黒の棟梁
一方その頃、黒鬼がおさめる黒妖市にて黒鬼の棟梁である黒芭は...
「ハッックショーン」
執務室で盛大にくしゃみをしていた。
辺りには書類がヒラヒラと宙を舞っている。
机の上以外にも床や本棚の上など足の踏み場もない程の書類が積み上がっており、部屋を埋め尽くしている。
その中心で背丈に合わない大きな椅子の上で必死に書類に目を通す少年が一人。その檸檬のような色の瞳の下にうっすらと紫色の隅を作っている。
「終わらないっ!!」
ドンッ
黒芭は行き場のない怒りを机へとぶつける。
見た目は少年と言えど、すでに成人しており、役職は棟梁。当然ながら机は壊れ、書類はまた宙を舞う。
「...出掛けよう」
そう言って黒芭は崩れ落ちた書類を踏みながら執務室を出た。きっとこれを彼の部下が見れば卒倒していただろう。執務室を出ると部下達が揃いも揃って青い顔をして忙しなく走り回っている。
「なぁ、君」
そのうちの一人に声を掛ける。
「なんでしょうか?」
「いや大した用ではないんだけど、出掛けるから留守は頼んだよって言おうと思って、みんな忙しそうだし、他のみんなに伝言頼んだよ」
「はい。それは良いのですが、書類の確認は終わりましたか?」
「......まだ」
「でしたら外出はまた後日にしましょう。でないとまたみなさんが倒れますよ。既に死んでいるとは言えキツいんです!!精神的に!!」
「それは......申し訳ないと思っている。......分かった。ちゃんとやってから出掛けることにする...」
「それは良い心掛けです!!」
部下の男はぱぁぁと明るく笑う。
が、その目の下にはやはり黒芭と同じく紫の隅が三日月を作っている。
「俺は子供ではないんだが...」
「知っていますよ。あなたが子供ではないことくらい。仮に子供だったのであれば今頃、黒妖市は荒れ放題だったでしょうし、あなたがきちんと仕事をしてくださるからこそ、こうして機能しているのですから」
「そうだね......」
そうして再び黒芭は渋々執務室に戻った。
ドタドタドタ......
執務室に戻ってから早数時間、書類を片っ端から処理しているにも関わらず減っている気がしない。むしろ増えているようにも感じ、一休みしていると部下達にしては音が大きく、乱雑な複数の足音がする。
「面倒事か...」
そうして黒芭は再び執務室を出る。
長い廊下の先、大広間から品性の欠片も感じられない怒気を孕んだ乱暴な声が聞こえる。幸いなことにこの辺りに部下達は居ないようだ。
「黒渦壊侵!!何処だ!!出てこい!!」
「この恩知らずが!!のうのうと生きていられると思うな!!」」
「裏切り者がいつかの報い今ここで贖え!!」
賊共が口々に言う。
「聞くに耐えない声を出すな。気分が悪い。」
少年の身体から発せられているとは到底思えない低い声だった。黒芭の瞳には一縷の光も宿っていない。賊共に向けるその視線には軽蔑や嫌悪と少しの諦めが滲んでいる。
「なら耳を切り落としたらどうだ!!」
冷静さを欠いているのだろう。賊共は一瞬顔を歪ませたがその後得意気に言葉を吐いた。それもまた黒芭を刺激する。
「うるさいな...黙れと言っているんだ。聞こえなかったのか?聞こえないのであれば必要ないな?貴様こそ、その耳、切り落としたらどうだ?」
「なんだと!?言わせておけば!!」
賊共は腰に穿いた剣を抜き黒芭に一斉に斬りかかる。
「ふん。雑魚共が、数で勝っているからと言って俺に勝てるとは限らねぇのによ。必要ないのは耳だけではなかったようだな。」
懐から短刀を取り出し黒芭は不敵に笑う。
賊はパッと見ただけで15人ほど、それ程多くはないが一人で相手取るには少し手が掛かる。
そう思った黒芭は最初に斬りかかってきた三名の両足を短刀で切り落とし動きを止め、片目をそれぞれ左手で潰し失明させ二名戦闘不能にした。残った10名は一瞬躊躇いを見せたが尚も向かってくる。
黒芭の動きは軽くしなやかで賊共の攻撃を寸前のところで器用に避けていく。掠り傷一つ付けられないその事実に焦り、賊共の剣はどんどん乱雑になってゆく、果てには味方同士の剣がぶつかり自滅してゆく始末。
「呆れて物も言えない」
黒芭はポツリと呟いた。
それもそうだ。
賊共は揃って黒芭に怪我を負わすことも叶わず次々と床に伏してゆく。黒芭にとって呆れるには十分すぎる理由だ。
普段執務で殆ど外に出ることもなければ戦うこともしない。その上現在は少年の姿。だからとは言え、仮にもこの黒妖市の主。同族といえどもその実力差は明白だ。それを知ってか知らずか...随分となめられてしまったものである。
「"黒渦壊侵"という通り名を着けたのは貴様らであろうに」
その言葉は自嘲と軽蔑そして哀しみが含まれていた。
暫く経って異変に気付いた部下達が広間へやってくる。
「黒芭様!!」
「ご無事ですか!?」
先程見た時より更に青い顔をした部下達が物凄い剣幕で黒芭のもとへ集まる。
「見ての通り無事だ」
先程までの嫌悪にまみれた表情はなりを潜め、その顔はいつもの笑みを携えている。
――
例の任務から数週間...青鬼、雨音の屋敷
「お疲れ様です!」
「お疲れ様で~す!」
空と陸が二人揃って挨拶をしている。
雨音と空と陸も誘って水清妖市にでも行こうと前々から話しており、今日がその約束の日で現在、支度中なのだ。あとは雨音だけだな。
それにしても、この双子、顔こそ似ているが他はあまり似ていない。
真面目で天パ、真ん中分けが空。
軟派でストレート、七三が陸。
我ながら見分け方がどうかしてる。もっと他に例えようがないのだろうか。ここでも自分の語彙力の無さが遺憾なく発揮されてしまう...
