第56話 動き出す器、分かたれる道
ギルドを出たシアたちの足取りは、妙に重かった。
夕刻の町は、いつもとそう変わらないはずの光景なのに、どこか張りつめた空気をまとっている。
行き交う人々は早足で、荷物をまとめている者や、兵士になにかをまくし立てている者の姿も見えた。
「……急いで戻ろう。」
先頭を歩くダイが短くそう言う。
シアとユキ、エリス、カグヤが黙って頷いた。
その少し後ろを、ミサヤが歩く。
黒髪を揺らしながら、視線だけで町の様子をなぞるように。
(魔獣は“減っている”はずなのに、この緊張感……。
合っていない。どこかが、ずれているな)
そう考えながらも、表情はいつもの穏やかなもののままだった。
基地の門が見えてきたところで、門番の兵士が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「隊長! ご報告があります!」
「どうした。」
「村の周辺に……また魔獣が現れ始めました!
数そのものは、まだ大規模というほどではありませんが……出現地点が……」
兵士は息を整え、言葉を続ける。
「妙に“等間隔”なんです。
まるで誰かが並べているみたいだ、と現場から……」
「等間隔……?」
ユキが思わず呟き、シアは眉をひそめる。
カグヤの背筋にぞくりと冷たいものが走った。
エリスも視線を落とし、唇を噛む。
「道中の偵察隊からも報告が。
動いている部隊ごとに、似たような距離で魔獣と遭遇したと……
“配置されている”ような印象だそうです!」
「……最悪のパターンに近づいてきてるな。」
ダイの声は低く、重い。
そのやりとりの少し後ろで、ミサヤが小さく呟く。
「やっぱり、“偶然”とは思えないね。」
その声音には、確信にも似た硬さがあったが、誰もそこまで聞き取れる余裕はなかった。
兵士の報告が一段落するより早く、別の兵士が駆け込んでくる。
「隊長! 王都本部から正式な伝令です!」
ダイが顔を上げる。
「……聞こう。」
「はい! “ガバゼ隊長暴走および戦死の件、並びに魔獣異常発生の詳細を確認したい。
一週間後の朝までに、隊長および同行していた人間四名を王都本部に招集せよ”とのことです!」
「一週間後……」
ダイは短く息を吐いた。
「こっちの事情も分かった上で、その猶予ってわけか。
それでも、“必ず来い”ってことだな。」
ユキが不安そうにシアを見る。
「シア……どうするの?」
「行くしかないよ。
ガバゼさんのことも、魔獣のことも……はっきりさせないと。」
シアの拳が、ぎゅっと握られる。
ただでさえ重い空気の中、さらに慌ただしい足音が響いた。
「ダイ隊長っ!!」
今度はギルドの受付嬢だった。
顔を真っ赤にして、息を切らしながら飛び込んでくる。
「ど、どうした。」
「パロが……いないんです!
ギルドの部屋にも、倉庫にも、どこにもいなくて……!」
「……何?」
「外出記録も残ってませんし、勝手口の鍵も動いた形跡がなくて……
本当、に……どこにも……」
声が震えていた。
彼女にとっても、パロは“ただの保護対象”以上の存在になっていたのだろう。
ダイは舌打ちし、すぐさま命令を飛ばす。
「兵を集めろ! 周辺の警戒を最大まで引き上げろ!
