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龍神様の憐憫  作者: 中山
1章
1/7

逃亡者



寒い...寒い寒い

瞼が重い

体も動かない...

寒い...

"私"は...


夢現(ゆめうつつ)。寒い。凍えるような寒さの中、なぐさめてあげなければ。大丈夫だ心配ない"私"は大丈夫だと、そう伝えなければ。そう思うのに、それが誰に向けての言葉だったか......


  .....ピピピピ...ピピピピ...ピピピ...

  

無機質なアラーム音が「早く起きろ」とでもいうように無情にも鳴り響く。

 

「ん...?」

 

「うわっ!?ヤバいもうこんな時間!?寝過ごした!」


時計の針は午前8時15分を指している。


屋敷の一角にあるこの部屋は、シンプルな造りだが品の良い調度品が揃えられており、朝日が射し込んで若草色の畳を照らしている。


 バタバタと忙しなく身支度を済ませると、庭に出て納屋(なや)から(ほうき)を取り出し庭の掃き掃除を始める。


これは僕の日課だ。


 ここは青鬼、夜光水清(やこうすいしん)雨音(あまね)の屋敷。

ここには広い庭があり、この屋敷を取り囲むようにして季節の花や木が植えられている。

 

 ここでは年中花が咲いている。

先ほど年中花が咲いていると言ったが、季節ごとに違う花が代わる代わる咲いては枯れ、咲いては枯れを繰り返している訳ではない。桜、紫陽花、桔梗、睡蓮花に椿。四季折々の花たちが年中咲き続けているのだ。

 夏の暑さも、冬の寒さも関係ない。所詮、温室育ちの花と言っても差し支えないだろう。おかげで季節感は皆無だ。


 この花たちは青鬼、雨音の結界のおかげでこうして年中咲き続けていると言う。悪趣味だと思わなくもない。が、花に罪はない。外界をしらぬ温室育ちのたおやかな花であろうと、厳しい環境の中、それでも懸命に咲く野の花であろうと、どちらも美しいことに変わりはない。


 まぁ、それはそれとして、

「普通にすごいよな...」

どういう原理なんだろう。

本人はちょっと、いや普通に変わった奴だけど。


「何の話?」

「うわぁ!?」

 

 突然背後から声を掛けられ驚く。反射的に後ろを振り向くと見慣れた男が立っていた。


「ちょっと!脅かすのやめてよ!?」

  

その男は長い黒髪を高く結い上げ、青い衣を身に纏っていた。男の青い瞳を縁取るように、長い睫毛が並んでいる。(まばた)きをする度に睫毛同士が重なりバサッと音がするのではないかと思う程だ。 

 

「ん?いや何か考え事かなと。俺に言えないこと?」

「そんなんじゃないよ!?」


 別にこいつの悪口を言っていた訳ではない!

決してそう言う訳ではない。ただ......そう!思っただけだ!悪口では......ない。悪口ではないから!!言ってないから!!セーフだから!!何なら褒めてたし!?

......大丈夫...だよな?

 

そう思い男を恐る恐る見上げてみる。

  

「...ふーん?...そういうことにしといてあげよう。で?朝食はなにがいい?」

「焼き魚がいい!」

「了解、じゃ朝食作ってくる。」

「うん!!終わったらすぐ行く!」


 良かった......今回は上手く誤魔化せたっぽい?

それにしても今日は機嫌がいいな?献立聞きにきたよ......?

...今日...何かあったっけ?


「......考えても仕方ないか。早く終わらせてご飯食べに行こ。」


ーーー


「ご馳走さまでした!今日も美味しかった。特に卵焼き!!」

「それはどうも。」

 

雨音...心なしか嬉しそうだな......?

今朝の自信作だったとか?

...やっぱりいまいち分からん。


 この男、もとい雨音は何と、大抵のことはやれば出来るとか言うふざけた奴で、この屋敷も自身で建てたらしい...人間技じゃない...いや人間ではないな...この屋敷も完成度エグいし...


 特に料理については色々と試行錯誤しているようだ...まぁ僕は美味しければ何でもいいんだが。


「そうだ。雨音、今日なんか機嫌いいみたいだけど、今日ってなんかあったっけ?」

「...いや......ないけど......」


いやいやそんなわけないだろ!?

なんだよこの空気!?重いんだが!?

その間はなんだよ!?意味深なんだが??


「そっか...今日はなにする予定......」

海摛(かいり)

 

 突然、雨音が海摛の言葉を遮った。

 

「えっ!?何?」

「伝令が来たらしい...任務だ」

「あ......そっかじゃ支度しないと」

「あぁ......」


雨音の結界をすり抜け一匹の鴉が此方(こちら)へ向かってくる。羽音一つせずに黒い鴉は雨音の元へと降りてくる。


何度みても不思議だ...

