第72話 帰りを待つもの
王都の空は、夕方になると妙に澄む。
熱を失い始めた石畳が、陽の残り香を薄く返し、遠くの尖塔が金色に縁取られていた。
ギルド前の広場は、まだ騒がしい。
緊急の討伐任務が発令されてから、街の顔色は一気に戦時へと切り替わった。
——魔獣の群れ。
そして、別ルートから迫る魔物。
魔力に晒されて凶暴化した動物が魔獣。
魔族が使役する異形の存在が魔物。
その二つが同時に迫る、最悪の組み合わせだった。
ダイは状況を一息で整理し、仲間の顔を見回す。
「分かれて動く。魔物は俺が直接押さえる。……シア、ユキ。来い」
シアが頷き、ユキも迷わず前に出る。
「ミサヤは——」
ミサヤが肩をすくめる。
「僕は後方支援しかできないからね。兵士たちと魔獣の方へ行くよ」
ダイは一瞬だけ目を細めた。
だが、今は時間がない。
「……兵士の指揮は任せる。無茶はするな」
「了解」
短く返し、ミサヤは兵士たちの方へ向かった。
背中は柔らかく、歩調は落ち着いている。
——まるで、すべて分かっているような。
その小さな引っ掛かりを、シアは胸の奥に飲み込んだ。
◇
魔物の方へ向かったダイ、シア、ユキは、街道を外れた林縁で異臭に出会う。
土の匂いではない。
焼けた金属でもない。
——腐った魔力の匂い。
「……来る」
ダイが低く言い、剣を抜いた。
闇の中から、歪な影が滑るように現れる。
四足とも二足ともつかない骨格。複眼のような赤い光。
魔獣とは明らかに違う、異形。
魔物だ。
ユキが即座に氷の魔法陣を展開し、地面を凍らせる。
「足を止める!」
冷気が走り、魔物の動きが鈍る。
だが、それでも止まらない。氷の上を削り、ひび割れを作りながら進んでくる。
「シア、盾!」
「っ、はい!」
シアは掌を前に出し、創造の輪郭を空に描く。
光が集まり、盾の形が浮かび——
(遅い……!)
いつもより、わずかに時間がかかる。
“作れる”のに、形が定まらない。
心臓が嫌に速く打った。
だが、形が確定した瞬間——
魔力の流れが一気に整う。抵抗が消える。まるで最初からこうなると分かっていたみたいに。
盾が生まれ、同時に魔物の爪が叩きつけられた。
——ガンッ!
衝撃が肩に突き抜ける。
それでも盾は耐えた。
「よし……!」
ダイがその隙に踏み込み、剣を深く叩き込む。
ユキの氷が動きを奪い、シアの盾が攻撃を受け止める。
三人の連携は、確かに機能していた。
——けれど。
(……なんだ、この感じ)
シアの胸の奥で、さっきから違和感が消えない。
作り出しが遅い。
なのに、作れた瞬間はやたらと滑らかで、強度も安定している。
調子が良いのか、悪いのか。
自分でも分からない。
魔物が倒れ、黒い霧のような魔力が散って消えていく。
「……片付いた」
ダイが剣を収める。ユキも息を整えた。
「魔獣の方も、終わってるといいけど……」
ユキの言葉に、三人は合流地点へ急いだ。
◇
魔獣討伐の現場は、広場から少し外れた大通りだった。
石畳には血と泥、そして爪痕が残っている。
到着した時、ちょうど最後の魔獣が膝を折るところだった。
「——今だ、止めろ!」
兵士の声と共に、数本の剣が一斉に突き立ち、魔獣は崩れ落ちる。
その瞬間、宙に細い光の糸が幾本も走っていた。
ミサヤの“分配”だ。
光の糸が兵士たちの腕や脚、呼吸のリズムに絡みつき、疲労や負荷が分散される。
倒れそうな者が立ち、足がもつれた者が踏み直す。
——まるで、戦場そのものを支える糸。
ダイは素早く周囲を見渡す。
「全員、生きてるか!」
ダイの声に、周囲の兵士たちが慌てて応じる。
「……っ、確認中です! 負傷者多数……!」
返答が一拍遅れた。
担架がいくつも運び出され、
布を掛けられたものが、その中に混じっている。
ダイは、そこでようやく理解した。
「……犠牲は?」
「……数名、確認されています」
兵士の一人が答え、目線をミサヤへ向けた。
「ミサヤさんの支援がなければ、俺たちは……!」
他の兵士たちも、同じ目をしていた。
恐怖と疲労の中にある、確かな信頼。
ミサヤは、ふっと肩を落とすように息を吐く。
「……犠牲は、ゼロにならなかった」
「……ごめん」
短い言葉だった。
謝罪というより、落ちた声そのものが悔恨だった。
兵士の代表格の男が、唇を噛みしめる。
目は赤い。だが、逸らさない。
「……俺たちは、覚悟してます。ここに立ってる時点で」
拳を握りしめながら、それでも真っ直ぐにミサヤを見る。
「悔しいけど……それでも、守れた。村じゃない。王都だ。ここを——」
ダイが一歩前に出た。
