第十七話 特別な朝ご飯
「明日でいいか?」
レインは切迫した様子で尋ねた。リリアとの約束から一年...あれから一ヶ月が経とうとしていた。もう、これ以上の遅れは望まなかった。
「本当にリリアのことが気になるんだな」
チャールズは目尾に笑みを浮かべ、からかうように言った。
灯りに照らされたレインの顔が、一瞬にして朱に染まる。彼は恥ずかしさを隠すように俯いたが、その口端には思わず温かな微笑みが浮かんでいた。
「では、召使いたちに荷物の準備をさせて、明朝には見送りができるようにしましょう」
カロリン夫人の優雅な声音には、かすかな名残惜しさが混じっていた。
チャールズは妻を一瞥し、小さく溜め息をつくと、書斎の引き出しから一通の手紙を取り出した。
「これを大切に持っておけ」
彼は手紙をレインに手渡した。
「冒険者として登録する時に、大いに役立つはずだ」
「冒険者ギルド...ですか?」
レインは手紙を受け取りながら、少し戸惑った様子を見せた。その言葉は彼にとって馴染み深いものであったが、この世界では初めて耳にする言葉だった。
燭光がチャールズの凛とした横顔を照らす。
「外の世界には数えきれないほどの物事がある。一度に全てを説明するのは難しい。冒険者ギルドに加入することが、外の世界を知る最良の方法だ」
「はい、父上。承知いたしました」
「もう用は済んだ。部屋に戻って準備をするといい」
「かしこまりました」
レインは両親に礼をして、静かに書斎の扉を閉めた。
廊下の向こうでレインの足音が完全に消えるまで待って、チャールズはカロリンの方を振り向いた。その目には深い謝意が浮かんでいた。
「すまない...レインとリリアには普通の生活を送らせると約束したのに」
カロリンは静かに首を振った。窓から差し込む月光が、彼女に柔らかな銀色の輝きを纏わせている。
「あなたのせいではありません。二人の未来は、私たちには決められないものなのです」
突然、カロリン夫人のいつもの穏やかな雰囲気が消え失せ、代わりに神秘的な威圧感が漂い始めた。彼女の瞳から不思議な紫の光が放たれ、その声は俗世を超越した予言のような響きを帯びていた。
「二人の未来は...彼ら自身にさえ、決められないものなのです...」
.....
夜明け前の屋敷は、まだ灰色の靄に包まれていた。しかしレインはすでに目覚めており、胸の高鳴りが彼の眠りを妨げていた。
昨夜の荷造りで気づいたのは、意外なほど必要な荷物が少ないということだった。
魔法の勉強用の本を除けば、特に必須なものはない。ただ、一振りの使い慣れた武器だけは欠かせないものだった。
(父上の地下室には魔法武器がたくさんあるし、一つくらいなら...)
レインはそう考えながら、丁寧に服を整えた。
扉を開けた瞬間、サラの丁重な声が聞こえてきた。
「おはようございます、レイン様」
「ああ...おはよう、サラ」
廊下ですでに忙しそうに動き回る使用人たちを見て、レインは思わずため息をつく。
「みんな、早いんだね...」
「私どもの務めでございます」
サラは軽く会釈をして、「失礼いたします」と言い残して去っていった。
「そうか...」
食堂では、チャールズがすでにテーブルについており、片手に手紙を、もう片手に優雅に紅茶を持っていた。カロリンは女中たちと楽しげに話をしており、上機嫌そうだった。
「おはよう...」
チャールズは顔も上げず、目は手紙から離れることなく挨拶を返した。
夫の素っ気ない態度とは対照的に、カロリンはレインを見るなり、目を輝かせた。彼女は息子の元へ駆け寄り、両腕で強く抱きしめた。
「レイン、今日も早起きね!」
「今日は、みんな早いみたいだね...」
レインは母親の温かな腕の中で、苦笑いを浮かべた。
朝日がついに雲を突き抜け、大きな窗から食堂に差し込み、この温かな光景を金色に染め上げた。いつもの朝が、別れを前にして、一層愛おしく感じられた。
「だってレインが旅立つ日だもの」
カロリンは眉を寄せ、寂しさと誇らしさの入り混じった声で続けた。
「ママは寂しいけど...レインの決意を誇りに思うわ...」
彼女は優しくレインの髪を撫でた。
「二人とも、お互いのことをちゃんと気にかけてあげてね。そうでないと心配で仕方ないわ」
「ご心配なく、母上」
レインは力強く答えた。
「僕が自分とリリアの面倒を見ます。リリアだって自分のことはちゃんとできますから」
「そう言ってくれると安心するわ...」
カロリンの目が輝いた。
「そうそう!ママがたくさん準備したものがあるのよ!」
レインは母親が指さす方向を見て、思わず固まってしまった。衣服や薬水、書物、素材など、まるで小山のような荷物が食堂の一角を占めていた。
「これは...多すぎませんか? 持ち運びが大変になりそうです...」
「何が大変なのよ?」
カロリンは軽く笑うと、スカートのポケットから深紅の指輪を取り出した。彼女の仕草に合わせ、山積みの荷物が幻のように消え、瞬く間に指輪に吸い込まれていった。
「はい、この空間指輪をレインにあげるよ」
息子に指輪を渡しながら。
「中の空間はあなたの部屋くらいの広さがあるの。ママがマルス王国の金貨3枚も出して買ったのよ」
(金貨3枚!?15万リラにもなる...)
レインは心の中で驚きを隠せなかった。
領主の家に生まれ、シルフィードという名門の姓を持っていても、金貨で値段の付く品物を見ることは稀だった。
普段使うのは専らリラや銅貨ばかり。これもチャールズの家庭教育の賜物だった——他の貴族と比べ、シルフィード家の生活は質素なものだったのだ。
レインは手の中で深紅の輝きを放つ指輪を見つめ、その中に宿る魔力の波動を感じ取った。