第76話 流れを掴む
訓練場には、朝の空気がまだ残っていた。
夜露を含んだ地面がひんやりと冷たく、足元から静けさが伝わってくる。
ユキは一人、魔法陣を展開していた。
氷の魔力を集める。
以前なら、対象を凍らせるだけで精一杯だった。
けれど今は違う。
(……留める。止める)
それはもう、できるようになった。
問題は、その先。
氷を解除する。
だが、ただ溶かすのではない。
(動くには……理由がある)
対象がどう動きたいのか。
どこへ流れようとしているのか。
——その“流れ”を掴む。
ユキは深く息を吸い、魔力の操作を変えた。
氷を解き、同時に水の魔力をそっと添える。
止めて、動かす。
今までよりも、ずっと滑らかに。
対象の動きが、自然に戻っていく。
「……っ」
思わず、小さく息が漏れた。
今までとは明らかに違う感覚。
無理がない。引っかかりがない。
(これが……ミサヤさんの言ってたこと)
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
理解できた、という確かな感触。
そのとき——
「ユキ」
聞き慣れた声に、ユキは振り返った。
訓練場の入口に、シアが立っている。
「ダイさんがさ。一緒に来てほしいって」
「え?」
「ユキも連れてきてくれ、って言われた」
ユキは一瞬、シアを見る。
魔法を評価してくれるかもしれない。
今の感覚を、何か言ってくれるかもしれない。
けれど、シアは少し首を傾げるだけだった。
「……どうかした?」
それだけ。
ユキは小さく息を吐き、首を横に振る。
「ううん。行こ」
ふと、ミサヤのことが頭をよぎる。
あのときの助言。あの距離感。
——でも、今はそれを考えない。
二人は訓練場を後にした。
戻る途中、兵士たちの方が少し騒がしい気がした。
声が重なり、慌ただしく動く気配。
(訓練、頑張ってるんだな)
そう思い、深く気に留めることなく歩を進める。
◇
宿の食堂には、すでに数人の兵士とダイがいた。
空気は張り詰めているが、怒号が飛ぶほどではない。
どこか、結果を待つような静けさ。
ダイが二人に気づき、口を開いた。
「例の件だが……調査が終わった」
ユキとシアは、同時に息を詰める。
「兵士たちの中に、該当する魔力はなかった」
その言葉に、二人はほっと胸を撫で下ろした。
「……じゃあ」
ユキが、自然と問いを投げる。
「やっぱり、あの場に別の誰かがいたってことですか?」
ダイは、ゆっくりと頷いた。
「……やはり、君もそう思うか」
次の瞬間——
食堂の扉が勢いよく開いた。
「報告です!」
兵士の一人が、息を切らして駆け込んでくる。
「兵士数名が、急に身体の痛みを訴え始めています! 次々と倒れて——」
「なに?」
ダイが即座に立ち上がる。
「どういうことだ!」
「はっ! ただいま医療班を呼んでいます!」
◇
訓練場の一角は、すでに騒然としていた。
地面に膝をつく兵士。
動けず、呻き声を上げる者。
医療班が到着し、次々とテントへ運び込んでいく。
ダイは医療班の班長を呼び止めた。
「何が起きている」
班長は険しい表情で答える。
「……身体が限界を超えて動かされていた痕跡があります」 「ついこの間まで、無理やり使われていたようだ」
ダイが眉をひそめる。
「そんなことが……?」
「通常では考えられません」 「神話や、古い文献でしか聞いたことがない」
ダイは短く息を吐き、即座に指示を出した。
「このまま調査を続けろ。原因が分かり次第、報告しろ」
「了解しました」
シアとユキは、ただそのやり取りを見ていた。
何が起きているのか。
なぜ、突然こんなことが。
理解できないまま、時間だけが進んでいく。
◇
場が落ち着いた頃、ダイは二人に向き直った。
「呼び出しておいて、すまない」
少し、言葉を選ぶように間を置く。
「今回のことも含めて、整理がつき次第、必ず話す」 「それまでは……できるだけ訓練も外出も控えてくれ」
シアとユキは顔を見合わせる。
「もしかすると——」
ダイの声が、低くなる。
「俺の想像が正しければ……君たちは、狙われているかもしれない」
それ以上は、言わなかった。
ただ、その言葉だけが、静かに胸に残った。
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