「……十分だ」
低い声で、戦場の空気を割る。
「守るために動いた。その結果の責任は、俺が背負う」
兵士たちの表情が、わずかに揺れる。
守られている、という安心が、遅れて胸に落ちてきたようだった。
ミサヤは、ダイの言葉に礼を言わなかった。
代わりに、ぽつりと呟く。
「……気持ちはありがたい。でも」
視線が担架に移る。
「帰りを待つものもいる。覚えておいた方がいい」
その言葉が落ちた瞬間、兵士の何人かが強く唇を噛んだ。
ダイは目を細めたが、言い返さない。
シアは、その横顔を見ていた。
(……今の言い方)
正しい。
正しいのに、胸の奥が冷える。
ミサヤは一度だけ深く息を吐き、いつもの穏やかな顔に戻る。
「……とりあえず、帰ろう。これ以上ここにいても、冷えるだけだ」
◇
夕方。宿。
シアは自室で、ベッドに腰掛けていた。
手のひらを見つめる。
さっきの盾。
“作り出す”までが遅かったのに、形が定まった瞬間の滑らかさは、今までで一番だった。
(……何なんだろう)
力が乱れているのか。
それとも——自分が、力と向き合えていないのか。
考えれば考えるほど、輪郭が曖昧になる。
——コンコン。
扉がノックされた。
「……どうぞ」
扉が開き、ミサヤが入ってくる。
静かに、遠慮なく。まるでここが自分の居場所だと知っているように。
「シアくん。少し、いいかい?」
「……はい」
ミサヤはベッドに近づき、シアの隣に腰を下ろした。
距離が近い。だが、圧はない。
「今日は、お疲れさま。魔物の方は大丈夫だった?」
「……はい。なんとか」
ミサヤは頷き、それから少しだけ視線を落とす。
「王都に来てから、考えることが増えた」
昼間、ユキにも言っていた言葉だ。
シアの胸が、わずかにざわつく。
「……何を、ですか?」
「今回みたいなことが、他の場所でも起きているかどうか。起きているなら、どこで、どんな形で、どれくらいの頻度で」
淡々とした言い方だった。
それが、逆に重い。
「だから、また旅に出ようと思う。調べたいんだ」
ミサヤはそこで、シアの顔を見る。
「……シアくんも、一緒に来てほしい」
シアの目がわずかに見開かれた。
「僕が……ですか?」
「うん。無期限じゃないよ。ひと月くらいの調査だ。戻ってくる」
優しい声。
断る理由を、先に潰すような補足。
「明後日、出発する予定だ。それまでに決めてほしい」
シアは喉が乾くのを感じた。
「……どうして、僕なんですか」
問いは、震えなかった。
だが内側では、心臓が早い。
ミサヤは少しだけ考えるように目を細める。
「君は、強くあろうとしている」
次に来る言葉が、分かってしまった気がした。
「でも——自分を信じきれていない。そういう状態になってない?」
図星だった。
シアは息を呑む。
言い訳も、否定も、先に折られていた。
ミサヤはシアの表情を見て、静かに言う。
「蝶の力は、確かにイレギュラーだ。でも今の君が使える力の一つだ」
言葉が、胸の奥に落ちる。
「行動指針とは関係ない。動くための目的でもない。……動くときに使う道具だ」
ミサヤは少しだけ身を乗り出す。
「道具はね、使う人のものだ。借り物だと思い続けると、いつまでも手が震える」
シアの指先が、無意識に握り込まれる。
(……僕は、ずっと)
借り物だと思っていた。
だから、責任だけが怖かった。
ミサヤは立ち上がり、シアの前に立つ。
そして、手を差し伸べた。
「君の力は、君の手の中にある。……それを確かめに行こう」
シアは、迷った。
ほんの一瞬だけ。
それから、差し伸べられた手を取った。
温かい。
指先が絡む。
「……前向きに考えます」
「ありがとう」
ミサヤは微笑んだ。
その手を離した瞬間——
シアの体の内側を、何かが撫でるように通り過ぎた。
息が止まるほどではない。
痛みもない。
ただ、ほんの一瞬、身体の奥で“針が触れた”みたいな違和感。
(……気のせい、か)
シアはそう結論づける。
そうするしかなかった。
ミサヤは何事もなかったように扉へ向かう。
「ゆっくり休むといい。今日は——よく頑張った」
扉が閉まる。
静寂が戻る。
シアは掌を見つめた。
そこに何かが残っている気がして、確かめるように指を動かす。
何もない。
なのに。
手のひらが、さっきより少しだけ——重かった。
ご一読いただきありがとうございました。
誤字などございましたらコメント等含めて教えていただけると幸いです。
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