60 そのアーベル様は、あなただけのものですわ。永劫に、永遠に。
錯乱したアウグストの言葉にレオンハルトから、再び炎が吹き荒れた。
「今、何と言った? 貴様、アーベルを殺したと言ったのか?」
その炎はもはや、浄化の炎ではあり得ない。触れたものを焼き尽くさずにはいられない憤怒の炎となって燃えさかっていた。
バチリと爆ぜた火の粉がアウグストへとふわりと飛んで、その端正な顔を焼き爛れさせる。だが、アウグストは火傷の痛みなど、まるで感じないというように何も無い場所を見つめてひたすら怯えていた。
「殿下。お怒りはお察しいたします。ですが、今しばらくお待ちくださいませ」
「……なぜ、止める。アーベルを殺しただけではない。この音はお前の母の墓を暴き、死者を冒涜し、名を奪おうとさえした男だぞ?」
八つ裂きにしても、まだ足りぬ。そう深紅の瞳が言っていた。
「殿下が死を与えたとしても――果たして、彼らが納得しましょうか?」
ローランの視線の先にはアウグストを遠巻きにしている、10名ほどの死人の姿があった。
「アマーリエ殿下同様に伯爵もまた、多くの者を殺めてございます。伯爵は彼らに代価を支払わねばなりません」
―炎の公子様
――お怒りは分かります。
―――ですが、あの男は我らにくださいませ。
死人達の懇願にレオンハルトは不承不承、炎を収めた。確かにローランの言うとおり、アウグストの優先権は彼らにあると認めざるを得なかった。
「それで、そなたらはあの男に何を求める?」
―何も。
――何も求めませぬ。
―――かかっ。もはや我らは壁にはならぬ。存分に苦しまれよ。
死人達はアウグストに対する罰を何も求めなかった。
「兄上! なぜ、なぜ、消えぬ!? 浄化されたのではなかったのか!?」
アウグストがそう叫んで見つめる先には何もいない。
「ローラン。さっきから、あの男は何に怯えているのだ?」
「殿下。実は――私にもさっぱりでございます」
首をかしげるレオンハルトにローランは肩を竦めると、アウグストは焼けただれた顔でローランを睨むつけた。
「嘘をつくな! 死人を操る貴様に兄上が見えぬわけが無い! そうだ……そうだ、ローラン。頼む……頼むから、兄上の霊を消してくれッ!」
そう、怯えながらアウグストは絶叫した。
※ ※ ※
なぜ、見えぬフリをする。なぜ、見え透いた嘘をつく。
ローランほどの術者にアーベル・ハーデンの霊が見えないわけがない。帝冠継承候補者ともあろう者の魔力で友の変わり果てた姿がわからぬはずが無い。
なのに、なぜあの2人は平然としているのだ。
「伯爵。私には貴方が何に怯えておいでなのか、分かりません」
心底困ったかのようにローランはそう言った。
「嘘を吐くな。嘘を吐かないでくれ。頼む。貴様なら……そなたなら、その森へと兄上を誘えるだろう? レオンハルト公子、貴方様の炎であれば兄上を浄化出来るだろう? 兄上は貴方の無二の友ではないか! 兄を哀れと思うなら――」
「伯爵。俺にはアーベルの姿はまるで見えぬ」
レオンハルトはアウグストの言葉をぴしゃりと遮った。まるで駄々を捏ねる子供を諭すようにローランが先を続ける。
「もし、伯爵にアーベル様が見えるというのならば――それは影でございましょう。貴方にしか見えません。貴方にしか感じられません」
「では――」
俺のやってきたことは何だったというのか。まるで意味の無いことだったのか。
だが、ローランは少し哀しそうに首を振った。
「伯爵。どうして、もっと早くにアーベル様を殺めてしまったことを過ちだと認めなかったのですか? 認めていれば、それほど深く、その影は伯爵の魂に根を張らなかったでしょうに」
最初から相談していただければ――何か助言も出来ましたでしょうに。
「で、出来るわけがないではないか! たかが小娘にそんな無様なことが!」
「しているではないか。今、ここで」
レオンハルトの呆れたような声にアウグストははたりと動きを止めた。
「伯爵。貴方はアーベル様の影を見たくない一心で、そんなにも多くの人を殺めてしまったのですね」
死人と語り合うローランが、じっとアウグストを見つめていた。
「そして母様のお墓を暴き、秘術を手に入れ、呪術具を手に入れ、同じく死人を支配するアマーリエ殿下に近づいて、少しでも少しでもと足掻けば足掻くほど」
「兄上の霊を消すには他に方法が無かった!」
それ以上、ローランの話を聞くのが怖かった。
「最初はぼんやりとした、ただの幻だったのに。もう取り返しのつかないほどに容を得てしまいました。伯爵。それはアーベル様の影ではありません。もう、それは貴方だけのただ1人のアーベル様ですわ。伯爵の魂に根を張った、そのアーベル様からは逃れられません」
「嘘だ」
頑なにローランの言葉を否定するアウグストに死人達が囁いた。
―それほど見たくないならば。
――目を潰せば良いでしょう?
―――簡単なことではないですか?
「そ、そうか。その手があったか!」
アウグストは叫ぶや否や、眼窩に指を突き立てた。激痛が走るが、それさえも心地良かった。これで解放されるのであれば。
だが、何も無い暗闇の中でアーベルはじっとアウグストを見つめていた。
アーベル以外に何も見えない。永久の闇の中で、アウグストはアーベルと2人きりだった。
「見えぬ。何も見えぬ! 兄上以外、何も見えぬ! だ、騙したな!?」
―かかっ
――騙されおったわ!
―――愉快愉快愉悦!
己が利用した死人達に逆に利用され、アウグストの中の何かがぽっきりと折れた。
何をどうやっても逃げられぬ。兄からも、この死人たちからも。
それを悟った時、アウグストの身体は鼓動すること以外を放棄した。
だが、その意識からアーベルの影が消えることはない。
―さてさて。それでは我らは。
――この男の内にてゆるりと見物を続けよう。
―――身体が滅びたところで魂は滅ぼさせぬ。天にも地にも還しはせぬ。
我らが呪いとなりて、永久に縛ってくれよう。
そう高らかに宣言して、アウグストの内へと消えていった。