 

 この鴉は伝書鳩ならぬ伝書鴉と言い、式神の一種らしい。どういう原理なのだろうかと当初考えもしたが未だに良く分からない。


「お疲れ様です。早速ですが本題に移らせていただきます。」


 鴉は流暢に話し出す。


「今回は現世に無断で渡った者の捕縛。又はこの者らの処理。対象は2名。内1名が悪鬼であるという報告が上がっています。お忙しいとは存じますが早急にお願いします。」


 それだけ伝えると鴉はまた、音もさせずに何処かへ飛んでいった。


「......めんどくさ、支度してくる。」

「了解」


 この男は基本面倒臭がりなのだ。一人だと何も食べないし、動かない。自分からすることと言えば、もっぱら読書である。声をかけずにいると3日でも4日でも、食事すら忘れて読み続ける。どうなってんだよコイツと思った回数は片手どころか、両手でも足りないくらいだ。


 それでもこの男、任務に関しては何だかんだと文句をいいながらもしっかり遂行する。

正直謎だ。面倒だなんだと他人との関わりを避けようとするくせに他人との関わりや頼みごとを断れない、この屋敷に僕が居るのが証拠だ。

 彼は優しいのだ。


「今回蘇芳(すおう)さんは参加ですか?」

「...いや蘇芳は今引き継ぎが大変らしい。今回は不参加だ」

「それに蘇芳が動けていたらこういった案件は俺に回って来ない」


 蘇芳さんと言うのは赤鬼の現当主で雨音の友人の一人だ。

 気さくな人柄で義理人情に厚く、親を失くした小鬼の世話を焼いたり、領民の助けになろうと日々領内を散策している。多くの妖怪達に親しまれている人格者だ。


 今は先代から実務の引き継ぎをしており、領内の散策を控えるようになったとか。

なんと言うか.....鬼と言う種族を考えるとなかなかに変わった方ではある......が、とても好感を持てる人物だと思う。


「なるほどその辺は鬼も人もそう変わらないんだな」

「......蘇芳がいた方が...」

「いや?単純に蘇芳さんがいた方が賑やかだし心なしか雨音が楽しそうだから」

「そう......ありがとう」

「......? どういたしまして?」


 暫く歩いていると大きな鳥居が見えてくる。

その鳥居は見事なもので周囲の建物の5倍の大きさ、かつ色はなんと紺色である。

 

「「いや普通鳥居って朱色じゃねぇの!?」」

 と思ったそこのあなた!

 

  僕もそう思う。特になんかその辺に詳しいとかではないが同意見だ。鳥居は普通朱色だと僕も思う。が、この鳥居は紺色なのである。だが文句なぞ言わせるかとでも言っているのか圧倒されるほどの存在感がある。


 現世であればまた違ったかもしれないがここは異界。

ビルなんて一つもなく、建物は基本、木造平屋。車なんて尚更。道はコンクリートではなく、石畳や砂利道、場所によっては土埃が舞っている。目線を上げて見えるのは風に揺れる木々と、清々しいほど澄みきった青い空くらいだ。他にも思うところはあるが今回は割愛しよう。


 この鳥居はあちら側とこちら側の境と言う位置付けにある。

つまりこの鳥居をくぐれば現世へ行けると言うことだ。

鳥居。しかも大きいのもあってこうして向こう側、つまり現世へ逃亡する者が少なからずいるのだ。


「鳥居じゃなくて扉とかにすればいいのに。そうすればもっとセキュリティ高かったのでは......」

「意味の無いものなどない。形あるものはその形になるだけの理由がある。と昔呼んだ書物に記してあった。鳥居である必要があるんじゃないか?」


雨音が面倒臭げに言う。

 

「ふーん。そっか、じゃ仕方ないね」


理由が...ね...

鳥居である必要か...

そこまで考えたことなかったな......


「あっ!空!!んん......お疲れ様です。」


 この紺色の鳥居の警備をしている空は双子のドッペルゲンガーだ。片割れは陸と言う。双子なのに性格は反対だ。だからこそなのか二人のやり取りは見ていてとても楽しい。反発していたと思いきや次の瞬間には同調している。


「お疲れ様です。毎度すみません。お忙しいのにこちらの不手際で」

「いえいえ屋敷にいても暇なので、丁度いい運動ですよ」

「......」


雨音は辺りを見回すばかりで何も話さない。


「いや!?なんか喋れよ!?はぁ...まぁいい空、陸がいないみたいだけど陸は?」

「あぁ...またどこかでサボっているんでしょう。全く仕方の無い奴ですよ」

「大変だな......」

「あっ!!そうだ。...雨音様」

「なに?」

「今回の逃亡者なのですが少し妙でして...」

「...詳しく頼む」

「いえ自分も何となくなのですが...

