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カンフー給食  ~中編~

前編からのつづき。


   カンフー給食  ~中編~


クッキングAIベースは最新鋭の学校給食センターである。

芝生が広がる敷地の中に建つ巨大な工場からは、調理の際に出る一筋の白煙さえ見えない。環境に配慮されたこの建物から外部に出す気体や液体はすべて地下を通って排出され、人の目に触れないようになっている。

 あちこちにロボットが導入されているため、給食調理人は最小限の人数に抑えられ、人影をほとんど見ることはない。

数えるほどしかいない調理員の仕事はロボットの作業をモニターで見ることと、温度や湿度などの各種数字を確認することである。調理室内はロボットが稼働する単調な音やベルトコンベアが流す静かな音や食材を刻むリズミカルな音がするだけである。

 今、ロボットが調理している食材は牛乳とシャケと鶏肉である。本日仕入れたばかりのため、いずれも新鮮で、質の良い食材である。

 隣接する応接室から広大な調理室をガラス越しに見ることができる。

 おそらくいい香りが漂っているのだろうが、応接室までは流れて来ない。

 ここに二人の男が向かい合って座っていた。

 背の高いハーフの男はクッキングAIベースのCEOであるロバート参条である。

 小柄な和服姿の老人はグルメ王である三途川味エ門である。

 ロバートが大きな体を曲げて、お礼を言う。見事なまでの金髪で目の色は青い。

「三途川さん、このたびは素晴らしい食材をご提供いただきまして、ありがとうございます」

「いやいや、なんの、なんの。あれしきは大したことではない」三途川は顔の前で手をヒラヒラと振って謙遜する。「あれで子供たちも喜ぶであろう」

 ロボットによって加工されている牛乳とシャケと鶏肉をガラス越しに見つめる。

「仕入れたばかりの上物だからね」

「いつもありがとうございます」

 ご提供いただきましてと言っても、ちゃんと代金は取っている。しかもかなりの高額だ。その辺のスーパーなら半額で手に入る物ばかりだ。だが断ることはできない。なんと言っても、三途川は誰もが知っている日本のグルメ王だからだ。その名声を利用して、ときどき食材を押し付けて来る。しかし、三途川から仕入れたと知ると、子供たちも大喜びだし、報告を受けた保護者も大喜びする。 

クッキングAIベースに給食を頼んでよかった。クッキングAIベースさん、こんなご馳走をありがとう。日本一の給食だといった声が殺到し、ネット上で拡散される。少し高めの宣伝費だと思えばいい。

グルメ王の三途川はそれだけ影響力を持った存在だということだ。

「あれくらいは、ほんの挨拶代わりだよ。さてロバート君、肝心な話はこれからだ」

 三途川は身を乗り出し、ロバートは背筋を伸ばした。身長差がさらに拡大した。

静寂に包まれた応接室。調理室からは何の音も聞こえない。ガラスの向こうでは、ロボットがせわしなく、動き回っているだけだ。三途川が持ち込んだ新鮮な牛乳とシャケと鶏肉が無人のまま、次々と調理加工されていく。

三途川はロバートの目を見つめたまま、着物の袖口から、薄い緑色の巻物をうやうやしく、取り出した。長さは三十センチほどある。

「これがウワサの!?」ロバートの目が大きく開く。

「そう、斉工給食調理商会に代々伝わる幻のレシピだよ」

 三途川は巻物をテーブルに置いたが、手は巻物の上に乗せたままだ。まさかロバートが盗むとは思ってないだろうが、焦らしているのか、もったい付けているのか、この妖怪のような老人の心は読めない。

「これはいかほどですか?」

恐る恐る尋ねるが、入手経路をあえて訊かないところが、老獪なところだ。ロバートも妖怪の一種である。

「五百万円でどうかな?」三途川は平然と言う。

「五百万ですか……」ロバートの顔に戸惑いが浮かぶ。

「このレシピを使って、世界学校給食コンテストで優勝したらどうなると思うね?」

 優勝者には数々の特典が与えられる。クッキングAIベースが世界遺産に推薦されるし、ロバート参条は人間国宝に推薦されるし、銅像も建立される。

 それは分かっている。分かっているが……。

 ロバートは真正面に目をやって、しばらく考える。ちょうど三途川の頭上だ。三途川は座高も低いため、見えているのは白い壁だ。

たった一つの料理レシピが五百万円とは高すぎる。日頃から高級料理を食べているような美食家に提供する料理ならともかく、日頃から駄菓子を食べているような子供に提供する給食のレシピだ。

しかし、同業者の斉工給食に代々伝わる幻のレシピだ。おそらく三途川はどうにかして、これを盗み出したのだろう。それを売り付けに来たというわけだ。盗品だと知って買い取れば犯罪になるが、知らなかった、こちらも被害者ですと言えば免れるだろう。

 真正面から視線を下げると三途川と目が合った。

「そんなに素晴らしいレシピなら三途川さんが使えばどうですか?」

 疑問点をぶつけてみる。

「いや、私はオリジナルレシピで勝負する」

 つまり、この巻物は盗んだものだということだ。堂々と認めた。

「安い買い物だと思うよ」ニヤッと笑う。どう見ても悪党の顔だ。

「確かに……」ロバートは頭の中ですばやく損得を計算する。もちろん、銅像になった自分の姿も思い描く。想像では胸から上だけの胸像ではなく、全身のブロンズ像だ。片手を握り締めて、天に突き上げている。そして、わが生涯に一片の悔いなしと叫んでいる。

「では、五百万円ということでお願い致します」ロバートが決心して、頭を下げた。これで自分も悪党の仲間入りだと自嘲しながら。

「支払いはどうするね?」三途川は安心したのか、巻物からすっと手を離した。

「はい、今から行います」ロバートはスーツのポケットからスマホを取り出して、操作を始めた。「いつもの口座でいいですね」

「ああ、かまわんよ」

「只今、五百万円を送金いたしました」画面を三途川に向ける。

「ふっ、ネットバンキングというやつかね。便利な世の中になったものよ」

三途川はロクに画面を見ることもなく、薄ら笑いを浮かべた。

いつも食材を売り付けに来たときに使う口座へ振り込んだ。その口座は会社名義ではなく、三途川の個人名義の口座であった。どう考えても、悪党の手口だ。

「では、さっそく失礼して……」

ロバートが薄緑の巻物に手を伸ばしたとき、室内の電気が消えた。

 三途川がとっさに調理室へ目をやるが、同じく電気は消え、ロボットは稼働を停止したようだ。

「ロバート君、これはいったいどういうことかね。これでは私が提供した新鮮食材がダメになるではないか」

「ご安心ください」

ロバートはすでに立ち上がっている。「すぐに自動で自家発電に切り替わりますから」

「おお、そうかね」

 二人でガラス越しに調理室を眺めているが、薄暗い中、ロボットは再起動しそうにない。男性調理員が小走りでやって来て、応接室のガラス窓に向けて、両手で×を出した。

「ロバート君、どういうことかね」

「いや、そんなはずは……」

ロバートが困惑気味に声を発したとき、応接室のドアが乱暴に開けられ、覆面をした三人組が乱入してきた。

「なんだ、キミたちは!?」

三途川が振り向いて叫んだ瞬間、棍棒で頭を殴られて、床に倒れ込んだ。

「三途川さん!」

ロバートがあわてて駆け寄ろうとしたが、別の覆面に棍棒で殴られて、卒倒し、頭から血がダラダラと流れ出した。足元をふらつかせながら、何とか立ち上がろうとしたが、三人組は巻物を掴んで、さっさと部屋を出て行った。

「三途川さん、大丈夫ですか?」

 ロバートが流血している頭を押さえながら、床に倒れている三途川を抱き起す。

「しっかりしてください」

殴られた頭の箇所が赤くなっているが、出血はなく、意識もあるようだ。

「ああ、私は大丈夫だ。たいした傷じゃない。君は頭からかなり出血しておるようだが、救急車を呼んだらどうかね」

「いいえ、たいしたことありません。それよりも巻物が盗まれました」

「何だと!」三途川は体を起こし、テーブルの上を見たが、さっきまでそこにあった薄緑の巻物は消えていた。「連中は最初から巻物を狙って、入って来たというのか」

やがて電気が点灯して、調理ロボットも動き出した。

何者かに切られていた電気が復旧したのか、自家発電に切り替わったのか、ロバートには分からず、犯人を追いかけますと言って、頭を押さえながら、ヨロヨロと廊下へ出て行った。

 しかし……。

「三途川さん、外には出ないでください」咳き込みながら戻って来た。「廊下に何か刺激物が漂ってます。目と喉を刺激されて、職員が数人うずくまってます」あわててドアを閉める。

「何だと! 追いかけられないように催涙ガスか何かを撒いたというのか。用意周到な連中だな――おっ、ロバート君、大丈夫かね!?」

 ロバートが白目をむいて、ドアを背にしながら、ズルズルと崩れ落ちた。

 頭部からの出血は止まっていなかった。


 根室市の朝一小学校。

“朝日にいちばん近い街”をキャッチフレーズにしている北海道根室市にある小学校で、大きな事件が起きていた。 

「校長、大変です!」校長室に教頭が飛び込んで来た。「今、給食業者から電話があったのですが、こちらに向かっている配送車が襲われたようです」

「襲われた? どういうことだ?」

「走行中に黒覆面をした三人組が飛び出して来て、配送車を無理矢理止めたそうです。運転手が文句を言おうと外に出たところ、羽交い絞めにされて、荷台に積んであった食材と助手席に置いてあった給食のレシピを盗んで行ったそうです」

「運転手にケガは?」

「それはないそうです。警察には窃盗として、届けたそうです」

「なるほど。個人的な恨みではなさそうだな。つまり、覆面の三人組は最初から食材とレシピを狙っていたというわけか。うーん、どうも分からんな。まさか現金輸送車と間違えたわけではなかろう。あるいは、腹が減ってたから、給食の配送車を襲ったのか?」

「しかし、積載されていたのは食材ですから、調理するのに手間がかかると思います。私が空腹なら、民家に押し入って昼食を強奪するか、スーパーで弁当を万引きするか、あるいは食堂で無銭飲食をします。人相を覚えられないように、さっと食べて、脱兎のごとく逃げれば捕まらないでしょう。その際、腹一杯食べていたら走れませんから、腹八分目に抑えることが、無銭飲食の重要なポイントです」

「教頭先生、君はそれでも教育者かね。まあよい。配送車に積んであった食材は何だ?」

「トンカツです」

「今日の給食の献立はなんだ?」

「エスカロップです」

「つまり、エスカロップのレシピを盗んで行ったというわけか。うーん、どういうことか」

 校長は腕を組んで天井を見上げると、目をつぶって考えはじめる。

根室のご当地給食であるエスカロップは、バターライスの上にトンカツを乗せて、デミグラスソースをかけたものである。子供たちには大人気で、これを楽しみにしている生徒がたくさんいる。

「校長。レシピで思い出したのですが、近々、世界学校給食コンテストが開催されます。盗んだレシピで給食を作って、参加しようという魂胆じゃないですか」

「教頭もそう思うか。私もそれを考えていたところだ。確かに我らがエスカロップはとてもおいしいし、世界にも通用するだろう。しかしな、この北の大地にまで、わざわざ盗みに来る必要があるのか。ネットで探せば、レシピくらい載っているだろ」

「朝一小学校には独自のレシピがあると思ったのではないでしょうか」

「子供たちに出しているのは、栄養士さんが考えた、普通のレシピで作ったものだろう。そんな平凡な味でコンテストに出るかね」

「特殊なレシピとでも思ったのかもしれません」

「それで優勝を狙うというのかね」

「世界学校給食コンテストで優勝すると、数々の特典が付いておりますゆえ」

「私は銅像なんかいらんぞ」

「私もいりませんが、世の中、いろいろな人がおります。銅像に固執する輩もおるんじゃないかと思います」

「銅像目当てに盗みを働くのか? 建立した後で盗みがバレたら、盗人の銅像だとして、街中の人が石をぶつけて、クレーン車で引き倒されるぞ」

「人間国宝にも推薦されます」

「そんなもの、いらぬ」

「私もいりません」

「そんな大層なものをもらったら、人前で屁もこけん」

「私もこけません。キャバクラで飲めや歌えのドンチャン騒ぎもできません」

「教頭先生、君の頭の中はお花畑かね。まあ、とりあえず捜査は警察に任せるとして、この件は全国オンライン校長会議で報告しておくことにしよう。ところで、教頭はどこのキャバクラに通っておるのかね?」


 仙台市の牛丹小学校。

 青葉城の城下にある小学校でも、大きな事件が起きていた。

 給食の食材を運搬する軽トラックが田んぼの畦道を走っていると、突然現れた三人の男が車の前に立ち塞がったのである。三人とも灰色の作業服を着て、ネクタイを締めている。

配送員の大木は急ブレーキをかけて、窓から顔を出した。

「危ねえじゃないか! 何だ、アンタらは!?」

「JAの者です」

「日本中央競馬会が何の用だ?」

「JRAではなく、JAです」

「横文字じゃ分らん。縦文字で話せよ」

「農協です」

「えっ、農協さんですか。こりゃ、失礼しました」大木はあわてて頭を下げる。

 このあたり、農協の力は強い。農協の支店長ともなると、もはや地元の名士である。

「で、何の御用でございますかね?」謙虚に尋ねる。

「配送中である給食の食材の抜き打ちテストを行いたいのです」

「へっ。今ここで?」

「はい。今この畦道で」

「それは構いませんけど、時間がかかるようなら困りますが」

「すぐに済みます。私どもも子供たちが待っていることくらい承知してます。今日積んでいる食材は何ですか?」

「セリです。今日の給食は仙台セリ鍋ですから。新鮮でいい物を積んでますよ。もちろん、今日だけでなく、いつも新鮮な食材を使ってます。子供たちの口に入るものですから、間違いがあってはいけませんからね」

