59 今こそ、お告げいたしましょう。私の名前と継ぎしものを。
レオンハルトの炎の結界に護られ、ローランが舞っている。
異国の呪言と異国の舞に魅入られながら、レオンハルトは己の魂に食い込もうとする呪いを押しのけながら炎の結界を維持し続けていた。
「殿下……往生際が悪うございますぞ」
「ぬかせ」
炎の輪の外でアウグストとアマーリエが嗤っているのが見える。
だが、その表情に先ほどまでの余裕は無い。
その証拠にレオンハルト達に襲いかかろうとして、炎の結界に飛び込んでくる死人の数は勢いを増す一方だった。
薄紙を投じるように死人が炎によって束の間の安寧を得、その代償に結界が薄くなる。
彼らもローランを怖れているに違いなかった。
帝国の理の外にいる娘。
生者と死者を繋ぐ娘。
死者を弄ぶ、アウグストとアマーリエにとっては誰よりも怖ろしい敵。
だからこそ――
(意地でも保たせる……っ!)
それ以外にもはや生き残る方法は無かった。
ローランから受け取った2つの呪いが荒れ狂っている。
それでもなお、炎の結界を維持出来ているのはあの夜に受け取ったペンダントがあればこそだ。
だが、それも限界は近い。
それでも結界は守り抜く。
視界がぼやける中、結界の維持だけを考える。
「アウグスト。そなたの操る死人では埒が明きませぬ。数だけで、まるで力が足りません」
膠着した炎と死人の拮抗に苛立ったかのように、アマーリエは耳飾りを自分の耳から引きちぎった。
白い肌から鮮血が滴り、その掌を濡らしていく。
「ローラン。亡者を操るのはお前たちだけの特権ではありません。我が公国にも、死人を操る術はある! 亡者共よ、妾に恨みを抱きし穢れし魂よ、その恨みを妾のために使うが良い!」
血の滲んだ耳飾りに罅が入り、小さな音を立てて破裂する。
その小さな破片から、耳飾りに封じられていた新たな死者達が次々に姿を現した。
―アマーリエ
――なぜ我らを殺したか
―――我らが貴様に何をしたか
怨嗟の声を漏らしつつ、恨みの炎を眼窩に燃やしつつも、アマーリエに抗うことは赦されない。
その恨みの濃さが、そのままアマーリエの力となっていた。
ローランの魔術と違い、強制的に支配下に置くために術者が自ら手をかける。
あまりの悍ましさから、帝国でも使う者はまずいない。
「アマーリエ公女。まさか、禁術にまで手をだしていたか!」
「戯れ言を。禁術など、腰抜けが勝手に言っているだけではありませんか。妾が直接、手を下して丹念にくびり殺してくれた死人ども。そなたには禁術でも妾には秘術よ!」
アマーリエは嘲笑いながら、さらに己が手を下さした死人に命を下した。
「さあ、行くが良い。その炎の奥に隠れている輩を妾の元に引きずり出すが良い!」
アマーリエの召喚した死人の瘴気が炎の結界に触れ、そして浄化されることなく逆に炎をのみ込んだ。
「何!?」
―我らが恨み
――この程度の炎では
―――とても浄められぬ
死人達から吹き上がる瘴気が結界の炎を押しつぶしていく。
怨怨怨といううなり声を上げながら、レオンハルトとローランへと死人の腕が伸びていく。
「どうだ、レオンハルト公子。祖霊や消えかけの死人どもと違い、妾の死人は活きが良かろう?」
哄笑しながらアマーリエは勝利の確信に酔っていた。
確かにアウグストが手に入れた死人を操る東方の魔術は魅力的だ。
アマーリエの秘術と違い、わざわざ自らの手で人を殺す手間が無い。
だが、死人の質は悪い。
死人の力は恨みが強ければ強いほど増す。
最も憎い人間に逆らえぬという事実がさらに死人の力を増すのだ。
炎の結界が音を立てて、食い破られていく。
レオンハルトの炎をもってしても浄めきれない呪いが炎を食い散らかし、その間隙を縫ってアウグストの呪いがローランの身体を絡め取った。
「ローラン、お前の名を縛ったぞ!」
アウグストの歓喜の声が帝城の中庭に響いた。
「ローラン、その目障りな舞を止めよ! そして、跪け!」
甲ッっと一際澄んだ音が、鳴り響いた。
気がつけばローランの舞が止まっていた。
炎に照らし出されたローランの髪がまるで翡翠を溶かしたかのように澄んだ深い翠へと変わっている。
「それで良い。さあ、俺に跪け!」
アウグストは愉悦に歪んだ表情で、もう1度そう叫んだ。
※ ※ ※
継承の舞が終わる。
終わってしまう。
自分をずっと産着のように包み護っていた母の呪力が、自分の呪力と溶け合い1つとなる。
それはいずれ避けられない別れであり、ずっとローランが目を逸らしてきた事実だった。
母の呪力とローランの呪力が溶け合うほどに、ローランを包み護ってきた膜が剥がれてゆく。
温もりを伴った濁りはもはや無く、これより先は剥き出しの自分をさらけ出すより他に無い。
そして、最後の舞が終わりを告げた。
これまでずっと感じられた母の呪力はローランのそれと渾然一体となり、もはや感じ取ることは出来ない。
(母様。今まで、ありがとうございました)
心の中で最後の別れを告げ、瞼を開ける。
そこには押し寄せる死人の群れを必死に炎でもって押し止めている、レオンハルトの背中が見えた。
アウグストが何かを叫んでいるが、とくに興味は抱かない。
それよりもレオンハルトを蝕む呪いと、アマーリエやアウグストに操られ、意に染まぬ攻撃を強いられている死人たちが気になった。