「お疲れ様、終わった。」
雨音が支度を終えたようだ。
「じゃ行くか!」
「で?今日は何処にいく?」
陸が楽しそうに話を繋いでくれる。
「そうだね。まずは古書店に行くのはどうだろう?」
雨音は期待を含ませた声で言う。
「良いですね!!そうしましょう!」
それに空が嬉々として返事を返す。
本が好きな雨音と空は瞳をキラキラさせ古書店や本について話している。
「うわぁ...また本かよ...」
陸が本音をこぼした。
「あぁ...分かる。あいつらいつも妖市に出るとどこかしら書店に行くよな...他にないのか。」
「本当に、休みの日なんて滅多にないのに空の奴、午前中に本を買い漁って午後からはずっと本ばかり読んでるんすよ!?信じられない!折角の休みなんだから書店とかじゃなくて甘味処でゆっくりお茶でもすればいいのに」
「それ!雨音もそうなんだよ!!あいつの場合基本、仕事しないけど...と言うか仕事しないでずっと本読んでんの!!信じられる??」
この4人で出掛けるといつもこんな調子だ。
本が好きな雨音と空が本の話をし、残った僕達が二人の愚痴を言う。だが雨音も空もとても楽しそうに話すのだ。それを見るのが僕も陸も嫌いではない。むしろその様子を見て微笑ましく思う。だからこそ僕たちは愚痴を言いながらも何だかんだ、こうして二人に着いていくのである。
二人の会話を聞きながら僕達は最近あったことや次に何処に行きたいかなどを話す。僕は空と陸の喧嘩話が特に好きで一緒に妖市に降りるときは毎回、今回はどんな喧嘩した?と聞く始末である。
そうこうしている間に水清妖市につき古書店へ向かう。
ここ水清妖市は雨音が治めている土地の中でも一番栄えている地域だ。海が近いこともあり交易が盛んに行われているため沢山の出店が並び、物珍しいものが売られている。
雨音が治めていることもあり、中立地帯となっているため様々な種族が行き交っている。 景観はあまり派手ではなく落ち着ついた雰囲気で町の至るところに水が引かれており小さな橋が幾つもある。柳や青竹等の植物が植えられていて涼やかな印象を持つ街並みだ。現世で言うところの京都に近い雰囲気だと思う。
この異界に存在する妖市の中でも法が多く、反したものには相応の罰が下される。だが公平性が高く比較的治安も良い。雨音の部下の方々は皆さんが揃って優秀だと言うのもあるが、雨音の通り名を知っていて逆らう恐れ知らずはそう多くはないだろう。
雨音が同族を皆殺しにしたのは有名な話である。それこそ、この妖市が荒れ狂っていた頃。もう900年程前のことだ。
当時彼は鬼に成りたてで、己の激情をコントロール出来ずその体は同族の血に濡れ赤く染まり、月明かりの微かな光の下、泉でその身を清め、荒れ放題だったこの妖市を一から立て直した事から夜光水清と呼ばれている。そして900年たった今でも青鬼は雨音以外に存在を確認されていない。
中には新しい青鬼が出現する度に夜光水清が同族狩りをしているのではと言う者、雨音が同族を大量虐殺をしたために青鬼が新たに出現しないよう、何かの抑止力が働いているのではと言う者など様々だが所詮、噂は噂なのだ。真実は闇の中、雨音だけが知っている。
――
「はぁ~満足です!!」
「良い買い物をした。」
古書店から出てきた雨音と空はそれはそれは嬉しそうな顔をして購入した本を両手に抱えこちらに向かってくる。
「それは良かったな」
陸が少し不機嫌そうに言う。
ちょっと気持ち分かるな...
さすがに2時間も待たされるとは...
それは不機嫌にもなるだろ...
「折角だし新しく服を仕立てに行こう。」
雨音が唐突に言う。
「待て待て待て!雨音お前無駄使いするなよ!?」
「袖を通してきちんと着れば無駄ではないだろ。」
「いや!もっともだけど!!そう言うことじゃなくて!!お前、術式で好きな服着れば良いじゃん!?仕立てなくてもいいと思うんだけど??」
「いや俺の服ではなく、君達のだよ」
「は?」
思考が止まる。
空と陸も鳩が豆鉄砲を受けた様な顔をしている。
いやいやいやなんだそれ!?なに当然みたいな顔してんだよこいつ!?全然当然じゃないから普通じゃないからな??ふざけんなよ?
「いやだからこれから仕立てに行くのは君たちのだよって話」
尚も言って来やがるこの男。
「いやっ!そうではなく何故?」
「いや何となく?そろそろ冬になるし冬用に何着か仕立てておこうと思って」
仕立てておこうと思って...じゃ、ねぇんだよ!?
どっかで頭でも打ったか?こいつ??
「まぁ百歩譲ってその金はお前が稼いだものだし、使い方について口を出さないにしても何故、僕たちに服を仕立てると言う話になる??」
「いや、うちの子だからだけど??」
...うちの子?え?誰が??僕達が??雨音の?
「雨音お前...休みだからって浮かれてるんだな?」
「...?たまの休みくらいいいと思うんだが」
雨音が珍しく可愛らしい事を言っている...いや!
しっかりしろ!!
負けちゃ駄目だ!負けちゃ駄目だ!!心を鬼にしろ!
いや鬼は雨音の方なんだけど。ってそうじゃなくて!!
誰が上手いこと言えって言ったよ!?
頑張れ自分!!気をしっかり持て!!
.......よっし!!
「海摛?」
「.......」
雨音が眉を下げ不安そうにこちらを見ている。
「はぁ...分かったよ!!ただし!!それぞれ一着づつな?それ以上は駄目!!代わりにそれが終わったらお茶をしよう雨音の奢りで!!それならこれ以上、この件について文句言わない」
「うん。分かった。それでいいよ」
雨音が困ったように笑う。
あ"ぁ"!!また負けてしまった...
己の意思の弱さが憎い...
雨音のあの顔に弱いんだよな...
