才女オーレリー(第1章21年後)
ハーヴァが息を引き取った。
勝手だと思いながらも、家族の元に帰してやりたい。彼女の部屋の写真立てから推測するに、家があったのは欧州のどこか。写っている公園は、私の記憶にあるような観光地ではなかった。
精霊王セレニアは、この世界には留まらなかった。当然だ。神には神の世界があり、だからこそ、神なのだ。私は今現れている、大精霊ナランサに尋ねた。
『この場所の外は、荒れている。その場所自体がないかもしれない』
ナランサは私を草色の背に乗せて、空を駆けた。
意味は、すぐにわかった。雲の流れも、海の波も、アルソリオがある大きな島とその近辺を避けている。三百年もの間、嵐や天災がない地域だと思ってはいたが、こういったカラクリがあったのだ。
「隔絶されていたのか、これは大精霊の力で?」
『そうだ。セレニアは人間が生きる環境を整えている』
「なんということだ……」
私の目から、涙が溢れた。神の絶大さと、偉大さに。
これに比べたら、個人的な願望など瑣末なものだ。セレニアの不在を嘆いていた自分を恥じる。
その代わり他の場所はナランサが言った通り、ひどいことになっていた。例えばあの島一帯にも影響を及ぼすはずの気候や、おそらく地殻変動のエネルギーも、すべてが他にまわされているのだろう。ただし、ひどいというのは私の感性で“人間の作ったものが崩壊している”という状態を表現したに過ぎない。
「確かに、これではハーヴァが住んでいた町も家族の墓も見つからない」
私は、勝手なお節介を諦めることになった。
ハーヴァの遺体は西の森に埋め、小さな墓を作った。
「アイピレイス様ー」
呼ばれて、海に出かけると彼らが手を振っていた。
レニスとラナの息子オルマと、トゥヴァリとペルシュの娘シロンの夫婦だ。
コカトの森から海へ流れる川。その横の崖の上に、彼らの小さな家があった。だが、様子はずいぶん変わっていた。
小さかった家は、以前より大きくなっている。
「人が来るので、大きくしたんです」
崖の下にも、たくさんの家がある。
少し離れた場所に牛や羊がいるのは、フェールとミオナの娘ロットの家だろう。
「この町の名前を、オルミスにするかシロニアにするか揉めてて」
オルマがため息をつき、シロンが口を尖らせる。
「うーん。シロン、私が思うにはね。精霊にとって、オルマには“新しい”という意味があって、シロンは“娘”と言う意味だそうだ。オルミスの方が町の名前には相応しいのではないかと思うよ」
「もう、なんでそんな名前なの! 父さんのバカ」
シロンはふてくされて、崖っぷちへ走っていって座り込んだ。
「大丈夫ですよ。なにか別のものにシロンの名前を使います。なにか、機嫌が治りそうな」
「英雄の娘じゃなくて、自分が英雄になりたい」と言うシロンは少々危なっかしいところがあるが、オルマがいるので安心だ。
ウェリーとハイエルの娘オーレリーがやって来た。
「あ! アイピレイス様、こんにちは。オルマ、ケレンが勝手にイースの物を使ったからって、喧嘩になっているの。どうにかしてくれる?」
「わかったよ」
「ありがとう。私が言ってもだめだけれど、オルマの言うことなら聞くわ、みんな。あら、シロンはどうしてあんなところにいるのかしら」
「町の名前がオルミスになったんだ」
「じゃあ、この前言ってた花の名前をシロンにしたらいいんじゃない?」
「ああ、それだ。きっとシロンも気にいるよ。ちょっと行ってくる」
オルマは崖の下へと降りていった。
オーレリーは、私に言う。
「アイピレイス様、家を用意するので、しばらくこちらにいてくれませんか。人が多くなってきたら、困ったことがたくさんあるんです。オルマが大変でしょう。本当はシロンと家にいたいのに、そんな暇がないのですって。シロンがわざわざオルマと揉めるのは、それが原因だと思うんです」
「うーん、なるほど」
アルソリオの人々にとって、精霊の導きがあった相手と時間を過ごすこと――性交渉を行うことは、彼らに与えられた少ない活動の中の一つだった。大精霊セレニアは人々に殖えることを求めたので、アルソリオはそれが行えるように家をたくさん並べたのだ。オーウェン風に言うと“飼育下繁殖”であり、私は勝手にその血統の管理を己の役目としていた。名前と家族を維持することで、せめてもの人間性が保たれるのではないかと思ってのことだった。
そういうわけで、彼らにとってはその時間は重要な、必要な、そして当然のものであり、私が元々生を受けた文明よりも開放的だ。
「うーん、私はあまり、この世界に干渉したくないのだけれどね」
「どうしてですか? アイピレイス様だって、私たちと一緒に生きていますのに」
「私は本当はここにいるべきではないからね」
人間は、もっと文明的な生活を取り戻すべきなのかもしれない。
私の知識でできる限りの道具や機械、技術を再現し、便利で豊かな暮らしに戻す。完全にではなくとも、ある程度できるだろう。精霊は存在する物を移動させることは簡単にできるようなので、あのごみの集積所のような旧文明の残骸から、材料は集められるはずだ。
しかしアルソリオの無垢な人々を見ていると、人間はまたここからやり直した方がいいのではないか、と思う。旧文明の歴史をたどるようなことをしなくても、再び何かを作り出すだろう。ましてやこの世界には、神たる存在、精霊王と魔法が作用しているのだから。
「アイピレイス様、おいくつになられたんですか?」
「341才だね」
「私は22才ですよ。アイピレイス様は、長生きされているだけで同じ人間ではないんですか?」
オーレリーは微笑んだ。
いつしか賢人を不死の化け物と思っていた私を、ただの人間だと自覚させる。
彼女は祖父のサキタリによく似ている。彼も賢く、好奇心旺盛な子だった。
「どうだろうね」
このまま老いて死ぬことでようやく、人間に戻れるのではないかと思っている。




