第61話 歪んだ正義の行き先
——夢はまだ続いていた。
封印室の奥から響く低い唸り声。
黒く濁った魔力が壁を叩くたびに、研究棟全体がひどく軋む気がする。
シアの意識は、ミギドという青年の視界に貼りついたまま離れない。
彼の呼吸の震えさえ伝わってくるようだった。
◇
「封印の維持、問題ありません……今のところは」
研究員の報告に、主任は深く頷いた。
しかし、全員の表情は硬い。
封印陣の向こうでは、かつて兵士だったものが、低くうめきながら結界を叩いている。
「……あれは兵器なんかじゃない」
ミギドは小さく呟いた。
誰に向けた言葉でもない、ただ心の奥から漏れた声。
(僕が……あの人を壊してしまった)
罪悪感は、日に日に濃くなっていく。
◇
数日後。
金属靴の重い足音が研究棟の廊下に響く。
黒い軍服の幹部たちが、封印室の前に立った。
空気が一気に張り詰める。
「これが——例の“魔物”か」
幹部の一人が結界越しに唸り声を聞きながら目を細めた。
「……ずいぶんと使い道がありそうだな」
研究員たちは、恐れと怒りを混ぜたような目で彼らを見るが、何も言えない。
幹部の視線がゆっくりと——ミギドに向けられた。
「……お前が“ミギド”だな?」
その声は、事実確認でも称賛でもなく、
“貴重な道具を見つけた”時の声音だった。
「はい……僕が、術式を……」
「よくやったな」
淡々とした声。
しかし、その無感情さがミギドの心を冷やしていく。
「一人の兵士を“これ”に変えるだけで、前線は崩れなくなる。
敵を何十と葬れる力だ。市民がどれだけ救われると思う?」
「そんなつもりで……あれは作ったんじゃ……!」
反論は、幹部の手のひらで簡単に押しつぶされた。
「理想論だ。
兵士は前線で死ぬために生きている。
魔物になってなお敵を倒せるなら、むしろ本望だろう?」
「……!」
「お前が“術式の展開を拒めば”、死ぬ兵士がたった今も増えていくんだ。
それでも黙って見ているのか?」
胸の中で、何かが軋むような音がした。
(見捨てれば、ただ死ぬ。
術式を施せば、形は違っても“生きて”戦える。
助けられるかもしれない——)
一瞬、そんな誤った希望がよぎった。
幹部はそれを見透かしたように、さらに追い込む。
「……お前の村。今は穏健派が守っているようだが、
前線が崩れればどうなると思う?」
ミギドの肩がびくりと震えた。
「弟も、母も、祖父もいるのだったな。
守る兵力がそちらに割けなくなるんだよ」
静かな声なのに——刃物より鋭かった。
「ミギド。
お前だけができる。
兵士を“無駄死にさせず”、市民を守る方法を」
優しいようで残酷な声が、心の奥へ入り込んでくる。
◇
次の負傷兵が運び込まれた時、
ミギドはもう拒否する力を持っていなかった。
「俺……助かるん……だよな……?」
「…………」
助からない。
助けたくても、助けられない。
だが——魔力を留めれば“死なない形”にはできる。
「——痛みは、すぐに終わります」
その言葉は祈りにも似ていた。
術式が光を描き、身体へ沈む。
しばらくして——
悲鳴。
骨の軋む音。
皮膚が裂け、黒い靄が噴き出す。
二体目の魔物。
三体目。
四体目——。
封印室は、徐々に“地獄の保管庫”へ変わっていった。
(どうして……こんな……)
ミギドの心は、彼自身が思うよりも早く削れていた。
◇
夜。
家に戻ると、当たり前の日常の匂いが迎えてくれる。
その温かさが、むしろ胸を締めつけた。
「兄ちゃん、ちゃんと食べてる? 顔色わるいぞ」
「……大丈夫だよ。研究が忙しいだけ」
笑ったつもりなのに、弟は心配そうに眉を寄せた。
母はスープをよそいながら言う。
「戦争が終わったら、ゆっくり休めばいいのよ。
あんたの研究だって、きっと誰かの役に立つんだから」
「…………」
(役に……立ってる……?
何のために……?
誰を……守れている……?)
その夜、ミギドは一睡もできなかった。