 大木は難癖をつけらないよう必死に説明する。

 仙台市のご当地給食であるセリ鍋とは、特産品の仙台セリの葉っぱから根っこまで入った鍋で、鶏肉や鴨肉などとともに食する、子供たちにも人気のメニューだ。

 JAの職員と名乗った三人は大木を運転席に残したまま、荷台へ向かった。

そして二十分後。牛丹小学校の理事長室。

「ダンボールがすり替わって、セリが消えていたというのかね?」

 理事長が鋭い目で副理事長を睨みつける。

「どうやら、そのようです」

「すり替えられたダンボールの中身はなんだったのかね?」

「厚切り牛タン十キロです」

「はあ? なんで、セリから高価な物に替わっているのかね?」

「それが分かりかねます」

「セリ鍋では足らないから、もっとスタミナを付けさせようと牛タンに替えたのかね」

「それですと、セリを盗む必要はありません」

「そうだな。栄養バランスを考えると、肉だけではなく、野菜も必要だからな。セリを放置しておくと、牛タンに化学変化するようなことはないのかね?」

「セリにそんな性質はございません」

「人間がバッタに化学変化することがあるだろう」

「それは仮面ライダーです」

「配送員の大木君は何と言っておる?」

「狐につままれたようだと」

「狐ではなくて牛だったわけだ。ふん、くだらん」

「それと荷台に置いていた給食のレシピがなくなっていたそうです」

「そうか、レシピかね。取り敢えず、全国オンライン校長会議で報告しておくことにして、厚切り牛タン十キロを業者に売り飛ばしたら、いくらになるかね?」


大阪市の面白小学校。

大阪市内で最も偏差値が高く、大阪城に隣接する面白小学校でも、大きな事件が起きていた。それは守衛室から始まった。

ノックがされたので、守衛の吉本がドアを開けると、帽子を被った、作業服姿の三人の女性が勝手に入り込んで来た。

「なんだキミたちは!? 本校の生徒かね。待ちなさい、何をするんだ」

 吉本は瞬く間にロープで縛られ、さるぐつわを噛まされた。

 そこへ冷凍車がやって来た。本日の給食の食材を積んでいる。

「すいませーん、止まってくださーい」三人のうちの一人が走って行く。「荷物の確認をするように守衛さんから言われてます」

「あんたは誰やねん」配送員の坂田が運転席から顔を出す。

「当校の出入り業者の者です。守衛さんは用事で席を外してます」

二人の女性もやって来た。三人とも何かの配達員のような作業服を着ている。

「冷凍車の車内温度を確認したいので、後ろのドアを開けてもらえませんか。すぐに終わりますから」

 強引に言われたため、面倒に思った坂田は勝手に開けて見てくれと返事をした。

 三人はしばらく車の後ろの方でバタバタしていたが、

「終わりましたー。ありがとうございましたー」

 丁寧に帽子を取って、お礼を言われた。

「はい、ご苦労はん」坂田は搬入口に冷凍車を走らせた。

 約十分後、校長室では、校長と学年主任が向かい合っていた。

「犯人は女の三人組と言うんか。まるでキャッツアイみたいやな」

校長が吐き捨てように言う。

 つい今しがた、給食の食材を女性三人組の強盗団に盗まれたため、気が立っているのだ。

「何のために守衛がおるんや? なんで守衛がまんまと騙されたんや?」

「聞くところによりますと、二十代の後半くらいの女性三人組がいきなり守衛室に入って来て、うちの生徒にしてはガタイが大きいなと思っているうちに、後ろに回り込まれて、ロープでグルグル巻きにされたそうです」

「二十代後半に見える小学生が偶然にも三人揃い踏みなんて、あるわけないやろ。すぐに気づけよ」

「七十年以上生きて来て、初めてロープで巻かれたので、恐怖のあまり、声も出せなかったと言ってます」

「長い人生の中、ロープでグルグル縛られる機会なんか、滅多にないからな」

「はい、妙な趣味がない限り、ありまへんな」

「ほんで、盗んで行ったのが、冷凍たこ焼きとは、キャッツアイが狙うにしてはショボいな」

「冷凍もんじゃ焼きは残されたままやったそうです」

「なんで、冷凍もんじゃ焼きを積んどんねん」

「冷凍車は大阪の次に広島へ行く予定やったそうです」

「広島もんじゃか。まあ、もんじゃ焼きを盗まへんかった理由は分かるわ。大阪人はあんなゲエみたいなもん、喰わへんやろ。お前は好きか?」

「私もあんな吐瀉物みたいなもんは喰いません」

「たこ焼きをおかずに飯は喰えても、もんじゃ焼きをおかずに喰えへんわな。ほんで、三人組の正体はまだ分からんのか?」

「守衛の吉本さんも配送員の坂田さんも高齢者でして、若い女性の顔はみんな同じに見えると言うてまして、犯人は小顔で色白で目が大きくて茶髪だったと言うてます」

「最近の子はだいたいそんな風貌やろ。どの子も似たようなもんで見分けが付かんからと言うて、首からマイナンバーカードをぶら下げるわけにもいかんからな。三人組の中にやたらと背が高い女がいたとか、やたら太ってる女がいたとかはないんか?」

「それが三人とも中肉中背やったそうです」

「ぼっちゃん刈りにしている女子もおらんかったのか?」

「そんな髪型は昭和の女の子でもいません」

「ほな、何も分からんということやな。警察も困っとるやろ。まあ、困ってるのはこっちも同じやけどな」

「今日の給食をどうするかですな。たこ焼きの代わりにもんじゃ焼きを出すわけにはいきませんからなあ」

「そんなもん、ステーキが売り切れたと言うて、代わりに梅干を出されるようなもんやからな。食い物の恨みは恐ろしいと言うから、生徒の間で暴動が起きなければいいがな」

これから起きるのは暴動ではなく、一揆なのだが、二人はまだ知る由もない。

「ところで校長、伝票に挟んであった給食のレシピも盗まれたそうです」

「レシピやて? なんや臭うな。この事件の真相はけっこう深い所にあるんちゃうか。全国オンライン校長会議で報告せなアカンな。ところで、女性の三人組はレオタード姿やったんか?」

「まさか」

「ほな、安心や。見逃したら後悔するところやったわ」


 高松市の小麦小学校。

うどん県の県庁所在地である高松の中心にある小学校でも、大きな事件が起きていた。

「うどんが盗まれただと!」学園長の声が職員室で響き渡った。「今日の献立は何だ?」

「しっぽくうどんでございます」激高している学園長と対照的に副学園長は冷静に答える。

高松市のご当地給食であるしっぽくうどんとは、煮干しの出汁で野菜や鶏肉を煮込んで、うどんの上からかける料理である。

「つい先ほど、覆面をした三人組に配送車が襲われて、強奪されたようです」

「盗まれたのはうどんだけか?」

「しっぽくうどんのレシピも盗んで行ったようです」

「何と! あのレシピを盗んで行ったというのか。配送車を運転していたのは誰だ?」

「栗原君です」

「あの金髪のチャラい男か。うどんで首を吊って死ねと言っておけ」

「いや、悪いのは強盗犯でありまして、栗原君は大事な食材を守ろうと、最後まで抵抗したようで、お尻に全治半日のケガをしています」

「なんで、お尻なんだ?」

「積んでいた麺棒で戦おうとしたのですが、逆に奪われて、お尻を殴られたそうです」

「うどんをかばって、お尻を殴られたというのか。やっぱり、うどんで首を吊って死ねと言っておけ」

「しかし、命がけでうどんを守ろうとした栗原君はうどん麺業界で、すっかりヒーローになってまして、次に出荷されるうどん麺の袋に栗原君の顔写真を載せるかどうかで、緊急の重役会議が開かれております」

「うどんが盗まれたなら、しっぽくうどんが作れないではないか」

「ソバならあるようですが」

「ソバに替えるなどとは、うどん県としてのプライドが許さん。しっぽくソバなんか、邪道だろ。釜揚げソバなんぞ、外道だろ。生徒たちもそう思うだろう。メロンパフェのメロンが品切れだからといって、白菜を使ってパフェを作るようなものだろ。給食にソバが出るなら、食べない方がマシだと思うだろ。ヘタしたら、ハンストを起こすかもしれんぞ。キミはそう思わんか?」

「そんな大げさなことが起きるとは思えませんが」

副学園長は冷静に返答するが、学園長のこの予想は当たることになる。

「新しいうどんの麺をすぐに用意できないのか」

「生徒には打ち立ての麺を提供しておりますので、大量の麺となると間に合わない可能性がございます」

「どこの製麺所でもよい。今まで取引がなかったところでもよい。金はいくらでも出すと言えばよい。昼の給食に間に合わせてくれるところを探すんだ。分かってるな、うどんだぞ。間違ってもソーメンを用意するなよ。マカロニもダメだぞ」

「きしめんはどうでしょ?」

「あんな平べったい物を生徒に喰わすんじゃない!」

学園長は副学園長を睨みつけた。

こいつは隣の愛媛県から転勤してきたばかりの奴だから、香川県人の気質をまだ理解しておらん。うどんに対する愛がまだ足らん。小麦粉に塩を足して、ただ伸ばしただけの食品だと思っておる。これからもうどんについての教育が必要だ。明日あたり、うどんに関する小テストでもやってみるか。

「香川県の宝であるうどんが盗まれたことは、全国オンライン校長会議で報告しなきゃならんな」

「多大なる同情が集まると思います」

「そうなるだろう」

「香川県からうどんを盗んだら、何も残りませんからね」

「愛媛県からもミカンを取ったら何も残らんだろ」

「坊ちゃん団子がございます」

「副学園長は坊ちゃん団子をおかずにして、ご飯を食べるのかね」

「当然です。何杯でもいけます」

「ふん、親譲りの無鉄砲だな」


那覇市のナハナハ小学校。

全国でも珍しいカタカナの名前の小学校でも、大きな事件が起きていた。 

その日の朝は、昨夜通り過ぎた台風の影響で珍しく渋滞していた。道路に木の枝などが散乱していて、みんながノロノロ運転をしていたからだ。

 給食の配送車を運転する喜屋武もイライラしながら、学校へ向かっていた。

何といっても時間厳守だ。遅刻すれば、給食の提供も遅れ、子供たちが空腹のまま午後を迎えることになる。クラクションを連打し、ブレーキとアクセルを交互に踏ん付けながらも、 学校の建物が見えて来たときにはホッとした。

 ああ、よかった。何とか間に合った。

 しかし、搬入用の裏門へと回ったところで、スーツ姿の男が車の前に飛び出して来た。

「なんですか!」窓から顔を出して叫ぶ。「危ないでしょ!」

 その男はサングラスをしていた。日差しが強いこの時期には必需品だから、不自然ではないが、ここはマナーとして、外すべきだろう。

「すいません」男が近寄って来る。「私は厚生労働省の者です」

 名刺を差し出してくる。チラッと見ると、確かにそう書いてある。

「今、このトラックに積まれている食材が不良品だと連絡を受けましたので、確認させていただきたいのですが」

「不良品って、何だよ。そんなこと聞いてないぞ。俺は急いでるんだよ」

「お時間はお取りしません。少し確認だけすれば済みます。後ろのドアを開けてもらえますか」

「ホントにすぐ済むのだろうな。お役人様は仕事がトロいからな」

喜屋武はブツクサ言いながらも、運転席から下り、後ろのリヤドアを開けて、荷台を見せた。本日の食材がダンボールに入って積み込まれている。

「よく見ろ。これのどこが不良品なんだよ」

「こちらで確認いたします――おい!」

 さらに二人の男が駆け寄って来る。全員サングラスをしている。

「この者たちが確認している間、ちょっとした書類の記入をお願いしたいので、もう一度、運転席まで戻っていただけますか」

「ああ、分かったよ」喜屋武は新たに登場した二人を睨みつけた。「さっさと頼むぞ」

 助手席に広げられた書類とやらを、ロクに見もしないで、喜屋武はサインをする。

 男が一人、やって来て、窓越しに言った。

「異常ありませんでした」

「そりゃ、そうだろ」喜屋武はサインを終えた書類を、外で立っている男に渡した。

「ありがとうございます。お気を付けてどうぞ」うやうやしくお礼を言われた。

「はいはい。ご苦労さん」喜屋武は配送車を発進させた。

「何がお気を付けてだよ。あと十メートルで小学校じゃないか」

 三人の男は無言で配送車を見送っていた。

そして、約五分後。

「副校長先生、給食の食材が盗まれたとはどういうことですか?」

大きな校長机に座っている女性校長の赤縁メガネが光る。

「はっ、それが配送車の中を見てみたら、空っぽだったそうで」

 ずんぐりした副校長が立ったまま、校長に説明をする。

「食材を積み忘れたということですか?」

「いいえ、確かに積んだのですが、途中で盗まれたそうです」

「誰に?」

「厚生労働省に」

「はあ?」女性校長は赤縁メガネをグイッと上げた。「話が見えて来ませんが」

「運転手の喜屋武さんの申告によりますと、学校の裏門前で厚労省の三人組という男たちに車を止められて、荷台を確認されたそうです。そして、自分が運転席で書類にサインをしている隙に、食材をダンボールごと盗まれたのではないかと言っております」

「食材というのは何ですか?」

「カステラかまぼこです」

「ということは、本日の給食はイナムドゥチですね」

「はい、我が沖縄のご当地給食のイナムドゥチです」

 イナムドゥチとは古くから伝わる琉球料理であり、お祝いの席で出されるめでたい料理である。豚肉やしいたけなどを煮込んで、白味噌で味付けをすれば完成である。その際に欠かせないのが、魚のすり身に卵を加えたカステラかまぼこである。

 そのカステラかまぼこが盗難に遭ったのである。

「カステラかまぼこが入ったダンボールに貼り付けてあったレシピも盗まれたようです」

「イナムドゥチのレシピですって!?」女校長の赤眼鏡が光った。「これはただの窃盗事件じゃありませんね。裏に何かがありますよ」

「犯人は厚生労働省でしょうか?」

「厚生労働省のフリをして、油断をさせたのでしょう。いや、もしかして、本当に厚生労働省かもしれません。抜き打ちで給食のチェックをしたのかもしれませんよ」

「子供たちが楽しみにしている給食に何てことを」

「このことは全国オンライン校長会議で報告しておきましょう」

「ぜひそうしてください」

 女性校長は立ち上がって窓を開け、グランドに向かって大声で叫んだ。

「沖縄のご当地給食を台無しにした罰です! 犯人どもよ、シーサーに噛まれて死ぬがいい! それで死ななかったら、この私がガジュマルの木で撲殺してやるわ!」

 ランニング中の生徒が驚いて、つぎつぎに転んだ。


愛崎姫果は中華料理店香港の中庭にいた。

飛造じいちゃんが一代で築き上げた中華料理店だ。

コの字に並んだ建物の中庭といっても、テニスコート二面分くらいはある。店も含めて、かなり大きな土地だが、かつてこのあたりは何もない原っぱで、じいちゃんが安く手に入れたらしい。どんな悪い手を使ったのか訊いてみたが、誰にも迷惑をかけることなく、合法的に買ったという。原っぱだから安かったと言う。ホントかどうかは分からないが、じいちゃんが命を狙われることなく、これまで無事に生きているのだから、悪さはしてないようだ。もっとも、じいちゃんが悪党を根こそぎやっつけたという可能性は残されている。

じいちゃんはそこまで強いのだ。

今は店の休憩時間。次の営業は夕方からだ。

私は中庭で、まかないを食べ終えたじいちゃんにカンフーを習っている。

お客さんから見える中庭だが、今は誰もいないから、見られることはない。

今日は弟の愛崎甲太と一緒だ。

小学六年生だが、入門が早かったため、私の兄弟子になる。

兄弟子甲太は私と並んで、形の練習をしている。

「甲太、なかなか様になってるじゃん」

 兄弟子だけど、実の弟だから、敬語は使わない。

 弟は上下黒のカンフー服を着ていた。私もじいちゃんから黒のカンフー服を渡された。赤色の方がよかったのにと思ったが、じいちゃんからこれをタダであげると言われたので、文句は言えなかった。

