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19 取引をいたしましょう。貴方は貴方が望むもの。あの娘はあの娘に必要なもの。

 考えて見れば、場違いな男だった。

 兵や騎士の亡霊たちも、アイラという名の少女も、等しくもがき苦しんでいる。

 だが、この男だけはその苦しみの外にいた。

 少女も兵士たちも人の容ではいられないからこそ、骸の姿となる。生きているからこそ、苦しいのだ。


 だが、この男だけは違っていた。

 この男だけは朴訥そうな農夫の姿で、この世界で1人安らかだった。


「この世界はアイラの復讐の世界ではないわ。アイラをこの地に縛り続けて、死者たちを維持するための世界。アイラが復讐にこだわり続ける限り、死者達は解放されることはない。その死者の中に貴方がいる」

「オラ、死んでないだよ。ああ、死んでないだ。ご覧の通りだ!」

「いいえ、貴方はもう死んでいるわ。貴方がそれを認めないだけ」


 人は魂魄からなると、ローランの母の祖国では教えている。魂は心を支え、魄は身体を支える。この男には魂しかない。魄が綺麗さっぱり消えている。

 つまり、この男の身体はとっくに朽ちている。


 だが、男はローランの言葉を鼻で笑い飛ばした。


「馬鹿言うでねえだ。オラこの通りピンピンしてるべさ! アイラさんみたいに腐れた身体から骨も見えてねえ! そこで満足して消えていってる亡霊どもみたいに死にたいと思って消えたりしねえ!」

「それは貴方がそうだと思い込んでいるだけ」

「おめぇが思い込んでるだけだべさ。こうでなきゃ死んでるなんてのは思い込みだ。オラはこの通りだ。ずっとずっと、この通りだ」


 男は嘯くと、どうしていいのか分からないように棒立ちになっているアイラを見て首をかしげた。


「アイラさん。どうしただ。はやく、その娘さんをぶっ殺すだよ。坊ちゃんからでもええだ。とっととこんな茶番は終わらせるだ。せっかく、アイラさんの遊び相手が出来たと思っただに、とんだ疫病神だったべさ」

「ねえ……。みんな居なくなってしまったわ……。お友達がみんなみんな」


 窪地を埋めていた亡霊はすっかり姿を消して、代わりに墓標のように様々な剣や槍や鎧が転がっていた。

 みな、眠りについている。

 いずれ、この依代をそれぞれの故郷に帰さねばならないが、それまではこれらが彼らの仮初めの家となるだろう。


「殿下。お疲れ様でございました」


 荒い息を吐きながら、それでも満足そうな笑みを浮かべるレオンハルトを労う。


「あれだけの数、大変だったでしょうに」

「そうでもない。みな、休みたがっていたからな。そうだな。坂を転がり落ちようとする玉を軽く指で突いたようなものだ」


 みな、自分から炎を潜っていったらしい。レオンハルトはただ、炎の門を維持さえしていれば、それで事足りたと笑った。


「アイラ。あとは貴女だけ。あなたがどこで呪術を学んだのかがわかれば、みな帰るべき場所に帰れるわ。けど、貴女の思い出はすっかりそこの男に弄ばれてしまったようね」

「お姉さん。私の知っている村はここだけよ」

「ええ。そうね。だから――貴方に聞くとしましょう。貴方が知らないわけはないわね。貴方が攫ってきたのだもの」


 ねえと微笑むローランから、男は一歩後ずさるとクワを振りかぶった。


「オラが言うと思うべか? アイラさんが居なくなりゃここは終わる。終わらせねぇだぞ。オラがどんだけ苦労してこう仕向けたと思ってるだ!」

「ローラン。話すだけ無駄だぞ。こういう手合いはな。自分のこと以外は心底どうでも良いという手合いだ。身体に言うことを聞かせるに限る。少し炙ってやればいい。すぐに囀り出す」


 再び、腕に炎を纏おうとするレオンハルトの肩をそっとローランは押さえ込んだ。


「殿下。その男に殿下の炎はもったいのうございます。その男に相応しいモノを私が用立てましょう。そして、代わりにアイラの故郷を買いましょう」

「な、なんだべ。お前に何が出来るんだべ!」

「ご存じですか? 人の魂は3つに重なっておりますの。1つは死ねば天に帰ります。1つは死ねば地に潜ります。残った1つは地上を彷徨いやがて消え去ります。こうして、人は完全に滅するのです。ですが――滅しない魂を差し上げましょう。この世が果てても滅せぬ魂を。皆さま、手伝っていただけますか?」


 誰に言うともなく、どこかに向かってそう告げた。


 下弦の月がローランを照らし出し、影法師が四方八方に無数に伸びる。

 伸びた影法師は厚みを持ち立ち上がり、そして男に絡みついた。


 それは、やはり無数の死人の姿だった。


「皆さま。起こしてしまい申し訳ございません。呪殺師の長、蒼天の蒼、天青石(ティアン・ティシー)の娘、深樹の翠、琅玕(ロウガン)が助力をお願い申し上げます。さあ。取引をいたしましょう。貴方には貴方の望むもの。代わりにアイラの故郷の記憶をいただきましょう」



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