第9部・第5話『静寂の里と温泉の夜』
戦いの終わった大森林の奥地。
破壊された木々の再生も始まり、森は少しずつ本来の静けさを取り戻していた。
ルシフェルたちは、仲間の案内で“シリルの隠れ里”という山間の温泉郷に身を寄せていた。
ここはかつて聖なる魔女たちが隠れ住んでいたという伝承の地で、今も少数の精霊使いたちが静かに暮らしている。
「お湯……最高……」
リュミエが岩風呂の縁に肘をつき、陶酔の表情で天を仰ぐ。
「泉質は“癒しの属性”って聞いたけど、これは……」
リシュアもほっとしたようにため息をついた。
湯けむりの向こうでは、ナヤがひとり黙って湯船に浸かりながら、小さな水精霊と戯れていた。
セリアは外に出て、湯上がりの涼風に髪を乾かしている。
その頃、別の湯ではルシフェルがひとり、湯の中で瞑想をしていた。
戦いを経て、確かに自分の力が新たな段階に達しつつあるのを感じていた。
だが、それ以上に——
「……俺、ほんとに守れてたか?」
力じゃない。
彼が思い返していたのは、4人の少女たちの言葉だった。
(守るなんて言ったけど、あの時、結局……助けられたのは俺のほうだった)
ガチャ、と扉が開いた。
「……あれ、ルシフェル?」
リュミエだった。彼女もすでに湯から上がってタオルを巻いている。
「男湯だぞ」
ルシフェルが少し目を細めて言うと、リュミエは笑った。
「ちゃんと許可とったから。セリアに。」
「……あいつ何でも許すな」
苦笑して言うルシフェルの隣に、リュミエは無言で腰を下ろした。
しばらく沈黙が続き、ただ湯の音だけが響く。
「さっき……あなたが言ってたこと、考えてたの」
「ん?」
「“守る”ってこと。……でもね、私たち、守られてるだけじゃないよ。
あなたと一緒にいるって、そういうことでしょ?」
ルシフェルは思わず息を飲む。
リュミエは視線を外さず、微笑みながら言った。
「私は、あなたと並んで歩いてるつもり。ずっとね」
湯けむりの向こうで、ナヤ、リシュア、セリアが気配を察して静かに笑っていた。
その夜、皆で焚火を囲んで夕食を取った。
ナヤが作った山菜スープ、セリアの焼き立てパン、リシュアのスパイス調合。
ルシフェルが捕ってきた小さな獣肉がメインディッシュだった。
「ここの温泉、すごく気に入ったかも」
セリアが薪を足しながら言う。
「しばらくここで暮らす?」
リシュアが言うと、リュミエとナヤが顔を見合わせてうなずいた。
「……悪くないな」
ルシフェルは静かに笑った。
その瞬間、森の奥からかすかな声が聞こえた。
「きゅぅ……」
小さな泣き声。ルシフェルがすぐに立ち上がる。
「魔物の子供だ」
近づいてみると、そこには傷を負った魔獣の子供が倒れていた。
毛並みは淡い青。耳が大きく、瞳は不思議な銀色をしている。
「この子……“雷翼獣”の子供?」
リシュアが目を丸くする。
雷翼獣は、本来なら群れで行動するはずだ。
それがここに一匹だけ? 周囲に親の気配はない。
「……捨てられたか、群れをはぐれたか」
ナヤが慎重に魔力を流しながら診察する。
「軽い外傷と、魔力の消耗ね。回復魔法でどうにかなると思う」
「助けよう」
ルシフェルが言った。誰も反対しなかった。
焚火のそばに毛布を敷き、雷翼獣の子を包む。
ヒロインたちが交代で看病し、ルシフェルは夜中まで子のそばを離れなかった。
夜空に浮かぶ満月の下、リュミエがぽつりと呟く。
「……ああやって、あなたは“守る”んだね。誰であっても」
ルシフェルは答えない。ただ、小さな命の眠るその呼吸に耳を澄ませていた。
次の日。
雷翼獣の子は元気を取り戻し、ルシフェルの肩に登るようになっていた。
「こいつ、なついたぞ」
ルシフェルが笑うと、リュミエたちも思わず笑顔になる。
「名前、つける?」
ナヤが聞いた。
「……“ラズ”でどうだ?」
雷のような毛並みと、瞳の光からとった名だった。
「いい名前だね」
セリアが微笑む。
静かな日々。