雨音は男の僕から見ても美丈夫である。まだ幼さを残しつつもその目元はキリッとしていて姿勢や所作は模範そのもの。そんな雨音がふにゃっと眉を下げ不安そうに瞳を揺らしこちらを見つめる。
そんなの耐えられるわけがない!!普段の任務や仕事の時には御目にかかれないのだ。仕方ない...仕方ないんだ...
海摛の葛藤なぞ知らぬと一行は呉服屋へ足を向けた。
――
この水清妖市は先程も言ったように貿易が盛んに行われている。故に日本の外の文化も多少なれど伺うことが出来る。
呉服屋もそうだ。慣れ親しんだ和服が多いのは当然と言えば当然だが現世やヨーロッパ、中国などの異国の伝統衣装等も製作、共に販売をしている。
店内に入ると色とりどりの衣や反物が所狭しと並んでいる。雨音は店の奥に掛けてあった、竹が刺繍された白い反物を手に取ると
「これで着物を仕立ててくれ。帯は銀鼠、羽織は白銅色の物を合わせて仕立てたい。奥にある反物も見せていただきたい。」
「かしこまりました。こちらに掛けてお待ち下さい。」そう言って店員は店の奥へ消える。
「この反物は空、こちらは陸に合いそうだな...」
その間にも雨音は店内を散策し双子の服を見繕う。双子は異国の服を見て回っては興味深げに歓談している。
いやじっとしてろよ!?お前どんだけだよ!はしゃぐな恥ずかしいな!!もう!空と陸ならまだしもお前がって言うのは不味いだろ!!威厳もなにもないじゃないか!?今日も僕の心の中は騒がしい。
そんな3人を眺めながら僕は大人しく先程の店員が戻ってくるのを待つ。
「大変お待たせいたしました。」
店の奥から腕一杯に反物を抱えた店員が出てきた。
店員の腕からはみ出た反物が今にも落ちそうだ。
「手伝います。」
「えっでも......ありがとうございます。では半分お願いしても構いませんか?」
「ええ、こちらが無茶なお願いをしてしまったが故なので、むしろ手伝わせてください。」
そう言って店員の持っていた反物を半分程受け取り、運ぶ。すると他の3人も気付いたようで店内を見るのをやめ、結局全員で運ぶ事になった。
その後、あれもいい、これもいいと反物を見せて貰い、結局雨音は空と陸そして僕の服を一式ずつ仕立てたいと言い出し、結局また押し負け、呉服屋に仕立てを頼む事になった。
その後呉服屋を後にし、宣言通り甘味処で一休みしてその日は屋敷に戻った。
――
後日、例の呉服屋やから仕立て終えた着物が届いた。空と陸を屋敷に招き、代わりと言ってはなんだが雨音が鳥居に式神を送った。
あつらえた着物は着心地が良く肌触りも滑らかだ。きっと上等な反物だったのだろう。
羽織までしっかり着ているのだが普段のものより軽く感じる。着物の裾に細かく刺繍された竹を見る。
水墨画がイメージなのか刺繍された竹は色々な灰色の糸を使用していて細かい上に美しい。そうこうしていると空と陸も着替え終わったようだ
「どう!?」
「どうでしょうか?」
二人が顔を出す。
雨音は双子にそれぞれ違う反物を使ったのか刺繍が違う、しかしながら二人の着物は二着で一組だと主張するかように揃いにあつらわれていた。
雨音の見立てが良いのかとても似合っている。
「似合ってる。二人のために雨音があつらえたから当然と言えば当然だけど。にしても二人ともかわいい顔してるからな~うんうん。似合う似合う。」
雨音を声に出して誉めるのは少し癪だが事実なのだ。認める他ない...
「うん、見立て通り似合ってる。」
「雨音様ありがとうございます!兄弟共々こんな立派な着物をあつらえて頂いて!!」
「雨音様ありがとう!」
雨音は満足げに僕達を見て頷く。
「雨音、物凄く有難いし嬉しいけど僕たちのためにそんな大金使わなくていい」
「違う」
雨音が短く言う。
「なにが違うんだよ」
「俺がしたくてしてるんだ。だからお前達の為ではなく俺自身の為なんだ。だからそんなことを言う必要はない」
雨音は優しく微笑む。
「ぁ...はっ恥ずかしいこと言ってんじゃねーよ!!バカ音」
「そうだな」
雨音は小さく笑う
「笑うなよ!!本当に何なんだお前は!!」
「雨音様と海摛様は本当に仲いいよな~」
「そうだね。お二人とも何だかんだ言いつつも楽しそうにして居られる。何だか昔に戻ったようなそんな心持ちになる。」
「兄さん」
「分かってる。そんなこと...有り得ないことくらい分かってるよ。」
――
雨音様には昔、風変わりなご友人が居られた。
本当にご友人だったかはいまいち良く分からない。お二人の関係性は友人と言うにはあまりにも奇妙だったからだ。それでもこの場では"ご友人"と、そういうことにしましょう。だって先代様がそう仰っていましたから。
先代様と雨音様と似通っている部分もありましたが決定的な違いは他人に向ける優しさ。今でこそ雨音様は穏やかで居られるが当時の雨音様は今より幾分、苛烈でした。
ご自身と先代様以外の者全てが敵のように見えていたのでしょうか。まるで刀の刀身のように来る者全てを傷つけるそんな人を寄せ付けない雰囲気を常に纏って居られるような方でした。
私達兄弟が先代様や雨音様に初めてお会いした時もそうでした。
その青い瞳からは殺意と恐怖が入り交じった様な鋭い視線を向けられ、当時軍学校の首席であった私達兄弟でさえ近づくことすら出来ませんでした。
先代はとても穏やかな方で周囲には様々な種族の者達が集まり、その優しいお人柄でこの異界に住まう者達からとても慕われていました。
雨音様も初めは先代を警戒していたそうですが、雨音様と先代が出会い、3年ほどですかね、その頃には雨音様も龍神様に対してあの鋭い視線を向けることはなく、その瞳からは優しさが感じられる程だったと当時の軍所属の先輩から聞いています。
先代はいつも言って居られました。
「雨音は生前辛いことが沢山あったんだ。だからあんな風に人を傷つけることしか知らないんだ。本当は誰よりも優しい子なのに。だからお前達には分かってやって欲しい。あの子がどんなことに手を染めたという噂があってもお前達だけはあの子を、雨音を信じてやってくれ。」
先代は誰よりも雨音様のことを気にかけ、雨音様もそんな先代に報いようと努力して居られました。それはもう過分なほど。
あの頃は本当に、私達兄弟もですが先代や雨音様も幸せそうでした。言うなれば小さな幸福、しかし幸福はいつまでも続かないのですね。
その後先代がお隠れになられ、現在の、当代の龍神様が就任されました。
そしてその100年後、今から900年前、雨音様は同族である青鬼を全てを粛清されました。夜光水清、雨音様がそう呼ばれるようになったのはそれからです。
何故雨音様がその様なことをされたのか私達は知りません。初めてお会いした時の雨音様であれば露知らず、私達が知っている雨音様はお優しいのです。それなのに何故あの様な暴挙に出たのか...
