幕間① アウグスト・ハーデン伯爵とシルヴィア・フッガー男爵令嬢
義姉が罪を得て、断罪の塔に押し込められたと聞いたシルヴィアは長いこと喉につかえていた骨がようやくスルリと取れた気がしていた。
「アウグスト様。また、お聞かせくださいまし」
「またか。まあ、良い。聞かせて差し上げよう」
アウグスト伯爵の白く長い指が、シルヴィアの白金のような髪をくしけずる。
未だ婚礼は済ませていないが、すでに閨で床を共にする仲となっていた。シルヴィアの母はもちろん、フッガー家の当主である義父を含めて咎めるものは誰も居ない。
「それであの女はこれから、どうなりますの?」
「あと三月ほどは塔の中だな」
「その後は?」
「奴隷として売られる。さて、誰が競り落とすかまでかは分からんが」
ローランが鎖に繋がれて、家畜や物のように売られていくところを想像しているのだろう。
シルヴィアはうっとりと視線を宙に彷徨わさせたあと、ステキだわ! とアウグストに抱きついた。
裸のままのシルヴィアを抱きかかえたアウグストは、そっと指でその肌に呪文をなぞる。
シルヴィアは幸せと得意の絶頂でまるで気づいていないが、アウグストはシルヴィアに呪いをかけていた。
(ここまで手を入れねば、ろくに魔力も吸えぬのだから出来の悪い娘だ)
なにしろ、出戻り女の娘である。
ヘプトアーキーの子爵家ならば、それ相応の魔力を血に宿しているはずなのに、シルヴィアの血にはまるで魔力が宿っていなかった。
出がらしである。
「あら。アウグスト様。もう日は昇っていましてよ?」
そんなことも気がつかず、シルヴィアはくすぐったそうに笑っている。きっと、愛撫の好きな方とでも思っているのだろう。
毎夜毎夜、気をやったあとにアウグストがシルヴィアの染み1つない身体から魔力を搾り取っていることなど想像もしていないに違いない。
「ところでアウグスト様。わたくし、1つお願いがございますの」
「ん? どうした。シルヴィア、婚約者の願いだ。なんとでも叶えてみせよう」
芝居がかった口調でアウグストは優美に礼で応じる。その一挙手一投足にシルヴィアはうっとりと見惚れていた。
「アウグスト様。わたくし、あの女が売られるところ見たいのです。一山いくらの端女のように引きずられていくところが。願うならば、ボロ布のように辱められて捨てられるところもみたいのですけれど――」
さすがにそれははしたないですものね、ととても残念そうにつぶやいた。
婚約者とは言え、結婚もしていない身で閨を共にしてはしたないも何もないものだが、そこは彼女にはどうでもいいのだろう。
「なんだ、そんなことか。もちろん、構わないとも。貴族の咎人の競りは見世物ではないが、そなたも無関係とは言えぬ。侯爵閣下にお願いして差し上げよう。他ならぬ未来の妻の頼みだ」
「ありがとう存じます、アウグスト様」
「ただ、シルヴィア様。未だ護符を交わさぬ間柄でこのような頼みをするのは例に反しているとは思うのだが。1つ私からも頼みがあるのだが」
遠慮がちに下手に出てみせるが、断られないのは最初から分かっている。閨を共にするようになってから、そう仕込んできたのだ。
「ええ。もちろんですわ。夫を妻が支えるのは当然ではないですか」
「そう言ってくれると助かる。実は私のお仕えしている主のことだが、いよいよ帝冠の継承候補として名乗りを上げると心に決められたようなのだ」
帝冠継承候補と聞いて、シルヴィアはぽかんと間抜けな表情で動きを止めた。
「シルヴィア。聞いているか?」
「え、ええ。アウグスト様。それはつまり、アウグスト様のご主人様は次の皇帝陛下ということなのでは?」
「首尾良く試練をくぐり抜ければ、そうなる」
シルヴィアの表情が驚きと喜びに凍り付き、まるでゼンマイを巻きすぎた絡繰り人形のように激しく騒ぎ出した。
「素晴らしいことですわ! アウグスト様! そうなれば、アウグスト様ももっとお力を持てますわ! 素晴らしいですわ!」
「そう言ってくれると信じていた」
