第64話 揺らぐ破壊、揺れる決断
シアが瘴気に呑まれ、ミギドの夢を見ているその頃——
アンゲール村は、すでに地獄の入口のようになっていた。
家屋は倒れ、夜空は炎で赤く染まり、
悲鳴と咆哮だけが風より早く駆ける。
「南の柵、破られたぁっ!」
「なんで減らないんだよ……魔獣ども!」
魔獣——魔力に晒され変異した動物。
理性を失い、ただ破壊するだけの獣の群れ。
その群れへ、闇を裂いて黒い影が飛び込んだ。
「——どいて!」
ひと薙ぎ。
地面が白く塗りつぶされ、魔獣が三体まとめて弾け飛ぶ。
◆
「カグヤ! 右側、まだ来るよ!」
続いて駆け込んできたのは、金髪の少女・エリス。
圧縮した光弾が矢のように放たれ、魔獣の足や顎を正確に撃ち抜く。
「分かってる……!」
そう答えながら、カグヤは胸の奥を押さえた。
黒い“核”が、ぐらり、と脈打つ。
(……もう、押さえる魔力、ほとんど残ってない)
破壊の力。
蝶から与えられたその異質な魔力を、カグヤはずっと自分の魔力で押し返してきた。
しかし、道中ですでに数十体の魔獣を斬った。
斬るたびに破壊が外へ出ようと暴れ、
押し込むたびに魔力を消費し——
(今暴れられたら……村が……)
胸の奥が軋む。
苦しいほどの圧力。
限界は近い。
◆
「助けて……誰か……!」
路地を逃げる少年の前に、魔獣が牙を剥いて突っ込む。
その瞬間。
「——間に合えっ!」
黒い影が横から飛び込み、魔獣二体が一息で両断された。
破壊の霧が散り、少年の頬をかすめる。
霧が触れた部分が薄く赤くなり——
カグヤの心臓が、ひやりと凍る。
(……かすめただけ。
薄い接触なら、数分で赤みが引く……大丈夫……)
(……でも、あと一歩ずれてたら)
ぞくり、と背筋が冷える。
あの少年の命は、今この瞬間、自分の“誤差”ひとつで消えていた。
「大丈夫? 立てる?」
「う、うん……ありがとう、お兄ちゃん……!」
少年を逃がしながら、カグヤは拳を握りしめた。
(……正気でいなくちゃいけないのに。
俺が少しでも乱れたら……触れただけで誰かが……)
胸が鈍く痛んだ。
◆
背後から光線が走る。
「カグヤ、後ろ!」
エリスの声に反応し、光が別の魔獣の頭を撃ち抜いた。
「油断しないで!」
「分かってるよ……!」
そう言いながらも、息は上がり、破壊の霧は濃くなる。
抑えきれない黒い圧力が、皮膚の下で暴れ始めている。
(……もう限界だ)
◆
エリスは横目でそれを見ていた。
(……完全に“蓋が薄くなった”時の揺れ方……)
破壊の霧は濃すぎる。
魔獣ではなく、地面の石が割れ始める。
(今、大技を一発でも撃てば——
本当に暴走する……)
エリスの胸に浮かんだのは、ルーツの魔法で見たあの荒廃した世界。
(あんなふうに、カグヤを独りにしたくない……)
だからこそ思い出す。
——変質の魔法。
カインと編んだ術式。
魔力に自分の魔力を薄く流し込み、性質を“変える”魔法。
炎を冷たくし、氷を熱くする。
性質を変える魔法。
破壊と、破壊を押し留めてきたカグヤの魔力を混ぜ合わせる。
成功すれば、力は別の形になる可能性がある。
(……でも失敗したら……ここが丸ごと吹き飛ぶ……)
そして何より。
(……カグヤは絶対“私を責めない”)
怖かった。
成功しても失敗しても——
どちらに転んでも、カグヤはエリスを恨まない。
だからこそ痛い。
(私の決断で……カグヤが苦しむのが一番こわい……)
胸が強く締め付けられる。
◆
「エリス」
突然、カグヤが振り返った。
エリスは瞬時に顔を上げる。
「……変質魔法のこと、考えてるでしょ」
息を呑む。
「……っ、なんで」
「分かるよ。ずっと一緒にいるんだから」
カグヤは静かに、優しく微笑んだ。
「大丈夫。今は使わなくていい。
俺は……まだ、大丈夫だから」
その“まだ”が嘘だと、自分でも分かっているのに。
それでもカグヤは迷わず言った。
「エリスが無理すると……きっと後で自分を責めるでしょ。
だから、俺はそんなこと選ばせたくないない」
エリスの喉が震えた。
(……やっぱり。
カグヤは……何があっても私を責めない)
(だからこそ……苦しい……!)
涙をこらえ、唇を噛む。
「……うん。分かった。
でも絶対離れないから。何があっても」
「頼りにしてる」
そう言って笑うカグヤの背中は、優しくて——壊れそうだった。
◆
二人は駐屯地へ向かった。
そこは修羅場だった。
負傷兵が並び、薬草と血の匂いが満ちている。
隊長室の前で、包帯だらけの兵士が立ち尽くしていた。
「ダイさんの代理のカグヤです。状況をお願いします」
「だ、ダイ隊長の……! 本当に、助かります……!」
兵士は震える声で語る。
「魔獣の中に……魔物が混じっていました!」
「魔物……!」
エリスの声が鋭く跳ねる。
「魔獣ならこんな被害には……
でも魔物は、一体で十人以上の戦力で……!」
兵士の手が震える。
「しかも……ッ、魔物が“核”になって……魔獣たちを引き連れてるようで……!」
「核……」
カグヤは静かに息を吸った。
「魔物は今、北側へ移動しているはずです……!」
「行こう、エリス」
「うん……」
その返事と共に、二人は北側へ走る。
◆
北側に近づくにつれ、空気が重く淀んでいく。
地面は焼け焦げ、濁った魔力が靄を生んでいた。
闇の中で、異形の影が蠢く。
魔物——
複眼が赤く光り、歪んだ肉塊がこちらを向く。
「……来るね」
エリスの声が震える。
「大丈夫。俺がいる」
カグヤは静かに大鎌を構えた。
胸の奥で破壊の核が暴れ、皮膚の下に黒い圧力が軋む。
——暴走と覚醒、その境界線。
二人は、その危うい闇へと踏み込んだ。
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