第32話
大理石で造られた美しい女神像が置かれた祭壇。
蝋燭の炎が無数に並んでいるためか、祭壇回りだけ酷く明るい。
女神像前にある硬い石の台座には多くの花束が置かれていた。
その光景を前に、裸足の状態で膝を抱えて座り込む少女が一人いる。
「……兄さん……」
水色の頭髪が顔を覆い、更に俯いているので表情が見えない。黒のシスター服が着た華奢な少女は、髪の隙間から見える虚ろな瞳を閉じた。
その目から透明な雫が流れ、頬を濡らした。
「――いつまでそうしてるつもりだ?」
「……」
静かだった水面に一石を投じたように、その声は無遠慮に良く響いた。
少女の隣にいつの間にか大柄な人影がある。
全身を鎧に身を包み、純白のマントを肩にかけた騎士だ。
背には剣ではなく、槍を背負っている無精髭が特徴の精悍な男である。
「……師匠……」
【世界を正す者達】の一員たる少女が、彼をそう呼んだ。
「ジゼルは――お前の兄弟子は死んだ。それは教皇が直々に確認した事だ」
「……信じられません」
「それは《《どっちが》》だ?」
師匠と呼ばれた男は祭壇にある女神像を瞳を細めて眺めている。
「……兄さんが死んだ事も。兄さんを殺した半魔が神から魔法を授かった事も」
「……」
「……教会からは……いや、師匠からボクは世界に蔓延る魔物の脅威以上に、人の世界で暮らす半魔を駆除すべきと教わってきました」
「ああ、そうだ。だってより身近な場所にいる化け物のほうが脅威だろ」
「……でも、神はボクたち以外にも……魔物の血が入った奴らにも平等に魔法を与える。あり得ない事です。神は……彼らにも生きていいんだと、ボク達に抗っていいんだと、そう言っているのでしょうか?」
「どうだろうな。だがよ、我らが唯一神の意向を気にするよりも、お前は奴らを許すのか?」
少し考えた後、少女は首を左右に振った。
「……ジゼルはお前をいつもぞんざいに扱ってた。でも、一緒の任務の時はお前の事を庇って負傷したりしてたよな? アイツは家族を失って以来、他の奴らの事なんて心底どうでもいいと思い込んでやがった人でなしだが、自分でも無意識にお前を想ってた」
「……ッ」
「許せないだろ? ジゼルを殺した半魔共が」
言われて、自らの膝の間に埋めていた顔を少女が上げた。
彼女の瞳にほの暗い光が宿る。
男はそれを見て、僅かに口角を上げた。
「……ジゼルの仇の片割れはな、無法都市に向かったそうだ。あそこに行くのは現実的じゃない。帝国も我が教国も手出しできない、文字通りの無法地帯だ」
無法都市ヴァーミリオン。辿り着くには禁則地と呼ばれる魔物がうじゃうじゃいる危険地帯を潜り抜ける必要がある。
更に都市を支配する二大組織の幹部たちは、各国が捕らえられなかった重罪人達。
神正教が総本山、教国が誇る英雄部隊【世界を正す者達】にも匹敵する者達らしい。
手を出すにはあまりに危険すぎる。
ただ、少女が気になったのは別の事だ。
「……待って、師匠。仇は……そいつだけじゃないの?」
驚きに見開かれた少女の瞳は、真横に立つ男の目線と重なった。
「ああ。仇は大鬼の半魔だけじゃない」
「……え? だって、だってそいつが兄さんを――」
「大鬼の半魔はな、身体能力に秀でる代わりに魔力が著しく低いんだよ。何人か狩ってきたから俺には分かる。多分どの個体も同じ弱点を持ってる」
「……」
「……だが教皇が言うにはよ、ジゼルと戦ったそいつは鬼化したらしいんだよ。長時間」
「……つまりどういう事? そいつが特別魔力が多かった――」
「違うんだよ。これには種があるんだ」
神正教を帝国内に引き込んだ張本人、帝国第一皇子から聞いて男は知っていた。
ヴァンフレイム帝国を統べる皇族の血統魔法、その詳細を。
男は自らの弟子である少女にも自らの仮説を聞かせた。ほぼ間違いなく事実である仮説を。
「……偶然にもハーズの街には第三皇子が滞在していたらしい。奴は半魔だ。そして、騒動が収束して第二皇子が騎士団を引き連れてやってくる頃には街を出て行ったらしい」
つまり彼が手を貸したせいで、ジゼルは死んだ。
男の言いたい事が分かったのだろう。
少女はゆっくりと立ち上がった。
「……第三皇子の居場所は分かりますか……?」
「そうこなくちゃな。ジゼルの仇を取りに行くぞ」
こくんと首を縦に振る少女。
力強く握った拳。もう涙は乾いている。
「……うん。必ず報いを受けさせる」
悲しみに満ちた光はその両目から失われた。
代わりに復讐の炎が宿るその眼差しに、男は笑みを深めた。
原作でユリフィスに忠誠を誓った六人の忠臣達、【覇道六騎将】と原作主人公の仲間になる英雄達は対になっている。
ブラストと対になるはずの彼女の運命は、第三皇子の介入によって僅かにねじ曲がる事となった。