 タダと言われたが、毎月の月謝五千円の中に含まれているのだろう。小林寺の月謝は千円だったので、高く感じるが、身内じゃないと一万円取るらしい。カンフー服もいくらか知らないけど、実費がかかる。もちろん、かわいい孫のために新品を用意してくれていた。

 それと憧れのカンフーシューズだ。これも黒くてかっこいい。普段着に合わせて、おしゃれにも使える。カンフー服とカンフーシューズはセットでもらった。

「おねえちゃんも似合ってるよ。でも、中国でカンフーを習ってたのに、カンフー服のシューズも持ってなかったの?」

「中国ではジャージとスニーカーでやってたから」

「はあ、ジャージとスニーカーか」

「なに、なんか文句あるの?」

「おねえちゃん、そんなことを言ってる場合じゃないよ。そのへっぴり腰は何?」

「これが正式なカンフーなんだよ」

「ウソばっかり。上体をもっと引くんだよ。そうすると、安定して、腰が砕けたりしないから。ほら、見て。こうやるんだよ」

「どうやら、日本のカンフーは中国のカンフーと違うみたいだね」

 むかつく弟には負け惜しみを言うしかない。

腰を据えて、手を交互に前へ突き出す。

ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

 中庭には天然の芝生が敷いてある。所々がへこんでいる。たくさんの人たちがここで修行したため、映画少林寺に出てきたように、へこんでいるのである。ここがインチキ小林寺と違うところである。小林寺の床はきれいなものだった。小さな子供たちが練習していたので、へこんでないのかもしれないけど。

 芝生のあちこちがへこんでいるということは、この街にはじいちゃんの弟子がたくさんいるということだ。

 バスで偶然隣に座ったオジサンがそうかもしれない。偶然豆腐屋さんで会ったおばちゃんがそうかもしれない。ファストフード店でしゃべってる若い女性がそうかもしれない。

 じいちゃんのカンフーは防御を主とする。こちらから攻めて行くことはしない。やられたらやり返すというのが基本だ。だから、弟子たちは自分の力を誇示することなく、ごく普通の人として、この街に溶け込んでいる。しかし、有事の際はその実力を存分に発揮して、戦いに勝利していく。ものすごくカッコイイ。

「こらっ、姫果。ちゃんと気合を入れんか!」

 いつものように妄想をしていると、じいちゃんに怒られた。

「甲太はちゃんとやっとるぞ」一言多い。

向こうは入門して半年の兄弟子だから、インチキ小林寺で修行した私とは違う。

 私よりチビだが、私より強いかもしれない。

 いつか組手の練習をする日が来るので、しっかり基本を身に付けておこう。

 ちっこい弟になんか負けたら恥ずかしい。

 ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

「いいか、姫果。こうやってカンフーの練習ができること自体が尊いことなんだぞ」

 じいちゃんの説教は続く。体を動かしながら、耳を傾けるのは大変なんだけどなあ。

「本物の少林寺に行ってみろ。最初の三年間は水汲みと薪割だぞ。カンフーなんか、形もやらせてくれないぞ」当たり前のように言う。

 でも、じいちゃんは本物の少林寺には行ったことないはずだ。少林寺どころか、海外には

行ったことないはずだ。大きな中華料理店を経営しているのに、店名にもなっている香港にすら行ったことはない。じいちゃんの海外はせいぜい淡路島だ。淡路島の牛乳はうまかったと自慢していた時期がある。

 お昼の営業が終わって、夕方の営業が始まるまでの休憩時間、私と甲太の練習は続く。考えてみると、じいちゃんは休憩を返上して、教えてくれているのだ。孫から月謝を取っているとはいえ、ありがたいことだ。

「もっと心を込めて突かんか。あと五度くらい腕を上げて」

 じいちゃんは容赦なく、細かいアドバイスを与えてくれる。

ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

心無しか、天然の芝生がへこんでいく気がする。

おお、映画と一緒だ。

たとえインチキでも、本場の中国で半年間カンフーの修行をした成果か?

まさか芝生が私の体重に負けたわけではないだろう。

さらに、かかとにも力を入れる。

もっとへこませてやれ。

おい、芝生、がんばれよ。私の体重に負けるなよ。

ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

「甲太はこのまま練習を続けなさい。姫果はちょっとこっちへ来なさい」

 私はじいちゃんの後に付いて行って、中庭の隅で向き合った。

「さっきの話の続きだがな」じいちゃんが言い出す。

 練習が始まる前、じいちゃんにクッキングAIベースで起きた事件について、途中まで話しておいたのだ。


 斉工給食調理商会の幻のレシピ強奪事件で、じいちゃんは内部に手引きをした人間がいると推理して、経理担当の金盛が怪しいと睨み、不正を白状させることに成功した。私が潜入捜査をした結果、向こうから勝手に白状したのだが、じいちゃんはそれ以来、自分が名探偵だと勘違いして、天狗になっている。

金盛は定年を機に、嘱託での雇用となり、経理から仕入れ担当へと配置換えさせられた。不正で得たお金はこれから何年かかるのか知らないが、給与から支払っていくのだろう。レーベー会長も警察沙汰にしないで、そのような形で雇用することに決めたようだ。

不正の事実はレーベー会長以外、私とじいちゃんしか知らない。会長が会社の恥を世間に晒すはずはなく、私もじいちゃんも人にしゃべったところで、何もメリットはない。だから、同僚たちは何の疑いもなく、いままで通り、金盛と普通に接している。経理担当は別の二人の男性が担当することになったらしい。不正に懲りて、経理を一人に任せるのはやめたのだろう。

しかし、スパイの役を担っていた金盛を見つけただけで、犯人はいまだに分からないし、巻物の行方も分からない。金盛は闇バイトで応募しただけの雇われであり、後ろにいる黒幕のことは知らないらしい。もし分かっていたなら、レーベー会長が動いているだろう。給食調理会社の会長だが、あちこちにコネがあるらしい。金盛も会長も以前と何ら変わらずに働いているところを見ると、事件の進展はないようだ。

ならば、どこかで新たな事件が起きないかと、じいちゃんが不謹慎な期待をしていた矢先、盗まれたはずの巻物が再び現れた。

クッキングAIベースのCEOであるロバート参条とグルメ王である三途川味エ門が、三人の覆面男に襲われ、幻のレシピが書かれた巻物が盗まれたのだ。

この事件は小さくニュースで報道されただけで、くわしいことは分からなかった。だが、クッキングAIベースと斉工給食調理商会は、AIを導入して合理的に調理しているか、たくさんのおばちゃんが人海戦術で働いているかの違いはあるが、同じ給食業界だ。業界内で事件のことはたちまち知れ渡った。

うちにはウワサ話が大好きな同僚のおばちゃん連中がいるため、次々と新しい情報が入って来たのだ。まるで私の周りに高性能のスピーカーがズラッと並んでいるようなものだ。

 棍棒で殴られたロバート参条は頭蓋骨骨折で今も入院中だが、三途川味エ門はかすり傷で済んで、通常の生活を送っているという。

 すぐに警察が介入して、捜査が行われているが、犯人はいまだ捕まらず、それどころか、三人組の正体も分かっていない。

 ただ、犯行のやり口から、斉工給食調理商会を襲った三人組と同一人物だと思われていた。同じ三人組で、同じく胡椒をばら撒いて逃走したからだ。

 三途川味エ門が売り付けに来た幻のレシピについては、信用のある筋から買い付けたと供述しているらしい。信用ある筋とはどこかについては、先方に迷惑がかかるとして、口を閉ざしたまま、話そうとせず、捜査員の手を煩わせているという。頑固なジジイの口を割るのは難しいようだ。

 私が知る限りのことをじいちゃんに話し終えた。

「よし、分かった!」じいちゃんの目が輝いた。

「えっ、もう分かったの?」

「簡単であろう」自信満々の表情だ。

だけど前回も犯人を当ててるから、安易に疑ってはいけない。

「よく聞きなさい、私の孫よ。棍棒で殴られて入院したロバート参条と、かすり傷だけだった三途川味エ門。両者になんでそんな差が付くのか」

じいちゃんが訊いてくるが、そんなこと私には分からない。現場にいたわけではないし、いたとしても分からなかっただろう。さすがのおばちゃんたちも、そんな細かいことまでは知らないはずだ。

「たまたまじゃないかなあ。ロバート参条さんは打ち所が悪かっただけで」

「バカ者! 犯人は三途川味エ門を殴る際、手加減したのだよ」

「ああ、高齢者だから? お年寄りは大切にしないとね。じいちゃんもお店の皆さんに大切にされて実感してるってこと?」

「違う!」じいちゃんが目玉をひんむいて怒る。「三途川味エ門が黒幕だからだ」

「えっ!? マジ? なんでそうなるわけ?」

「奴はわざと殴らせたのだよ」

「じゃあ、三人組に奪われた斉工給食調理商会の幻のレシピはどこにあるの?」

「巻物なら、三途川味エ門の手元にあるはずだ」

 へえ、グルメ王の自作自演だったのか。

 三途川味エ門という変な名前のジジイはよくテレビに出て、偉そうに上から目線で、食べ物のうんちくを語っているのだが、その正体はとんでもない悪党だったというわけか。

 確かに筋は通っている。じいちゃんの素人推理だけど、信ぴょう性はある。上から目線のじいさん同士だから、気づいたのかもしれない。

「まさか、じいちゃんは三途川味エ門とお友達――」

「――な、わけないだろ! わしはお天道様に恥ずかしくない生き様をしとるわ」

 じいちゃんは老舗の中華料理店の経営者で、三途川味エ門はグルメ王。同じ飲食関係で年も近いから、どこかで接点があったんじゃないかと思ったのだが、私の推理は当たらず、怒られてしまった。

ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

甲太の声がここまで聞こえて来る。じいちゃんがそばにいなくても、真面目に練習を続けている。あいつは将来カンフーの達人になるに違いない。そうなったら、あの子は私の弟だと言って、友達に自慢してやろう。

「私の孫よ、姫果よ。どういうことか分かるだろ」

「へっ? 全然分からないけど」

「バカ者! 斉工給食調理商会を襲った連中とクッキングAIベースを襲った連中は同一人物。つまり、三途川味エ門が両方の事件に関して、裏で手を引いていたのだよ」

「へえ、そういうことか」

「さて、連中はこれからどう出るかだ」

「えっ、どう出るの? それも全然分からないけど」

「バカ者! 決まっておるだろ。幻のレシピを取り戻したと言って、斉工給食調理商会に売りつけに行くのだよ。わしならそうする」

「元々の持ち主だった斉工給食調理商会へ売りつけに行って、さらに一儲けするということ? よく分かったね。蛇の道は蛇ということ? じいちゃんも悪党だね」

「バカ者! わしは悪党ではない、元悪党だ。しかし、本当の悪党はさらに先を考えているはずだ」

「えっ、どういうこと?」

「再びの自作自演さ。つまり、斉工給食調理商会に売りつけに行った自分を襲わせて、幻のレシピを奪い取られたことにして、さらなるライバル会社に売りつけに行くというわけだ。しだいにレシピの値段は上がっていくだろうな」

「それじゃ、悪事の無限ループだね」

「まあ、見ておれ。きっとそうなる」

「だったら、売り付けに行った三途川味エ門がまた殴られる役ということ?」

「棍棒で軽く殴るとか、棍棒そのものがフニャフニャの痛くないやつとか、大きなケガをしないように工夫してくるだろうよ」

「やり口がセコイね」

「世界学校給食コンテストで優勝するためだったら、なりふり構わないということだ。といっても、今日明日は動かんだろう。警察が捜査に入っておるだろうからな。さて、カンフーの練習の続きだ――おい、甲太!」

 甲太が遠くから返事をする。

「はい!」いい返事だ。すぐに走って来た。

「甲太、次はもくじんとうで練習をしなさい。わしはこれから中華ディナーの仕込みをする。では、二人ともがんばりなさい。以上!」

 じいちゃんは抱拳礼を行い、私と弟もすばやく返した。

抱拳礼とは、右手でこぶしを作り、左手を広げて、胸の前で合わせるという中国武術の挨拶である。映画でよく見かけるアレである。私も見よう見まねで何度もやったことがある。

 正式な礼を終えると、じいちゃんはヒョコヒョコと店に向かって、歩いて行った。

 口は悪いけど、二人の孫にカンフーを教えることができて、うれしいのだろう。軽やかな歩き方を見て、そう感じる。ずっとご無沙汰だった私もこうやって、ちょくちょく来るようになったからね。

「ねえ甲太、もくじんとうって何?」

「はあ? おねえちゃんはカンフーの本場の中国で修行して来たのに知らないの?」

「だから、少林寺じゃなくて、インチキの小林寺だったんだってば」

「インチキでも木人椿くらい置いてあるでしょ――ほら、あれ」

それは庇の下に置いてあった。

打撃の練習に使う木製の練習器具である。支柱から四本の枝が、腕と足のように伸びていて、それをコンカン、コンカンと叩きながら練習するのである。

「ああ、あれか!?」

見たことがあるぞ。カンフー映画によく出て来るやつじゃん。

ジャッキー・チェンもブルース・リーもドニー・イェンも、あれで練習していたぞ。

「じゃあ、おねえちゃんはそっちでやってね。僕はこっちを使うから」

 二台並んでいる木人椿のうち、甲太は小さい方の前に立った。 

キッズサイズの木人椿だ。

 私は間近に見る木人椿の感動していた。

「へえ、こんなのを作れるなんて、じいちゃんは器用だね。さすが中華の料理人だね」

「アマゾンで買ったんだよ」

「売ってるんだ!」

「カンフー服とカンフーシューズもアマゾンだよ」

「でしょうね。さすがにじいちゃんもお裁縫はできないでしょ。想像するだけで不気味だよ」

 まあ、いいや。

 さっそく試してみるかな。

ジャッキー・チェンも木人椿を使って練習したのかと思うと、一段と気合が入るというものだ。

「ところで甲太、ヌンチャクはないの?」

「おねえちゃんにはまだ早い。自分の頭にガンガンぶつけるだけ」

「甲太は持ってるわけ?」

「まあね」

「アマゾンで買ったんじゃないだろうね」

 コンカン、コンカン、コンカン。

 姉弟が木人椿を使って練習を続けていると、店からニンニクのいい香りが漂って来た。

 じいちゃんは真面目に仕事をしているようだ。

 オーナーだけど、ときどき厨房にも立っている。その変わらない味を求めて、常連さんがやって来る。ありがたいことだ。

 ああ、お腹がすいたなあ。北京でさんざん食べた羊の肉の串刺しをまた食べたいなあ。じいちゃんの店のメニューにあったかなあ。裏メニューとして、かわいい孫のために作ってくれないかなあ。

 コンカン、コンカン、コンカン。


 そして夕方。

姫果と甲太の姉弟はカンフーの練習を終えて、飛造じいちゃんが経営する中華料理店香港の中庭を後にした。使った後の木人椿はきれいに拭いておいた。これからもお世話になるからだ。