パロの捜索隊も編成しろ。足跡でも聞き込みでもいい、手がかりを集めろ!」
「はっ!」
兵士たちが散っていく。
残された空気は、さっきよりもさらに重く、冷たい。
その中で一人、ミサヤだけが静かに目を細めた。
(ガバゼの器が崩れたときといい、今回といい……
“欠けた器”ばかりが浮き彫りになっていく。
これは偶然なのか、それとも——)
誰にも届かない思考が、胸の内側で渦を巻く。
やがて一通りの指示が終わると、部屋は一時的な静寂を取り戻した。
ダイは机に両手をつき、深く息を吐く。
「村の魔獣、パロの失踪、王都からの招集……
どれも軽く扱える話じゃねぇ。
だが、全部に全力で対応できるほど余裕もねぇ。」
苦い現実が、言葉になって漏れる。
シアもユキも、息を飲んでダイを見つめることしかできなかった。
その静寂を破ったのは、カグヤの声だった。
「……俺が行く。村に。」
全員の視線が、一斉にカグヤに向く。
「俺は半魔だ。魔獣の動きには、人間より慣れてる。
ここに来る前から、あの森や村の周りは見慣れてるし……
避難路も、隠れる場所も、頭に入ってる。」
言葉は淡々としている。
ただ、その瞳には迷いがなかった。
「人間だけより、俺がいた方が、村の連中も動きやすいかもしれない。
……そう思う。」
ダイは腕を組み、じっとカグヤを見つめる。
沈黙を破るように、エリスが一歩前に出た。
「じゃあ、あたしも行く。」
「エリス?」
カグヤが驚いて彼女を見る。
エリスはふっと笑った。
いつもの能天気な笑顔に見えるが、その瞳は真剣だ。
「そばにいるって、言ったじゃん。
あんたが村に行くなら、あたしも行く。
一人で背負わせたりしないよ。」
その言葉に、カグヤは目をそらした。
頬がわずかに熱い。
(……勝手なやつだな)
そう思いながらも、その胸の奥は、どこか少しだけ軽くなっていた。
ダイは二人を見比べ、静かに頷く。
「……分かった。カグヤ、エリス。村のことはお前たちに任せる。」
「任せてください。」
「守ってくる。」
ダイは今度はシアとユキの方を見る。
「シア、ユキ。お前らは俺と一緒に王都へ行く。
ガバゼの暴走も、お前たちが見た“黒い靄”も、魔獣の異常も……
本部で直接説明してもらう。」
「……はい。」
シアは強く頷いた。
ガバゼの最後の表情が、脳裏によみがえる。
ユキも、シアの横顔を見てから頷く。
「一週間後までに、王都に行けばいいんだよね。
……だったら、その間に分かることは全部、ちゃんと見ておこう。」
「頼もしいな。」
ダイが口元だけで笑う。
その緊張した空気を、ほんの少しだけ和らげるように。
そこで、ミサヤが静かに一歩前に出た。
「僕も王都に同行させてください。
ここまでの異常……ガバゼさんのことも、魔獣の動きも、
少し気になる点が多すぎるので。」
ダイは短く考え、すぐに頷いた。
「構わん。助かる。
お前の回復と“探り”の魔法も、道中で役に立つだろう。」
「お任せを。」
ミサヤは、穏やかに微笑んだ。
こうして、
王都へ向かう組と、村へ戻る組に分かれることが正式に決まった。
◇ ◇ ◇
夜。
基地の明かりがぽつぽつと灯り、外のざわめきが少しだけ落ち着きを取り戻したころ。
カグヤとエリスは、装備を点検しながら短い会話を交わしていた。
「本当に来るのか、魔獣。」
「来るでしょ。だって“並べてる”みたいなんでしょ? 誰かが。」
エリスは冗談めかした口調とは裏腹に、真剣な表情で武器を磨いている。
「……無茶するなよ。」
「それ、あたしの台詞なんだけど?」
エリスは笑って、カグヤの肩を軽く小突いた。
そのやりとりは、以前よりずっと自然で、距離が近い。
一方、静まり返った廊下の窓際で、ミサヤは夜空を見上げていた。
(ガバゼの器が崩れたとき……
あれは、“力”そのものよりも……
“壊れる瞬間”を止められなかったことが原因だ。)
月明かりが、彼の横顔を淡く照らす。
(創造する力だけじゃ、足りない。
器が崩壊するとき、その時間を止められる誰かがいなきゃ——
世界を作り直すことなんて、できない。)
小さく笑みが浮かぶ。だが、その笑みは決して温かくない。
(……順番を変える必要がある、ってことだね。)
誰もその独白を聞いていない。
ただ、夜の静けさだけがそれを飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝。
薄い霧の残る基地の前に、二つの隊が集まった。
王都へ向かうのは、ダイ、シア、ユキ、ミサヤ。
村へ急ぐのは、カグヤとエリスだ。
「一週間なんて、あっという間だな。」
ダイがぽつりとこぼす。
「その間に、何がどこまで崩れるか……正直、賭けみてぇなもんだ。」
シアはその言葉を受け止めるように、真っ直ぐ前を見た。
「それでも、やるしかないですよね。」
「おう。」
ユキは小さく息を吸い、カグヤたちの方を振り返る。
「……必ずまた合流しよう。
村も、王都も、全部守ってから。」
エリスが片手を上げて笑う。
「もちろん! ちゃんと生きてなさいよ、シア、ユキ!」
カグヤも、短く言う。
「……お前らが変なふうに死にかけてたら、文句言いに行くからな。」
「それはこっちの台詞だよ。」
シアが少し笑い、ユキもつられて笑った。
ダイが手を叩く。
「よし、それぞれの持ち場に向かえ! 時間は少ねぇぞ!」
掛け声とともに、二つの隊が反対方向へ走り出す。
王都へと続く道。
村へと戻る道。
分かたれた二つの道は、
やがて一つの大きな渦に飲み込まれていくことになる。
それをまだ誰も、知らない。
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