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55 で、殿下ですの?

 あの後、リーズデールの侍女部隊に捕獲されたローランは超特急で磨き上げられていた。

 肌などツヤッツヤのぷるんぷるんで、このところ手入れを怠って痛みがちだった髪は本来の深く澄んだ深い翠の色を取り戻している。


 マッサージのせいだろうか、心地良い疲労感が身体を満たしウトウトとしてくる。

 このまま眠り込んでしまいたくなるのを我慢していると、スッと目の前に濃いめに入れられた紅茶が差し出された。


「ローラン様。これで目をお醒ましください。そんな寝ぼけ眼ではせっかくの晴れ姿が台無しですわ」

「ありがとう、クリスタ。けど……ヘンではないかしら?」


 ローランはどう考えても自分には不釣り合いな高級生地で仕立てられたドレスをつまみ上げながら、にっこりと微笑んでいるクリスタの顔を見上げた。


「大丈夫ですわ。とてもお似合いです。自信をお持ちくださいませ」


 ローランの要望を可能な限り取り入れてくれたドレスの出来映えに文句は無い。

 動きやすい上に露出も少なくとても気に入っている。


 補正具でシルエットを造り大胆に肌を露出させるという、流行のノースリーブドレスとは真逆のコンセプトではある。

 だが、ローランの長く艶やかな限りなく黒に近い翠の髪や体つきを活かすにはこちらの方が間違いないというのがリーズデール専属の仕立屋たちの見解だった。

 

 袖口が広がっているのは舞のイメージらしいが、実用的な意味もある。呪符やら呪術具を隠すには持ってこいなのだ。


 ただし、腰までスリットの入った上長衣で誤魔化されているが動きによっては身体のラインが浮き彫りになる。

 クリスタに言わせれば、それもまた計算のうちということらしい。


 そうこうしているうちに部屋の外からゆったりとした音楽が流れてきた。

 どうやら夜会が始まったらしい。


 廊下に人の声が溢れ、次々に遠ざかっていく気配を感じていると凄い勢いで緊張感が高まっていく。


「殿下、遅いですね。もしかしてご気分でも悪くされたのでは」

「主役は最後にと申します」


 やっぱり出なくてもいいんじゃない? というローランの願望をクリスタがピシャリと叩き潰す。その目は往生際が悪うございますと少し怒っているようだった。


 やがて、すっかり外の気配が静かになってから、思い出したように扉が鳴った。


 ノックと共に開けられた扉か現れたのは、見覚えの無いローランと同じ年齢くらいの少年だった。


 背丈はローランよりも頭1つほど高いが、まだまだ成長の途上という感じで安定性は感じられない。


 必死になって青年になろうとどこか背伸びをしている、そんな印象を感じさせた。


 部屋を間違えでもしたのか、ものすごく驚いた表情でローランをじっと見つめている。


「……そなた、ローランか?」


 だが、少年の口から漏れた声は思いもかけないものだった。


 すっかり聞き慣れた少年の声。


 少し低くなっている気はするが、紛れもないレオンハルト・ロートシルト・カルンブンクルスの声だ。


「あ、あの……もしかして?」

「あ、ああ。というか、そなたこそ、ローラン……であっているな?」


 互いに戸惑っていると、クリスタはやっぱりとでも言いたげな表情でローランに何が起こっているのかを説明してくれた。


「ローラン様。そちらの方は紛れもなく、レオンハルト様でございます。欺刻(ぎとき)の香で少しの間だけ本来の姿に戻っているだけでございます。香の効果が消えれば、ちんちくりんのお子様に戻ります。ご安心くださいませ」

「ちんちくりんは余計だ!」


 唸る声も顔つきも、確かにレオンハルトのものだった。


「フン。どうだ、驚いたか? これでもうお子様呼ばわりはさせんからな」


 ついでにそうやってすぐにふんぞり返るところも、いつものレオンハルトだった。さすがに少しムッときたのでちょっとした仕返しを思いつく。


「殿下。つかぬことをお伺いしますが、お歳はいくつでございましたか?」

「15だ。それがどうかしたか?」

「私は16になりまして、ございます」


 今や自分より上にあるレオンハルトの顔を見つめながら、ローランは軽く胸を張った。こればかりは背を抜かれても越されようが無い事実である。


「……ローラン、それはズルいだろう」

「殿下が意地悪ばかりなさるので、少しお返ししただけですわ」


 少し安心したところで、準備は出来たとばかりにレオンハルトをそっと見上げる。


 フンとそっぽを向いていたレオンハルトが手を差し伸べるためにローランを見つめると、ピタリと動きが静止した。まるで急にローランに触れられるのが怖くなったとでもいうような感じだった。