 今回の逃亡者はわざわざ人目につく道を通って逃げていて目撃者が多い...あと奴らの通った後には妙な甘い匂いが微かですが残っていました。もしかしたら危険なものかもしれません。お気をつけて下さい。」

「分かった。ありがとう」


雨音が少し笑う。


「空!ありがとう!!」

「いえいえ仕事ですから。はい!通行許可書確認しました。気をつけて」

「うん!行ってきます!!」

「行ってくる」


――


カサッと音がして落ち葉が頬を掠める。

心地の良い風だ。


大きな鳥居を通った次の瞬間目の前の景色が変わる。結界内に入ったのだ。


 この結界はある一定の力があるものは通行証がなければ抜け出すことは出来ない特殊なものである。それ故下級の妖怪共はすり抜けることが出来ると言う代物だ。


向こうは秋か...


結界内では現世の季節が反映されている。今回は秋のようだ。木々が遠慮でもするかのように一枚、また一枚と色の抜けた枯れ葉をヒラヒラと落としていく。正面には石畳のうえに赤い鳥居がいくつも並んでいる。


 雨音から聞いた話だがこの結界内の鳥居は当代の龍神の力の具現でもあるらしい。今の龍神は代替りしてそう経ってなく、まだ年若いこともあって現在、結界内の鳥居の数は600程らしい。


「いや、基準が分からんて」


思わず口に出てしまった...


「どうした?」

「いや、なんでも!?」

「そう......」


ヤバッ!!声に出てた!?恥ずかしい...

やってしまった...またやってしまった

これで何回目だよ......


結界内に入ると雨音はあまり喋らない。

辺りを見てはその青い瞳に暗い影を落とすのだ。


きっと何か思うことがあるのだろう。


聞くに聞けなくて沈黙が続く中、枯れ葉が風に掠め取られ落ちる音に耳を澄ませ前へ進む。


――


最後の鳥居を通った次の瞬間二人は雑踏の中にいた。

結界から出たのだ。


「取り敢えず着替えるか」


 そういって雨音は海摛を連れ、薄暗い路地裏へ移動した。そして札を出し小さく何かを唱える。すると二人の衣服が変化する。


 髪は短髪になっており海摛は首もとが緩く広がった白のシャツに紺色のジーンズ。雨音は灰色のコートに白のシャツと黒のパンツ、一言で言えば大学生風と言ったところである。

 

いや~この男普段から顔が良い顔が良いと思ってたけど、マジで顔が良いな??短髪で?現代服??そんなん似合うに決まってんじゃん!!


 この男、雨音の顔に心底弱かった。

 

少しして雨音の腰に立派な脇差が存在を主張していることに気づく。

 

「......ん?脇差?え?...いやいやいや!!銃刀法違反!」

「騒ぐな、分かってる」

そういうと今度は脇差に青い紐を結ぶ。

「これでいいだろ」


この紐を結んだ物は普通の人間には目視出来ないらしい...

 因みに雨音のお手製。笑うよね?


 なぜ"らしい"なのかって??だって僕は見えてるからね!!人間には目視出来ない筈なのにね?効力弱まってるんじゃない??


 顔を見て察したのか一人で笑っていると雨音がやって来て


「相変わらず訳の分からん奴」


と言って静かに笑う。


居たたまれなくなって


「もう!!早く済ませて帰ろ!!」


僕がそういうと雨音はまた笑う。


服装や髪型が違うのもあってどうも慣れず少し気恥ずかしい。


「さぁ!まずは情報収集だ!!」


そういって僕はポケットの中から雨音に書いて貰った札を取り出した


"訳の分からん奴"はどっちだよ...


――


札を結界に張る。

札を張り付けると幻影が現れる。

今回の標的だろう。

 

 これも雨音のお手製だ。

 雨音は元々人間だったらしい。だからかは分からないがこういった妖力がなくても扱える道具を考えては作っている。

 まぁほぼほぼ僕が使っているのだが......