 姫果は連日の厳しい練習で、体中のあちこちに青アザができて、あちこちが痛い。

 しかしそれは心地いい痛みだった。

 北京の小林寺で修行をしているときは、筋肉痛さえ起きなかった。修行とは程遠い、お遊びに過ぎなかったからだ。そこから考えても、インチキカンフーだと分かるのだが、本場の少林寺と思い込み、夢中になっていた姫果はまったく気づかなかった。それどころか、女性師範代になれたといって喜んでいた。後で考えてみたら、よく騙されたものだと自分でも感心する。たぶん、詐欺に引っかかる人もこんな感じなのだろう。

「おねえちゃんはカンフーをやってたら、ジャッキー・チェンに会えると本気で思ってるわけ?」

 二人で並んで歩いていると、甲太が生意気にも、そんなことを訊いてくる。

「もちろん、そうだよ」

 上から見下ろすように、チビっ子の弟に断言する。

「はあ、めでたい姉御だよなあ」弟は私を見上げながらため息を吐く。

「だけどきっとジャッキーはカンフーの香りに誘われて、ここまでやって来るよ」

「ニンニクの香りじゃなくて、カンフーの香り? おねえちゃん、大丈夫? 中国で変な物を食べなかった?」

「羊の肉はおいしかったけど、ムカデの串焼きは食べてないよ」

「ムカデ!?」

「食べたいの?」

「いらない」

「ところで、甲太は何でカンフーをやってるのさ」

「僕は強くなりたいから」

「甲太、もしかして学校でイジメに遭ってる?」

「ううん、大丈夫。いじめっ子はいるけど、いじめっ子より僕の方が強いから、逆に僕がいじめっ子になってしまう。いじめっ子なんて称号は恥ずかしすぎる。大人になってからも後悔すると思う」

 そうか、甲太はそんなに強くなったのか。弟としてアッパレだ。

姉として誇りに思うぞ。ますます友達に自慢できるぞ。

「近道を行こうよ」甲太が細い道に入って行く。

 この道の存在は知ってたけど、通ったことはなかった。

 曲がってすぐのところに、その三人組はいた。

「よお、お二人さん。カンフーは面白いか?」

 人相の悪い男が声をかけてきた。

 おそらく私より少し年上の不良だ。取り巻きらしき二人の男が、露払いと太刀持ちのごとく、両脇に立っている。知らない三人だ。

私たちが中華料理店香港の中庭から出て来るところを見ていたのだろう。中庭でじいちゃんがカンフーを教えていることは、この街の人たちなら誰でも知っている。

 路地裏で私と甲太は立ち止まった。

「何か用ですか、揃いも揃って人相の悪いお三人さん」

「何だと!」露払いが怒って、一歩近づく。

「まあ待て」リーダー格の男がニヤニヤして、露払いをなだめた。

 三人ともけっこういい体格をしている。

 ちょっとヤバい状況だ。

 こいつらは、私たちがカンフーの練習の帰りだと知っている。だから、たいしてお金も持ってないことも知っているはずだ。三人とは面識はない。だから恨まれていることもない。

つまり、からかわれているだけだ。

 甲太は負けずに睨み返している。

「行こう」甲太の手を引っ張る。

「だって、おねえちゃん」私の手を振り払う。

「なんだ、年下の彼氏じゃなくて、弟くんだったのか」

 またニヤニヤして、話しかけてくる。

 そのニヤニヤ顔が気に入らなかったのだろう。

 甲太がいきなり構えた。

「出た、カンフー!」ニヤニヤしながら茶化す。「お兄さん、怖いよう」

 子分の二人もケラケラ笑い出す。

 そして、笑いながら露払いが近づいて来たところを、甲太が右太ももに蹴りを入れた。

 甲太の回し蹴りはしっかりと回転がかかり、バシッと炸裂した。

「痛ェェ!」露払いは大きな声を上げて、うずくまる。

 顔が歪んでいるところを見ると、大げさじゃなくて、本当に痛いのだろう。

「おい、マジでやりやがったな」リーダー格の男の顔からニヤニヤが消えた。

 男と目が合った。こっちへやって来る。

 私もカンフーの構えをして、戦いに備えた。

 両足を広げて、重心を落とし、右手を前に出し、左手で自分の側頭部をガードする。

「はあ?」

男は驚いて立ち止まった。

 私のカンフーに恐れをなしたに違いない。

 何といっても、女性初の師範代だ。驚くのも無理はないだろう。

「お前はその構えをどこで習った。中華料理屋のじいさんに教えてもらった型じゃないだろ」

 確かにそうだ。じいちゃんに教えてもらっているが、中国で半年間かけて習ったカンフーの悪癖がいまだに抜けてないのだ。

「あら、気付いたかしら、悪相のお兄さん。これこそはカンフーの本場中国の……」

「小林寺か!?」

「へっ、なんで知ってるのよ」

「俺も三年前、小林寺で習ってたんだ。お前はいつ入門した?」

「私は今年だけど」

「だったら、お前は俺の妹弟子というわけだ」

「私が悪相お兄さんの妹? うぅ、気色悪い。兄と妹は似ても似つかない――で、どこまで行ったわけ? まさかの黒帯?」

「いや、急用ができて日本に帰って来たんだ。だから帯の色は白いままだ。お前はどこまで行ったんだ?」

 私は形を崩さないまま、上から目線で言ってやる。

「ふっ、私は師範代だよ。女性初のね」

 二人の子分がエエッと驚いて、二三歩下がった。

 どうやら恐れをなしたようだな。

 ところがリーダー格の男が笑い出した。

「ハハハ、五万円払っただろ」

「えっ、なんで知ってるのさ」

「五万円払ったら、誰でも師範代の資格をくれるんだよ。資格商法ってやつだ」

 二三歩下がっていた二人の子分が二三歩前進して来て、元の位置に戻った。

「ウソだ。だって私は女性初の師範代なんだよ」

「俺は女性の師範代を、少なくとも三人知ってるぞ。しかも今から三年前の話だ。今はもっと増えてるだろうよ」

 くそっ、インチキ小林寺は資格もインチキだったのか。

お金が貯まったら、もう一度小林寺に行って、猛抗議してやる。キャッチセールスで生徒を増やしていたユーシュエンもボコボコにしてやる。師範代のズハンさんも……。いや、待てよ、ズハンさんも騙されていたのかもしれない。すごくいい人だったから。あれはまんまと騙されるお人好しの顔だ。私と同じタイプだったから、よく分かる。

しかし、メインターゲットは小林寺開祖の黒峠とかいう奴だ。長髪のおかっぱで口髭の変な奴だ。あいつはタダじゃおかない。いつか恨みを晴らしてやる。

「お前、騙されたと分かったから、もう一度小林寺へ行って、恨みを晴らそうと思っただろ」

「思ったよ」また顔に出てしまったか。

「残念ながら開祖の黒峠はもう北京にいない」

「えっ、逃げたの?」

「ああ、そうらしい。だがな、がっかりするな。日本に戻って来たらしいからな」

「日本のどこに?」

「まあ、そう急かすな。実はな、俺もそこまでは知らん。だが、中国と違って、狭い日本だ。いつかどこかで会えるかもしれないぞ。一昔前のカンフー映画の適役みたいな、長髪のおかっぱで口髭をはやした男なんか、そうそういないからな。せいぜいイメチェンして、イケメンになってないことを祈ることだな」

 くそっ! どいつこいつも馬鹿にしやがって!

 黒峠はじっくり情報収集をしてから探すとして、とりあえず、この怒りは目の前の三人どもにぶつけるしかない。それからどうするかは後で考えよう。

 まずは、先制攻撃だ!

 ハッ!

 私は右手をリーダー格の男の顔面に繰り出した。

 男は左手で簡単に防御した。

 うう、攻撃したこっちの手が痛い。

 ホントにカンフーをやっていたらしい。

 すかさず左足を蹴り出す。

 ガッ!

 男はそれも右足で防いだ。

 うう、今度は足が痛い。メチャクチャ痛い。男の足の方が太いのだから、痛くて当然だ。中国にいるときは子供を相手に練習をしていた。もちろん手加減していた。だから大人を相手にしたことはない。しかもデカい大人だ。だけど痛いとは言えない。弱みを見せてはいけない。何とか表情に出ないように歯を食いしばる。

「やるじゃねえか、ナンチャッテ女性師範代」

「それを言うな、人相が悪いくせに」

「バカか。カンフーは顔でやるもんじゃねえよ。それよりも随分痛そうだな」

「ふん、蚊が止まったか程度だよ」

「じゃあ、なんで眉間にシワを寄せてるんだ」

 そうだ。給食の調理の仕事に就くために前髪も短く切っていたのだ。

 くそっ、前髪を切りすぎた。眉間が丸見えかよ。

 だけど、乙女のそんな細かい所まで見ているとは気味の悪い男だ。

 今度は男がこっちに向かって来た。少し下がって攻撃に備える。

一方、露払いの太ももを破壊した甲太は、もう一人の太刀持ちに向かって行った。

 ハッ!

 すばやく回し蹴りを放つが、当たらない。

「ボク、そんな短い足じゃ、ここまで届かないよ。べ~」

太刀持ちは顔を突き出して、舌を出す。

 甲太は続けて、次々と蹴りを繰り出すが、かわされてしまう。

体幹がぶれることなく、攻撃を続けるが、太刀持ちが言う通り、足が短い。というか、まだ小学生のため、発達途中で体全体が小さいのだ。

「べ~」太刀持ちがまた顔を突き出した。

 ガツン!

「痛ェ~」

 男の側頭部にヌンチャクが炸裂した。

 足は届かなくても、ヌンチャクは届いた。

「このガキ、武器なんか持ってやがったのか」

 甲太は痛がる男を尻目にヌンチャクをブンブン振り回して、ポーズを取る。

 すごい、様になってる。ブルース・リーみたいだ。弟ながらカッコイイじゃん。

だけど……。

「甲太、なんでヌンチャクを持ってるのよ」相手の攻撃をかわしながら訊く。

「だから、アマゾンで買ったんだってば」

「なんで甲太にそんなお金があるのよ」

「代引きで買ったんだ。僕が学校に行って、家にお母さんが一人でいる日を見計らって、配達してもらって、代引きで払ってもらったってわけ。お母さんは僕宛の荷物だから、何も疑うことなく、払ってくれたんだ」

「それじゃ、家庭内詐欺じゃない」

「まあ、いいじゃん。ヌンチャクのお陰で、こうやって悪者をぶん殴れたんだから」

「やりやがったな、このガキが」太刀持ちが頭を押さえながら、近づいて行く。

露払いもさっき蹴られた太ももを押さえながら、甲太に迫って行く。

 小学生に大人が二人がかりで襲いかかる。恥も外聞もない。そもそもチンピラにプライドはない。だから何とも思ってないのだろう。

「くそっ、卑怯な奴らめ」

ああ、また眉間にシワが寄ってるなあ。

 ハッ!

 助走をつけて、目の前の悪相男に飛び蹴りを喰らわすと、甲太の元へ駆けつけた。残念ながら、蹴りは肩を掠っただけだった。

 姫果と甲太は背中合わせになって、防御の姿勢を取る。

 二人の姉弟を三人の悪者が取り囲む。

「おねえちゃん、なんだか映画のワンシーンみたいだね」

 背中から甲太が話し掛けてくる。右手にヌンチャクをぶら下げたままだ。

 確かに映画でよく見るシーンだけど……。

「こんなときに何を言ってるのさ。私たちはピンチなんだよ」

 私と甲太。二十歳の女子と小学六年生。相手はデカい大人が三人。分が悪すぎる。

こんな人通りも少ない路地裏では誰も来てくれない。頼みのじいちゃんは今頃、中華鍋を振っているだろう。夜の仕込みに向けて、それどころじゃない。ヤバいな。ヤバすぎる。

 こんなとき映画ならジャッキー・チェンが来てくれるのに。ドニー・イェンでもいいんだけど。一歩譲ってサモ・ハンでもいいんだけど。天国からブルース・リーが蘇ってくれてもいいんだけど。魔界転生と違って、現実では誰も来てくれない。

「おねえちゃん、走れる?」甲太が小さな声で訊いてくる。

「逃げるということ?」小さな声で答える。

「そうするしかないでしょ。こいつら全員デブだし、たぶん走るのは遅いよ」

「デブだけど、ラグビーとかアメフトをやってたら足も早いでしょ」

「ラグビーとかアメフトの選手は筋肉で体が大きいんだよ。この三人はどう見ても、ブヨブヨの脂肪デブなんだよ。ただの食べ過ぎなんだよ。不摂生デブは早く走れないし、スタミナもないから、すぐにバテるよ」

「スニーカーを履いてるから、走れなくもないし、給食の調理員は立ち仕事だから、日頃から足腰は鍛えているけど、私は女性初の師範代だよ。敵前逃亡なんてプライドが許さないよ」

「だから、ナンチャッテ師範代なんでしょ。なんでそこにプライドが出てくるんだよ。プライドなんか、この路地裏に捨てて来たらいいよ」

「師範代になるのに半年も修業して、しかも五万円も払ったんだよ。プライドくらい持たせてよ」

「だったら戦うってわけ? 無理だってば。どう考えても勝てないよ」

「じゃあ、どうするのさ」

 リーダー格の男が迫って来た。

「姉弟で何をゴチャゴチャ言ってるんだ。辞世の句でも考えているのか」

 男は二人の子分に目をやった。

「こいつらを本気でかわいがってやろうや」

 私は再びカンフーの構えをする。インチキ師範代でも戦うしかない。

私がおとりになって、甲太だけでも逃がさないと、姉としてのプライドもある。

甲太もヌンチャクを構えた。さっきは不意打ちで当たったけど、今度は避けられるかもしれない。

二人で三人をどうやって倒せばいいのか。いざとなれば、甲太が言うようにプライドを捨てて走り出せばいいのだけど、そんな簡単に捨てられない。ああ、どうしよう。

 そのとき……。

「お待たせ!」

 新たな男の子が現れた。

「七斗兄ちゃん!」甲太が叫ぶ。

「七斗、なんでここにいるの!」姫果も驚く。

「甲太もおねえちゃんも覚えておいた方がいい。ヒーローはこういうときに出てくるんだよ」男の子が自慢する。

 突然登場した自称ヒーローに男たちも驚いている。

「チビッ子その2は何者だ?」リーダーの男が呆れたように訊く。

「俺は三人姉弟の真ん中。名前は七斗。北斗七星を逆にして、星と北を取り外して、残ったのが七斗。七男じゃなくて長男だけど七斗」

「ややこしいな」

「姉弟の中で一番強いのは俺。じゃなかった。この六人の中で一番強いのは俺」

「六人の中に俺たち三人も入ってるというのか」

「そう、君たち人相の悪い三人組も入れて六人」

「長女のおねえちゃんよ」男が姫果を見る。「弟くんの躾をちゃんとしておきなさい。言葉遣いも礼儀作法もなってねえよ」

「悪党に礼儀作法の説教をされる筋合いはないね」姫果が突き放して、七斗を見る。

「ところでお宅らに訊きたいことがあるんだけど」七斗が真顔で尋ねる。

「えっ、何だ?」

 ボコッ!