けれど確かな絆が育っていく毎日。
それは、嵐の前のひとときのようであり、
それでも彼らにとっては、かけがえのない“今”だった。
【第5話・完】
第6話**
『誓いの灯火と告白の祭り』
隠れ里での滞在も十日を過ぎ、ルシフェルたちにとってこの地は、ただの休息の場ではなく、心から安らげる「居場所」になりつつあった。温泉に浸かり、魔法の修練を重ね、精霊たちと語らい、そして――仲間たちとの絆を育んでいた。
ある日、村の長老がルシフェルたちを訪ねてきた。
「今宵は“誓火祭”じゃ。春の精霊に祈りを捧げ、想いを告げる日のこと。よければ、あんたらも参加してくれんかのう」
誓火祭。それは、好きな相手に“灯火”を手渡し、想いを伝える伝統の祭りだという。受け取った者は、その火を心に宿し、返事をする――それはすなわち、魂の契りに等しい。
「……灯火、ね」
リュミエがそっと目を伏せる。「もし私が渡したら、受け取ってくれる?」
「え?」とルシフェルがきょとんとすると、リュミエは頬を赤らめて逃げるように去っていった。
リシュアもナヤも、セリアもどこか落ち着かない様子だった。
「どうやら、特別な夜になりそうですね」セリアが微笑む。
「……逃げんなよ、ルシフェル」ナヤが一言だけ言い残して立ち去った。
祭りの夜。隠れ里は魔法の光に包まれ、空には淡い精霊の炎が舞っていた。
村の広場には灯火が並べられ、若者たちが大切な人に火を手渡していた。
ルシフェルは、心を落ち着かせようとしながらも、どこかソワソワしていた。
すると――最初に現れたのはリュミエだった。
青銀の民族衣装に身を包み、髪には星屑のような飾り。
手には一つの灯火壺を持ち、静かにルシフェルの前に立つ。
「……私は、あなたに命を救われて、心を救われて……そして、ずっと傍にいたいと思うようになった」
「リュミエ……」
「これは私の心。もし……もし、あなたが受け取ってくれるなら……」
ルシフェルは言葉もなく、灯火をそっと両手で包み込む。リュミエの目に、涙が浮かんだ。
続いて現れたのは、リシュア。
気丈でクールな彼女も、この夜ばかりは少しだけ頬を染めていた。
「……好きよ、ルシフェル。あなたのまっすぐさも、静かな優しさも、全部。……認めなさい。あなたには、私が必要なの」
彼女はそっぽを向きながらも、そっと灯火を差し出す。
ルシフェルは微笑みながら、それを大切に受け取った。
三人目に現れたのはナヤ。
彼女はまるで普段の強気な姿からは想像できないほど――恥ずかしそうに目を逸らしながら、灯火を持ってきた。
「べ、別に、あんたのことが……その、嫌いじゃないってだけよ! 勘違いしないでよね!」
「……ナヤ、それはつまり?」
「……う、うるさい!」ナヤは半ば怒りながらも、そっと灯火を手渡してきた。
そして最後に、セリアが静かに歩み寄ってくる。
「ルシフェル様。私は、あなたのそばで生きていきたい。……どんな姿であっても、あなたは私の“光”です」
彼女の手のひらに揺れる灯火は、どこよりも柔らかく、優しかった。
ルシフェルは四つの灯火を、胸の中にしっかりと抱きしめる。
その瞬間、周囲の空気が温かく震え、精霊たちが舞い踊った。
――そして彼は、言葉を返す。
「リュミエ、リシュア、ナヤ、セリア……ありがとう。全部、受け取った」
「俺は、お前たちを選ぶ。誰か一人じゃない、全部だ。……傲慢かもしれない。でも、それが俺の答えだ」
「これからの人生、全員と共に歩む。それが――ルシフェル・アストライアとしての誓いだ」
4人の少女たちは、その言葉に涙を浮かべながら、静かにうなずいた。
夜空に、大輪の精霊の火花が咲いた。
温泉の湯気の向こうに、未来の風が吹いた。
それは、ルシフェルと4人のヒロインたちの新たな絆の夜。
そして、隠れ里の“誓火祭”に伝説が加わった瞬間だった。
朝日が斜めから差し込む神殿の広間。大理石の床に光が揺れ、柔らかな空気が満ちている。
「……起きてるの、ルシフェル?」