「殿下、お代をお支払いたしますわ。お聞き逃しのないように」
ふわりと開いた両腕から真っ直ぐに翠の影が落ちる。
夜闇を切り裂いた影は、ゆっくりと立ち上がり森を導く。
その向こう側に広がる深樹の森は初夏の陽光に満ちあふれていた。
慰霊祭の時のような霧はどこにもなく、森は緑をはらんでどこまでも澄み切っていた。
死人が住まう場所だというのに、その森には悍ましさの欠片も無く、ただ安寧だけが満ちている。
幻の森から漏れ出す陽光に押し戻されるように、死人達が後ずさる。
「我が名は琅玕;。呪殺師の長にして、濁り無き深樹の翠。我が内なる森の住人よ。古の約定に従い、疾く馳せ参じ賜え」
ローランの声に応じ、深い深い森の中から影が伸び容を取り戻す。
その鎧も纏う衣服も顔立ちも、全て帝国とは異なる異国の死人たちだった。
「殿下。お待たせいたしました。お代はお受け取りいただけました?」
「ああ。だが、ほとんど変わらぬではないか」
「そう申しあげましたでしょう? ほんの少し読みが変わるだけだと。濁りは幼名の証でございます。ですが、お代が不足と仰るのでしたら」
期待外れだと、少しむくれたようなレオンハルトにローランはそっと微笑んだ。
そして、すっとレオンハルトに手を差し出す。
伸びた影法師がするりとレオンハルトの中へと入り込み、あっさりと中で暴れていた2つの呪いをつかみ出していた。
「この呪いを殺して差し上げましょう」
影法師の手が呪いを捻る。
たったそれだけで、呪いはバラバラと解けて塵となった。
「そして、もう1つの呪いは……あまりに深く今の私では殺してさしあげられません。ですが、せめて一時だけでも眠りにつかせましょう」
もう一方の影法師の腕がレオンハルトの心の臓を撫でた。
トクリと言う鼓動と共にレオンハルトの胸のペンダントが真昼の太陽のように激しく輝きを増していく。
―我らが長よ。
――呪殺師の長よ。
―――今こそ、ご下命を。
生者と変わらぬ姿をとった死人たちがローランの前に跪く。
今やローランは呪殺師の長の娘ではなく、呪殺師の長その人だった。
「ローラン! なぜ、跪かぬ! お前の名は俺のものだ!」
何が起こったかまるで理解していないアウグストが、取り乱したように叫んでいる。
「ええ。以前の私の名は確かにアウグスト様のものでございます。ですが、その名ではもはや私は縛れません」
深緑の髪をなびかせ、じっとローランはアウグストを見つめた。
「アウグスト様。あなたには貸しがたくさんございます。まずは母様の墓より奪いし、その呪術具をお返し願いましょう。もっとも……母様の呪力無き今、それはただの石塊でございますが」
ローランの言葉が終わらぬうちに、アウグストの握りしめたアミュレットが光を失い真っ二つになって地面へと落ちた。
「ローラン……貴様、何をした。汚らわしい呪いでもかけたか!? 汚らわしい呪殺師の娘が!」
アウグストが狼狽して、叫んだとたん、ローランに跪いていた死人たちがドッと笑い声を上げた。
―呪殺師とな!
――ああ、確かに呪殺師よ。
―――我らが長は呪いを殺す。呪いで殺すとでも思ったか?
呵々大笑しながら、死人達はローランの命を待つ。
「皆さま方。古の約定をもって、命じます。この場に集いし祖霊達、この場に縛られし名も無き魂、そしてそこの2人に捕らわれし死人たちを縛る呪いを――滅しなさい」
甲ッっと一際高く、音が鳴る。
心得たとばかりに飛び出したローランの内なる森の死人達は帝城の中庭に溢れる死人たちに、死人を縛る呪いに斬りかかった。
「殿下。呪いを殺した後は――」
「分かっている。それが、帝冠を望む者の務めだ。俺が今度こそ皆を導こう」
ローランが深緑のドレスを翻し、舞を舞う。
その舞を彩るかのように深紅の炎が吹き荒れ、呪いから解き放たれた死者の魂を浄めていく――。
※ ※ ※
確かに名を奪ったはずなのに。
確かに、この手に東方の魔術を手に入れたはずなのに。
アウグストの手には何も残っていなかった。
中庭は静まり返っていた。
あれほど溢れかえっていた死人は今や、全てが己を縛る呪いから解き放たれてそれぞれの在るべき場所へと還っていった。
静寂の中、同じく全てを奪われたアマーリエが取り乱して叫んでいる。
「我が奴隷を返せ! この呪われた呪殺師が!」
呪殺師と罵られても、ローランは静かだった。
翡翠色の髪を揺らめかせ、背後に広がる森の光を浴びて輝いている。
「アマーリエ殿下。彼らは奴隷ではございません。貴女を恨み、恨みのあまりに浄化の炎を拒んだ怨霊でございます」
「だから、どうした!?」
「彼らはもはや、貴女の呪いには縛られません。返せなどと言わずとも――」
―森の姫君よ。
――お心遣いは嬉しゅうございます。
―――ですが、私たちの安寧はあの者の苦しみにしかございません。
アマーリエが自らの手駒とするために嬲殺した死人たちは、一様に腐れた身体から瘴気を立ち上らせて自らの仇を熱っぽく見つめていた。
ずるりと焼かれた肌を引きずりながら、アマーリエに死人が迫る。
そして、なぜかこの期に及んでもアーベルの霊はじっとアウグストを見つめ続けていた。
「なぜだ! なぜ、兄上がここにいる!? それほど、それほど憎らしいのか!? 貴方を殺したこの俺がそれほど憎いのか!」
答えは無い。
ただ、アーベルはじっとりとアウグストを見つめていた。