その後の雨音様は人が変わった様にその地を治め、法を作り、景観を整え、貿易協定を結び、様々な種族の者が自由に道を歩ける中立地帯、水清妖市を作りました。
きっとこの名は皮肉なのでしょう。この名を聞くたびに夜光水清、青鬼雨音を思い出すのですから。
雨音様はそれらの仕事が終わると当代の龍神様のもとへ赴き異界と現世の治安向上を推奨しました。それが認められ、雨音様は現世へ行かれることも増え、以前にも増して休まなくなって行ったのです。雨音様を慕うものも多く、皆が心配していました。
その数百年後、雨音様は現世の任務から帰られた際にお客人を連れ、異界に帰還されました。
そのお客人が海摛様です。海摛様がいらしてからというもの雨音様は仕事をお休みするようになったのです。
それはそれは嬉しかったものです。何百年も休まず、ただ仕事をこなすだけだった雨音様がお休みされたのです。
その日の夜は配下の者、皆で祝杯を挙げたものです。大袈裟なと思われる方も居たことでしょう。ですが私達にとってはそれほどの大事だったのです。
それ以降雨音様は、以前のようにとはいかなくとも少しずつ笑うようになりました。その光景は在りし日の雨音様と先代を見ている様で、嬉しい反面、感傷的にもなりました。
心というものは難しいものですね。ドッペルゲンガーと言う種族故に、姿形を変えることは多々在りますが、先代が褒めて下さった私本来のこの姿を私もとても気に入っているのですが、褒めてくださる先代はもういらっしゃらない。
その事実がお二人を見ていると明瞭になり、心に深くトゲをさす。痛くて、痛くて、心がどうしようもなく痛くて、その痛みから解放されたくて一度姿を変えました。
しかし姿形を変えたところで心は変わらないのです。陸もそうだったのでしょう。さすがは双子ですね。
結局、心の痛みは自分達ではどうしようもなくて陸と二人、先代を思い鳥居を眺めては何度も涙しました。
「でも確かに懐かしいね。」
陸が懐かしむようにそしてどこか寂しそうに言う。
「そうだね。」
視界が揺らいで暖かいものが頬を伝い、自分が泣いているのを知った。
隣に目をやると揺らいだ視界の中自分と同じ顔をした片割れが静かに泣いている。
きっと私もこんな風に涙しているのだろう。
――
「雨音さ~ん。いる~?」
屋敷の外から聞き覚えのある声が聞こえる。
誰だろう?雨音に用事?直接なんて珍しいな。
そう思い声のする屋敷の入り口に行くと檸檬色の瞳をした少年が退屈そうに立っていた。
「黒芭!?」
「海摛!?そういえば同じ屋敷に住んでるって言ってたな...すまん忘れてた。」
「仕方ないよ。黒芭、仕事でいつも忙しいから。で?どうしたんだ??黒芭が黒妖市から出るなんて明日は槍でも降るのか?」
「おぉ...酷い言い様だな。いや部下達が配慮してくれてさ。折角だから黒羽に会いに蘇芳の屋敷に行こうと思ったんだけど...」
「あぁ...弟に避けられるのが怖いと??」
「うん...」
「まぁあれだけのことをしたんだ。無理もないと思うけど」
「ハッキリ言うなよ...分かってるけど黒羽に避けられるのはつらい...」
「さっさと仲直りすればいいのでは?」
「話聞いてくれないもん...」
「お前...良い年した男が"もん"とか言うなよ...」
「今は幼子だから良いんだよ」
「いや中身は幼子ではないだろ...と言うか僕なら兄が自分より幼い姿をしてるなんて嫌だよ」
「なんでさぁ...仕方ないじゃんか...」
「いやその辺諸々の事情を話してこなかったお前が悪い」
「だよな。やっぱり......」
黒羽とは黒芭の弟であり、現在の蘇芳の右腕として蘇芳の治めている火羡妖市の管理をしている。一言で言うと真面目な優等生と言う言葉が似合う人物だ。
鬼にも種類があり、悪鬼の上位種、これを色鬼と言う。
色鬼は赤、青、黒、緑、白の5つに分けられそれぞれ区別されている。
区別されている理由としては色によって性質が異なるからだ。
赤であれば貪欲、心から何かを望んだり、あるものにとらわれ、執着したりする傾向が強く、基本的に執着している事柄以外には寛容でおおらか。だが刺激すると凶暴性、残忍性が出る。大体が陽キャだ。
白であれば悪作、心が昂ぶって落ち着かないことや、平静な心を失うことが多く、それにより冷静な判断が出来ず後悔する事が多々あり、後先を考えない者が多い傾向にある。要はネガティブな者が多い。
緑であれば惛沈、やるべきことをやらず、ダラダラと眠っていたりという怠け心が強い者が多く鬼の中でも少数両手で足りるほどであり神出鬼没。正直言って変わり者が多い。
青は瞋恚、怒りや恨み、憎しみといった憎悪の感情が強く。凶暴性、凶悪性は色鬼の中でも群を抜いている。最も発生しやすい鬼の種族。なんと言うか手におえない厄介な奴が多い。
黒は疑惑、黒色の鬼は他人や自分自身などを疑う。猜疑心が強いものが多い。現在数が最も確認されているのはこの黒鬼だ。
鬼は基本、肉体の死後発生するものなのだが稀に繁殖することがある。しかも黒芭達は黒鬼だ。自分自身ですら信じることの出来ない黒鬼が繁殖するのは特に珍しい。
だが例外など割りと近くにも居るものだ。雨音もその例外と言うやつなのだろう。
青鬼は憎悪の感情が強く残忍やら凶悪の象徴の様なものだと聞いているが雨音からはそういった物は感じられない。あっても嫌悪や軽蔑位だ。
「そういえば雨音に用があるんだったよな?」
「あぁ...少しね」
「了解。でも少し時間掛かるかも今は水清妖市に行ってるんだ。」
そういいながら雨音から渡されている式神を黒芭が屋敷に来ていることを知らせるために遣わす。
「仕事か?」
「うん。最近は気が向いてるみたいで部下達を労うついでに仕事片してるみたい。」
