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ゴージャス♨三助

作者: コーヒー牛乳

「ゴージャス♨三助」

    

初夏の涼しい風が、青山キラー通りのカフェのウッドデッキを掃いていく。

 その上をつがいのツバメが舞い、そして、風呂井三太郎と恋人絆サクラの座っているカフェの軒下に作られた巣に戻って行く。

 「わあ、ツバメだ、あかちゃんいるかな」

 絆がアヒル口を作ってアニメ声で言った。

 「そうだね、巣があるから、ひながいるんじゃないかな」

 風呂井はさりげなく絆の間違いをただし、会話に乗って見せた。

 「お待ちどう」

 カフェのマスターが手書きのラテアートのあ入ったカフェラテを二つ自ら運んできた。

 「風呂井君、相変わらずイケメンだね」

 ヒゲのマスターが声を掛けた。

 「いやだなあ、マスター、毎回毎回、からかわないでくださいよ」

 マスターがかぶせて言った。

「風呂井君が一人でこのウッドデッキの席に座っていてくれれば、女性客が増えるのに」

 絆がふざけて怒ったように言った。

「ダメよ、風呂井君は、私としかこの店来ないんだから」

 マスターが頭をかきかき

「そうかあ」と言った。

 そして三人はカフェーの常連のたわいない会話をたしなみ、笑った。

「ごゆっくり」

 絆がラテに視線を送った。

 ラテにはミルクフォームで串切りのリンゴのような絵が描いてあった。

 「なんだろう」

 絆が小首をかしげた。

 風呂井のラテにも同じようなモノが描いてあった。

 風呂井の目が輝いた。

 「わかった、こうするんだよ」

 風呂井は自分のカップを絆のカップにくっつけて置いた。

 「あ、ハート型、かわいー」

 風呂井はジェットブラックのアイフォンを取り出すと絆の肩に手を掛け、二つのカップで出来たハート型のラテアートが入るように自撮りした。

 そしてその写真をその場でフェイスブックにアップした。

 タイトルは「世界で一番幸せなラテ」であった。

 それから二人はたわいもない会話を延々と繰り返し、何かを見つければ写真をとり、フェイスブックにアップした。

 そして、ラテアートがカップのふちの粟になる頃、風呂井はアイフォンを見た。

 「あ、もうこんな時間だ」

 彼はテーブルの上に広げたガジェット、アイパッド、モバイルバッテリー、360度とれるデジカメ等をザ・ノースファイスのデイパックにかたずけ始めた。

 「もう、帰るの」

 絆が寂しそうに上目使いで言った。

 「また、すぐ会おうよ」

 風呂井はにっこり笑って言った。

 勘定を済ませると、風呂井はカフェの外に立てかけてある、ジャイアントのロードレーサーにまたがった。

 「じゃあ、また」

 風呂井はにっこり笑って手を振って、走りだそうとした。

 「待って」

 風呂井はペダルを踏むのを止めた。

 「何」

 絆は両手を胸の前に組んで言った。

 「今度、風呂井君の家に遊びに行きたいな」

 風呂井のさわやかな笑顔が、急にあたふたとし始めた。

「だ、ダメなんだよ、急には」

 五月の夕暮れ、風は季節を巻き戻し、すっかり冷たくなっていた。

 しかし風呂井の額にはじっとりと汗が浮かんでいた。

「どうして」

 絆が一歩間を詰めて来た。

「どうして、その」

 絆が目をウルウルさせながら近づいてくる。

「なんで、てその」

 風呂井はきょどっていた。

「そうだ、宇宙人が」

 絆は目をまん丸くした。

「宇宙人が、ですって」

 風呂井はその後の展開を考えていなかった。

「いや、なんでもない」

 そういうと風呂井は苦笑いを浮かべて、ロードレーサーのハンドルを握った。

「とにかくダメなものはダメ」

 風呂井はペダルを漕いだ。

「ラインするねー」

 その声を残して、風呂井は去っていった。

 残された絆が、ひとりごちた。

「宇宙人が」

_

「さて」

 風呂井はロードレーサーを止めた。

 風呂井は思った。今日は危ない所だった。僕の秘密が絆サクラにばれる所だった。

 風呂井は一件の銭湯を見上げた。この中に彼の人に知られたくない秘密が隠されている。

 豪壮な曲線の唐破風屋根。桟の所には延喜物の鶴と亀、唐松模様が彫ってある。

 玄関のガラス戸には「はだか湯」と書いてある。

 風呂井は裏手の勝手口に回った。

「ただいま」

 そこにはステテコに丸首シャツ、頭にはねじり鉢巻きの、でっぱらの中年男が立っていた。

「とうさん」

