46 呪術師とその主 〜慰霊祭前夜〜
やるべき事はすべてやったという実感はある。
それが試練に通用するかどうかはわからないが、少なくとも最高の準備でこの日を迎えられたことには自信があった。
あとは最後の仕上げを待つだけだ。
窓の外の明かりを眺めながら、その時を待つ。
やがて、静かに扉が開かれ軽やかな足音が近づいてくるのがわかった。
「殿下。お待たせいたしました」
すっかり聞き慣れた声とともに背中から、さらりと銀鎖がかけられた。
胸元には赤銅色のペンダントトップ。
嵌まっている宝石はほのかに光を放つ紅炎石。
その源はレオンハルトの魔力の光だ。
「このペンダントは殿下の魔力をいかなる時であっても、最大最高の力で引き出します。簡単な護りの術式も組み込まれておりますから、殿下の御身をお守りする役にも立つはずです。今の私の最高傑作ですわ」
「魔術師ローランの最高傑作か」
手の平でペンダントを包み込むと、力が湧き上がってくるような高揚感を感じる。
たしかにこれは最高の魔術具だ。
だが、ローランは静かに首を振った。
「いいえ、殿下。魔術師ローランではございません。呪殺師の長、蒼天の蒼、天青石の娘。深樹の翠、琅玕の最高傑作ですわ」
聞き慣れない異国の響きには聞き覚えがあった。
あの死人の村で、ローランがその本当の力を使った時に名乗った名だ。
普段、使うことの無いその名前は、おそらく真名とでもいうべき大切な名に違いない。
「良いのか? 俺にその名を名乗っても。ローランの国の習わしは知らんが、おそらくは真名だとか秘名の類ではないのか?」
「そんな大それたものではございません。それにこの名はまだ真名でもないのです」
そういうと、ローランは自分の国の言葉で名乗った名前を手元の羊皮紙に書いて見せた。
「今は『琅玕』。正しくは『琅玕』でございます。まだ、今の私には名乗る資格はございません」
ローランはあえて読みは教えずにいたずらっぽく笑ってみせた。
「……すまんが、違いがわからん」
「字は同じですもの。読み方がほんの少しだけ違うのです」
思わず、解るか! と声を荒らげそうになる。
しかし、そんな一時の感情はローランの表情を見てあっさりと落ち着いた。
「殿下の仰る真名は、私が母様から完全に全てを継承した時に初めて名乗れるのです。呪殺師の長、蒼天の蒼、天青石の娘ではなく、私こそが長となったその時に」
ローランはまだまだ半人前でございますと小さく笑った。
その、どこか自嘲めいた笑顔には覚えがあった。
それは、友のことを誰かに語る時のレオンハルトの笑い方そのものだった。
(そうか。ローランも、か)
ローランは半人前なのではない。半人前で居たいのだ。
継承出来ないのでは無い。継承したくないに違いなかった。
それはきっと、彼女と母の決別を意味する儀式になる。
アーベルとの思い出が痛かったレオンハルトには、それがすんなりと腑に落ちた。
いや、惜別の念はレオンハルトよりも強いだろう。
無二の友とは言え、レオンハルトには家族もいれば信頼すべき臣下も多い。
だが、ローランには何も無い。
たった1つの家族さえも、その家族自身が奪い去ってしまった。
呪殺師、という忌まわしい響きの系譜でさえ、今のローランの唯一の寄る辺だ。
「そうか。その真の名前というのをいつの日か是非とも聞いてみたいところだな」
いつかはその日が来る。
が、急かすまいとレオンハルトは心に決めた。
「あら、殿下。もちろん秘密ですわ」
「なんだそれは」
「殿下の真似です。殿下は秘密が多いのですもの」
そういえばローランに自分の知らない謎が多いことに少し腹が立って、そんな意地悪をしてしまったことがあった気がする。
だが、これはちょうど良い機会かもしれない。
「なら、秘密と秘密を交換でどうだ? もちろん、俺の先払いだ」
「殿下、どうしましたの? 珍しく気前がよろしいですわね」
「金貨じゃないからな。先払いでも腹は痛まん」
あら、残念と肩をすくめるローランに少しほっとしながら言葉を続ける。
「金貨なら、もう少し粘るが、今回は特別だ。俺が皇帝になっても待っててやるさ」
どうだ? と尋ねると、少しだけ考えてからローランはうなずいた。
「殿下の秘密と交換。私の真名は後払い。ええ、それなら釣り合いますわ。いつになるかはわかりませんが」
「よし、取引成立だな。俺には友と呼べる男が1人いたのだがな――」
その男は帝冠継承候補者となったばかりのレオンハルトの元に教育者として現れたこと。
その男には婚約者がいたこと。
その男には弟がいたこと。
そして、その2人と自分を残して死んでしまったことをレオンハルトはローランに語って聞かせた。
思い出を交えながらのその話はずいぶんと長い話になってしまったが、ローランは口を挟むことなく、じっと耳を傾けていた。
「その男の名はアーベル・ハーデン。婚約者はローラン・フッガー。弟の名はアウグスト・ハーデンというのだ」
そう締めくくったレオンハルトが見たローランの顔は、まさにレオンハルトが期待していた表情そのものだった。
(それにしても、まさかアーベル。お前の婚約者が、俺の魔術師になるとはな)
そのためにアーベルがローランを婚約者に選んだ、というのはさすがに考えすぎだろう。
だが、アーベルが紡いだ不思議な糸は切れることなく、こうしてここにある。
パクパクと口を開け閉めして絶句するローランの表情を思いっきり楽しみながら、レオンハルトはアーベルの事を語る時にもう心が痛まなくなっていることに、ようやく気がついていた。