 リーダー格の男の側頭部に七斗の飛び膝蹴りが炸裂した。

 姉が話しかけて油断をさせ、弟が攻撃を仕掛けたのだ。息のあった姉弟の連携プレーだ。姫果がとっさに思い付き、七斗に目配せをしたのだが、すぐに理解してくれたようだ。

 小学六年生の甲太と違って、中学三年生の七斗の体は大きい。

体重がかかった蹴りをまともに喰らった男はドサッと地面に倒れ込んだ。

「なんだこれは!」「ウソだろ!」

 二人の子分は驚いて固まる。自分たちの兄貴分が中学生に一撃で負けてしまったからだ。

 姉と弟はその隙を見逃さない。

 姫果の後ろ回し蹴りは、棒立ちになっていた露払いの腹部にめり込み、甲太のヌンチャクは腑抜けになっていた太刀持ちの顔面に激突し、二人も地に伏した。

「おねえちゃん、甲太。今のうちに逃げよう!」

 七斗が走り出す。

姫果と甲太も続いて走り出した。

「実はたまたまここを通りかかっただけなんだ」

「なんだそうだったの」

「ボクたちを助けに来てくれたんじゃないんだ」

「こういう偶然もヒーローたる所以だよ」

振り返ってみるが、三人は倒れたまま、追いかけて来なかった。

姫果の眉間のシワは消えていた。

 次に戦うときはバンダナでも巻こうかなあ。


小学校の校長による、月に一度の全国オンライン校長会議が開催された。

 全国四十七人の校長先生が四十七個に分割された巨大モニター画面に映し出されている。

 おっさん、おばさんばかりだが、壮大な眺めである。

「では、次の議題に移ります」今月の議長役である青森の小学校の校長が目の前の紙を捲る。「北海道からの報告がありました。給食の食材のトンカツが強奪されたそうですね」

「そうです」一番上の左端に映っている校長が話し出す。「学校へ向かっていた配送車が襲われて、奪われました。根室のご当地給食であるエスカロップのレシピも一緒に盗まれました」

 巨大モニターに映った北海道以外の四十六人の校長がざわつく。

「議長! こちらは沖縄ですが」一番下の右端に映る女性校長が話し出す。赤縁メガネをかけている。「沖縄も同じく食材とレシピを盗まれました。生徒たちが楽しみにしていた沖縄のご当地給食イナムドゥチがキャンセルとなりました」

全国の校長がさらにざわつく。

「議長! 宮城です。私たちはセリを盗まれました。給食は仙台のご当地給食仙台セリ鍋でした。レシピも同じく盗まれてます」

「議長! 大阪ですわ。うちは冷凍たこ焼きが盗まれましたんや。ご当地というか、たこ焼きをおかずにご飯を食べるのは、関西の文化ですわ。大事なレシピも取られました」

「議長! 香川です。うどんを盗まれました。ご存じの通り、私どもはうどん県を名乗ってまして、ご当地給食はしっぽくうどんなのですが、レシピも持って行かれました」

「実は今月議長を務めております青森も盗まれました」議長も自ら説明をする。「盗まれた食材は牛バラ肉で、盗まれたレシピは十和田バラ焼きです」

「議長!」「議長!」「議長!」次々に手が上がる。

「みなさん、落ち着いてください」議長が冷静に対応する。「北から順番に発言をお願いします。本日の書記の沖縄さん、それをまとめていただけますか」

日本列島の北から南へ向かって、各校長が発言をしていった結果、すべての都道府県が被害に遭っていた。そして、盗まれた食材とご当地給食のレシピは以下の通りだと判明した。


秋田:うるち米。 きりたんぽ。

岩手:小麦粉。 ひっつみ汁。

山形:里芋。 芋煮。

福島:ツナ。 ツナごはん。

新潟:とんかつ。 タレカツ丼。

茨城:みかん。 みかんラーメン。

栃木:大根と酒粕。 しもつかれ。

群馬:大豆。 呉汁。

埼玉:米粉と小麦粉。 ライスボール。

東京:あさり。 深川めし。

千葉:ピーナッツ。 ピーナッツ味噌。

神奈川:もやしと豚肉。 サンマ―メン。

長野:キムチとたくあん。 キムタクご飯

山梨:かぼちゃ。 ほうとう。

岐阜:にんじん。 きんぎょ飯。

静岡:しょうゆと酒と塩。 さくらごはん。

愛知:赤味噌。 おぼろみそめん。

富山:ベニズワイガニ。 一匹丸ごとベニズワイガニ。

石川:いわし。 いしる鍋。

福井:カツ。 ソースカツ丼。

三重:ぎょうざの皮。 津ぎょうざ。

滋賀:鮎。 小鮎のカレー揚げ。

京都:鶏肉とにんにく。 プリプリ中華いため。

兵庫:イカナゴ。 イカナゴの釘煮。

奈良:大根とにんじん。 奈良のっぺ。

和歌山:鯨肉。幻のレシピ。

鳥取:ひきわり納豆。 スタミナ納豆。

島根:さば。 さばの幽庵焼き。

岡山:さば。 ねこめし。

広島:豚肉と鶏肉。 ひろしまトンチキレモン。

山口:鶏肉とごぼう。 チキンチキンごぼう。

徳島:酢。 すだち酢あえ。

愛媛:みかん。 みかんご飯。

高知:大根とにんじん。 ぐる煮。

福岡:鶏肉。 がめ煮。

佐賀:牛肉。 シシリアンライス。

大分:鶏肉とニラ。 トリニータ丼。

長崎:とんかつ。 トルコライス。

熊本:春雨。 タイピーエン。

宮崎:千切大根。 ひむか丼。

鹿児島:鶏肉。 鶏飯。  


 書記の沖縄がまとめた一覧表を議長が睨んでいる。

「うーん、これらの強奪がすべて同じ日の午前中に行われたということですか。そして、この事件によって、各校にまともな給食が届けられず、生徒たちによる給食一揆が起きているということですね」

 独り言のようにつぶやいたが、他の校長たちが次々に発言を始める。

「みんな同じ三人組だな」

「同一人物じゃなかろう」

「当たり前だ。分身の術なんか使えまい」

「北から南まで、百人以上の人間をどうやって同時に動かしたんだね?」

「今はラインというものがありますから、簡単に連絡は付けられますよ」

「昔は連絡を取るのに公衆電話を探してましたからなあ」

「今や公衆電話も数が少なくなりましたな」

「昔は電話ボックスで雨宿りをしたものです」

「電話ボックスで膝を抱えて泣いたものです」

「そんな歌がありましたなあ」

「歌と言えば、名曲渡良瀬橋の中にも公衆電話が出てきますな」

「あれは取り壊さずに残してありますよ」

「さすが栃木の校長、粋な計らいをなさいますなあ」

「校長先生、私語は慎みなさい」議長に怒られる。

「へえ、すんません」「ごめんね、ごめんねー」

「犯人たちはあらかじめ配送の時間もルートも調べ上げていたということか」

「日にちは決まっていたのでしょうなあ」

「その日は全国ご当地給食の日でしたからな」

「とっておきのレシピを使った給食が提供されるはずだった」

「そこを突いて来たわけだ」

「襲う場所も決めていたのだろう」

「大阪は女性の三人組に襲われたそうですな」

「実写版のキャッツアイですわ」

「美人でしたか?」

「ブサイクではなかったそうですが、三人とも同じ顔に見えたと言うてます」

「三姉妹ですかねえ」

「最近の若い女性はみんな同じ顔に見えますからね」

「オッサンの顔は見分けが付くのに、なぜか若い女性の顔は分かりませんなあ」

「私は永野芽郁と浜辺美波と小芝風花の区別が付かなくてねえ」

「私は三人とも知りませんわ」

「うちの配送車を襲って来たのは年を取った三人組だったそうです」

「高齢者なら、やっつければよかったじゃないですか」

「配送車の運転手も高齢者だったのです。おまけに、通行人に助けを求めたら、通行人もご高齢だったそうで」

「超高齢社会の波がこんなところまで押し寄せて来ているとはなあ」

「その波は私たちの足元まで来てるわけですな」

「しみじみしてる場合じゃないですよ」

「つまり、犯人は年齢も性別もバラバラということですか」

「外国人も混じっていたかもしれませんな」

「国籍もバラバラというわけですか」

「どうやって集めたんでしょうね」

「そりゃ、闇バイトで集めたんじゃないですかねえ」

「ネットを使えば、簡単に集められるそうですな」

「だったら、全国百人以上の犯人はお互いが、どこの誰だか分からないわけですな」

「一人捕まえても、仲間が芋づる式に捕まることはないということですね」

「食材とレシピを盗んだ動機というか、狙いは何だね?」

「決まっているでしょう。世界学校給食コンテストへの参加ですよ」

「盗んだレシピを元に給食を作って、優勝を狙うというのかね」

「そうですよ。それ以外にありますか?」

「闇バイト代も馬鹿にならんだろう」

「ちゃんと払ったのかどうか分からんがね」

「これは莫大な手間暇と金がかかってますな」

「これは大きな組織が動いてるね」

「われわれ教育界を敵に回すとはとんでもない組織ですな」

「どこかに黒幕がいるということですね」

「四十七都道府県の四十七人の校長が立ち上がるときが来ましたね」

「奇しくも赤穂浪士と同じ人数ですな」

「炭小屋に隠れてる黒幕を見つけ出して、切り刻んでやろうじゃありませんか」

「その後、四十七人は切腹するのですよ」

「それは嫌だな。痛そうだし」

「歴史を改ざんして、我々は生き残りましょう」

「教科書会社にプレッシャーをかければ簡単ですよ」

「あるいは賄賂を渡せば書き換えてくれるでしょう」

 全国の校長の様々な意見が飛び交う。

 そして、四十分後。

「諸君、厳粛に願います」

議長の声がして、四十七人の校長がたちまち静かになった。

各校長を束ねる大校長、教田育生の登場である。

教田大校長は北海道教育大学と京都教育大学と福岡教育大学の三つの教育大学を卒業したレジェンド教師である。誰にもマネできないため、全国の校長から尊敬されている。マネしようとする人がいないだけなのだが、誰も気づいていない。

教田大校長はほぼほぼカマキリのような風貌でモニター画面に現れた。

「諸君、ごきげんよう。大校長です。まず、各校で起きている給食一揆については、新たなレシピで給食を作り、生徒に納得してもらうしかなかろう。次に、世界学校給食コンテストの事務局には私が連絡をしておきましょう。盗まれたレシピに似たレシピでコンテストに参加している給食業者があれば、調査してもらうことにします。うまくいけば、捕まえることもできるでしょう。さらに違うレシピを狙って、強奪に来るかもしれん。各校十分に気を付けてください。民間の警備会社に依頼してもかまいません。子供たちの給食を守るためです。致し方ないでしょう。まだ意見があるようなら、各校長先生は話を続けてください。大校長の私からは以上です」

 教田大校長のありがたい話が終わり、各校長はホッとした表情を浮かべる。

 再び四十七人の校長の話し合いが始まった。

「和歌山さん」議長が指名した。「そちらは配送中ではなく、斉工給食調理商会が直接襲われて、食材と幻のレシピが奪われたそうですね」

「はい、そうです」杭杉小学校の盛森守男校長は今日もえびす様のようにふくよかな笑顔をたたえている。「うちの場合はレシピが食材とは別に、金庫の中に保管されていたので、直接会社が狙われたようです」

「幻のレシピとはどういうものですか?」

「斉工給食調理商会に先祖代々伝わるレシピで、内容は斉工礼兵衛会長しか知らないのです」

「そんな大事な物が盗まれたということですか」

「金庫が開いたとたん、電気が消され、窓ガラスが破られて、覆面をした連中が侵入して来ました。まさかこんなことが起きるとは思わなかったので、厳重に警戒をしてなかったのです。まったく油断してました」

「それは計画的犯行ですね」

「タイミングよく襲って来ましたからね」

 盛森守男校長は、闇バイトに応募した金盛が内部から手引きしていたことを知らない。

「礼兵衛会長なら給食業界の有名人ですから、私もよく存じ上げておりますが、さぞかし気落ちされていることでしょうね」

「いいえ、全然大丈夫みたいです」

「――と言いますと?」

「会長はいつもと変わらず、余裕綽々で、気丈に振る舞っておられますよ。今朝も朝礼で、世界学校給食コンテストに向けてしっかり準備しておくようにと檄を飛ばしておりました。最近恒例になっている礼兵衛節が炸裂と言ったところですよ。ハッハッハ」

 盛森守男校長はえびす顔で答えた。


「どういうことだ!?」

グルメ王三途川味エ門は憤怒の表情で叫んだ。

小柄な体型から出ているとは思えないほど、大きな声だった。

 目の前には大きなモニター画面が設置されており、全国オンライン校長会議がリアルタイムで映し出されている。もちろん無断で見ているのである。三途川味エ門ともなると、これくらいの不法行為は朝飯前で、あちこちに協力者がいる。

「先祖代々引き継がれて来た幻のレシピが盗まれたのだぞ。なぜいつもと変わらないのか。なぜ、こいつは笑っていられるのか。ご先祖様に申し訳ないと思わんのか」

 全国ご当地給食の日を狙い、四十七都道府県の中でご当地給食を提供している小学校を襲わせて、食材とレシピを手に入れた。食材はかく乱させるために奪ったもので、目的はレシピだった。

 奪って来た四十七通りのレシピを検討したが、これといって突出したレシピはなかった。ありふれた料理では世界学校給食コンテストで勝つことはできない。

 一方、生徒たちによる給食一揆が全国で起きていた。

 レシピと食材を盗まれた後、すぐに代わりの給食が出されたのだが、不味くて食べられないという生徒が続出したからだ。つまり、盗まれたレシピ以上の給食を出せなかったということは、各校には盗んだレシピ以上のレシピは存在しないということだ。

「いや、待てよ」三途川味エ門はふと気づいた。

杭杉小学校から盗んだレシピの通りに作ってみたが、出来上がったのはごく普通の鯨の竜田揚げだった。不味くはなかったが、飛び切り美味くもなかった。世界学校給食コンテストでは予選落ちのレベルだろう。

「あんな平凡な味が幻のレシピなわけはなかろう」

 グルメ王だけあって、鯨の竜田揚げはさんざん食べてきた。今までいろいろな鯨料理を一人で一頭分は食べている。外国の反捕鯨団体が捕鯨船ではなく、三途川味エ門を狙っているというウワサもあるくらいだ。

だからあのレシピで作った鯨料理は平凡な味だと断言できる。たとえ新鮮な鯨肉を使ったとしても、さほど味に変化はないだろう。

「日本で一番味に肥えているグルメ王のわしを騙すことはできんぞ」

 グルメ王の称号は自称である。誰も言ってくれないから、自分で名乗っている。自称だからあまり信用はされていない。自分でカリスマと言っているカリスマ美容師と同類である。しかし、本人は業界で絶大な権力を持ち、絶大な人気を博していると思い込んでいる。財力が十分にあるため、恩恵を被ろうと周りがイエスマンばかりになり、誰も諫める人がいないからである。