「...最近は真面目にやってるんだな。元気そうで何よりだ」
――
数十年前...黒妖市
「はぁはぁはぁっはぁっ」
「はぁっはぁっはぁっ...兄さん待ってっ」
「もう少し我慢できるか!?。もう少しだから!!」
二人の少年が黒妖市の雑踏の中を必死に走る。
一人は檸檬のような瞳で更に幼いもう一人は蜂蜜のような琥珀色の色をしている。
ドンッ
「あっすみませんっ!!」
檸檬のような瞳の少年が慌てて頭を下げる。
「あ"ぁ"何だ??」
「すみません!すみません!!」
「兄さん...」
琥珀色の瞳の少年...もとい
黒羽は黒芭の服の袖を掴み背中に隠れる。
「おい!ガキィ!!お前がぶつかってきたお陰で酒が駄目になっちまったじゃねぇか!!どうしてくれんだ?あ"ぁ"ん?」
しまった。最悪だ。黒羽を連れてる時にこんなごろつきの輩にぶつかってしまうなんて...
「すみません。本当にすみません!!見逃して貰えませんか!?」
こちらに非があるのは明らかだが今はそれどころではない早くっ!!このままじゃ捕まってしまう!!
「居たっ黒芭と黒羽だ!!お前達どういうつもりだ!!」
「ヤバい見つかった!?すみませんが急いでいて、また今度お詫びするのでっ本当にすみませんっ失礼します!」
早口でそういってぶつかってしまったことを申し訳ないとは思いつつも黒羽を抱えその場から逃げた。
それから15分程、妖市の喧騒から随分と離れた路地裏。
「兄さん...どこ行くのですか?」
黒羽が尋ねる。返事に困り、少し考えて
「俺たちはな?これから勉強のために各地を回るんだ。」
「勉強?」
黒羽は不思議そうに言う。
「そうだ。色々な場所を見て回って色々な人の意見を聞く。その土地を治める方々から学び。父さんと母さん、そして棟梁のお役に立つためにここを離れるんだよ。」
「そっか!!ではたくさん勉強しなければなりませんね!!私もがんばります!」
黒羽は疑うこともせず、真剣に言ってくれている。それが...自分が信頼されていると思い嬉しい反面、罪悪感に押し潰されそうになる。
こんなにも純粋な黒羽をあの両親の元へ居させる訳にはいかない...黒羽のこの輝く琥珀色の瞳が猜疑心で曇っていくなど俺は到底許容できない。
俺たちの両親はきっと勘違いしたんだ。
愛という偶像が本当にあると...
猜疑心に囚われた黒鬼が愛だって?そんなの幻想でしかない。そして俺が生まれた。傍迷惑な話だ。愛が分からないのに愛を、子供を育むことなどできようか。俺の答えは否。だが俺たちは鬼だ。他の妖怪共より丈夫に出来ている。
俺に自我が芽生え数年後、こんな俺に弟が出来た。黒羽は柔らかくて小さくて弱くて...とても一人で生きていけるとは思えなかった。だから俺は両親から黒羽を守るために、その純粋な優しさを失わせないために努力した。
何度もいうが俺たちの両親は愛を知らない。だから子供の育て方など知らず、教われば良いものを猜疑心故にそれも出来ない。俺は両親に抱かれたことはない。俺自身の記憶にもないし周りの奴等の記憶にもどうやらないらしい。
食事に関して両親が何か言うこともなく、食べるものが与えられず、何も食べることが出来ない俺を不憫に思った小妖怪共が助けてくれた。色んなことがあったが今は何とか生きている。
だがその心根は歪んでしまった。悲しきかな、俺はそれを理解してしまった。
だからこそ黒羽には、弟にはこのように歪んで欲しくなかった。だから俺は黒羽の世話を焼いた。
俺の持っているなけなしの優しさを黒羽へ使った。
だから...こうして両親から逃げた。
「さて、まずは残炎闇夜、蘇芳様の所へ行こう。」
様々な噂があれどもあの方は優しく人望が厚いことで有名だ。
「うん!!しゅっぱーつ!!」
黒羽の明るい声がいやに響いた。
――
「うわぁ~!!凄い!!」
黒羽が歓喜の声をあげる。
ここは火羨妖市、赤鬼、蘇芳が治める活気と情に満ちた妖市である。妖市を名乗ってはいるが実質住宅街の様なものである。
露店や商店も並んではいるがこの街道の者達を見ると信頼とまでは行かなくとも、互いに嫌悪感や猜疑心と言った感情は無いように思える。黒羽も幼いながら理解したのだろう。
黒妖市とは違うこの雰囲気に。何より黒妖市には子供の好きそうな菓子や玩具と言ったものは出回っていなかった。
出回っていたのは武器や妖怪、人間の肉、薬にイロ等お世辞にも見ていて気分の良いものではなかった。と言うか黒羽の教育上宜しくない。
その点ここは良い。黒羽と同年代の子供達が元気に走り回っている。
「黒羽、欲しいものはあるか?」
「いいんですか!?」
黒羽は瞳をキラキラさせて辺りを見渡す。
「兄さん!!あれがいいです!!飲み物のようですが兄さんの目の色と同じできれいですよ。!!」
黒羽はとある露店を指差して言う。
「そうだね。ありがとう。じゃあ買っていこうか」
「はい!!」
「店主。」
「はいよ!」
「この黄色の飲み物を一つ」
「"れもねぇど"一つ、おうよ!少し待ってな」
そう言って店主はその"れもねぇど"とやらを水筒に入れる。
「またせたな。ほいっおまけだ。」
そう言って店主は水筒を二つ差し出した。
「いいんですか!?」
黒羽が尚もキラキラと瞳を輝かせる。
「おうっあんちゃんたちここいらの者じゃねぇだろ。折角だ、楽しんで行ってくれよ!!これはほんの気持ちさ。受け取ってくれ。」
そう言って店主は笑う。
「ありがとうございます!!」
「ありがとうございます。」
二人揃ってお礼を言うと
「おうっ気をつけてな!!」
そう言って店主が手を振る。
心が暖かい、ここは良いところだな。
そう思い黒羽と二人蘇芳の屋敷へ足を向ける。
20.