「ええ、もちろんですとも! お母様が男爵家などという格下のお家に嫁がされ、お母様とフッガー家に来てみれば、妙な異国の平民がお嬢様などと呼ばれて、しかもアウグスト様の婚約者だなんて、この国はどこまで狂っていたのだろうと絶望していましたのに。やはり、神さまは全てを見ておいでですわ。アウグスト様。わたくしに何を望まれますの? わたくし、何でもいたしますわ!」
その話はまた後で詳しく話そう。
そう言って、アウグストは嬉しさのあまり気絶しそうになるシルヴィアを落ち着かせた。
(これで、足りぬ魔力ももう少しは絞れるか)
こっそりと魔力をかすめとっていては、いつになったら魔術に必要な魔力が溜まるかわかったものではない。
であれば、意識的に協力してもらえば良いだけの話。
どうせ、子爵家で持て余された出がらし女の娘だ。伯爵家には家格も魔力も釣り合わない。絞れるだけ絞って伯爵家の礎となってもらおう。
そんな考えはおくびにもださず、アウグストはシルヴィアの首筋にそっと指を伸ばす。
くすぐったそうに首を竦めるシルヴィアは、ふと思いついたように首をかしげた。
「そういえば、アウグスト様はどうしてあの女を妻にと望まれましたの?」
「ああ。シルヴィア様にはお話していなかったか。私には兄がいたのだ。数年前に死んでしまったが、あの娘を妻にと望んだのは兄上だ」
中央の高位貴族だというのに、一公国の公子に仕えた変わり者。
伯爵家の跡取りにもかかわらず、魔力を持たぬ貴族としては完全無欠の落第貴族。にも関わらず、兄に期待する貴族は多かった。
皇位を競い、常に互いを敵対視している公国と公国の仲を取り持ち、難しい外交問題を難なく解決し、帝国を敵視する大陸諸国が裏で糸を引く地方の反乱を見事に鎮圧してみせる。
魔力を持たないということを除いて、アウグストの兄は完璧だった。
その完璧な兄が惚れ込んだのが、カルンブンクルス公国の公子とローランだ。
「兄上が亡くなられ、私が爵位を継ぐことになった時に一緒に兄上の婚約者だったあの女もくっついてきたのだよ。私は兄上ほど趣味は悪くない」
「そうでしたの。それですっきりいたしました。結婚は家との家の結びつきですものね。意に染まぬご婚約、アウグスト様のお辛い気持ち、お察しいたしますわ。アウグスト様があんな女を妻に望むはずがございませんものね! けれど、兄上様、本当に趣味がお悪うございましたのね。アウグスト様が伯爵家を継ぐこととなったのは幸運ですわ」
シルヴィアは軽い気持ちでアウグストに迎合しただけだったのだろう。だが、その一言はアウグストの逆鱗に触れた。
「シルヴィア。兄上のことを語ることは許さぬ」
つっと撫でていた指をシルヴィアの肌に突き立てる。そのまま激情に任せて、ツメから呪いを流し込んでいく。ローランの母の墓より暴いた東方の呪いだ。
この国の魔術では解呪はもちろん、発見することも叶わない。
人の心を操り、己の命も魂も顧みなくなる呪いがシルヴィアに注がれる。
「い、痛いですわ……アウグスト様……!」
「シルヴィア。もう一度言う。兄上のことを語るな」
なぜ、あの時、自分は敬愛していたはずの兄を手にかけてしまったのだろうか。
それを打ち消すようにあれから、何人もの人間を殺めてきたが兄に手をかけた罪悪感はまるで薄れることはない。
「アウグスト様、お許し下さい!」
これ以上は殺してしまう。という直前でアウグストはシルヴィアから手を放した。
粗く息をついてベッドに伏せるシルヴィアの上から優しく覆い被さる。
「すまない、シルヴィア。兄は私にとって、今でも敬愛するただ1人の兄なのだ。いくら貴女の口からでも兄を悪し様に言われるのは――苦しい」
「い、いえ。そうと知らず、アウグスト様の傷に不用意に触れたわたくしが悪かったのです」
シルヴィアの声を聞きながら、アウグストは彼女では無くその遙か先に目を向けた。
そこには今まで手にかけた死者達がアウグストを見つめている。
その死者達の奥の奥。埋もれるようにアウグストの兄、アーベル・ハーデンの髪がちらりと見えた。
そして、この娘もあそこに並べれば兄上の姿はもっと隠れるだろうかと考えた。




