第65話 境界を越える一線
アンゲール村・北側。
そこはもう“戦場”ですらなかった。
ただ静かに滅びの気配が積もる、張り詰めた死域だった。
魔獣ではない。
魔力に侵された異形——魔物。
その三体が、カグヤとエリスを包囲し、低く嗤うように蠢いていた。
夜風が一度吹くだけで、黒い霧が揺れ、石畳に細いヒビが走る。
それは魔物の影響ではない。
カグヤの破壊の力が、抑え切れず漏れ始めている証拠だった。
(……このままじゃ………
抑えられなくなる!)
胸の奥で破壊の核が、獣のように暴れ、ひっきりなしに内側を叩く。
息を吸うだけで、黒い霧が皮膚の下を這い回った。
魔物が一斉に跳びかかる。
「——っ!」
大鎌が弧を描き、衝撃の波が魔物の動きを一瞬だけ押し戻す。
だがそれは、本当に一瞬だけ。
「カグヤ!」
エリスの声が背後から届く。
振り返る余裕すらない。倒すたびに、破壊が暴れ、抑え込む魔力が削れていく。
ついに——
カグヤの足元で、破壊の霧が、爆ぜるように溢れた。
(……もう押し返せない……
だったら——全部まとめて破壊し切る!)
暴走する前に、破壊の力を一度使い切る。
全力を一点に収束させ、魔物を消し飛ばす。
そのわずかな瞬間だけ、破壊の核は静まる。
——本来なら、危険な賭けだ。
でもカグヤにはもう、それしか残っていなかった。
「行く……!!」
カグヤは地面に手をかざし、魔力を叩きつける。
黒い紋様が走り、魔物三体の足元で巨大な魔法陣が展開する。
破壊の霧が竜巻のように渦を巻き——
次の瞬間、術が完成するはずだった。
だが。
「カグヤ!!」
手を強く握られた。
エリスだった。
「……え?」
魔法陣の線が、エリスの魔力に触れた瞬間、形を変えた。
破壊だけで描かれていた陣に、別の色が混ざる。
「エリス!? 待って、今いじったら——!」
「分かってる! でも聞いて!」
エリスの声は震えていた。
「“一緒にいる”って……守ってほしいって意味じゃない!!」
カグヤの目が見開かれる。
「あなたが……あなた自身を壊さないように……
私が隣にいたいって意味だから!!」
エリスの魔力が、魔法陣に染み込んでいく。
破壊の線が細かくほどけ、エリスの魔力の色へと徐々に混ざっていく。
破壊の暴走を誘発しうる危険な行為——
だが、エリスは迷わず踏み込んだ。
「エリス、ダメだ! これ以上混ぜたら——!」
「あなたが暴走したら、全部あなたのせいにしちゃうでしょ!?
そんなの絶対に嫌だよッ!」
エリスの涙が、一滴だけカグヤの手に落ちる。
「あなたは……なにも言わないで全部抱え込む人だから……
“私のせい”って言わせたくないの……!」
その言葉に、カグヤの胸が熱く揺れた。
自分が暴走したらエリスが責められる。
だから、使わせたくなかった変質魔法。
でも。
エリスは、ずっと分かっていた。
(……“カグヤは絶対にエリスを責めない”……
だからこそ、彼女は怖かったんだ)
指を握り返す。
「エリス……ありがとう。
もう背負わせないよ……一人でなんて、行かない」
「うん……!」
二人の魔力が、魔法陣に重なった。
破壊の霧が細く収束し、エリスの変質魔法と混ざり合っていく。
破壊が、変わる。
歪み、ひび割れ、別の形に組み直されていく。
魔物たちが、一斉に警戒するように後退した。
「カグヤ……今だよ!」
「——ああ!!」
二人の魔力が重なり、魔法陣が光を放った。
黒でも、白でもない。
破壊でも、治癒でもない。
ただ静かに、すべてを消し去る“無”の光。
次の瞬間——
魔法陣を中心に、魔物たちが
音もなく、跡形もなく消えた。
一息遅れて、カグヤの胸の奥の破壊の核が
穏やかに沈んでいく。
暴走は止まり——
破壊は“消滅”へと変質していた。
二人は肩で息をしながら立ち尽くし、
ようやく再び、夜風の音が戻ってきた。
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