「あのレシピはダミーで、他に本当のレシピがあるのではないか。余裕があるとしたら、それしか考えられないだろう」

 三途川は再び巨大なモニター画面を見上げた。

 えびす顔の盛森守男校長と目が合った。

 もちろん向こうからは見えないが、えびす顔が憎らしく見える。

「くそっ、いまいましいマヌケ顔だ。今に見ておれ、えびす顔を泣き顔に変えてやるからな」

 年甲斐もない、ただの八つ当たりであるが、三途川は気にしない。

 気に入らない奴はみんな排除する性分だ。今まではそうして生きてきた。これからもそうして生きてやる。最後に地球上で自分一人が生き残ったとしても構わない。

「もう一度、このマヌケ顔が勤務する杭杉小学校を襲うんだ。四十七都道府県の中で望みがあるのはその一校だけだ。その一校にすべてを賭けるぞ」

 全国四十七の小学校から盗み出したレシピを再現して、味見をしてみたが、どいつもこうつも喰えた代物じゃないわい。このグルメ王を唸らせる一品は一つもなかった。これでは世界学校給食コンテストで優勝できるはずがない。

全国の小学生が食材不足のため、まともな給食が出ないからといって、給食一揆を決行しておるようだが、それは私の意に反する。

さっそく全国の小学校に向けて、犯行声明を出してやった。

“我々が再び小学校を襲うことはない。安心して給食を楽しんでくれたまえ”

これを杭杉小学校がある和歌山県を除いた四十六都道府県の教育委員長宛てに匿名で送り付けてやったというわけだ。ちゃんと和歌山県を除外しているところが、わしの細やかな性格を反映しているところだ。これに気づいた盛森守男校長が、より厳重に給食を守るようになるとは思えん。あのマヌケ顔にさほど知性は感じられないからだ。あの校長はせいぜい給食の検食要員だろう。

三途川は傍らで控えている側近に指示した。

「小林公司に連絡して、また闇バイトとやらを使って、杭杉小学校を襲わせろ」

「経費はどこから引っ張って来ますか?」

「クッキングAIベースのロバート参条から騙し取った五百万円を全部注ぎ込め」

「二度目の襲撃を予想して、杭杉小学校は何らかの策を講じているかもしれません」

「あるわけなかろう。あったとしてもかまわん、突破させろ。どうせ使い捨ての闇バイトだ」

 百人を越える犯罪者を、あっという間に集めてくれたのが小林公司だ。

 小林は長髪でおかっぱという、今どき珍しい髪型で、口髭を生やしている。

どう見ても、昔のカンフー映画に出てきた悪役だ。

なぜ、そんな風貌なのか。カンフーに憧れているのか。

以前、中国にいたというウワサも聞いたことがある。

しかし、他人の髪型なんかどうでもいいことなので、三途川は気にしない。

支払った金に見合った仕事をしてくれればいい。

先日、百人以上を動員して、全国同時に配送車を襲わせたようにな。

さて、今回もまずは紳士的にやるとするか。


斉工給食調理商会の特別室。

礼兵衛会長が大股でノッシノッシと小型恐竜のように歩いて来た。

いつもの和服姿であり、白髪が頭の後ろで結ばれている。

普段から声が大きい会長はいつものようにマイクを通さず、地声で話し出す。

「諸君! いよいよこのときが来た。四年に一度の祭典、世界学校給食コンテストである!残り日数はあとわずかだ! 時間がないぞ!」

 また同じことを叫んでいる。

 礼兵衛は目の前で整列している調理員や出入りの業者を見渡す。

 どこかにスパイが潜り込んでるかもしれん。こうやって余裕があるところを見せておけば、別のレシピがあると勘違いして、また盗みに来るかもしれん。

名付けて“他にレシピを隠し持っているフリ作戦”だ。

何者かによって、四十六都道府県に犯行声明が送り付けられてきた。

四十七都道府県中、我が和歌山県にだけは犯行声明が届いていない。

つまり、襲うとしたら、我が杭杉小学校だ。

盛森守男校長とも連絡を取り合って、襲撃に備えている。

生徒たちによる給食一揆も今日が最終日だ。明日になれば、すべての食材が揃うということで、全国一斉の給食一揆も今日で終わるのだ。

つまり、襲って来るとしたら、明日の食材配送日だ。

前回は不覚を取った。まんまと巻物を持っていかれた。巻物は今も行方不明だ。今度は負けるわけにはいかない。二度つづけて負け戦というわけにないかない。犯人を捕まえて、白日の下にさらしてやる。

このように礼兵衛会長は再び杭杉小学校が襲われることを見抜いていた。盛森守男校長に伝えたところ、まったくそんなことは考えておらず、二回も続けて来ますかねえとのんびりしていた。明日からの給食の検食のことで頭が一杯だったようで、あわてて発破をかけた。

「校長先生は給食一揆のせいで毎日の検食ができなかったのだろう」

「はい、そうなんです」

「明日から検食が再開されるとして、今日までの恨みはどう晴らすのかね。悔しくなかったのかね」

「それはもう悔しかったです。私から検食を取ると何も残らないと、他の先生方や生徒たちや出入りの業者にまで言われてましたから」

「給食一揆を起こした真犯人を懲らしめてやりたいのだがね」

「真犯人がいるのですか?」

「直接全国の生徒たちを操っていたわけではないが、結果的に一揆を引き起こした黒幕がいる」

「やりましょう。生徒たちに悲しい思いをさせた奴をぶっ飛ばしてやりましょう」

盛森守男校長の目が珍しく、キラリと光った。

礼兵衛会長はそれを見て確信した。校長先生はやってくれるはずだ。

今頃は準備万端、校内で悪党を迎え撃つ準備が整っていることだろう。

礼兵衛会長による無駄に長いミーティングが終わった。

大きな声で説教を聞かされていたので、各自の耳はキーンとなっている。

ホッとした表情で、みんなは特別室を後にする。

会長の元へ事務員が駆け寄って来た。

「礼兵衛会長。三途川味エ門さんが会いたいと言って来てます」

「ほう、自称グルメ王が私に何の用かな」

「用件は教えてくれません。アポなしですが、いかがいたしましょうか? 出直すように言いましょうか?」

「かまわん。会ってやろう」


 斉工給食調理商会の応接室。

 斉工礼兵衛会長が三途川味エ門と向き合って座っている。

二人とも小柄であり、二人とも和服を着こなしている。

礼兵衛会長の後ろに控えているのは、給食費の横領で配置転換した金盛の代わりに雇い入れた経理担当の銀鮫である。会長の二代目の懐刀である。

銀鮫は、三途川がまだ何も用件を言っていないというのに、遠慮なく、鋭い目で睨みつけている。いきなりアポなしてやって来るとは、なんと失礼な男だと腹を立てているのだ。

一方、三途川の後ろに控えているのは、おそらくボディガードも兼ねているガタイのいい若者である。先ほど、三途川が鱶王と呼んでいた。こちらも礼兵衛会長を睨みつけていて、三途川に対して失礼なことがあれば、飛びかかってやろうと身構えているように見える。

「お忙しい中、会っていただいて感謝しておる」

「私は一介の給食業者に過ぎません。会いに来ていただいて、こちらこそ、感激をしております」

「いいや、わしも給食には随分と世話になった。貧しい我が家からすると、給食はご馳走でしたからな。給食の楽しい思い出は尽きないほど持っておるよ」

「三途川殿もグルメ王として、日本の食文化の発展には大いに貢献されておられます」

「御社が給食をより良いものとして、世間に広めてくださった功績は実に大きい」

「いやいや、グルメ王の功績たるや、私どもの足元にも及びません」

「わしは給食で出た揚げパンが好きでなあ。青春の一ページになっておるよ」

「三途川殿が日本に紹介されたカンガルーの睾丸の丸焼きが好きでしてねえ」

 二人の歯が浮くようなお世辞の応酬が続いて行く。銀鮫と鱶王は表情に出さないが、早く終わらないかなあと思って聞いている。

 やがて、浮き過ぎた歯が取れそうになったところで、二人の白々しいやり取りは終わった。

「さて本日訪ねて来たのは、礼兵衛会長にこれを見ていただきたいからだ」

 三途川が着物の袂から取り出したのは、まさにここから盗まれた巻物であった。

「幻のレシピと呼ばれているらしいですな」

確かに、長さが三十センチほどある、薄い緑色をした巻物である。

巻物は二人の間にコトリと置かれた。

 さすがに会長も驚きを隠せない。

「これをどこで手に入れられたのか?」

 三途川はニタリと笑う。

「それは言えぬ。無闇に情報源を口にできないのと同じだよ、会長さん」

斉工礼兵衛は八十二歳だが、三途川は八十八歳である。

 多少無礼なことを言われても、相手は年上ゆえに、我慢しなくてはいけない。

 礼節を重要視するのは、昔の人間の性である。

「会長さん、ズバリ申し上げよう。この巻物を五百万円で買い取ってくれんかね」

「五百万円ですと?」思わず大きな声が出る。

三途川には勝算があった。

スパイの役目を果たしていた人物からの報告によると、会長はこの巻物をチラッと見ただけで、中身はよく確認できていないはずだという。確認する前に電気を消して、強奪したからだ。

だから、きっと買い取るに違いない。

 礼兵衛会長の顔が悔しさで歪む。もはや表情を隠そうとは思っていないようだ。

 元々、この巻物は先祖代々受け継がれて来たものであり、今は自分のものである。それをまんまと盗まれ、今は買い取れとやって来たのである。

 単純に考えて、三途川が盗んだのであろう。盗品を売り付けに来るとはチンピラのやることだ。しかし、証拠はないし、こいつは裏で指図をしていただけで、自分の手は汚していないはずだ。今流行りの闇バイトにでもやらせたのだろう。

老獪なジジイのやりそうなことだと、同じく老獪な礼兵衛は思った。

「お断りする」礼兵衛はきっぱりと言った。「そもそもこれは私が所有していたものであり、盗難に遭ったものである。盗まれた物を買い取れとは、盗人猛々しいとはこのことである」

「何だと!」盗人呼ばわりされて、三途川はいきり立つ。

 実際盗人なのだが、そんなことはおくびにも出さない。

 誤解をされて怒っているフリをする。千両役者である。

「せっかく苦労して手に入れのだがなあ」すっとぼける。「ならば、四百万円でどうかね」

 すぐに落ち着きを取り戻し、簡単に値切ってくる。

「お断りする」会長は思わず大声で罵倒したくなるのを押さえて、冷静に答える。「金で買い取ることはせん。無条件で引き渡してもらいましょうか」

「いやあ、あなたも困った御仁ですな」ニヤッと笑う。

 三途川の後ろで控えていた鱶王が静かに応接室を出て行った。

 三途川のこのセリフが合図であった。

 突然電気が消えて、何者かが応接室に乱入して来た。

「銀鮫!」礼兵衛が叫んだ。

「会長、こちらへ」銀鮫が礼兵衛の手を取った。

 応接室といっても広い。

 しかし銀鮫は暗闇の中、迷うことなく、礼兵衛を廊下に連れ出した。

 廊下も電気が消えて真っ暗である。

うっすらと点灯している非常灯の下まで移動する。

「銀鮫、ご苦労だった」

「はっ!」

 銀鮫は暗視ゴーグルを外した。

 ゴーグルをすばやく装着したため、真っ暗な応接室から無事に礼兵衛を連れ出せた。

 応接室からは派手な物音や三途川の悲鳴が聞こえて来る。

 乱入して来た何者かに三途川が襲われている――フリをしているのだ。

「ふん、三文役者め。ヘタな演技をしおって」礼兵衛は鼻で笑う。

 三途川の自作自演はバレていた。

 実際、応接室の中では何も危害を加えられていないのに、三途川が悲鳴をあげ、鱶王は床をドスンドスンと踏み付けている。乱入して三途川を襲ってるはずの男たちも一緒にバタバタ走って、外まで聞こえるように大きな音を立てている。

「会長、これを」銀鮫がゴーグルと防毒マスクを手渡す。これで目も口も守られる。

 そこへ大量の胡椒が散布された。廊下に胡椒の粉塵が漂う。

「ははは、そんなものお見通しだよ」礼兵衛が笑い声をあげる。マスクをしているため声はくぐもっている。「同じ手を使ってくるとは素人同然だな」

 数人が廊下をバタバタと逃げて行く。胡椒担当の連中のようだ。

「それにしても、“他にレシピを隠し持っているフリ作戦”でまんまと引っかかったのが、あのグルメ王三途川味エ門だったとはな。安物のエサで小アジを狙ったら、マグロが釣れたようなものだ。こりゃ、笑いが止まらんな」

「三途川はレシピを手に入れて、どうするのでしょうか?」

「世界給食コンテストに参加するのだろうよ。あいつは人様が作った料理に文句を言うだけで、自分は作ろうとはせん。おそらく包丁も握れないだろう。そこが私との違いだよ。わしは目をつぶったまま、大根の桂むきができるぞ」

 銀鮫は、わざわざ目をつぶって桂むきをしなくてもいいじゃないかと思ったが、

「それはすごいですね」と感心しておく。「しかし、だれもが知るグルメ王がなぜコンテストに参加するのでしょう?」

「そりゃ、副賞の銅像を建てたいのだろうよ。銅像に目がくらんで、盗みを働くとは情けない御仁だのう」

 礼兵衛会長も、銅像が目当てで、コンテストに参加することを知っているが、これも黙っておく。銀鮫は処世術に長けている。

「銀鮫、食材の搬入ルートはどうなっている?」

「配置は終了しております」

「あとは夏の虫を待つだけか」

「飛んで火に入ってくれればいいですが」

 三途川味エ門と鱶王が応接室から転がり出て来た。襲われたフリをして、痛がっている。襲った男たちは闇に紛れて逃走したようだ。すでに廊下の電気は点灯しているが、胡椒の香りはまだ漂っている。

 礼兵衛会長が近づいて行った。

「これは三途川さん、どうされましたか。私が便所へ行ってる間に何か起きたようですな」

 わざとらしく声をかける。

 三途川の顔が悔しさで歪む。ドスンドスンと派手な音がしていたが、どこもケガをしていないようだ。やはり、演技だったのだろう。

 笑いを隠しきれずニヤニヤしている礼兵衛の顔を見て、作戦がすっかり読まれていたと気づいた。しかし、決して認めようとはしない。

「暴漢に襲われて、巻物が盗まれましたわい」

「なんですと! あの巻物が!」礼兵衛はわざとらしく驚く。「銀鮫、これは大変な事態だぞ! お前はどう思うんだ?」

「えっ? それは、何と言うか、まあ一大事ですな」

こんなときに振ってくるなよと銀鮫は心の中で愚痴る。打ち合わせにないセリフをアドリブで話さないでほしい。

「その通り、一大事なのだよ」

黒幕だといっても、フタを開けてみたら、ただの食いしん坊のじいさんだった。おそらく巻物は着物の袂に入っているはずだ。だが、無理に奪い返すことは避けよう。鱶王がこっちを睨んでいる。銀鮫は若くて力もあるが、本業のボディガードには苦戦するだろう。

