ち尽くす以外、何もできない男だった。感嘆の声を上げることも、頭の中で王を讃えることすらも。


 足のすぐ先を、木の車輪ががたがたと音を立てて通り過ぎていく。荷車を引いているのは、人、牛、馬。誰も速度を緩めようとはしない。

 ドラギエルが行きたい場所は、この道の向かいに見えているというのに。


「そこの、コカトの兄ちゃんよう」


 見かねた木工職人が、でかいばかりの体に声をかけた。ぼんやり立っているかと思えば、時折足を踏み出しかける。向こうへ渡りたいのだということは誰の目にも明らかだった。

 今行くか、そら行くか――そんな調子で見守り続けて、もうずいぶん経つ。


「あ……俺は、その……何で……」


「何だって? 聞こえねえな!」


 予想外の返事に、職人は苛立った。助けてやろうとしただけなのに、男は口の中でぶつぶつと何か言っているだけで要領を得ない。

 それなりの年頃に見える体つきなのに、情けないったらなかった。


 毛皮の服、脛まで紐を巻いた厚底の靴、大きな皮袋。どう見てもコカトの森の住人だが、本人はそれがどう見えるかもわかっていないらしい。


「そこにいられると気が散って迷惑なんだよ。あっちへ行きな!」


 つい、突き放す言葉を投げてしまう。


 ドラギエルの太い首が、じわりと赤くなる。目的地に背を向け、逃げるようにその場を離れた。


 ドラギエルがオルミスへお使いに来たのは今日が初めてだ。いつもは兄姉や父親が、木材や毛皮を売りに来ている。「お前もそろそろ手伝え」と十六歳のドラギエルが突然声をかけられたのは、今朝のことだった。

 幼い頃に父に連れられてきた記憶ならある。そして、町はなんて楽しそうで綺麗なところかと憧れを抱いた。憧れを持ち続けたまま、いざ一人で訪れた城下町は、昔見た景色とは違っていた。

 一番嫌なのは、自分がみんなと違う服装をしていることだ。それがばれないように目立ちたくないのに、でかい図体は目立たないわけにはいかなかった。


 小走りに逃げ出した先は、商人たちが声を張り上げる市場。市場も大勢の人の行き交いがあるが、荷車が通らないだけ、まだ歩きやすい。


「おい、邪魔だな。でかい兄ちゃん」


 また誰かに文句を言われる。下を向いていた顔を上げて、ぶつかってきたのはそっちじゃないか、と言おうとした時にはもう相手がいなかった。

 ドラギエルは本当に嫌になった。


(この性格がいけないんだ。いつも緊張ばかりして……何もうまくいかない)


 ドラギエルは、腰に下げている皮の袋に手を突っ込む。


(……あれ?)


 探している感触に辿り着かず、右手が狭い袋の内を彷徨う。


(ない! ない!)


 袋を開いて、目で確認してもどこにもない。確かにそこに入れたはずだ、と言っても、無いものはない。血の気が引き、心臓がギュッと縮み込む。

 ドラギエルは背負っていた大きな皮袋も下ろして、中を確認した。大きな方には、今日工房に届ける約束の、動物の毛皮が入っている。腰の袋に入れていたのは、毛皮と交換する物を書いた手紙だった。絶対に失くさず渡せと父親が言ったので、何度も腰の袋に手を入れては、入っているのを確認していたはずだった。


(……落とした?)


 もう周りを気にしている場合ではない。地面に這いつくばるようにして、手紙が落ちていないか探し回る。


「あーあー、なあ。もう見てらんないよ」


 頭上から、その声は聞こえた。市場の喧騒の中でもハッキリとわかる、滑舌の良い澄んだ声だった。

 ドラギエルは起き上がり、声がした方を見た。通りの端にしゃがみ込んでいた、藁帽子をかぶった男が立ち上がる。


(な……何だ? お、俺?)


 また何か言われるのかと思い、体が強ばる。


「あんただよ、あんた。そこのコカトの人。探し物は、さっきスリに取られていたよ」


 と、藁帽子の男が言った。


「え……あの、……ス、スリ?」


「さっきぶつかった男がいただろ。知ってるか? スリのネビオロ。喧嘩をふっかけて、相手が驚いてる隙に盗っていくのがあいつの手口だ。有名だよ」


「そ、そんな……」


「あんた、やられるんじゃないかと思ってさあ。さっきから見ていたんだが、本当にやられたな。おっと、見ていたんなら助けろなんて言うなよ? 助けるも助けないも、自由だからな。それが、オルミスって国だ」


 ドラギエルは恥ずかしかった。


(スリに遭うのを知っていて、それを見られていたなんて)


