ep.1 開幕
ここは、アルセリア統合学院 高等部——
人間と魔族が幾世代にもわたって血を流し続けた末に、ようやく交わした和平条約。
その象徴として建てられたこの学園は、
“共存”という理想を掲げ、数多の種族が共に学ぶ夢の場
……の、はずだった。
しかし、現実はそう甘くない
人間と魔族、天使と獣人、光と闇――
相容れないはずのものたちが、
偏見と誤解を抱えつつも、
それでもなお、奇跡的にバランスを取っている場所。
そして今年、その微妙なバランスを最悪の形でぶち壊す可能性を秘めた
最悪の組み合わせが、ついに同じクラスで邂逅を果たした。
——勇者の娘、リナ・アークライト。
——魔王の息子、カイ・ノクターン。
かつて世界を二分し、相打ちで散った英雄と魔王。
そんな二人が、今……
たった数十センチの距離で、同じ机を並べて座っている。
言葉を交わせば火花が散り、
視線が合えば空気が凍る。
それはもう、共存どころか、いつ爆発してもおかしくない。
ここは学び舎であるはずなのに、その教室は火薬庫そのものだ。
——これは、
そんな危うい距離感の中で繰り広げられる、
ちょっとばかり危うくて、どこか愛おしい、
不器用な二人の、拗らせた青春共存ラブコメである。
【第一話開幕】
ここは、アルセリア統合学院 高等部1年A組。
魔族も人間も、天使も獣人も入り混じった、
それはそれは賑やかで――ちょっぴり気まずいクラスである。
平和、とは言えない。
けれど争ってもいない。
ギリギリのバランスで成り立った、危うくも“普通”な日常だ。
だが、今日のこの日。
この教室において、誰にも気づかれぬまま、
密かに始まった戦いがある。
——そう、それは。
『放課後、一緒に帰りたいけど、言い出せないバトル』である。
好きな人と一緒に帰りたい──それは、誰にでもあるごくシンプルな願いである。
勇気を振り絞って「一緒に帰ろう」と言う。
うまくいけば、その願いは叶うかもしれない。
だが、必ず叶うとは限らない。
断られれば、その瞬間に目の前の日常が、いつもより少し冷たく感じる。
そして何事もなかったように、帰路に就く。
それはそれは寂しい。
「一緒に帰ろう」は決して魔法の言葉ではない。
それは、相手との距離を縮める可能性と、絶妙な気まずさを引き起こすリスクが表裏一体となった、
極めて危険な“諸刃の剣”なのである。
カイは机に肘をつき、軽く顔を上げた。
(よし、今だ。言うなら今しかない。…)
「……あのさ、一緒に……」
言葉を発しかけてすぐに止まる。
隣のリナもまた、心の中で繰り返す。
(言いたい、でも言いたくない。先に言ったら負け?いや、……)
互いに気づかぬまま、同じことを考え、言葉を飲み込む。
これは、心理戦だ。
お互いが相手の反応を慎重に探りながら、一言の「一緒に帰ろう」に全神経を集中させている。
言葉を出せば、関係が動き出す。
だが、言わなければ、現状維持。
つまり、沈黙は安全圏のようでいて、実は最大のリスクなのだ。
言葉にしなければ、何も始まらない。
ただ黙っていれば、いつまでも「その気持ち」は伝わらない。
だがしかし――
二人は、放課後まで「一緒に帰ろう」とは言えなかったのである。
チャイムが鳴り、教室から生徒たちが少しずつ減っていく。
カイとリナは、互いに隣の存在を意識しながらも、いつも通り言葉を交わさないまま、教室に残っていた。
二人の間には静けさが残る。
そんなとき、窓の外から
「ぽつん」
という音が二人の耳に入る。
気づけば空は暗く、細かな雨が静かに降り始めていた。
それは急な雨だった。天気予報にはなかった、気まぐれな通り雨。
カイは鞄を手に立ち上がり、無言のまま教室を出た。
傘は、持っていない。
それを見たリナは、思わず追いかけるようにして廊下へ出た。
遠ざかっていく背中を、しばらく迷って、それから小さく呼び止める。
「……待って」
カイが振り返る。リナは視線を合わせず、手に持っていた傘を差し出した。
「これ、使って。私、ちょっと……用事あるから」
言い訳のような言葉をつけ足しながら、カイの手に傘を握らせる。
そのまま逃げるように背を向け、リナは走り去った。
渡した瞬間、頬が熱くなった。
なんで、こんなにうまく話せないんだろう。
何度も練習したのに。「一緒に帰ろう」って、たったそれだけのことなのに。
雨は止まない。
下駄箱でくつを履き替え走り出す。
校門の前で足を止め、周りを見渡す。
そして、不意に感じた――頭上の音が、変わる。
静かな雨音が、すぐそばでくぐもる。
ふと顔を上げると、そこには傘を差したカイが立っていた。
自分の頭上に、そっと傘を差し出して。
「雨、けっこう強いね。傘も差さずに外いたら風邪引くよ」
そう言って、カイはリナの横に並ぶ。
リナは言葉を返せず、小さくうなずいて、そのまま彼と歩き出す。
二人で、ひとつの傘を差して。
肩が触れそうで、どちらも少しだけ反対側に体を傾ける。
歩幅を合わせるのに、お互いがわずかに意識する。
こんなにも近いのに、言葉は何ひとつ交わされない。
でも、傘の中の空気は、どこか心地よく、そして――くすぐったかった。
だが、その静かな帰り道に、予想外の影が差す。
「リナ様」
後ろからかけられた声に、リナが振り返る。
そこには、ハガルド――リナの父の側近だった男が、黒い傘を差して立っていた。
その声に、リナはふと立ち止まった。
カイの傘の中から、ゆっくりと一歩、外へ出る。
肩に雨が落ちる。ひんやりとした冷たさに、少しだけ背筋がすくむ。
「……ごめん。今日はここまで、かな」
小さな声で、でもはっきりとそう言って、リナはカイの顔を見ずに軽く会釈をする。
その横顔は、少しだけ名残惜しそうにも見えた。
カイは、それを引き止めなかった。
ただ短く「うん」とだけ返す。
それ以上の言葉をかけると、何かが崩れてしまいそうな気がした。
リナは振り返らずに去っていく。
でも、肩先は少しだけ雨に濡れながらも、足取りはどこか軽やかだった。
カイはその背中を見送りながら、傘を肩に乗せるようにして立ち尽くす。
雨はまだ降り続いていた。
けれど──
その雨音は、どこか、少しだけ優しかった。
カイは、微かに息をつきながら、ゆっくりと歩き出す。
リナもまた、車の中、窓を流れる雨粒を眺めながら思っていた。
言葉にはできなかったけれど、
心の中には、小さな温もりが残っていた。
たった数分だけ、同じ傘の下で並んで歩いた。
それだけで十分だった。
こうして、「一緒に帰りたいけど言えない」ふたりの放課後は、
すれ違いのようで、でも確かに近づいた一歩を残して、静かに幕を下ろした。
読んでいただきありがとうございました!
評判が良かったら続きを書こうかなと思っています!!
ぜひ評価の方お願いします!!