「どうですか? ローラン様は?」


 イタズラっぽく笑うクリスタを軽く睨んで、レオンハルトは口の中で小さく呟いた。


「……アーベルの趣味が悪い、といったのは取り消す」

「殿下? よく、聞こえませんわ?」

「行くぞ、ローラン。陛下より遅参するわけにはいかないからな!」


 ほとんど勢いに任せて突き出されたレオンハルトの掌にローランは苦笑しながらそっと自分の掌を重ねた。


※ ※ ※


 宮廷の序列としては、帝冠継承候補者は皇太子に準ずるものとして扱われる。


 その中でも、本日ついに最初の証を手に入れたレオンハルトは候補者の中でも最上位であり要するに——レオンハルトとその魔術師であるローランは注目の的だった。


「帝冠継承候補第一位にして第1の証の保持者レオンハルト・ロートシルト・カルンブンクルス公子殿下並びに筆頭魔術師ローラン様、ご入場であります」


 先触れの声が拡声の魔術具を通して、帝城の広大な中庭に響く。

 

 帝国貴族が一堂に会する規模にまで膨れ上がった今日の夜会は、帝城の広大な中庭に面するそれぞれの広間ごとに分割される形で開催されていた。

 個々の広間ではそれぞれに釣り合った同格の貴族が集まるが、中庭ではある種の無礼講が黙認されるという趣向である。


 その中の広間の1つには祖霊たちの仮の宿である武具が所狭しと並べられていた。

 中庭の中にはきっと、彼らもしれっとした顔で混ざっているだろう。

 

 それもまた趣向のうちというわけだった。


「お、いよいよですよ……って、何をサカってるんですか!」


 さりげなくレオンハルトとローランを守れるようにと一足先に会場入りしていたクララは、同じ理由でいやいやペアを組まされたカスパルの耳を思いっきり引っ張っていた。


「い、痛いって! ちょっと声をかけただけじゃないか!」

「そういうことをするな、と言っているのです。ああ、もう。どうして私だけこんな貧乏くじなんですか。それより殿下とローランの番ですよ」

「へえ。エスコートどうするのかね?」


 2人ともレオンハルトが欺刻の香でもって、一時的に年齢を誤魔化しているということまではさすがに聞かされていない。


「ローランのエスコート……はないですよね?」


 はて、と2人して首を捻っているとざわめきと続けて沈黙が一瞬のうちに中庭に広がった。

 最初のざわめきの意味は明らかで、成人に近い年格好で現れたレオンハルトを見てのことだった。

 高価な魔術具にさほど縁の無い下級貴族ならいざ知らず、ある程度の位階にある貴族からみれば、その意味するところはすぐに理解出来る。


「なるほど、たしかにレオンハルト公子の魔術師は妙齢の女性。エスコートも様になりませぬしな」


 などと訳知り顔の囁き声がそこかしこで聞こえてくる。


「うぇ。殿下、欺刻(ぎとき)の香使ったのか! 思い切ったなあ」

「まあ、ローランに釣り合わないですしね。リーズデール様の差配に抜かりはありませんよ。それよりローランです。仮縫いの時はビックリするぐらい綺麗でしたけど……」


 レオンハルトは公国の旗色である赤を基本とした帝冠継承候補者の正装を纏っていた。

 もっとも赤とは言ってもそうと知らなければ気がつかないほど、深い赤なので煩い感じは全く無い。


 いつもの年格好なら完全に服に負けていただろうが、今の姿にはとても似合っていた。


 リーズデール工房ローラン魔術工房のコラボによる布を使った2人の一体感は言うまでも無い。

 まるで、2人のいる場所にだけ月光が当たっているかのような不思議な調和がある。


 ローランのドレスにしても、彼女の魅力を十二分に引き出した深いエメラルドグリーンの異国情緒なデザインに隙はない。


 他の貴族の令嬢のような補正具で作り込んだシルエットでない分だけ、彼女にしか出せない品格のようなものが漂ってくる。


 だが、問題はそこではなかった。


「……なんか、目の錯覚ですかね?」

「クララもか?」


 なぜか、ローランに意識を向けるとそこだけが帝城の中庭では無く深い森の中になってしまったかのような錯覚を覚えるのだ。


 そして、ローランとレオンハルトが歩を進める度に幻想の森の中に一瞬だけ死人の姿が浮かび上がる。

 それは試しの塔で見たような悍ましい姿では無く、生前のそれと変わらない姿にクララには見えた。


 ざわめきはやがて沈黙へと変わり、奇妙な静けさのまま2人が帝冠継承候補者第1の座として用意された場所に落ち着くと幻想の森も消え去った。


 ようやくざわめきを取り戻した中庭に、先触れが皇帝の入来を告げる声が響く。

 

 長く語り継がれることになる夜会が始まりを告げた。



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