第七話 月明かりの下の約束
月明かりが薄絹のように、手入れされた屋敷の庭園を優しく包み込んでいた。夜風が そよぐたび、金木犀の香りが漂ってくる。
リリアは自室には戻らず、庭園の石の椅子に一人腰を下ろしていた。星空を見上げる瞳には、数えきれないほどの想いが映っている。
「教会のことを考えてるの?」
突然の声に、リリアは小さく肩を震わせた。振り向くと、レインが湯気の立つ茶を両手に持って、こちらへ歩いてくるところだった。
「うん....ありがとう」
リリアは小さな声で答え、レインから差し出された茶碗を受け取った。
レインはリリアの隣に腰を下ろし、同じように星空へと視線を向けた。二人は何も語らず、ただ茶を啜りながら、この静かなひとときを共有していた。
長い沈黙の後、レインがそっと口を開いた。
「メル様が何を言ったのかは分からないけど。今、話したいことが沢山あるんじゃないかな」
リリアは俯いたまま、黙り続けていた。
レインは優しく妹の頭を撫でながら、柔らかな声で言った。
「これから何が起きても、僕はずっとリリアの側にいるよ」
その言葉に、リリアの瞳に涙が滲んだ。
茶碗に映る自分の姿を見つめながら、リリアは一瞬躊躇った後、震える声で言った。
「レインと離れたくない...怖いの...」
レインは眉を少し上げた。
「どうしたんだ?」
「あの...」
リリアは唇を噛んで、言葉を繋いだ。
「メル様が、エドワーズに行って欲しいって...」
「魔法を学ぶのは、ずっとの夢だったけど...」
リリアの声が震えた。
「でも、あそこは遠すぎる...レインに会えなくなっちゃう...お父さんもお母さんも....」
「それに、メル様から言われたの。卒業するまでエドワーズから出ちゃダメだって」
「覚えてる?小さい頃に読んだ小説。あの、旅する魔法少女のお話」
レインは優しく尋ねた。
リリアは唇を引き結びながら、小さく頷いた。
大好きだった物語の一つ。あの頃、毎晩のように「もう一回読んで」とレインにせがんでいたっけ。
「本の中でね、偉大な魔法使いは皆、別れと孤独を経験するって書いてあった」
レインは妹の髪を優しく撫でながら言った。
「でも、それは終わりじゃない。新しい始まりなんだ」
そっと微笑んで続ける。
「リリアはずっと、すごい魔法使いになりたいって言ってたよね?」
「でも...」
リリアは唇を噛みしめ、震える声で言葉を紡いだ。
「せめて...お兄様だけでも...ずっと側にいて欲しかった...」
その言葉には、想いが痛いほど込められていた。
レインは胸の奥が熱くなるのを感じた。
一瞬の沈黙の後、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「いいよ。リリアが側にいて欲しいなら、一緒に行くさ。家でぶらぶらしてるより、リリアと一緒に外の世界を見てみるのも悪くないだろう?」
「えええ...!?」
リリアは驚きの声を上げ、目を丸くした。
「レインってば、本当にバカ!エドワーズがどこにあるか、分かってるの?」
その表情には、呆れと喜びが入り混じっていた。
「どこにあるんだ?」レインが首を傾げた。
「ぷっ...」
リリアは兄の反応に思わず吹き出した。涙を浮かべていた目が、笑みに変わる。
「レインってば、場所も知らないのに付いて行くなんて言って。エドワーズ学院はフレッド王国の南部よ。アンダーソンからフレッドまで馬車で最低四ヶ月もかかるの。しかも、途中オースティン王国を通らないといけないのよ?」
レインはきっと冗談を言ってるだけだと思った。でも、そう言ってくれただけでも嬉しくて、心が少し軽くなった。
「そんなに遠いのか...」
「でもね」リリアは急に得意げな表情を浮かべた。
「メル様が言うには、私が承諾すれば空間魔法で送ってくれるんですって。たった一日で着けちゃうの」
「じゃあ、僕も一緒に送ってもらえないかな?」
「そんな都合のいい話あるわけないでしょ」リリアは肩をすくめた。
「メイル大魔導師様が送れるのは、私とアリスだけよ。そんな遠距離の空間魔法って、すっごく魔力を使うんだから」
「アリス?」
「あの子よ。光の魔力を持つ女の子」
そう言えば、レインは思い出した。もしリリアがいなければ、彼女が一番印象的な少女だったはずだ。
「じゃあ、約束だよ。一年後に会おう!フレッドまで会いに行くから」
「本気...なの?」
「本気さ」
レインは穏やかな表情で、しかし揺るぎない決意を込めて答えた。
リリアの表情が、驚きから疑い、そして喜びへ変わっていく。そして、小指を立ててレインの前に差し出した。
「言葉だけじゃダメよ。指切りげんまんしましょう!」
レインは一瞬戸惑ったが、すぐに懐かしい笑みがこぼれた。幼い頃から、大切な約束をする時はいつもこうだった。二人だけの、変わらない誓いの形。
「リリアに誓うよ」
レインは真摯な声で言った。
「必ず一年以内にフレッドまで会いに行く。」
「どうして一年なんて...まあいい」
リリアの目が潤んできた。でも今度は、嬉しさの涙だった。
「私も誓う。しっかり魔法を学んで、みんなの期待を裏切らない」
「指切り拘束、嘘ついたら針千本飲ます!」
幼い頃から何度も唱えた誓いの言葉が、二人の口から自然と重なって流れ出た。
そして、互いを見つめ合って、笑顔がこぼれた。
「そうだ」
何かを思い出したように、レインはポケットから小さな布袋を取り出した。
「はい、これ」
リリアが受け取って開けてみると、手のひらサイズの木彫りが入っていた。
よく見ると、どうにか人型だと分かる程度の、なんとも微妙な木彫りだった。
「一緒に工作の授業を受けた時に作った木彫りなんだ。自分をモデルに作ったんだけど、ちょっと失敗作で...」
レインは照れくさそうに頭を掻いた。
「初めての遠出だから、何か贈りたくて。この小さなレインに、僕の代わりにリリアの傍にいてもらおうと思って」
「ちょっとだけ、似てるかも」
リリアは木彫りをじっと見つめ、やっとの思いで肯定的な感想を口にした。そしてゆっくりと顔を上げ、レインを見つめながら心からの言葉を紡いだ。
「最高のプレゼントよ!」
月の光が二人を優しく包み、この温かな瞬間を銀色に染め上げていた。
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