「便所で冷静に考えたところ、四百万円で譲り受けようと思っておったのだが」

「なんと!」三途川の顔がさらに悔しさを増す。

 では四百万円で買い取ってくれと、いまさら袂から巻物を出すわけにはいかない。ついさっき巻物が盗まれたと言ったばかりだからだ。

 礼兵衛はそこまで計算して、譲り受けようと思っていたと言ったのである。これで三途川の悔しさは倍増したはずだ。こめかみの血管が切れなければいいが。

 レシピなんぞ、あらためて巻物を見なくとも、頭の中に入っておるわ。

 そのことを三途川は知らない。

 どうやら今回の勝負はわしの勝ちのようだな。

とりあえず、ノーサイドとするか。

 礼兵衛は倒れ込んでいる三途川に手を差し伸べて、

「貴殿を襲った暴漢とやらを捕まえるべく、全校一丸となって、行動を起こしましょう」

 心にもないことを言った。

千両役者には千両役者で対抗してやったのだ。

銀鮫も鱶王に手を貸してやったが、こちらは払いのけられた。

銀鮫は怒りもせず、ニヤッと笑った。

こいつとは、いずれどこかで決着をつける日が来るだろう。


その頃、愛崎姫果は数人の怪しい人物が斉工給食調理商会の建物から出て来て、杭杉小学校の校庭を横切りながら、スタコラサッサと逃げて行く様子を見ていた。

特別室で行われた礼兵衛会長の説教の後、訪ねて来た三途川と応接室で何やら話し合いをしていたようだが、どうやらこいつらだったようだ。

じいちゃんは、黒幕の三途川味エ門が斉工給食調理商会に来たところを襲わせ、幻のレシピを奪われたことにして、他のライバル会社へ売りつけに行くだろうと言っていた。

その通りになった。また素人老人探偵の推理が当たったのだ。

しかし、悪人どもがほうぼうの体で逃げて行ったということは、レーベー会長が追い払ってくれたのだろう。

だったら、あの巻物はどうなったのだろう。

悪党が奪って行ったことになっているのか。

三途川が持ったままなのか。

いずれにせよ、今回はレーベー会長の読み勝ちだろう。


杭杉小学校に給食の食材を配送してくるルートは三つあった。

第一のルートを走っていた配送車が止められた。

住宅街の中の空き地が続いている場所で、車の前にいきなり三人の男が立ちはだかったからだ。

急ブレーキをかけた運転手は窓から顔を出した。

「お宅らは何ですか?」

一人の男が首から下げている身分証を提示した。

「えっ、厚生労働省の方?」

「そうです。突然で申し訳ないですが、積載されている荷物の点検を行いたいのですが」

「点検って、なんで? これは杭杉小学校に届ける給食の食材ですよ。怪しい物じゃないですよ。子供たちが腹を空かせて待ってるんですよ」

「承知しております。しかし、食材に基準を越えた農薬が使われている可能性があります。調べるのにお時間は取りませんので、どうかご協力をお願いいたします」

「すぐ済むのだな。じゃあ、いいよ。基準を越えた農薬なんか出てくるわけないから、さっさと点検とやらをやってくれ」

 三人はテキパキと動き、すぐに点検とやらは終了した。

「お手数おかけしました。異常はありませんでした。お気を付けて行ってください」

 運転手は返事もしないで、配送車を再び学校に向けて走らせた。

 三人も黙って見送る。

目の前にはたった今、配送車が運んでいたダンボール箱が積んであった。

 あらかじめ用意してあったダンボール箱とすり替えたものだ。今頃配送車は空箱を積んで、小学校に向かっている。空箱になった分、積載量は減っているが、運転していて気づく程の量ではない。

「よしっ、うまくいったな。食材をあらためよう」

空き地に置いたダンボール箱の一つを開けた瞬間、大きな音とともに、何かが飛び出した。

ダンボール箱を取り囲んでいた三人があわてて逃げ出す。

 空に花火が上がった。


 杭杉小学校の屋上。

 数人の男子児童が集まって、天体望遠鏡を取り囲んでいる。

「どうだ、見えるか?」

 望遠鏡を覗いている児童に声をかける。

「いや、まだだ――あっ、花火が上がったぞ!」うれしそうに叫ぶ。

「やったー!」周りにいた生徒たちも大喜びだ。

「ばんざーい!」「大成功!」「ざまーみろ!」「ボクたちの勝利だ!」

 別の男子が無線のスイッチを入れた。

「こちら天文部です。工作部どうぞ」

 すぐに返事が返って来た。

「はい、こちら工作部です」

「只今、花火が上がりました」

「よしっ! みんなー、花火が上がったって!」

 工作部も大盛り上がりである。

 すぐに無線を切り替える。

「先生! こちら工作部です。第一ルートの花火ドッカン作戦は成功しました――はい、はい、分かりました」

工作部の生徒たちの頭脳を結集して、ダンボール箱を開けると、花火が飛び出す仕掛けを作り上げた。それを屋上で待機する天文部が確認して、連絡をくれたのである。もちろん配送車の運転手もグルであり、わざと荷物を盗ませたのである。

 男子児童は仲間のみんなを見渡した。

「盛森先生がよくやったって褒めてたよ。工作部のみんなによろしくだって」

「やったー!」「校長先生に褒められるなんてすごいよね」「担任の先生にも褒められたことないのに」「親にも褒められたことないのに」「自分で自分を褒めたこともないのに」

 工作部員は校長のえびす顔を思い浮べながら、工作室内をピョンピョン跳ね回り、大喜びしている。置かれているカナヅチやノコギリに当たらないように走り回っている。いつも地味な工作部が一躍脚光を浴びたのだから無理もない。

 今回の作戦の指揮を執るのは杭杉小学校の盛森守男校長である。

検食担当者として、毎日の給食を楽しみにしていたというのに、食材とレシピを奪われたため、給食一揆が起きて、数日間食べられなくなったのである。校長にとって、検食が他の先生に誇れる唯一の仕事だった。

礼兵衛会長と話し合い、今回の指揮官を志望したのである。

「わたくしにカタキを討たせてください!」

 何のカタキか分からなかったが、礼兵衛会長は盛森校長の迫力に負けて、指揮を任せたのである。このときばかりは、いつもの盛森校長のえびす顔が不動明王のような顔になっていた。食べ物の恨みは怖い。たとえそれが小学生の給食であっても。

何事も先頭を行く礼兵衛会長が、他人のサポートに回るのは珍しいことだった。


一台の配送車が食材配送の第二のルートを走っていた。

山の斜面をバックにした細い道路である。運転しているのはこの道三十年のベテランドライバー熊穴さんである。学校へ行くにはこの道が早いのだが、細い道ゆえ、運転のテクニックがいるため、同僚の中でもあまりここを走る人はいない。

 下り坂を終えたところに、スーツ姿の三人組が待ち構えていた。

 厚生労働省と書かれた名刺をフロントガラス越しに、突き出してくる。

 予想通りの展開である。

「こちらの荷物を確認したい。これは国からの指示だ。ご協力をお願いする」 

 役人特有の上から目線に腹が立ったが、作戦通り、従うことにする。

「給食の食材を運んでるだけで、何も変な物は乗せてませんよ」

 一応、抵抗するフリをしておく。これも予定通りのセリフだ。

「すぐに済ませる」不愛想に言い返された。

「では、私は運転席にいますから、さっさと終わらせてください」

 三人は配送車からダンボールを下ろすと、道路脇に鎮座されているお地蔵さんの陰に運んだ。ドライバーから見えないように、この場所を選んだのだろう。罰当たりな話である。

 せっせとダンボールを下ろしたり、積み込んだりする姿を見て、熊穴さんはおかしくて仕方がない。荷物の確認をすると言いながら、ダンボールをすり替えてるのがバレバレだからだ。まさかバックミラーで見ていることに気付かないのだろうか。

 この三人は本物の厚労省の職員ではないらしいから、頭はそれほど良くない。闇バイトで集められたんじゃないかと言われている。

 お地蔵さん、お地蔵さん、この三人をもっとアホにしてください。腰が抜けるほど、マヌケにしてください。小学生に鼻で笑われるくらいバカにしてください。遠慮なく、やってください。今日は手持ちがないので、明日ここを通りかかったとき、お供え物を置いておきます。夏ミカンとキンカンの柑橘類大小セットを置いておきますので、お願いします。

熊穴さんがバックミラー越しにお地蔵さんへ向けてお祈りをしているうち、自称厚労省の作業は終わったようだ。

「運転手さん、待たせたな。異常はなかった。これで終ったから、安全運転で行ってくれ」

 職員のフリをしている男が偉そうに声をかけてきた。

「はいはい、ご苦労さん」

 熊穴さんは愛想よく返事をすると、再び配送車を走らせ、すぐにバックミラーで後ろを確認した。三人は成功を確信したようで、笑い合っていたが、こちらも笑いが込み上げて来た。

 さて、最後に笑うのはどちらか。それはすぐに分かるというものだ。

そして、五分後。

「もしもし、消防ですか。僕は杭杉小学校の生徒なんですけど、救急車をお願いします。うちの学校のそばにあるお地蔵さんの前で、大人の男の人が三人倒れてます。体をピクピクさせて、悶絶してます。悪いことをやったので、お地蔵さんがバチを当てたのだと思います。えっ? 救急車が全台出払っていて、到着は遅くなる? ああ、そんなの全然かまいません。なんでしたら明日でもいいです。どうせ死なないはずですから。では失礼します」

科学部の生徒が笑いを堪えながら、電話を切った。切った瞬間、周りにいた科学部の部員から歓声が上がった。

「やった、大成功!」

科学部の頭脳を結集して、ダンボールを開けると、電気が流れてビリビリする仕掛けを作っておいたのである。もちろん大事に至らないように、流す電気の量は計算してあった。

望遠鏡で確認していた天文部からの報告では、三人とも昏倒したそうで、動いてはいるが、立ち上がれない様子だという。

「死なない程度の電流だから、大丈夫だよ、悪玉ども」

「これで科学部の株も上がったよな」

「クラブというと体育会系ばっかり注目されてるから、これで文化系クラブも一目置かれるよね」

「部員が増えればいいね。みんなお疲れさんでした」

科学部の部長はそう言って笑うと、盛森守男校長に電話をかけた。

「こちら科学部です。第二ルートの電流ビリビリ作戦が成功しました!」

「おお、ご苦労さん。科学部のみんなによろしく伝えてください」

「校長先生、科学部への補助金は?」

「値上げしてあげるよ」

「ありがとうございます!」 

 再び科学部の部員全員から歓声が上がった。


 杭杉小学校の校門付近では吹奏楽部が演奏をして、合唱部が校歌を歌い、ダンス部が踊り、応援団が声を張り上げ、その周りをたくさんの生徒が取り囲み、さらにその後ろから写真部がカメラをかまえていた。

 第三ルートを走って来る食材配送車を出迎えるための、歓迎レセプションである。

 校門前はきれいに掃き清められている。用務員の流転(こける)さんが自慢の竹ぼうきで丁寧に掃除をしたのである。流転さんも竹ぼうきを片手に、微笑みながら成り行きを眺めている。

給食一揆が明けた後の初めての給食である。久しぶりの給食を歓迎するため、生徒たちは授業をそっちのけで集まっているのである。もちろん先生の許可は取ってある。

応援団の隣では、俳句部がめでたいこの瞬間を題材に、一句読もうと頭を捻っているが、なかなか良い句が思い付かないようで、同じく良い詩が思い浮かばないポエム部と顔を見合わせている。さらにその隣ではフォークソング部がギターを抱えて、歌い出そうとしているが、こちらもいい曲ができないらしく、何かネタを探そうと空をボケッと見上げている。

 配送車のドライバーである雲地は遠くからこの光景を見て、ホッとした。

配送の途中で何者かが食材を狙って襲って来るかもしれなから、気を付けるようにと言われていたからである。襲って来たときは、黙って食材を差し出すように言われている。そして、第一ルートと第二ルートが襲われたという電話連絡も来ていた。

 どうやら第三ルートは大丈夫だったようだな。

こんなに歓迎してもらえるとは、ドライバー冥利に尽きるなあ。

賑やかな校門を見て、笑みを浮かべる。

 しかし、学校まであと少しのところで、物陰から配送車の前に三人の男が飛び出して来た。

 あわてて急ブレーキを踏んで止まった。

 こんな所で、出て来やがったか。あと少しだったのにな。

 雲地は仕方なく、窓を開けると、男がすぐに名刺を差し出してきた。

 文部科学省と書かれている。

厚生労働省に化けた三人組が襲って来ると聞いていた。

まさか、この人たちは本物ということか?