 

 この札は結界のある場所でしか使えないと言うデメリットがあるが今回のような逃亡者を捕まえると言った場合、逃亡者の容姿や武器、伝達になかった他の仲間の存在の確認などが出来るため重宝している。正直逃亡者は必ず結界を出ているためデメリットと言える程でもないのが現状だ。


幻影は一人の女性と独りでに宙に浮かぶ白い布を映し出した。女性の顔は青く白目は虚ろで何も映していない。布の方はそんな女性の周りをゆらゆらと飛び回っている。何となく透けているがハッキリ確認できる。そして幻影は急ぎ足に走っていきその後消えた。

 この札は張った結界の通過者が通過して経過した時間が経つにつれ幻影が薄くなっていく。と言うことはまだそれほど時間が経っていないということだ。


「奴らが結界を出てまだそんなに経ってないみたいだ。この周辺にいる可能性が高いと思う。」

「あぁ...そうだな」

「なんだよ?」

「いや、取り敢えず今分かっている情報を明確化しよう」


雨音が言う。


確かにその通りだ。その方が動きやすい。


「分かった。まず今回の標的は二人。さっきの幻影の二人だ。一人は一反木綿。手拭いや衣服等の日用品に紛れている可能性があるから見逃さないよう細心の注意を払うべきだと思う」

「そうだな。」


「そしてもう一人の標的、こっちは悪鬼だ。取り敢えず性別は女性、幻影や目撃情報をみた感じ比較的大人しいみたい。情報としてはこんな感じ。にしても一反木綿と悪鬼って面白い組み合わせだよね。」

「そうだな。事前に資料に眼を通したから知っていたが異様な光景だな...」


 基本的に一反木綿は知的好奇心が高く発明を生き甲斐としていることが多い。研究熱心で個体によって分野はそれぞれだが共通してろくな発明をしない。要注意種族だ。

 

 悪鬼に関しては下級の鬼で知性、理性がない。悪鬼に変質した時に人格が感情に呑み込まれ、元の人格はなく、魂は既に消失しており体だけが残った"物"だ。凶悪性と残忍性を併せ持っていて人や妖怪を襲う。

 

 理由は定かではないが一番有力とされているのは"失った魂を求め襲っているのではないか"と言う説だ。


「可能性としては

1.一反木綿が妙な研究に手を出し、その実験体として悪鬼を使用した。そして実験のため人側の世界へ来た。

2.一反木綿と悪鬼のカップルの逃避行

3.誰かが裏でてを回している...の三通りだと思うんだが...」


雨音が真面目な顔をして言う。


「いや、考えすぎだろ。特に3番。2番に関しては面白い。そっちだといいけど1番かな」

「だよな。一反木綿は毎度、懲りないからな」

雨音は困ったように小さく笑う。


「知り合いだったら文句言ってなにか奢ってもらおう。」

「!?それいいね!そうしよう」


 雨音の眼が輝いている。

きっとまた本のことを考えているのだろう。


「本の虫め...」


ボソッと口に出た


「ん?なんて?」


助かった!ご機嫌で聞こえてなかったようだ。


「なんでもない!!」


でも折角だ奢って貰うなら甘味がいい。

 誰だって好きだろう?


「ねぇ雨音」

「ん?」

「なに奢って貰う?僕は伊ノ屋のあんみつ」

「いや...まだそうだとは決まってないだろ」

「えぇ~いいじゃん!!で?雨音は?」

「...伊ノ屋の羊羹」

「!?...良いじゃん!!」


こいつ...いい趣味してんじゃん!?

――


匂いがする...


潮の香りと...錆の匂い...あと嗅ぎなれない甘い匂い...色んな匂いが混ざって気持ち悪い...


 かれこれ20分程前、札を使い幻影を確認して雨音と共に追跡をした。


 それは別にどうってことはない、いつもの事だ。ただ追跡した先がこの更地だ。海が近く、少し遠くに錆びたコンテナがある。だが痕跡はここで消えている...


「飛んだか...」

「いや、それはない。」


雨音が眉をひそめて言った。


「...となると」

「結界だな」


雨音が遮る。


「それ今言おうと思ったんだけど??」

「知ってる。だから言ったんだよ。」


こいつは定期的に人を煽らないと生きていけないのか?


「またかよ。ったく良い性格してるよ。本当」

「それはありがとうございます。海摛様にお褒めのお言葉を賜れるとは恐悦至極にございます。」


雨音は口の端が少し上がったなんとも言えない腹立つ顔で言う。


「お前...ふざけてんな?」

「いえいえそのようなことは」


このままだと埒が明かない。ここは...


「ハイハイ分かった分かったふざけてないでさっさと終わらそう。その後で本屋にでも行こう」


そういった瞬間雨音は眼を輝かせた。


本当に本が好きだなこいつ...


