2 それではここから稼ぎましょう
アルマから受け取った護符は柔らかい金属の糸で編んだ布に精緻な魔法陣を施したとても凝ったものだった。
よくよく目を凝らせば、ぼんやりと青白く糸の一本一本が魔力を帯びているのがわかる。こんなことは普通の金属ではありえない。
「え? ちょっと……まさかミスリル銀!? 嘘でしょ? バカじゃ無いの!?」
ミスリルと言えば、押しも押されぬ魔術素材だ。魔法と馴染みやすく、どんな魔法も込めることが出来る。それだけに値段もまた素晴らしい。
こんなものを使えば、確かに金貨が吹っ飛んでもおかしくはない。
おかしくはないが、たかが低級妖魔を退ける程度の護符にこんな高価な素材を使う理由がわからない。
マジマジと護符に刻まれた魔法陣を指でたどったローランは、やがて母から教わった東方式の呪術とヘプトアーキー帝国で使われている西方式の魔法は発想が根本から異なっていることに気がついた。
「なんて、もったいない……」
東方式では目的に合わせて、術式を組む。呪術者のレベルに大きく左右されるが、シンプルで無駄が無く、何よりも懐に優しい。
一方、アルマが壊してしまった西方式の護符は術者のレベルに左右されないように素材でカバーしていた。
これでは確かに爵位持ちの貴族ぐらいにしか手を出すことは出来ないだろう。アルマが真っ青になるのもよくわかる。
「ねえ、アルマ。この国の魔術具って、みんなこの護符のように高価なのかしら?」
「そ、そんなに詳しくはないですけど……私みたいな身分の低い者に預けるぐらいですから、きっと他の魔術具はもっと高価だと思いますよ?」
「それじゃあ、領地や爵位を持っている貴族はともかく、下級の貴族や平民には手が届かないんじゃないのかしら?」
生まれ故郷のことはもうボンヤリとしか覚えていないが、少なくとも呪術が貴族の専売特許だったという記憶は無い。
魔物や泥棒除けの呪術具はちょっとした商会なら、どこでも当たり前のようにつかっていたはずだ。
「魔術具なんて高価なもの、平民や下級貴族が使えるわけないじゃないですか。普通は縁なんかないですよ。せいぜい、ポーションだとか毒消しだとか、ちょっと魔法で加工したお薬ぐらいです」
「嘘でしょう……」
ローランなら、もっと安価に色々な魔術具を作ることが出来る。
この国とは系統の違う東方式の呪術を母から受け継いだということもあって、あえてこの国の魔法には触れずに来たのが仇となった。
よもやこんなところに商売の種が転がっていようとは。
「……不覚だわ。私ともあろうものが、まさかこんな金貨の生る木を見逃していたなんて」
「え?」
おもわずドスの効いたローランのつぶやきに、アルマは思わず顔をあげた。
「ねえ、アルマ。私はこう見えても、附呪の魔法を使えるのだけど。良かったら、もう少しマシなものを作ってあげましょうか?」
アルマの護符は素材こそ高価だが、魔法陣から読み取れる術式は大したものではない。ローランからみれば、見習いの習作レベルだ。
「ほ、本当ですか! い、言っておきますけどお金無いですよ、アタシ!」
「5枚」
バッと喜びに顔を赤らめたアルマにローランはズバッと対価を告げる。
いくら獄中生活で世話になっているとは言え、ローランの商魂が「タダ」という言葉を許さない。正当な対価は必要だ。
それでも金貨10枚に比べればタダのような値段である。
だが、アルマはローランの告げた価格を魔術具の常識的な価値から金貨と判断したらしい。崖から突き落とされた羊のような悲鳴をあげてローランにすがりついた。
「だから、お金無いって言ってるじゃないですか! 金貨なんて5枚でも10枚でも同じです! もっと安くしてくださいよう!」
「金貨!? 銀貨に決まってるでしょう。金貨を貰うほどの仕事じゃないわよ。それに貴女にはいろいろとお世話になってるわけだし。まあ、お友達価格で、そうね……今回限りで3枚までは考えてもいいけど」
思わずアルマの迫力に気圧されて、さっそく値引いてしまう。
ローラン自身は自分に商才があると信じているが、実はあまりこちらの才能はないのかもしれない。
それはともかく、銀貨と聞いたアルマはローランにすがりつく腕に力を込めてさらに、にじり寄った。
「ほ、本当ですよね! 嘘だったら怒りますよ! ご飯抜いちゃいますよ!」
「ほ、本当よ。疑うなら後払いでもいいから、どうかしら?」
「買います! 銀貨3枚は痛いけど、金貨よりずっとマシです!」
「あの、5枚が適正な……」
「3枚ですよね! ありがとうございます!」
押し切られてしまったが、とりあえず商談は成立した。
なんとなく、巧妙に値切られただけじゃないかしらと納得出来ない気分は残るものの、契約は契約である。
ローランは粗末な寝具の布を切り取ると、そこに必要な素材を書き出した。
「悪いけど、これを用意してくれないかしら。何しろ、何もないから……」
「高価な素材は無理ですよ。ええと、羊皮紙にインク。それから筆? 筆って絵筆ですか?」
「ええ、大丈夫よ。その代わり、出来るだけ細いものをお願いね。それからインクはなるたけ黒いものを。青いのや茶色のは使えないから気をつけて」
「これだけですか? ミスリルも宝珠も何もなし?」
「ええ。これなら銀貨5枚も納得でしょ?」
狐に化かされているような顔つきで、なんども書き付けとローランの顔を見比べる。ややあって、半信半疑といった感じでアルマはこくりとうなずいた。
「良かった。それから、これはお願いなんだけど……もし、私の作る護符に満足してもらえたら仕事仲間に宣伝してくれないかしら? もちろん、手数料は払うわよ?」
「それはいいですけど……何か意味があるんですか?」
「地獄の沙汰もお金次第っていうでしょ?」
いまいち、ピンとこないというアルマにローランはにっこりとうなずいてみせた。確かに囚人がお金を稼いでも使い道が無いと普通は思うだろう。
だが、ローランには別の思惑があった。
おそらく、ローランに下される判決は奴隷落ちだろう。
シルヴィアが伯爵家に嫁ぐという契約がなされている以上、ローランが死罪となることはないはずだ。
死罪となればさすがにフッガー男爵家も咎が及ぶ。
それは義妹も義母も避けたいに違いない。
(奴隷ならば、買えるのよね。問題は私の値段だけど……)
金銭で売り買いされる奴隷ならば、自分自身で買い取ることも理論的には可能だ。問題はローランにいくらの値が付くかということだが、オークション形式で売り飛ばされるので、こればかりはわからない。
(さ。頑張って稼がないと!)
これ以上、あの義妹や義母の思い通りになってたまるものか。自由を手に入れて、なんとしてもアウグストから母の形見を取り返すのだ。
ローランは気合いを入れると、冷え切った食事にナイフとフォークを突き入れた。