35 殿下。頑張るのは良いですが、最近ちょっと意地悪になってませんか?
「それでは、行ってくる」
「ご武運を」
少し違う気もするが、この言葉以外にかけるべき言葉をローランは思い浮かべることが出来なかった。
たかが通過儀礼とは分かっているが、やはり待つだけの身はもどかしい。
打てる手は打ったとは思う。それは魔術師団の長であるクラウスも筆頭侍従のセバスティアンの意見も一致している。
だが、どれだけ周到に対策を練っても100パーセントはあり得ない。
そんな不安が顔に出ていたのだろう。
レオンハルトはポンと自分の身体を叩いて、ニッカリと笑って見せた。
その身体にはローランが書き込んだ、息継ぎの術式が隠されている。
「どうした。そんな顔をするようなことか。これから先が保たんぞ。枯れ木みたいな顔をするな。ただでさえ糸杉みたいなんだからな」
「殿下。最近、少し意地悪になってきてませんか?」
憎まれ口を叩いているうちに、ようやく泡立っていた心が静かになってきた。
今なら、笑って言える。
「それでは行ってらっしゃいまし」
「行ってくる。明日の朝、また会おう。セバスティアン! 明日は執務は休むからな、そのつもりでいてくれ」
「もとより、明日の予定など入れておりませぬよ」
苦笑しながら応じるセバスティアンの表情を確かめることもせずに、レオンハルトは塔の中へと姿を消した。
重々しい音を立てて、扉が閉ざされる。
塔の試しが始まった。
「始まりましたね」
そう呟いたクララに硬い顔で頷く。あとは、待つしか出来ることはない。
こればかりは誰も代わりに引き受けることの出来ない、レオンハルトだけの試しの儀式なのだ。
「さて。儂らも1度引き上げるか。明日、夜が明ける頃にここに集まるように。夜が明ければ、いよいよ殿下も本格的に帝冠継承候補者として動かねばならん。忙しくなるからの」
だが、ローランはクラウスの言葉にも関わらず動こうとはしなかった。
「ローラン?」
「私はもう少しここにいます」
クララが何かを言いかけたようだが、それをセバスティアンが遮った。
「そうですか。あまり無理はしないでください。これから一番、忙しくなるのはあなたですよ、ローラン」
ローランは黙って頷くと、再び塔を見上げた。
※ ※ ※
いつのまに眠り込んでしまったのだろうか。
ふと、気がつくと中庭から見える空はうっすらと青さを増しつつあった。
見上げれば、薄明の中に試しの塔が影絵のように浮かび上がっている。
夜明け前のほんの一時の静かな時間。
もうすぐしたら、皆が集まってくるだろう。
腕に軽い重みと温もりを感じて視線を落とすと、そこには暗がりでも間違えようのない鮮やかな赤毛の少年がすぅすぅと寝息を立てていた。
「で、殿下?」
「ん? ああ、じきに夜明けか。っと、ついつい、うとうとしてしまった」
ローランにもたれかかったまま、んーっと伸びをするレオンハルトをよそに慌てて背後の塔に目を向ける。
気がつけば、試しの塔の扉は大きく開け放たれていた。
「どうしてここに? 試しはどうなったんですか?」
「とっくに終わったぞ。だから、ここにいるんだろうが。やはり肝試しだな。あの村に比べると大したことは無かった」
「そ、それはそうでしょうけど。いつ終わったんですか?」
ローランとクララの時は塔の扉が開くのはもっと遅かった。
待ちかねたクラウスがヤキモキしながら待っていたほどだ。
「真夜中だな。やることもないので、ぼけっと見ていたら勝手に死霊どもが消えていってな。構ってやらなかったので拗ねたのかもしれん」
「拗ねるって、子供じゃないんですから」
レオンハルトの言葉で試しが予想外に早かった理由の察しがついた。
要するに恐がれば恐がるほど、死霊たちが消え去るのに時間がかかるのだろう。
ローランはともかく、クララの怯え方が尋常ではなかったから遅くなった。
(息継ぎの呪術も必要なかったみたいですね)
上へ上へと追い立てられるどころか、随分と余裕だったようだ。
少し寂しい気もするが、役に立たないに越したことは無い。
だが、それはそれとしてだ。
なぜ起こしてくれなかったのか。こんな場所で一緒に寝こけているなんて……。
この辺りは亡霊が塔からはみ出て徘徊する、などという噂もあって深夜には人っ子1人いなくなる。見張りの衛士も少し離れた場所を巡回しているから良かったようなものの。
もし、人に見られたら恥ずかしいなんてものではない。
2人揃って、バカみたいではないか。
とくに魔術団の皆に見られでもしたら、どうするつもりだ。
「それで、殿下。終わったならどうして起こしてくれなかったんですか」
むぅっと膨れながら文句を言うローランにレオンハルトは「秘密だ」と笑ってみせた。
この日、レオンハルトは帝冠継承候補者の試練へ挑むことを許された。