「了解。じゃサクッと終わらせよう。」


雨音が札を出して詳細に痕跡を辿ろうとした。

が、次の瞬間、甘い香りがして視界が暗くなった。


意識が遠のく中、雨音の倒れた姿が眼に映った。


――


...ここは何処だ??

どれ程気を失っていた!?


体を動かそうとしたが思うように動かない。

自身の体に視線を落とすと荒縄で縛られているのが見えた。状況を把握するため辺りを見回す。

倉庫の中だろうか。所々屋根に穴が空いておりコケや草花が生えている。お世辞にも清潔とは言えない。倒れた場所からそれほど遠くないのだろう...波の音が聞こえる。


 甘い香りが充満しており、とてもではないが気分のよいものではない。それでも意識を集中させ耐える。

隣には同じく体を拘束された雨音が力なく倒れている。

微かではあるが寝息が聞こえる。


こいつ最近寝てなかったな?


 雨音は基本忙しい身の上である。にもかかわらずやれ草木に水やりだの、茶の時間だの、情報収集だのもっともらしい理由をつけては読書をしたり、甘味を食べたりと、のらりくらりと逃げ、仕事をためる。


そして気が向けば颯爽とためにためた書類に目を通し、采配し片付けていく。まぁ要はやれば出来る子である。腹立たしい。


 最近は興が乗った様でためた仕事と別に、視察や札、御守りの作成、結界の保全等、近年稀に見る働きぶりだったのだ。部下達のあの嬉しそうな顔...普段どれだけ苦労しているのか...実に不憫だ。


「普段から仕事をちゃんと片付けとけば寝不足なんかにならないだろうに」


「うぅ...ん...」


雨音は変わらず寝息を立てている。


「全く。呑気なやつだ」


思わず口から出てしまった...まぁいい


「おいっ起きろ!!雨音!!」


出来うる限り小さな声で雨音を起こそうと声を出すが起きる気配はない。


「起きろよっ」


我慢出来ずに足で雨音の足を蹴った。


「ん...??なに?仕事まだ片付いてない......」


こいつ寝ぼけてやがる...


「お目覚めですか??」

「!?」


頭の上から妙に高い声が聞こえる。

途端に体が強ばる。

当然だ。びっくりしたもん。


「......ええ、お陰さまで」


皮肉混じりに返した。


「それはよかった。」


相手も軽く皮肉で返してくる。


うざい...


視線を上に向けるとヒラヒラと白い布の宙を舞っている。


「一反木綿...で間違いないですね?」

「そうですけど?」


コイツ悪びれもなくっ


「あなた今回結界を許可なく通過しましたね?」

「そうですね」


一反木綿はあっさりと答えた。


「はぁ?何故です??そして共に通過した女の悪鬼はどうしたんですか?見当たらないみたいですが?」

「貴方には関係のないことだとは思いませんか?」

「そうですね。では質問を変えましょう。貴方は何故あの悪鬼と行動を共にしていたのですか?」


 また関係ないと躱されるだろうな...

 

「何故って?愛しているからですよ!!」

「???」

 

おっと不味いコイツは狂人だったか...いや狂布?

どっちだっていいコイツヤバイ奴やん...

と言うかさっきの雨音の冗談の選択肢2か...絶対無いって思ってたんが!?なんの冗談だよ!!いやもう冗談ではないのか!?


「あの......」


口を開こうとすると


「え?僕たちの馴れ初めを聞きたい?え~どうしようかな~どうしてもって言うのなら?教えてあげないこともないですよ?」


うっざ...何コイツいや本当に何??普通にうざいな...


「いや結構でs」

「そんなに知りたいんですか?それなら仕方ないですね??教えてあげましょう。僕たちが出会った。それは紅い満月の夜...」


なんか始まってしまった...

それからコイツは延々と話続けた...

正直どうでもいい...布と悪鬼の逢瀬に興味などない...


――


「いつまで続くんだ?」


隣で眠っていたはずの雨音が言った。

ハッと驚いたが、布は気づいていなのだろう。未だに

惚気話を続けている。


「コイツ何処かで頭でも打ったのでは?いやまず頭が何処か分からん...一反木綿に頭と言う概念があるんだろうか?」


雨音が言う。


同意!!一言一句賛成!!


「わかる...」


おっと語彙力が...


雨音が考えるのをやめ可哀想な者を見るような目で見てくる。

ただでさえ低い語彙力が0になりかかっている事実をひしひしと感じる。


普段の語彙力はお前とそう変わらねーんだよ!!今だけだ!!


語彙力は落ちても心の中の悪態は怠らない。

悪態をつくことになんて熱心なんだろう!!