 それに、わざわざそれを言って恥をかかせる。ドラギエルは頭に来てもいた。当然、スリの男にもだ。人から物を盗むなんて信じられない。

 ドラギエルの頭は考え事でいっぱいになり、その場に立ち尽くす。


「おいおい、そこで大男が固まっちゃあ本当に邪魔になるよ」


 藁帽子の男は慌ててドラギエルを引っ張ってきて、道の端に寄せた。


「そう落ち込むなって。何が取られたんだ」


「……あ……あの、その……」


 ドラギエルがどもっていると、町全体に響くような高い音が、カーン、カーン、カーン、と続けて六回鳴らされた。


「あの鐘の音が何だか知ってるか? 仕事終わりの時間を報せているんだよ。俺も、もう帰らなけりゃ」


「えっ……あ、まだ……」


「ん? 何か言った?」


「わ、渡して、ないのに……」


 ドラギエルは途方に暮れて、大きな皮袋を抱える。


「なんだいそりゃ? 毛皮? なんだ、それなら渡すはずの相手に、さっさと渡しに行ったら良いんだ。なーんも困る事じゃない。手紙なんて、書き直せばいい。それより約束の日が今日なら、今日中に渡した方がいいだろうな。といっても、工房はもう閉まるんだけど」


「えっ……あ、……」


「ただの手紙かあ。ネビオロの奴、今頃どんな顔をしてんだろうな。……あ、おい! 挨拶くらいしていけよな!」


 ドラギエルは駆け出した。不格好に荷物を抱え、息を切らせながら、工房の通りへ走る。

 牛や馬はゆっくりと空の荷台を引き、静まり返った通りに車輪の音がコトンコトンと響く。ドラギエルに意地悪を言った木工職人も、いなくなっている。目的の工房に着いたときには、もう扉も窓も閉まっていた。




 ドラギエルは大荷物を抱えたまま、トボトボと帰路に着いた。オルミスからコカトまでは、歩いて三刻。馬に乗れば一刻を過ぎるくらいで着くが、ドラギエルは馬に乗れない。


(オルミスは冷たいところだ。約束をしていたのに、待っていてもくれないなんて)


 道の途中にある、ロット農場に浮かぶたくさんの淡い光も、夕陽に染まる丘の上の屋敷も、ドラギエルの気を紛らわせることはなかった。酷い気分のところに土や牛の臭いがして、落ち込んだ胸に気持ち悪さが増していく。


「ドラギエール!」


 森が視界に入る頃、前方から馬が駆けてきた。ドラギエルの失敗を確実にする、嫌な声とともに。


「おい、グズのドラギエル! 遅いんで心配して来たんだ、ちゃんと仕事は済ませたんだろうな!」


 二つ上の姉のワリーデが、手綱を引き、ドラギエルの横で馬を止める。返事など待つ気もなく馬から飛び降り、まくし立てた。


「おい? その荷物、見せてみろ!」


 大きな皮袋をひったくり、口を開いて覗き込む。


「やっぱり。何を持って帰ってきてやがる、この役立たず! これは絶対に今日、渡さなきゃならない物なんだぞ、寄越せ!」


「で、でもあの、時間が」


「だからって帰るんじゃねえ! 扉ぶっ壊すほど叩いても届けるんだよ!」


 ワリーデは皮袋を馬の背に乗せた後、軽々と飛び乗った。


「さっさと帰ってろ!」


 そう言い残し、あっという間に走り去る。陽が落ちて、オルミスの門へ向かう小さな影も見えなくなっていく。

 荷物がなくなったドラギエルは、これでまったくの身軽になった。腰の袋にも何も入っていないし、何の役割もない。

 

 ドラギエルはワリーデが苦手だった。家族でいるのが、辛くて仕方ないほどだった。幼い頃には庇ってくれたこともあったのに、いつの間にか、ドラギエルをいじめる側になっていた。

 だが、ワリーデのやり方は荒っぽくても、彼女が動けば、どんな失敗も速やかに片付くのだった。

 

 ドラギエルが苦手とするのは、すぐ上の姉のワリーデだけではない。


「やっぱりねー、姉さんと一緒じゃ無いってことは、上手くいかなかったんだねー」


 家に帰ってドラギエルが一番に会ったのは、椅子に座って足をぶらぶらさせている末っ子のマルーセルだった。


「剥ぐのもだめ、作るのもだめ、届けるのすらだめ。これで仕事は無くなったわね」


 と呆れるのは長姉のシャルケー。


「と言っても、家のことが出来るわけでもなし。身体が大きくて邪魔な無駄食いだ」


 二階からは長男と次男が話す声だけが聞こえる。

 ドラギエルは九人の兄弟姉妹の六男だった。八人の中に、味方は一人もいない。他の八人は口が早くて手も早く、そうじゃないドラギエルの気持ちなど誰もわかってはくれない。


「ドラギエル」


 背後の戸口から、低くしゃがれた声がした。背が、びくりと伸びる。ドーデミリオン家をまとめる父、リルバラスが立っていた。

 頭髪から髭まで繋がる毛むくじゃらの顔。毛皮を着込んだ、熊と見間違えるほどの体。その容貌だけは、ドラギエルが最も色濃く受け継いでいる。

 

 父は母が「かわいい」と思っているらしい小さな目でドラギエルを睨み、


「出て行け」


 そう言ったきり、背を向けた。



挿絵(By みてみん)

挿絵はAI生成で出来る限りイメージに近づけたものです。

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