第68話 わかっているはずの距離
夜の訓練場は、昼よりも静かだった。
王都の灯りが遠くで揺れ、石畳の上に長い影を落としている。
ユキは一人、魔法陣を展開していた。
氷の陣。
そこに水の魔力を重ね、ゆっくりと流す。
凍結と流動。
止める力と、進ませる力。
——その“間”に意識を置く。
空気がきしみ、氷が静止する。
ほんの一瞬、時間が引っかかったような感覚。
「……今のは、悪くない」
小さく息を吐き、額の汗を拭った。
最近、夜の訓練が増えている。
理由は、はっきりしていた。
(……ダイさんの言葉)
昼間に言われた、あの一言。
——シアの様子がおかしい。
思い返すたび、胸の奥がざわつく。
(そんなはず、ない)
シアは幼馴染だ。
物心ついた頃から、ずっと一緒だった。
笑う癖も、悩むときの沈黙も、
無理をするときの目の伏せ方も。
(私が一番、知ってる)
そう言い切れる自信が、確かにあった。
だからこそ。
(……なのに、なんで)
最近のシアが、少し遠い。
話さなくなったわけじゃない。
避けられているわけでもない。
それでも——
(私の魔法、見てない……?)
技術的な助言がない。
良いとも悪いとも言われない。
昔なら、できなくても何か言ってくれた。
今は、何もない。
(……追いついてない、だけ?)
シアは、自分のことで精一杯なのかもしれない。
それは分かる。
でも。
(それって……
私のことを見てないってこと?)
考えが、そこまで進んでしまい、慌てて首を振る。
(違う。
シアがそんなはずない)
だって、自分は——
(シアのこと、分かってる)
そう信じてきた。
けれど、その言葉の裏に、
小さな疑問が生まれてしまう。
(……本当に?)
今のシアを。
“今”の変化を。
自分は、ちゃんと見ているのだろうか。
「随分、考え込んでるね」
不意に、穏やかな声がした。
振り向くと、ミサヤが立っていた。
街灯の光を背に、柔らかな表情でこちらを見ている。
「……そんな顔、してました?」
「うん。ここに来てから、僕も考えることが多くなってね」
その言葉に、ユキは少しだけ首を傾げた。
「考えること……ですか?」
「個人の力と、望む結果。
それと——運命、かな」
どれも、すぐには噛み合わない言葉だった。
「正直、よく分からないです」
そう答えた瞬間、なぜかシアの顔が浮かぶ。
力を得てからの彼。
それでも、どこか距離を取るような視線。
「分からなくていいと思うよ」
ミサヤはそう言って、訓練場に視線を移した。
「ただ、ユキは今、自分の力とちゃんと向き合ってる。
それは、見ていて分かる」
胸が、わずかに熱くなる。
(……分かる、んだ)
今の自分を。
言葉にできない部分まで。
「続き、見ていてもいいかな?」
「……はい」
魔法陣を再展開する。
さっきより、意識が澄んでいた。
氷が広がり、水が流れ、
止めたい場所で、ぴたりと動きが止まる。
「今のは、“止めた”んじゃないね」
ミサヤが静かに言う。
「動かさない、という選択をしてる。
ユキは、もうその段階にいる」
——認められた。
そう感じた瞬間、胸の奥に小さな満足が生まれる。
同時に、別の感情が滲んだ。
(……シアは)
この変化を、知っているだろうか。
それとも——
(私が、見せられてないだけ?)
訓練を終え、魔法陣を解く。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。
考える時間は、悪くないよ」
ミサヤはそれだけ言って、静かに去っていった。
残された訓練場で、ユキは一人立ち尽くす。
(……私)
シアのことを、分かっているはずだった。
分かっていると、疑ったことすらなかった。
でも今。
(もしかしたら——
“分かっていた”のは、昔のシアだけ?)
その考えを否定したくて、
それでも否定しきれなくて。
ユキは、胸の奥に残った小さな違和感を、
まだ名前も付けられないまま抱え続けていた。
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