「ここまで来る途中で、厚生労働省の職員のフリをした不届き者に、出会いませんでしたか?」

「いいえ。ここまで何も異常なく来ましたが」

「そうですか。でもご安心ください。ここからは我々文科省が責任を持って、誘導いたします」

「学校はすぐそこで、もう見えてますが」

「油断してはいけません。厚労省は何をやって来るか分かりません。理系を信じてはいけません。あいつらは頭が固くて、陰湿です。明るく楽しい文系の人間にお任せください。こちらの脇道を通って、裏門に向かってください」

 そう言って、細い路地裏を指差す。

 確かにこの道を行けば学校の裏門に出るし、そこから食材の搬入もできる。

 雲地は、文科省と厚労省は仲が悪いのかなあと思いながらも、ハンドルを切って、路地裏に入り込んだ。

 三人の男は小走りで配送車と並走してくれる。

 雲地は文科省の職員が本当に誘導してくれるんだとうれしく思い、走りやすいように車の速度を少し緩めた。

 よしっ、もう少しで学校の裏門に到着する。

 正門のように賑々しく歓迎してくれないだろうが、食材を無事に届けることができればいい。そもそもそれが仕事なんだから。

 裏門が見えて来たところで、道の真ん中に三人の子供が立っていた。

杭杉小学校の生徒たちだろうが、いずれも小学生に見えないほど体が大きい。

 雲地は思わず急ブレーキを踏んだ。

 今日はよく急ブレーキを踏む日だなあと思っていると、

「ここは僕たち相撲部が通さない!」一人の男の子が叫んだ。

 あれ? 歓迎のために待っていてくれたんじゃないのかな。

 雲地が不思議に思っていると、

「なんだ、このガキ。道を開けろ!」文科省が口汚く罵った。

 そうか、子供たちは相撲部か。だから体が大きいんだなあと思いつつ、なんで文科省が怒ってるんだと、頭が混乱するが、雲地は車を止めたまま、成り行きを見つめる。

 やがて、一人の男が向かって行ったが、たちまち子供に投げ飛ばされた。

「へん、小学生横綱に勝とうなんて、十年早いよ、おじさん」

 へえ、あの子は横綱かあと感心するが、雲地は車から下りようとしない。食材を守るためではなく、巻き込まれて、投げ飛ばされたくないからだ。間違って顔面に張り手でも喰らったら、ぜったい痛いだろう。かち上げでも痛いに違いない。相撲は見るもので、やるものではない。

 転がされた男を放置して、二人の男が路地裏を駆け抜けようとする。

配送車に向けて手を上げて、ついて来るように促すが、雲地はどうしようかなあと迷っている。

 文部科学省を信用すべきか、子供たちを信用すべきか。

 そもそも倒れてる同僚を放置する連中なんて、信用できない。仲間意識が希薄ではないか。

 やっぱりお得意さんを信用して、このまま様子を見ることにしよう。

二人の男は足が早く、相撲部の三人を振り切った。相撲部は走るのが苦手らしい。

 しかし、あらたに現れた生徒にタックルされて、一人が道路に倒れ込んだ。

「ラグビー部、参上!」三人の子供が立っていた。

 ほう、あの子たち三人は小学生にしては背が高いなあ、さすがラグビー部だなあと雲地はまた感心している。

 しかし、最後の男はラグビー部も振り切って、逃げ出し、路地裏を突破した。

「陸上部、頼んだよー!」ラグビー部が叫ぶ。

「任せとけって!」さらに現れた三人の生徒がグングン走り出し、最後の男を捕まえた。

「悪者を確保したぜ! 僕たち小学生アスリートからは逃げられないよ」

自称文科省の男たちは三人とも転がったままだった。

 ここでやっと雲地が配送車から下りて来た。

一応、周りを見渡してみる。どうやら安全なようだ。

「やあ、君たち、ご苦労さん。よく捕まえたねえ」

相撲部とラグビー部と陸上部の九人は手に手を取り合って、喜んでいる。

雲地はその輪の中に無理矢理入り込み、なぜか全員とハイタッチをかわす。

「君たちのお手柄は、後で校長先生に報告しておくよ」

「ありがとうございます!」「これで学校の給食は守られたぜ!」「ごっちゃんでーす!」

 そのとき、いきなり配送車が走り出した。

「なんだ? おい、待てー!」

雲地が訳も分からず、叫んだが、車はたちまち見えなくなった。

 どこかに隠れていた第四の男に食材ごと盗まれたのだ。

 雲地はすがるような目付きで、陸上部の生徒を見るが、

「この距離ならもう無理です。追い付きません」

 配送車はすでに見えなくなっていた。

 九人の戦士はみんながっかりしていた。たちまち逆転を喰らったからだ。

「せっかく作戦通り、襲撃を阻止できたのになあ」

「みんなで力を合わせたのになあ」

「仕方がないよ。校長先生に連絡をしよう」

 相撲部の一人がスマホを取り出した。

「こちら相撲部とラグビー部と陸上部の合同チームです。三人の悪者を捕まえましたが、配送車は盗まれてしまいました」


 第四の男は鼻歌交じりで、奪った配送車を運転している。

「ははは。小学生を騙すなんて、簡単なことさ。これでバイト代五万円をゲットだぜ。て言うか、ホントに払ってくれるのだろうな。闇バイトを募集して払わないなんて、とんでもない悪じゃねえか」

 悪が悪を批判していると、突然車の前に二人の子供が飛び出し、両手を広げて、通せんぼをした。大きな子と小さな子のコンビだ。

男は急ブレーキを踏んで、車を止めた。

「こらっ、危ないじゃねえか、このガキども!」

 窓から顔を突き出して、怒鳴ってやるが、二人とも平気な顔をしている。

 産んだ母親もビビる俺の凶悪な顔にひるまないとは、なかなか根性があるガキじゃねえか。

「おじさん、僕たちの給食の食材を返してください」二人の子供のうち、小さい方が言ってくる。

「ああ、お前らは杭杉小学校の生徒か。残念だけど、これを届けるのは俺の仕事なんだ」

「闇バイトってやつ?」大きい方が言う。

「えっ!?」図星を指されてうろたえる。「いや、まあ、何というか、大人の事情があって」

 ブツブツ言いながらも、男は車を下りる。

 二人の子供は車の前から動こうとしない。こうなれば体格差を見せつけて、ビビらすしかない。大柄な男は二人に近寄って行って、向かい合った。

 しかし、二人の表情は変わらない。一歩も引こうとはしない。

 何だ、この自信は?

「お前ら二人、小学生にしては身長差があるな」

「僕は小学六年生だけど、兄ちゃんは中学三年生なんだ」

「ああ、お前らは兄弟か」

「そうだよ。甲太と七斗の最強カンフー兄弟さ」兄が言う。

「カンフー? そんなものをやってるのか」

 だから、俺の顔にもひるまないのだな。

「ということは、お前らは強いのか?」

「そう。こんな感じだよ」

 七斗が男に近寄り、いきなりローキックを放った。

「痛っ! いきなり何すんだよ!」

 男は膝を抱えて、しゃがみ込む。

「試合をするときはちゃんと礼儀正しくするけど、悪者をやっつけるときには、礼儀なんか関係なく、先制攻撃を仕掛けるんだ」七斗が自慢げに解説をする。

「何をゴチャゴチャ言ってるんだ、この野郎」男が痛みで顔を歪めながら、立ち上がった。

その瞬間、後ろにそっと回り込んでいた甲太が助走を付けて、背中にハイキックをお見舞いした。

「げっ! ううっ」男は息が詰まって、また座り込む。

 小学生とはいえ、体重のかかったハイキックは痛そうだった。

「お、おい、お前ら。最強カンフー兄弟よ」呼吸を整えながら、何とか声を出す。「君たちが子供だとはいえ、二人対一人は卑怯だと思わないか? ここはタイマンで勝負しようや」

 男は取引を提案してくる。

 兄弟は話し合いを始める。

「甲太、ここは兄ちゃんに任せろ」

「いやだ。僕がやっつけたい」

「いや、僕がやっつける!」

「僕が倒すんだ!」

「僕が倒すんだってば!」

「僕なら五秒で仕留める!」

「僕は三秒だ!」

「おい、お前たち。俺が負けると言う前提で話してないか? 小学生の弟くんはどう考えても勝てそうにないから、俺の相手は中学生のお兄ちゃんでいいよ」

「甲太、僕が指名されたから、ここは我慢してくれ」七斗が言う。

「しょうがないね。分かったよ。兄ちゃん、がんばってね」渋々承諾する。

 男と七斗があらためて向かい合った。

 路地裏には誰も来そうにない。

「兄ちゃん、これ使って!」甲太が七斗に放り投げた。

「ヌンチャクじゃねえか!」男が驚く。「俺は素手だぞ。武器なんか使っていいのか? 卑怯じゃないのか?」

「だって僕はまだ中学生だよ」七斗が言う。「これくらいのハンディはほしいよ」

「うーん、そうか。仕方ないな――じゃあ、どこからでもかかって来なさい」

 男は七斗を威嚇するように、両手をあげて、体を大きく見せた。

 これ、野性の動物がよくやる手なんだよなあ、弱いから強く見せるんだよなあと思いながら、七斗はジリジリと距離を縮めていく。

 男は両手を上げたまま、少しずつ後退していく。

 なんだか、降参してるみたいに見えるなあ。

七斗は笑いそうになりながらも、ヌンチャクを目一杯伸ばして、上段から振り下ろした。

 男は頭部を守るため、右手で防御する。

――ガッ!

「痛っ! 本物のヌンチャクかよ。スポンジでできたオモチャじゃねえのかよ」

 右手を押さえて、痛がる。

「樫の木でできた本物だよ」七斗はうれしそうに言う。「当たったら、メチャクチャ痛いよ」

「先に言えよ。当たった後に言うなよ。ああ、痛い」

「傷害保険は入ってないの?」

「入ってないよ。入ってたとして、保険会社に保険金を請求するとき、子供にヌンチャクでやられましたと言うのかよ」

「それは恥ずかしいね」

「そうだろ。だから……」

 七斗は男にすばやく近づくと、さすっている右手を狙って、ミドルキックを放った。

――ガッ!

「また痛い! おい、ケガをした箇所を狙うのは卑怯じゃねえのか?」

「弱点を突くのは、勝負の定石だよ。じゃあ、これでどう?」

 今度は左手を狙って、ミドルキックを放った。

「痛っ! 両手の動きを止めるとは残酷じゃねえのか?」

「まあ、これも勝負ですから」

「なかなかやるじゃねえか」

男はそう言った瞬間、七斗の胸のあたりを狙って、蹴りのお返しを繰り出して来た。

七斗はバランスを崩しそうになりながらも、ギリギリの所でかわす。

「兄ちゃん、しっかりしなよ」甲太からヤジが飛ぶ。

「エへへ」油断していたのを弟に指摘されて照れ笑いをする。

 もう一度蹴りが跳んで来たが、これは読んでいた。体を捻ってよけると、伸びて来た足の脛を狙って、ヌンチャクを叩き落した。

――ガッ!

 これは痛いだろう。

 叩き落した本人がそう思ったのだから、間違いない。

「痛ェ! ムチャクチャ痛い。ここは弁慶の泣き所だぞ。戦いのプロの弁慶でも痛いのだから、俺みたいな素人はものすごく痛いぞ」

 男は余りの痛さに体がガクッと落ちた。

七斗はこの機を捉えると、男の後ろに回り込み、右膝の裏側を蹴飛ばして、男を地面に転がした。すかさず男に馬乗りになって、顔面をボコボコと殴り付ける。

小さい手だが、何度も当てていると痛いはずだ。

「ああ、待ってくれ、少年。ギブ、ギブだ」

 男は情けない声をあげて、ギブアップを主張し、泣きそうなって懇願する。

「安いバイト代でこの仕事をやってるんだから、これで大ケガをしたら、コスパが悪すぎるんだよ。頼むよ、少年。なあ、イケメンの少年。弟くんよ、君からも兄貴を説得してくれよ」

「兄ちゃん、このへんで勘弁してあげたら?」言われたとおり、説得してあげた。

 これ以上やると、いじめっ子になってしまうので、七斗は許してあげることにして、体をどけてあげた。

 男はヨロヨロと立ち上がった。

 七斗と甲太は並んで見上げている。

「おじさん、もう悪いことをしたらダメだよ」

「闇バイトになんか応募したらダメだよ」

「真面目に就職するんだよ」

「親を泣かせないようにね」

「真っ当に生きるんだよ」

「まだ、やり直しはきくからね」

「人生はこれからだよ」

「止まない雨はないよ」

「抜けないトンネルはないよ」

「朝になると太陽が昇るからね」

 子供にさんざん説教された。

 親にもこれだけ説教されたことないのに。

「甲太、行こう。本丸が危ない」

 最強カンフー兄弟が駆け出す。

 男は情けない顔から一転し、薄ら笑いを浮かべながら、二人を見送っている。

あいつらは状況が分かっていない。所詮子供だったということだ。

俺が盗んだ配送車を置いて行ったのだからな。給食の食材を置いて行ってどうするのか。そもそも食材を守るのが目的だったのだろう。それが俺を倒すことに夢中になって、忘れてしまったとはな。車の免許も持ってないのだから、今さら車も取り返せないだろう。

「今のうちに食材とやらを確認しておくか。これでバイト代ももらえるな」

 男は配送車の後部ドアを開けた。

 ダンボールが数個積んであった。手前の箱を開けてみる。

「さて、今日の給食は何かな? 少しくらいつまみ食いをしてもバレないだろ。わっ、なんだこれは! 待て、あっちへ行け! 何をするんだよ。待ってくれよ。そうか、こいつらに、待てと言っても通じないな。ああ、痛い! なんで今日はこんなに痛い目に遭うんだ。ああ、そうか。闇バイトを引き受けたバチが当たったのか。これからちゃんと働くから、見逃してくれよ。おい、付いてくるな。痛いって、言ってるだろ」

 その頃、カンフー兄弟は杭杉小学校へ向かって走っていた。

 二人で力を合わせて悪者をやっつけたので、満足そうな表情を浮かべていた。

 だが本当の戦いはこれからだった。

遠くから、さっきの男の悲鳴が聞こえてきた。


盛森守男校長が合同チームからの電話を切った。

「まさか第三ルートを襲ったのが四人組だったとはな。しかし、悪者を捕まえてくれたし、ケガ人も出なかったので良かったなあ。子供たちよ、あっぱれだ!」

 またすぐに電話が鳴った。

「こちら園芸部です。本日の給食の食材の収穫が終わりました」

「そうか、ご苦労さん。調理室への搬入は少し待ってくれるかな。これからあそこでいろいろなことが起きる予定だからね」

 食材を三つのルートに分けて学校に運び込むように見せかけて、実は園芸部が育てていた野菜を食材にして、今日の給食で提供するという作戦であった。

たった今収穫された野菜は新鮮そのものだろう。

 第三のルートを走って来た配送車が盗まれたようだが、積んであったのは、生物部が採集して来たハチの大群である。ダンボールを開けたとたん、飛び立つはずだ。場合によってはハチに刺されるかもしれないが、自業自得である。いいお灸になるだろう。

配送車が盗まれるという予想外の展開となったが、誤差の範囲内だ。作戦は成功したと言えよう。子供たちはみんな、がんばってくれた。これで本日の給食は安泰だ。明日からの予定も立っているから、やっと通常の給食に戻るだろう。

 盛森守男校長は礼兵衛会長に連絡を入れた。

「第三ルートのハチブンブン作戦も成功しました。食材は園芸部によって確保されております」

「そうか。ご苦労だった」

「会長の予想通り、敵は三つのルートを襲って来ました。しかし、犯人の姿はすべて写真部が撮影してくれています。これを証拠に警察に被害届を出しましょう」

「よし、分かった。二度と給食の邪魔をしないように、悪は根こそぎ退治しよう」

 杭杉小学校で全校放送が流れた。

「全校生徒のみなさん、こちら放送部です。三つのルート作戦は成功しました。本日の給食は無事に提供できることになりました。新鮮野菜がたっぷりのおいしくてヘルシーな給食です。作戦に参加してくれた各クラブの皆さん、お疲れさまでした」

 子供たちによる勝利宣言であった。

 盛森守男校長の指揮の元、いくつものクラブが協力をして、悪党を蹴散らした。三つのルートの作戦を立案したのも盛森守男校長である。検食のためだけに学校へ来ていると陰口を叩かれているが、やるときはやるのである。

あちこちの教室で歓声が上がっていた。拍手の音も聞こえて来た。万歳三唱の声も聞かれた。抱き合って喜ぶ生徒もいた。

しかし、この喧騒をヨソに、知らん顔をしている生徒たちがいた。どこのクラブにも所属していない帰宅部の連中だった。

 クラスに五人ほどいる帰宅部に、クラスメートの冷たい視線が突き刺さる。

「いや、僕たちは心の中で応援してたんだよ」

「僕もいつも持ってるお守りにお願いしてたよ」

「僕も神様仏様にお祈りしてたよ」

 必死に言い訳をするが、むなしくスルーされた。



後編につづく。


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