第9話 灰の蝶と旅の始まり
――七年前、魔界の外れにある小さな村。
草と石の混じる道、風にたなびく洗濯物、薪を割る音。華繰夜は、そこで平凡に、でも幸せに暮らしていた。
「……ねえ、カグヤ!そっちの木の実、ちょうだい!」
幼い子どもたちの声が響く。まだ七歳だったカグヤは、少し控えめに笑いながら、枝の先に手を伸ばして実を取った。
「……うん、どうぞ。僕、もうお腹いっぱいだから……」
みんなが笑っている。夕日が差す。その日常が、永遠に続くものだと、思っていた。
だが、その日、カグヤは“蝶”と出会った。
――それは煤けた灰のような翅をもつ、静かで不気味な蝶だった。
ふわりと漂い、何かを囁くように、カグヤの手にとまった。
「……君は、望んだんだね」
そう声が聞こえた気がした。
その夜から、カグヤの魔力は異常に膨れ上がり、次の日から村人の体調が崩れはじめた。
高熱。咳。立てなくなる者。次第に亡くなる者が出てくる。
だが――なぜかカグヤだけは、まったくの無傷だった。
「……おまえのせいだ」
「おまえが来てから、おかしくなった」
優しかった人たちの目が、凍えるような憎悪に変わっていった。
カグヤは泣きながら、村の畑に薬草を探しに行った。
誰よりも早く起きて、食事を運んだ。
それでも、誰も振り向いてはくれなかった。
そして――最後の夜。
村の灯りはすべて消え、誰もいなくなった。
誰も。
「……ごめん、なさい……」
灰の中に、紅の襟だけが鮮やかだった。
カグヤはそっと、村を離れた。ひとりで。なぜ生きているのかもわからないまま。
---
時は現在、場所は人の世界の山中。
――風がそよぎ、鳥の声がする。
「ねえ〜、もうムリ〜!休も?どっか寄ろうよ、ね?ね?」
金髪をゆらしながら、エリスが文句を言う。歩き始めて数時間、道も山道に変わり、彼女の表情は疲労でいっぱいだ。
「エリス、旅ってこんなもんでしょ……がんばって」
ユキは涼しい顔をしながらも、肩で息をしている。
「……あ。あそこに村が見えるよ。寄って休んでいこう!」
エリスが指差す先には、ぽつんと山の中に広がる集落があった。煙はない。人気もない。だが、家屋はしっかり建っており、倒壊や炎の跡もない。
「なんか……変だな」
シアは眉を寄せた。
慎重に村へと足を踏み入れる3人。だが、誰もいない。物音ひとつしない。
空き家の中には、昨日まで人が住んでいたかのような整然さがある。
「……ねえ。ここ、何か……嫌な感じがする」
ユキの声がかすかに震える。
「ここには泊まらない方がいいかも。先に進もう」
シアの提案に、ユキもエリスも無言でうなずいた。
だが――
(……なんだろう、この胸のざわつき……)
シアは後ろ髪を引かれるような違和感を覚えながら、村を後にした。
そして、それは現れる。
ガアアアアアアアアア……!!
森の中から飛び出したのは、三つ首の獣。
腐食した鱗、紫色の瘴気。魔物だ。
「来るよ、避けて!」
ユキが氷の槍を放ち、エリスが雷撃を放つ。
シアは剣を構え、風の魔法を纏って飛び込む。
「せいっ!」
だが、その瞬間。
ズドオォォォンッ!!
魔法が外れ、樹を吹き飛ばす。
敵にはかすりもせず、シアの身体がぐらつく。
「シアっ!?」
「ちょっと、だいじょ――」
言いかけたエリスの声がかき消えるように、シアの膝が崩れ、倒れた。
――視界が、暗くなる。