第10話
気がつけば雨が降り出していた。
顔に当たる水滴が煩わしい。
ユリフィスは入り組んだ路地に入っていく半魔の少女を連れた警備隊の面々を追って、その場所に辿り着いた。
そして目にした光景に視界が真っ赤に染まった。
「……う、あ……」
「生ゴミが。手間をかけさせるなよ」
「人様の世界に入ってくるな、化け物が」
「……牢に閉じ込めて罪を償わせてもまた同じ事をするだけだ。だったら――」
腰に下げた金属製の警棒で少女を幾度も叩く三人の男たち。
警備隊の制服を着た彼らは一切の躊躇もなく、ストレスでも発散するように滅多打ちにしていた。
流れ出る血が雨と共に石畳を濡らす。
その様子を目にしたユリフィスの手から黄金の炎が迸った。
降り出した雨が蒸発するような異常な音に警備隊の面々が背後を振り返った瞬間、
「「え……?」」
呆けた様子で美しい炎を前に棒立ちとなった彼らはそのまま飲み込まれ、骨どころか塵一つ残らず消し炭になった。
何をされたのかも分からず、世界から消滅した。彼らが存在していた証拠は何一つ残らない。
「……」
無表情のままユリフィスは倒れている少女の近くに寄った。
見下ろして悟る。片眼鏡型の魔道具、【探究者な義眼】を使ってステータスを見るまでもなかった。
もう助からない。
骨が肺に刺さっているのか、呼吸がおかしい。膨れ上がった顔と、可笑しな方向に折れ曲がった手足が酷く痛々しかった。
「おな、じ、半魔、か……」
薄らと片目を開いた少女がユリフィスの姿を目にして口角をほんの僅かに上げた。
「ああ、そうだ」
「……はじめて……たす、けられた……」
「……そうか」
「……でも、おそかった、な」
「……済まない、本当に」
「……いいん、だ。オレ、もともと、うまれ、たくなんか、なかった……」
「……」
片膝をついたユリフィスは唇を嚙み締めた。
少女の紅い瞳に雨ではない、きらりと光る雫が宿る。
「でも、しにたくも、なかった……」
「……」
「どうすれば……どうすれ、ば……よかった、の?」
弱弱しく持ち上げられた右手をユリフィスは掴んだ。
「その答えは俺にも分からない。だが、きっと来世では幸せになれる」
自分にも来世があったのだ。
だから、きっと彼女にだってある。
こんな悲惨な最期を遂げるために生きていたのではない。
そう信じたい。
「……生まれ変わったお前に見せたい。差別のない世界を。お前のような半魔が……ハーフが虐げられる事のない世界を」
「……つく、れる?」
光を失いかけている瞳に、ぼんやりとユリフィスの姿が映る。
「俺が創る。だから、安心して眠れば良い。来世ではきっとお前は幸せになれる」
「……ほ、ほんとう?」
「ああ」
「……うれ、しい。や、やくそく、だぞ……」
薄っすらと笑った少女の手から力が抜ける。
「ああ。約束だ」
降り出した雨が強くなり始めた。
肌から熱を奪っていく。
ユリフィスはどんよりとした厚い雲に覆われた空を見上げた。
きっと世界では、こういう事が日常的に起こっている。
外の世界で被害をもたらす魔物。
その怪物の血を引く存在を人類がどう扱うのか。
白天宮に半ば軟禁されながらも、自分は幸せだったのだろうと感慨深く思う。
雨に打たれながら、ユリフィスは一人の名も知れない半魔を看取った。
彼女の死体を、ただただ脳裏に刻み込むように見つめ続けた。
* * *
粛々と二頭の馬に引かれた馬車が帝都を出た。
護衛にブランニウル公の騎士たちを取り巻いたその馬車の内側は静まり返っている。
ずぶ濡れで馬車に戻ったユリフィスの様子に、フリーシアは何も言わなかった。
先に戻っていたマリーベルから、おおよその事情は聞いたのかもしれない。
ただ慈しむように、フリーシアは自らの手巾を使ってユリフィスの髪についた雨粒を拭い取っている。
普段なら、ユリフィスは自分でできると断ったはずだ。
だが、今はどこか甘えるようにされるがままになっている。
そんな姿に、フリーシアは内心微笑んだ。
彼もまだ幼さが残る少年なのだ。