いやそれもそれでどうなんだ...

そんな中あの布は未だに惚気話を嬉々として続けている。

あ...駄目だ...眠い...


――


「...というわけなのさ!!」


かれこれ数時間......この布!ずっと惚気ていやがった!!なっがいわ!!どんだけ!?一周回って尊敬すらするわ。長すぎる。途中寝てたし。


「どうですか?良い話でしょう?」


布が自慢気に聞いてくる。


「すまん。話長すぎて寝てた。」


ヤバイつい本音が...


「要約すると、その紅い満月の夜に例の悪鬼を見かけ、この布は恐れ知らずにも一目惚れした。当時研究していた蜜月花(みつげつか)を原料とした公認されていない自作の薬品を使用し、一時的にあの悪鬼に人格、そして自身への恋愛感情を付与した。そして内密に逢瀬を重ねる。が、先日近隣の妖怪達にその場を目撃される。その後逃亡......いや?逃避行か?まぁいいやここ掘り下げても意味ないしな。で、惚気を言いたくても言えなかった反動でムシャクシャしていたところに僕たちが来たと言うことだな。そして思う存分惚気たと。」


雨音...お前本当に優秀だな。

さすが分かりやすい。

と言うかちゃんと聞いてたんだ......


「つまりこの布もとい一反木綿は、鳥居の無断使用の他に、危険薬品の自作、使用、蜜月花の無断採取、悪鬼との接触。少なくとも5つの法を犯している。これは言い逃れ出来ないな。」


 龍神や鬼が治めているとはいえ法は必要だ。人間社会ほど細かくはないがそれなりにルールが存在する。それに反すれば多かれ少なかれ罰が待っている。当然のことだ。

 社会というのはそう言うものなのだ。ルールがなければ今頃どちらの世界も混沌を極めていたことだろう。


「なんの沙汰も無いと言う甘い考えは捨てた方が良いな」


温度を一切感じさせない雨音の声...少し怖い...と思う。

僕は雨音が怖いのか...?


「ふん、そんなもの怖くなんてない。この胸が焼けるような気持ち。この気持ちを知らずにただただ生き続けるより、この胸を燃やす炎に焼かれ死んだ方がマシだ!!」


こいつマジヤバイ奴だな...

と言うか言ってることが台詞じみてて気色悪い......


「まぁ死ぬなら死ぬで良いが、犯した罪を贖い終えてからにしろ。連行する。」


雨音が瞬く間に布、もとい一反木綿を縛り上げる。


「...なぁ雨音」

「なに?」

「お前いつ縄抜けたんだ?」

「そうだな。いつだと思う?」

「いや分からないから聞いているんだが!?」

「全く呑気な奴だ~の辺り」


...えっ!?起きてたの!?マジで??ヤッバ...


「ごめん。寝てるもんだと思って...」

「そうだね。僕は呑気な奴だからお前の縄をほどくのもあとで良いかなとか、呑気なこと言い出すかもしれないな?」


雨音はにこやかに言う。


 うわぁ...最悪だこれはこの布と一緒に屋敷まで連行かな...自業自得と言えどさ?冗談じゃん??そんな根に持たなくともよくない??ね??


「海摛」


雨音が急に真剣な顔をして言う。


「なんだよ」


少し不機嫌そうに返事をしてみる。


「今回の任務は一反木綿と悪鬼の捕縛もしくは処理だったよな?」

「そうだけど...待って!それじゃ!?」

「うん。悪鬼が見当たらない。」


...雨音が手早く僕の縄をほどく。


「完全に忘れてた......」 

「分かってる。周囲を警戒しろ。」


雨音が小さく言う。

 辺りを見渡すが物音もなく異変はない。相変わらず波の音が聞こえるくらいだ。


「上だ!!」


雨音が声を張り上げた。

瞬間、頭上から悪鬼が一体、鋭利な爪を振りかざし襲ってきた。

 間一髪のところで右に勢い良く転がりその攻撃を避ける。体制を立て直しつつ警戒を怠らないよう気を張る。


「海摛!!術式を展開するまでに少し時間がかかる。それほどでもないが時間稼ぎを頼む」

「了解」


 雨音は後ろに下がり青い札を懐から取り出す。

雨音の足元には青白い光が陣を形作っている。

仕方ないな...今回は捕縛が理想だもんな。

そう思いこちらも札を取り出す。


「解」


 そう言うと手にしていた札は青い炎によって燃え。手元には一振の刀が握られている。


「雨音急いでよ?」


分かっていると言う顔で雨音が頷く。

悪鬼はそんなこと関係ないと容赦なく攻撃を仕掛けてくる。

 