喧騒の中を歩き周りすれ違う妖怪に聞きながらも無事蘇芳の屋敷の前へと向かった。
蘇芳の屋敷の前には鳥居がいくつも立てられている道を歩く。なんでもその道以外にこの屋敷へ向かうことは出来ないという。
そうして兄弟は無事屋敷の門の前へ着いた。
「すみません」
「すっ...すみませーん」
蘇芳の屋敷に着いたはいいが門は固く閉ざされており結界が張られているため外から開けることは出来ない。
「兄さん...」
黒羽が不安そうにこちらを見ている。
「大丈夫だよ。なんとかなるって」
そうは言ってはみたが、どうすればいいのか分からない。思い悩んでいるとキィィという音をたてながら扉が開いた。
「開いた!!」
黒羽が嬉しそうに言う。
なぜ?結界が自動的に解除されることはない。
では誰かが?
そこまで考えると扉の向こうから声が聞こえた。
「どなたかいらしたようですね」
「こんにちは。主様にご用でしょうか?」
黒羽と同い年程の少年が一人、顔を除かせながら丁寧に言う。
「こちらは赤鬼、蘇芳様のお屋敷でしょうか?」
「はい、我が主様、蘇芳様のお屋敷でございます。」
「蘇芳様にお願いがあってまいりました。黒鬼の黒芭と黒羽といいます。お取り次ぎ願いたいのですが。」
「畏まりました。ではこちらへどうぞ」
そう言って少年は屋敷内を案内してくれた。
「こちらでお待ち下さい。」
そう言って案内されたのは茶室のようだった。お茶に茶菓子まで出して貰ってしまった。
ここは配慮や優しさ、情や隣人愛と言うものが感じられる。何だかムズムズして落ち着かないけれど、嫌いではない。むしろ心地よいとすら思う。
隣を見ると黒羽が美味しそうに茶菓子を頬張る。
それが可愛くて可愛くて、食べ終わりお茶を一口飲んで"もうないの?"と言わんばかりの悲しげな顔を見てると我慢できなくてついつい言ってしまう。
「俺のを食べていいよ」
「え!?兄さん本当にいいの?まだ一口もたべてないのに......」
黒羽は食べたいと目をキラキラさせながらも自分はもう食べてしまったし兄のものを貰うのはいかがなものかと葛藤しているようだ。そんな姿も可愛らしくてつい甘やかしてしまう。
「うん。いいよ。お腹も空いてないし、俺はお前が美味しそうに食べてるのを見るのが好きなんだ。だから気にするな。」
「ほんとに?」
「うん。本当に」
「わかった!!兄さんありがとう!!」
そう言って黒羽はまた茶菓子を口に頬張る。
はぁ...俺の弟かわいい......
――
数分後
白い着流しの上に赤い彼岸花が刺繍された羽織を着た男が襖を開けた。きっとこの男が蘇芳様なのだろう。風格を感じる。
「坊主達が噂になってる黒の子供か...」
赤い瞳が俺たち兄弟を見下ろす。
「その噂とやらを存じ上げないので何ともお答え出来ませんが、少なくとも黒鬼同士の倅と言う意味であれば黒妖市では俺たちだけだと聞いています。」
「そうか...やはり。用件は大体予想が着く。好きなだけこの屋敷にいるといい。」
「本当ですか!?」
「あぁ、弟のために頑張ったのだな」
「はい。ですが俺の意思でしたことです。」
そして俺は蘇芳様に経緯を話した。
「そうか。」
「弟は何も知らないのです。どうか弟には内密にお願いします。あいつは何も悪くないのです。」
「そうだな。親の業を子に背負わせる訳には行かない。坊主の気持ちは分かる。俺もできる限り協力しよう。坊主達名は?」
「俺は黒芭と言います。」
「黒芭が弟、黒羽といいます。」
「黒芭に黒羽か、分かった。知っているとは思うが俺は蘇芳だ。呼び捨てで構わない。これから宜しく頼む。早速だが屋敷を案内させよう。紅、梅」
「「はい!お呼びでしょうか」」
先程と同じ顔が二つ。先程案内してくれた子はどちらだろうか。
双子...なのか??
