第74話 痕跡
三日前の戦闘の痕が、街道の外れにそのまま残っていた。
乾ききらない血の染み。
砕けた石畳。
魔獣の爪によって抉られた地面。
ダイは現場に立ち、周囲をゆっくりと見渡していた。
その背後で、シアもまた視線を巡らせる。
「……ここだ」
ダイの声は低い。
「魔獣は、ここで討伐された」
事実だけを言えば、それで終わる。
だが、ダイは一歩踏み出しながら続けた。
「ただな……今回の戦闘、どうにも腑に落ちない点がある」
シアは何も言わず、黙って聞く。
「魔獣に襲われた兵士の遺体は、回収されている」
そこで、ダイは一瞬言葉を切った。
「……だが、一人だけ例外がある」
足を止める。
「頭部が、見つかっていない」
シアの胸が、わずかにざわついた。
「魔獣に不意打ちを受ければ、頭からやられることは珍しくない。
……だが今回は違う」
ダイは、戦場全体を指し示すように視線を動かす。
「兵士たちは、魔獣のいた場所を把握した上で迎撃に向かっている。
先に魔獣が潜んでいたわけじゃない」
つまり——
「不意打ちは、成立しない」
さらに、低く言葉を重ねる。
「しかも、頭部が見つからない兵士は後方配置だった。
魔獣の動線とも、合わない」
沈黙が落ちる。
魔獣だけでは説明がつかない。
その結論が、言葉にされずとも空気に滲んでいた。
「だから俺は、ここに来た」
ダイは周囲を見渡す。
「魔獣以外の“何か”が関わっていなかったかを確かめるためだ」
そのときだった。
シアの視線が、ふと街道から少し外れた場所へ逸れる。
理由はない。
ただ、何となく。
「……あ」
足が止まる。
「ダイさん」
呼ばれて、ダイが振り向く。
シアは一本の木の前に立っていた。
近づいて見上げると、幹の中ほどに小さな穴が開いている。
直径は、せいぜい一センチほど。
貫通はしていないが、深く、丸い。
刃物ではない。
獣の牙でもない。
ダイも木の前に立ち、無言で穴を見つめる。
「……これは」
「魔法、だと思います」
シアの声は静かだった。
「魔獣も魔物も、こんな痕を残す攻撃はできません。
少なくとも……物理じゃない」
ダイは小さく頷いた。
確かに、これは“撃たれた”痕だ。
狙いを定め、放たれた何か。
「この大きさ……」
シアが、ぽつりと呟く。
「……夢で見たものと、似てる気がします」
断定ではない。
ただ、胸の奥に引っかかる感覚だけが、消えなかった。
ダイは一度、深く息を吐く。
(魔獣だけじゃない)
(……この場には、別の存在がいた)
振り返り、現場に残っていた兵士たちへ声を張り上げる。
「この木を中心に調べろ!」
「魔力の痕跡が残っている可能性がある!」
兵士たちが一斉に動き出す。
ダイはさらに命じた。
「全員の魔力と照合する!」
「急げ!」
号令が飛び、現場が再び慌ただしく動き出す。
シアは、木の穴からしばらく目を離せずにいた。
魔獣でも、魔物でもない。
魔法を使い、狙って撃てる“何か”。
その正体は、まだ見えない。
だが——
確実に、この戦場に存在していた。
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