リュミエの囁きに、ルシフェルは目を細めて頷いた。隣で眠っていた彼女が、淡い金髪をかすかに揺らして微笑む。
昨夜、四人のヒロイン――リュミエ、リシュア、ナヤ、セリア――と誓いを交わした。彼女たちの想いを真正面から受け止め、全員と心を結び、未来を約束したのだ。
「リュミエ……幸せか?」
「ふふ、聞かなくてもわかるでしょ? ……でも聞いてくれるのは、嬉しい」
リュミエの白い指が、そっとルシフェルの額に触れる。彼の人間の姿のままの額は熱を帯び、彼女の温もりを受け入れていた。
その瞬間、扉がノックもなく開き――
「おーい! 朝食できたよー! ルシフェルー! リュミエー!」
リシュアがキッチンから顔を出し、笑顔で手を振った。白いエプロンに見慣れぬピンクの三角巾――昨日買ったばかりの“お嫁さんセット”だ。
「リュミエ、早く早く~! 今日の朝ごはんはスペシャルなんだからっ!」
「もしかして、ナヤとセリアと一緒に作ったの?」
「もちろん! 四人で、初めての……“旦那様のための朝食”なんだから!」
その言葉にルシフェルは照れ笑いしながら立ち上がり、ローブを羽織った。
神殿の庭に設けられたテーブルには、香ばしい匂いが漂っていた。パンケーキ、ふわふわ卵のキッシュ、ハーブソーセージ、そしてナヤ特製の魔導鍋スープ。
「全部……俺のために?」
「当然でしょ」
セリアが恥ずかしそうに目を逸らすが、その頬はほんのりと赤い。
「ルシフェル……ちゃんと食べて。残したら怒るから」
「うむ、では全力でいただく!」
そう言ってルシフェルは箸をとり、スープをひとくち――
「うまい!」
「やったっ!」
ナヤが小さくガッツポーズする。照れながらも「魔導火加減、完璧だったし」と呟いた。
「朝から幸せすぎて、世界征服できそう」
「それはダメだってば!」
全員が笑い合う中、空には透明な青が広がり、雲ひとつない一日が始まっていた。
午後。
神殿裏の庭園で、四人のヒロインとルシフェルは腰を並べて座っていた。
「……この世界、これからどうなるんだろうね」
リュミエの言葉に、リシュアがそっと目を閉じて言う。
「でも、どんな未来でも……ルシフェルがそばにいれば、怖くない」
ナヤは小さな植物の芽を撫でながら呟いた。
「魔導の力がどれだけ進化しても、やっぱり“心”がなきゃ意味ないんだよね。私は、この場所と、この時間が好き」
セリアは少しだけ口元を歪めて、照れ笑いする。
「こういう平和な時間が、ずっと続けばいいのにね」
ルシフェルはそれぞれの言葉を噛みしめ、胸に刻むように頷いた。
「俺は……“世界の希望”でありたい。お前たちのために、どんな敵が現れても、立ち向かう。だから……」
ルシフェルは全員の手を握った。
「今日この日を、“誓いの朝”にしよう。四人と共に歩む人生を、誓う」
全員が小さく頷き、目を潤ませる。
「ルシフェル……私たちも、誓うよ」
「ずっと一緒にいるって」
「どんな未来も、私たちで作っていこう」
「夫婦として、四人一緒に!」
その瞬間、空に光が走った。大仏としての力が、心の奥で反応していた。
彼の中で、“守るべき理由”がはっきりと形を成したのだ。
その夜。
月明かりの下、神殿の屋上でルシフェルは一人立っていた。背後から静かな足音。
「ルシフェル?」
リュミエだった。彼女は彼の肩に寄り添い、そっと囁いた。
「ねえ……あなたの“本当の名前”、聞かせて?」
ルシフェルは少し笑って、月を見上げた。
「……かつて、誰にも明かさなかった名がある」
「うん」
「この世界に転生した時、封印された名前。それが……」
彼はリュミエの手を握った。
「ルシフェル・アストライア。それが、俺の本当の名だ」
リュミエは微笑み、そっと頬を寄せる。
「美しい名前ね……でも、私にとっては“ルシフェル”で十分。どんな名でも、あなたがあなたならいいの」
「ありがとう、リュミエ」
月が優しく光を注ぎ、静かに夜は更けていった。