「この坊主達に屋敷の案内を頼む」
「「承知しました」」
そうして屋敷の案内や生活においてのルール、この双子の屋敷においての役割などを簡単に説明してくれた。さすがに疲れたのか黒羽は既に夢の中だ。寝顔もかわいい。
「二人は式神なんだよね?蘇芳は方術を使えるの?」
「いえ、蘇芳様は方術を扱うことが出来ないので雨音様に協力を仰ぎ、雨音様の法力と蘇芳様の血液によって僕たちの術式は編み込まれています。」
「なるほど......お願いがあるんだけど」
「「なんでしょうか?」」
双子が声を揃えて言う。
「僕たち兄弟に勉強をさせて貰えないか?」
「勉強ですか?既に主様により指示されていますのでご心配には及びません。明朝より開始するとのことなので本日はお早めにお休みになって下さい。」
「分かりました。ありがとうございます。と蘇芳様...蘇芳に伝えて下さい。」
「「承知しました。」」
双子が下がった後、その日はすぐに布団に入り、黒羽を腕に抱え体を丸くして眠った。
――
それからまた十数年の月日が立ち
黒羽も15.16程の姿になっていた。
俺もこの屋敷に来た当初より身長も伸びた。
蘇芳の好意でこの数年、知識や筋肉、体力を身に付け、着実に成長した。実家...黒妖市の方からは何の音沙汰もなく、探している様子もないらしい。
「それでも親かよ。」
「兄さん?どうしたんですか?」
黒羽が心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫だよ。気にするな。」
「そう...ですか。」
黒羽に心配をかけるわけにはいかない。
そして俺は今の黒妖市について調べることにした。
調べた結果、昔俺たちがいた頃よりもさらに治安が悪くなり今ではクズの溜まり場のようになっていて妖怪が殺されるのが当たり前になっているような始末。
このままでは不味い。もし黒羽がこの事を知ったらどう思うだろうか。きっと自己嫌悪に陥るだろう。あの綺麗な顔を歪ませてしまう。
かわいい弟にそんな顔をさせたくない。そんな顔をみたくない。何も知らないまま真っ直ぐに、自由に生きて欲しい。 だが黒妖市には昔世話になった小妖怪やまだ借りを返せていない者もいる。
あいつらを放っておくことも出来ない。そして俺は蘇芳に相談し黒羽に置き手紙を残して、火羨妖市を後にし、水清妖市に向かった。
夜行水清、雨音様の噂は様々なものだったが蘇芳が信用できると断言していたし、紅と梅の親?だしその上蘇芳が事情を手紙にかいて渡してくれたのもあり、安心して向かうことが出来た。
雨音様の屋敷に着くと門の前に鴉が一羽。
「カァー」
鴉が鳴いたと思いきや雨音様が突然現れた。足元にはうっすらと光る陣が残っている。
雨音様は蘇芳からの手紙を読み、分かったとだけ言って屋敷の奥に入り札を何枚か渡してくれた。
「後処理の一部は俺が受け持とう。それと、もし何かあったら俺を頼るといい。歓迎する。あいつも喜ぶだろう。」
「はい、ありがとうございます。」
あいつって誰だ?
「あぁ健闘を祈っている。」
そう言って雨音様は懐から青い札を出した。
視界が青白い光で包まれた。
なぜ?え??疑問符が湧いてくる。
先程まで夜光水清、青鬼雨音様の屋敷の門前にいたはずなのに気づけば黒妖市の入り口に立っていた。
「え?」
思わずすっとんきょうな声が出る。
なんなんだ?いきなり飛ばされたんだが??どういうことだ?
少しの間、頭に浮かんだ疑問について考えた。
「はぁ、どうせ蘇芳が何か書いてたんだろ...」
仕方ないな。あの人基本いい加減だから。
そして俺は顔を隠し、腰にある刀に手をかけ故郷である黒妖市の門をくぐった。
――
記憶の中にある数十年前の黒妖市とは違う。
小妖怪が一匹も居ないのだ。それどころか小妖怪と思われるものが妖市の至るところで転がっており、中には出店で吊られている者もいる。
「う"っ...」
吐き気がする。
こんなことあっていいのか?
いや、いいわけがない。小妖怪と言えども家族や友人、仲間、尊厳を持っている。こんな理不尽、許されるものではない。確かに俺は幼少期をここで過ごした。だがそれを加味してもここを故郷だと思いたくない。
「黒羽を連れて来なくて良かった。」
昔も闇深かった。だがその闇は薄くなるどころか更に深くなっている。
「これはもう...」
本当にそうするしかないのか、もっと他に別の方法があるんじゃないのか、報告は嘘なのではないのか。色々と考えた。
だがここに戻ってきて決意は固まった。考える余地もない。俺がやらなくともいつか誰かがやるだろう。でもそれでは遅い。
「だったら俺がやるしかない。黒羽のためにも」
それから俺は黒妖市で一番、悪趣味な建物へ向かった。
派手な朱塗りの柱に黄金に光る調度品。裸婦の肖像画。悪趣味で品位の欠片もない。
ここは琳棟城。この地を治めるのは黒鬼の棟梁、鉄次だ。
俺達の両親は鉄次の配下で鉄次の暴政に意を唱えるどころか、何も言わずただただ命令にしたがうだけの操り人形だ。
この惨状を見ていたはずなのに、<弱肉強食>己自身ですら信じられない黒鬼にとって唯一信じられるのはその理のみ。それがとても悲しくて、辛くて、頭では分かっている。でもどうしようもない。仕方ない。
「黒羽...」
弟を思い出す。
あいつがいなかったら俺はきっとこんなに苦しい決断をしなくても良かったのだろう。こんなことを考えなくても良かったのだろう。
疑問に思っても何も行動せず、父や母のように成っていただろう。
今日までの黒羽との時間に想いを馳せる。
気がつけば城内の鬼や妖怪を斬殺し、己の手を薄
汚い赤で汚し、広場へ向かい走っていた。
ここに来るまでに一体いくつの首に手をかけたのか、腰に佩いてあった刀は血まみれで刃綻びしていた。手に血が纏わり付いて血生臭い。
「気持ち悪い。」
先程首を切り落とした豚の妖怪の手から槍を奪う。
そしてまた先に進む。
――
そこからはあまり覚えていない。
両親から向けられた殺意と嫌悪。
棟梁から受けた傷の痛み。
飛び交う罵声。
全てが夢現で現実味がなく、頭が鈍く痛んだ。
どうして?どうして?どうして!!