 風呂井は気まずそうな顔をした。

 帰って来て猪の一番いやな人に会った。

 「今日はお前に話がある」

 風呂井は冷や汗をかいた。きっとあの話に違いない。

 「座れ」

 風呂井は大家さんにもらった、籐製のエマニュエル夫人が座っていたという椅子に座った。

 もちろん、足を組んで。

 三太郎の父は有無を言わさずとばかりにはっきりと言った。

 「三太郎、お前は高校卒業後、このへちま流流し術を受け継ぎ、第三代風呂井三助の名を受け継ぐのだ」

 三太郎の父は、黄色いケロリン桶にへちまたわしを入れて三太郎に見せた。

「ふさわしい腕になったら、わしの三助の名と共にこの三助セットを与えよう」

 三太郎は抵抗した。

「嫌だよ、このご時世に三助なんて、世間体が悪いよ、僕は父さんの仕事が恥ずかしいよ」

 三太郎は三助セットを腕で払った。

「だいたい、三助はとうさんの名前じゃないか」

 以外という風に父、三助は言った。

「お前、わしの本当の名前知らないの」

 三太郎は首を振った。

「わしの本当の名前は了じゃ」

 三太郎は驚いた。

「僕よりかっこいい名前で、それに学校の書類にも三助、て書いてたのに」

 三助は胸を張って言った。

「わしのへちま流二代目三助としての誇りじゃ」

 三太郎はそんな事よりとばかりに三助に懇願した。

「ねー、大学行かせておくれよ、今時高卒ではいい仕事に就けないのに、学歴が高卒、職歴が三助、て履歴書に書けないよ」

 三助が腕を叩いて言った。

「仕事なら、もう一生決まっておる」

 三太郎は泣きそうになっていた。

「いやだよう、三助じゃ将来結婚して家族を養えないよ、そもそも、三助の所に嫁に来る女なんかいないよ」

 三助はエッヘンと言った。

「お前の母さんは、わしの所に嫁いできたぞ」

 三太郎は子供に様に駄々をこねた。

「とうさん、息子が将来経済的に困窮しても構わないのかよ、三助の稼ぎが幾らだか、僕が知らないとでも思っているのかよ」

 三助は涼しい顔で言った。

「お一人様四百五十円、一日当たりの上りはだいたい五千円、除くチップ」

 三太郎は呻くように言った。

「一日五千円、一月あたり十三万円の売り上げ」

 三太郎ははだか湯の天井を仰いだ。

「年収百五十六万円、下流生活決定」

 三太郎はまなじりをキッとして三助に言った。

「とうさん、俺、家を出ます」

 三助はにやりと笑った。

「ほー、お前のあのアイフォンの費用、だれが出してるの、アイパッド、ロードレーサー、誰が支払ったの」

 無職の高校生、三太郎はぎゅっとこぶしを握った。貯金もない。

 三助は言った。

「ありゃあ、母さんの生命保険からじゃ」

 三太郎はガクッとした。

 三太郎の母は五年前に病気で死んだ。それなりに纏まった保険金を残して。

「なんだ、父さんの稼ぎじゃないのか」

 三太郎は口をトンガらがせて言った。

「大体、この二十一世紀に、三助なんて、古臭いよ」

 三助は腕を組んで力強く言った。

「お前の時代には、新しいやり方があるはずだ」

 三太郎は口をトンガらがせたまんま三助に聞いた。

「新しい、って何さ」

 三助はそこまで考えてなかった。

「そうだな、うーん」

 三助は暫く頸をかしげていた。

「例えば、ゴージャスな、三助とか」

 三太郎は落胆した。

「知ってるカタカナ言ってみただけかよ」

 三太郎は自分の将来に暗然とした。

 その様子を番台の上から見ていた、はだか湯オーナー、鶴亀万蔵が、三太郎に声を掛けた。

「あんたが三助を継ぐのならば、家賃はただでもいいよ」

 風呂井親子は男湯の脱衣所の片隅に寝泊まりしていた。

「一生を脱衣所で過ごすのか」

 三太郎は寝なれた、磨き抜かれたぴかぴかの脱衣所の床を見た。

「憧れの一人暮らし、マンション」

 落ち込んでいる三太郎を見て、鶴亀は心の中で声を掛けた。

 三太郎や、お前にも何時か分かる、世の中には自分のやるべきことが、自分で見つけられない人がどんなにいっぱいいる事か。

 今はいやいやでも何時かきっと、三助という仕事が自分のやるべき仕事、生きがいになるだろうよ。


 さて早速その日の午後から、三太郎の修業が始まった。

 三太郎もステテコ、丸首シャツ、鉢巻き姿になっている。

 三助が手順を説明しだした。

「お前も知っているとおり、三助を頼む客はは、番台で代金を払うと、木の札をもらう。札にはあらいと書いてある。客はそれを自分のカランの所に置いているから、それを目印にするんだ」

