第62話 過去を焼く光、名を捨てる影
夢は、さらに深い層へ沈んでいく。
——ミギドは、駆けていた。
荒れ果てた道を、息が続かないほどの速度で。
胸は焼けるように痛み、視界はにじんでいる。
その耳の奥では、さっきの断末魔がくり返し響いていた。
『……ミギド……に、逃げろ……
村が……研究所を……お前の家族が……!!』
◇
数時間前——。
ミギドは研究所にはいなかった。
上層部の突然の命令で、“魔物の制御術式の調整をするため”、前線へ派遣されていたのだ。
魔力銃に応用した“魔力を留める術式”は、
魔物の暴走率を下げるためにも試験的に使われ始めていた。
「ミギド、お前の術式だけが頼りだ。
少しでも魔物の暴走が減れば、前線は持つ」
「……わかりました。すぐ向かいます」
ミギドは研究室を後にし、三日間前線に張りついていた。
その間、村や研究所の異変に気づけるはずもなかった。
◇
——そして戻ってきた時、そこは地獄だった。
研究所は半壊し、壁は裂け、空気は血と焦げた匂いで満ちていた。
白衣は引き裂かれ、机は砕け、資料は焼かれている。
「だ、誰か!! 生存者は……!」
瓦礫の下でかすかに動く手があった。
ミギドは急いで掘り起こし、血塗れの研究員を抱き起こす。
「ミギド……! 逃げろ……!」
「何があったんですか!?」
研究員は震える唇で、途切れ途切れに語った。
「村人たちが……魔物を見たって……
“研究所が魔物を作っている”と……
家族を……殺されたと……!!」
「!!」
「研究所にも……復讐だと押し寄せて……
みんな……やられた……!
お前の家族も……巻き込まれたと……聞いた……」
「っ!!」
「魔物も……誰かが意図的に……研究所から……
外へ……連れ出した……そんな噂も……」
「な……なんで、そんな……!」
研究員はそこで息を引き取った。
ミギドの世界が、音を立てて崩れていった。
◇
走る。
ただ走る。
心臓が破れそうなほど脈打ち、呼吸は痛みに変わる。
道の先で——村の景色が目に入った瞬間、ミギドは固まった。
「……やめてくれ……そんな……」
家々は破れ、血が地面に染みついている。
倒れた人影が、彼の視界をいくつも通りすぎる。
震える足で自宅に向かう。
扉を開けると——
家族が倒れていた。
母は床に手を伸ばすように倒れ、
弟はその背中に縋るように息絶えていた。
祖父は家の前で倒れ、その手は何かを守るように握り締められている。
「……ごめ……遅く……なって……」
喉の奥が潰れ、声にならない声が漏れる。
そんなミギドの背後から——怒号が飛んできた。
「いたぞ!! 魔物を作った研究員が!!」
「こいつのせいで家族が死んだんだ!!」
「裁いてやる!!」
村人たちの目は、恐怖と憎悪で濁っていた。
「ま、待ってください……!
僕は、そんな……作るつもりじゃ……!」
「黙れ!! お前たち研究所のせいだ!!」
石が飛び、刃物が向けられる。
ミギドの胸の奥で、何かが静かに、冷たく折れた。
(ああ……もう……いいんだ)
涙は枯れ、声も出ない。
ただ——静かに立ち上がった。
◇
自室の奥へ向かうと、布に包まれた魔力銃があった。
震える手でそれを掴む。
「……終わらせよう」
呟きは、死んだように静かだった。
◇
村の中心。
魔力銃の魔法陣が地面に展開されていく。
「やめろ!! ミギド!!」
「村を巻き込む気か!? 正気じゃない!!」
「正気……?」
ミギドは微笑んだ。
泣き疲れた子どもが、眠りに落ちる直前のような顔で。
「もう“守るもの”は何も残っていないんです……
だったら……せめて……苦しみを終わらせたい……」
魔力銃が光を放つ。
村全体を覆う巨大な魔法陣が輝く——
——村は、光に呑み込まれた。
悲鳴はすぐに掻き消え、
建物は静かに形を失い、
大地は白い灰のように崩れた。
ミギドはその中心で、膝をついた。
「……全部……終わった……」
◇
そのとき——
黒い蝶が舞い降りた。
『君は、優しいな』
声が心の奥に直接落ちてくる。
『世界を救いたいと願った。
だが世界の方が、それを許さなかった』
「……僕は……間違えたんです……」
『違う。
世界の“器”が間違っている。
強さも弱さも、生まれながらに偏っている』
蝶はミギドの指先に留まる。
『君には“調整の力”が必要だ。
壊れた世界を作り直すための力だ』
「……作り直す……?」
『そうだ。
どんな人にも、その人に“合った運命”を与えられる世界を。
優しさが裏切られない世界を』
ミギドはゆっくり手を握った。
「その力で……もう誰も……死なせずに済むなら……」
『ならば、受け取れ』
黒い蝶が羽ばたいた瞬間——
指先から黒い“糸”が生まれた。
調整の力——。
その最初の脈動が、ミギドの体を震わせる。
◇
——しばらくして。
ミギドは廃村を離れ、山道を彷徨っていた。
涙はもう出なくなっていたが、胸の痛みはずっと続いていた。
(もう……誰も失いたくない……
誰も、苦しまない世界に……)
そのとき、前方から悲鳴。
「誰か!! 助けてくれ!!」
冒険者の若者たちが魔物に襲われている。
その中で——
弟の年齢に近い少年が、兄を庇うように叫んだ。
「兄ちゃん逃げろ!!」
ミギドの心臓が強く脈動した。
(やめてくれ……その言い方は……
弟を……思い出す……)
次の瞬間——
無意識に糸が伸びた。
黒い糸が魔物の動きを鈍らせ、
冒険者はその一瞬で魔物を斬り倒した。
「な……なんだ!? 今の……!」
冒険者たちがミギドを見る。
「助けてくれたんだよな!?
あんた、一体……?」
ミギドは答えられなかった。
ミギドという名前は、あの村に埋まった。
空を見上げると、黒い蝶が舞っていた。
(名前……もういらない。
でも……新しい世界を作るなら……
新しい“名”が必要だ)
「名前を教えてくれよ! 命の恩人!」
ミギドは、静かに口を開いた。
> 「……俺の名前は——…………」
そこで、夢は途切れた。
シアのまぶたの裏に、黒い蝶と泣き崩れる青年の影が揺れ、
世界が音を失う中で——
ゆっくり意識が浮上していった。
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