頭の隅ではどうしてこんな暴政をしているのか、どうしてそれを止めないのか、聞きたいことが沢山あった。でも体が、心がそれを許さない。どうしてっ。
俺の心は限界だった。幼少期、両親の愛が欲しかった。だから一生懸命生きた。両親に褒められたかった。だから様々なことを学んだ。両親の関心が欲しかった。
だから妖市でイタズラをしたこともある。だが俺が何をしようと両親の心が動くことは無かった。
......どうして"愛してくれなかったのか"
その疑問は涙となって頬を伝う。
「ねぇ、父さん、母さん。貴方達は僕達兄弟を愛してくれてましたか?」
そして俺は両親を殺した。
その様子を奥から見ていた鉄次が嗤う。
「はっはははははっ親を殺したか!黒鬼らしいじゃないか!!いい!いいぞ!!気に入った!お前、俺の下につかねぇか?いい思いさせてやるよ」
そう言って下卑た顔に気色悪い笑みを浮かべる。
「下衆が、お前のような奴の下に誰が着くか。その品曲がった根性と下卑た顔を直して出直せ。出直したところで意味なんてねぇだろうけどな」
俺は精一杯強がった。
心はぐちゃぐちゃだ。
「黒羽にだけはこんな姿見せられないな...」
鉄次が金棒を振り回す。
武器ですら不粋だ。この黒鬼妖市で幼少期を過ごした俺が言えたことではないが品位の欠片もない。ただただ力任せに振り回す。
その辺に飾ってあった悪趣味な絵画や壺、壁等もお構いなしに破壊していく。
「糞野郎が」
いくら悪趣味でもこの琳棟城は黒妖市の中で最も大きな建物だ。そんな琳棟城が崩れたら、城下は悲惨なことになるだろう。
何とかしなければ。そう言えば...そう思い雨音様から頂いた結界用であろう札の存在を思い出す。急いで懐から取り出し、念を込める。すると札は宙に浮きうっすらと黒い膜が琳棟城を囲った。
だが状況は変わらない。
鉄次は金棒をこちらに向けて振り回す。
大雑把な性格が見て取れる。だが力が圧倒的だ。風圧だけでも切傷が出来る。
黒妖市を治めるには頭が足りないが力は足りていたと言うことか。
やはり力こそが全てを統べる。弱肉強食、それは理解できるしその通りだとも思う。けれど、
「弱いものを守り、共存していくのも強者の務めだ。」
「ふんっガキが!!」
そう言ってこちらに金棒を振りかざしながら鉄次は突進してくる。
「あ"ぁ"......」
頭に直撃した。
寒い...先程からの風圧で体は傷だらけ。大きな損傷はないが血液が足りないのだろう。だがなぜか思考が鮮明になってくる。頭からは自分の血がドロッと流れているのを感じる。
手元には少し前に豚から奪った槍と元々所持している刃綻びしている刀が一振。考えろ、考えろ。どうすれば奴を止められる。どうすれば奴を殺せる。
鉄次の攻撃を避けながらも必死で考える。体は傷だらけでまともな動きなんて出来やしない。まともに戦えないのであれば、まともでなくてもいいじゃないか!!
「なんだっ!?」
広間の灯りが全て消え、闇が広がる。
そこから見える光は窓から入る月の光と城下の松明くらいだ。
「貴様っ!!なにをしたっ!?」
鉄次が乱暴に言葉を吐いた。
「さぁ?その無いも等しい脳で考えろ」
鉄次は焦っているのか金棒を自身を軸としてグルグルと振り回している。
「頭ががら空きなんだよっ」
広間のシャンデリアから飛び降り鉄次の脳天へ槍を突き刺す。脳から槍を抜いた後、綻んだ剣で鉄次の首を斬る。
「ぐぁ"...き"...きさま..」
そう言って鉄次は頭から脳をずり落とし倒れた。
「汚ねぇ...」
25.
...そして黒芭は黒渦壊侵と呼ばれるようになり黒妖市を立て直すべく、棟梁に就任し休む間もなく書類仕事をしている。
「大変だな。黒芭。」
「まぁね。でも黒妖市を立て直す為だ。後悔はしてないよ。」
「でも、あの日全身傷だらけで血塗れのお前が屋敷の門前にいたの見て心臓飛び出るかと思ったんだぞ??初対面であれは印象強すぎるって」
「すまん。すまん。いや必死だったから」
黒芭が笑いながら言う。
きっとそんな笑える様な心持ちではなかったはずなのに。
「黒芭は強いな」
「何が?」
黒芭が不思議そうにこちらを見ている。
「いや、なんでもないよ。と言うか!いつまでもこんなところで油売ってないで、さっさと弟の所へ行ってこい。このブラコンが!」
「なんだよ。もっと優しくしてくれてもいいだろ?」
「ハイハイ、弟と仲直り出来たらな」
「これだから海摛は...」
「何か文句でも?」
「いいえ、ないです。」
不服そうな顔でそう言って黒芭は、僕に雨音への|言付けを頼んで、火羨妖市にある黒羽のいる蘇芳の屋敷へ足を向けた。
「あ!雨音。」
台所に向かっているのか廊下を雨音が通る。
「ん?なに?」
驚く様子もなく雨音が言う。
「さっき黒芭が来てたんだけど」
「あぁ知ってる。帰ってきてはいたんだが、少し手が離せなくて...」
「雨音はわりと忙しいからな...ってそれはいいんだけど!!黒芭から伝言預かってる。」
「うん?あぁ、それで?」
「えっとあの日、蘇芳があの手紙に何を書いていたか知りたい。って」
「あの日...あの日......あぁ...あの日か...分かった。次に黒芭が来たときにでも話そうか。」
そう言って雨音は笑った。
ー雨音様へー
火急の用のため前置きを省略する事をお許しください。早速ですがこの手紙を渡した少年は噂の黒妖市で生まれた珍しい鬼です。鉄次、もとい黒妖市解体の件、この少年に任せてやって欲しいのです。私、蘇芳はこの少年の気持ちが痛い程分かります。後悔してほしくないのです。しかし私が手伝う訳にはいかない。雨音様、貴方の結界用の札数枚と身体強化の術を少年に施してやって欲しいのです。事情についてはまた後日議会の際ご説明いたします。
追伸/少年を黒妖市まで転送して頂けると尚嬉しいです。
蘇芳