「……大丈夫、ですか?」
「……ああ」
ユリフィスはふと馬車の窓を開けた。
走行中の車内から顔を出し、小さくなっていく帝都を見つめる。通り雨だったのか、既に雨は上がっていた。
強く目を閉じて、忘れないと心に誓う。
しばらくして。
帝都から視線を外し、首を車内に戻した。
いつまでも通夜のような雰囲気ではいけない。
意識を切り替え、二人の美少女に向けて口を開いた。
「……二人とも。俺の我儘で帝都を離れる事になってしまって済まなかった。親しい人たちに別れは済ませてきたのか?」
「……勿論です。と言っても、私は数人しかいませんが」
「俺は一人もいないから充分だろう」
恐らくは城に務める料理人の幾人かと庭師の老人だろうとユリフィスは推測する。
フリーシアは王族という身分に加え、外見や性格から大人しめな印象だが、こう見えて結構アクティブで多趣味だ。
しかも料理や園芸、手芸などどれも平民の女の子らしいものを得意としている。
アークヴァイン王国の王妃、つまり彼女の母から嫁入りする時に一通り教えてもらったらしい。それもそのはずで彼女の母は平民なのだ。
だから使用人にとって取っつきやすいのかもしれない。まあ半魔の皇子の婚約者として、同情的に見られているからというのも理由の一つだろう。
「あ、そ、その……」
「……フリーシア様、返答に困ってるじゃん」
ユリフィスの友達いない宣言にどう返すか困っているフリーシアを見かねて、今度はマリーベルが会話に入った。
「あたしは孤児院の皆と別れるのは寂しかったけど、でも自分でお金を稼いでカーラさんに恩返ししたい気持ちが強いからさ。その事をちゃんと話したら、皆分かってくれたんだ」
「……子供たちに泣かれたか?」
突然攫われいなくなったせいで、孤児院の皆から随分心配されただろう。
「まあね。でも、これはあの子達の為にもなると思うんだ。第三皇子のメイドさんってさ、一応人目にも付くでしょう?」
「……色々な場所を巡遊するのだからそうだな」
「じゃあハーフでもこんな職業に就けるんだよって、皆に教えられると思うんだ。もしかしたらあの子達が大人になる頃には、どんな職業にだって就ける世の中になってるかもしれないし」
「……そうだな」
ユリフィスはただ肯定した。マリーベルとしっかり視線を通わせて。
そんな世界を創ると彼は約束したのだから。
「とても美しくて立派な考えをお持ちなのですね、マリーベル様」
「フ、フリーシア様、あたしに様付けなんていりませんよっ」
眩しそうに微笑むフリーシアに対して、慌てた様子で首を左右に振りながら訂正するマリーベル。
人族を嫌っていたマリーベルだったが、差別どころか普通に自然体で接してくるフリーシアにはたじたじな様子だ。
孤児だろうが、ハーフだろうが、それこそ皇族だろうが態度を変えず誰でも丁寧に接する。
そんな事ができるのはきっと帝都ではフリーシアくらいじゃないだろうかと、ユリフィスは真剣に考察していた。
穏やかに続く二人の少女の会話を聞きながら、ユリフィスも時折話に混ざる。
そんな時間が続く中、馬車は目的地へと進んでいく。
「――殿下。もうすぐ宿場街でございます。そこで一泊した後、明日の朝から再び辺境都市オルクへと向かう手筈であります」
馬車の扉の外から、並走している騎士の一人の声が聞こえてきた。
護衛部隊はブランニウル公爵個人の私兵に当たる。宰相たる彼の教育が行き届いているのか、騎士たちは半魔や亜人族とのハーフに対してあからさまな差別は見せない。
まあ人間、心の中まではどう思っているのか分からないので、完全に信用してはいないが。
「――分かった」
返答しながらユリフィスは馬車の中で両目を閉じ、背もたれに背を預けた。
目的地である辺境都市まで、早くとも数か月程度はかかるらしい。
帝国の端の方にあるオルクまで、あらゆる街に寄るだろう。
そのいくつかの街で、ユリフィスはゲーム上で自らに忠誠を誓った六名の配下達を迎えていくつもりである。