 悪鬼は鋭利な爪や尖った歯を使い周囲の者を襲う。しかし一番の脅威はその身体能力の高さである。悪鬼は魂がない故に体のリミッターも無いのだ。既に体は死に魂もない動くだけの屍にリミッターも何もない。

 言うなれば早さも力も持ち合わせた知能の無い化け物だ。


「ヤバイッ...押し負けるっ」


 悪鬼の爪を刀身で防いではいるが、流石に押さえきれず飛ばされてしまう。


「あ"あ"ぁ...い"った...」


弾き飛ばされ、口の中にはじんわりと鉄の味が広がる。背中からぶつかったせいか体がきれいに伸びない。少し前屈みになりつつも雨音が捕縛術式を展開させるまで時間を稼がなければ。そう思い、また悪鬼へ刀身を向け走る。


「クッソ!!」


悪鬼は爪で刀を押さえ、その凶悪な歯で腕を噛み千切らんと頭をこちらへ近づけてくる。

一旦後方へ下がり距離を取ろうとするも悪鬼はその驚異的なスピードで距離を縮めてくる。


「あの布覚えてろよ!今回の件が一通り済んだら絶対何か奢らせてやる!!と言うか女の趣味悪いんじゃない!?少なくとも僕とは合わない!!」


そう言ってまた距離をおく。


「はぁ埒が明かない。雨音まだ!?」

「もう少し!!」


後ろから雨音の声が聞こえる。


「はっ分かった...頑張るからさ、今日の夕飯の味噌汁野菜のがいいんだけどっ」

「あぁ分かった。野菜の味噌汁だな。腕によりをかけて作ろう。」

「言ったな?約束だぞっ...と」


そう言って悪鬼の足首を切る。

悪鬼は体のバランスを失い倒れた。が悪鬼に痛みはない。当然のことながら這って攻撃して来ようとする。


腕も切り落とした方がいいか?


距離を保ちつつそうこう考えているうちに


「海摛!!終わった。そこを離れて」

「了解!!」


そのまま建物の端へ退避した。


「術式展開!」


雨音の声が建物内に響いた。

すると雨音の足元にあった筈の術式が悪鬼の足元に移動しする。


「縛」

 雨音がそう言った瞬間、より一層強く光ったと思いきや次の瞬間悪鬼は術式によって捕らえられていた。


「悪鬼、捕縛完了」

「了解、じゃ浄化してさっさと帰ろう!!」


そう言って雨音は札を取り出す。

 札は宙へ飛んだかと思えばいきなり地上5cm程で空中に止まり、雨音が近づくと札はコンクリートに張り付いた。そして腰に穿いた刀を抜き、札を貫いてコンクリートに刀身を差す。すると刀身から青い炎がたち、周囲を燃やしていく。一通り炎が収まりコンクリートから刀身を抜く。不思議なことに何も焼けてはいなかった。それどころか焦げ跡ひとつない。


「さて、浄化は終わった。」

「ん、分かった。ありがとう。」


雨音はそう言うとまたあの布と悪鬼の方に向かい何やら話している。


「雨音何しているんだ?」

「いや...今回は少し妙なだなと思って」

「そりゃそうだろ布と悪鬼の逢瀬なんて珍しいどころの所の騒ぎじゃない」

「いやそうなんだけどそうじゃなくて」

「なに?他にもなにか?」


雨音は神妙な顔をして続ける。


「この一反木綿は悪鬼と意思疏通出来ていたと...」

「いやそれはこの布の思い込みだろ??」

「そうなんだが...なにか引っ掛かってて...ん?...いや?待てよ??」

「また始まった。」


 いつもとは言わないけど、雨音はいきなり黙って考え込むことがある。それだけ興味深いのだろうが正直屋敷に帰ってからにして欲しいのが本音だ。


「雨音?」

「ん?あぁ...もしかしたらその思い込みは蜜月花によるものではないかと思って考えていた。」

「あの布が無断で試作あの薬品の材料になった花?」

「そう、その蜜月花なんだけど危険度4の採取禁止植物で強い催眠、興奮、意識錯乱、重くなると意識不明を引き起こす植物なんだがそれを思うと納得できる部分が幾つかあって、それに蜜月花に疑似人格を付与するなんて効果聞いたことなかったから...まぁ...取り敢えず報告書にしたためることにする。」

「なるほど...確かに」


 こういうとき雨音は色々考えてるんだなと思う。僕はこういうのは苦手だ。純粋にすごいと思うし尊敬する。でもやっぱり悔しいものは悔しいのだ。


「よし一段落ついたし身柄を引き渡して報告書を書いたら少し遅いけど昼食にしよう。」


そう言って雨音はどこからともなく角灯(かくとう)を取り出し捕らえた布もとい一反木綿と悪鬼を格納する。


どういう仕組みなんだろうか。毎度のことなので考えてもわからないと早々に考えるのを諦める。僕は雨音のようにはなれないのだ。


――


「「いただきます」」


食卓には、秋刀魚の塩焼き、小松菜の和え物、白ご飯に野菜の味噌汁が並んでいる。


 秋刀魚の塩焼きは形の崩れがなく綺麗な狐色に目に留まる。箸でその身を崩し口に含む。すると秋刀魚独自のなんとも言えない苦味のようなものが口内に広がり次いでほんのりと優しい甘さを感じる。


 塩が程よい加減でご飯が欲しくなると左手に茶碗を持ち、ご飯を箸に乗せる。白く艶やかでふっくらと炊き上がった白米はなんとも言いがたい優しい香りがする。


 口に含むと白米の優しい甘さが先程の秋刀魚の塩焼きの塩味とご飯の優しい甘味が合間って箸が進む。


 そこに野菜の味噌汁!具材はキャベツに、にんじん、大根、シンプルだがそれがいい。リクエストしたかいがあった。


 味噌汁の味付け自体は濃い目なのだろう。しかしながら具材の野菜の水分量が多く、その水分は甘味があるのか使用しているのはいつもの味噌だろうが普段とはまた違う甘味を感じる。


 味噌汁で一息ついたあとに目に留まるのはやはり小鉢だ。今日は小松菜の和え物だ。胡麻油だろうか?独特の香ばしい香りが尚も食欲を刺激する。


 香辛料も共に和えているのか舌にピリッとした辛味を感じる。そしてそれらがまた白米と合う。ここまでわりと長かったが簡潔にまとめよう。要するにとても美味しいのだ!!


 これをあの雨音が作っていると考えると負けた気がしなくもないが、この膳を前にそんなことは言ってられない。


 これがお袋の味という奴なのか...なぜか懐かしい味がする。いや雨音は僕の母親ではないが!?

 ゴホンッ...改めて何が言いたいかというと、雨音の作る食事はとても美味しいんだ。


――


「今日は何茶がいい?」

「そうだな...無難に緑茶がいい」

「分かった。少し待ってて」


そう言って雨音は台所へと向かった。

 食後お互いに時間があるときは雨音はこうしてお茶を入れてくれる。


「なんか老後みたい」

 

 用事があれば外に出掛けるがそれ以外は基本この屋敷でお互い好きなことをして特別何かがなくとも気が向いたら二人でお茶を飲みながら雑談をする。これを老後と言わずしてなんというのか、残念ながら僕はそれを表現する言葉を知らない。


「お待たせ。」


 そう言って雨音は淹れたてのお茶を僕に差し出した。茶器からは白い湯気がゆらりと上がっている。


「ありがとう」


そう言って茶器を受けとる。


「なぁ、雨音」


庭に咲いている季節外れな花達を見ながら言う。


「なに?」

「今度さ?空と陸を誘って伊ノ屋にいかない?」

「あぁ、今回の任務の捕縛対象がもし知り合いだったら奢らせるって話の...それだったら今回の一反木綿は初対面だったけど」

「そうじゃなくて、たまにはみんなでお茶するのもいいなって思っただけ!だめ!?」

「うん、いいよ。みんなで行こう。いつにする?」


 雨音が軽く笑いながら言う。


 こんな風に雨音とお茶をするのも良いがたまにはあの双子とも話したい。二人ともきっと喜んでくれる。


「そうだ!雨音お前、今貯まってる仕事あるだろ!?それを片してからだな」

「...いや?そんなものないが?」

こいつ堂々と嘯き(うそぶき)やがった...

「雨音...お前の部下達が僕のとこに来て言ってたぞ?お前が仕事を貯めるから自分達は毎日書類仕事をしてるって可哀想に」

「いいんだよあいつらは優秀だし、それに上が堅苦しいと下の奴らも休まらないだろ」


もっともらしいこと言いやがって...


「いやどちらにせよお前が仕事を貯めて仕事が増えている部下達に、休まらないも何もないだろ!!」

「いや確かにそうだけど、上がそんな調子だとアホな奴が増えるんだよ。」

「アホな奴って?」

「上の首を狙おうとするアホな奴らのこと」

「そんな奴いる?」

「いるんだよ。黒芭(くろば)がそうだろ」

「あぁ...言われてみれば確かに」

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