 三助はまくし立てた

「あらいの修業については、やるしかねえほんとはわしが実験されればいいんだが、それじゃわしが客をとれねえ、だからなるべくわしと並んで客に座ってもらって、わしの技を盗め!」

 三太郎はうわの空である。

 三助は禿げ頭をつるりと撫でて言った。

「あとそれから、客のながしの順番を間違えるな、これが意外と大事なんだ」

 三助の忠告もこれまた三太郎には馬の耳に念仏だった。

 一番客が来た。近所の常連の八十がらみの爺さんだ。

 爺さんはまるまる太った体を椅子に置くと、かたりとながしと書かれた木札をタイルの床に置いて言った。

 「たのむよ」

 三助が、

「はいよ」と返事をしてながしを始めた。

 へちまにレモン石鹸を塗って泡立て、まずは背中を流す。

 結構力が入っている。

 その後客の肩に手ぬぐいを掛け、マッサージをする、揉んだり、たたいたり。

 背中から腰に向けてマッサージが進み、

仕上げはおでこを左手で支え、首筋をポンポンとたたく。

 後はお湯を流しておしまい。

 ちょうど次の客が来た。

 近所の左官屋の大将で、年は六十絡み、

 角刈りの胡麻塩頭に、でっぷりとした腹をゆすって、木札を置いた。

「頼むぜ」

 三助が三太郎を目で促した。

 三太郎はうんざりした。

 何が悲しゅうて、この十八歳の若さの僕が、おっさんの体をさすらにゃならんの。

 だが、左官屋のおっさんのでかい背中は、逃げてはくれない。

 ながしを終えるまでは。

 三太郎は決めた、無になる事にした。

 へちまにレモン石鹸をなすり、泡立てる。

 ため息を吐きながら、左官屋のおっさんの背中を流し始めた。

 左官屋のおっさんが話しかけてくる。

 「兄さん、跡取りかい」

 三太郎は答えなかった。

 「なんだい、無愛想な野郎だ」

 ここではないどこかへ行きたい、三太郎は誰でもないものに願った。 

 そうすると三太郎の脳裏に絆サクラの姿が浮かんできた。

「三太郎さーん」

 日比谷公園の森の中を絆が白いチューブトップ姿にハットをかぶり、小走りに掛けてくる。

「絆さん」

 三太郎は絆の手を取り、大きなイチョウの影に連れて行った。

 そして、絆を木の陰によっかからせた。

 ハットを取った。

「三太郎さん」

 絆は初めてのキスの予感に目を閉じた。

 三太郎は目を開けたまま、絆のピンク色の唇を…

 その時、三太郎の下腹部が、左官屋の後頭部を弾いた。

 左官屋のおっさんが振り向いた。

「おい、何しやがんだ」

 三太郎のステテコの下腹部が隆々と勃起している。

「あ、これは」

 三太郎は顔を真っ赤にして股間を押さえた。

「客に劣情を催すとは、しかも、コレの、老人フェチか」

 左官屋は右手を左手の頬に当ててシナを作った。

「おー、こえー、こえー、ほられちゃたまんねえ、もう流しはいいよ」

 そう言って左官屋は脱衣所に向かった。

 三助がかんかんに怒っている。

「お得意さんをしくじりやがって」

 三太郎は収まらない股間を押さえてしょんぼりとした。

 それから三太郎はミスを繰り返した。

 客の順番を間違える、客の背中に爪を立てる。転んで客にぶつかる。

 初日とはいえ目に余る。

 三助は我が息子の姿にため息をついた。

 親として、へちま流三助の師匠として、何か手を打たなければ。三助は常連の背中をマッサージしながら考えとぃた。

 

「ニイハオ」

 はだか湯の扉が開いて、一人の老人が現れた。

「おお、学さん、よく来た、よく来た」

 三助が出迎えて、学さんと呼ばれた老人の手をがっしと握って振った。

「三太郎、今日はお前の為に先生を連れて来た」

 脱衣所のエマニュエル夫人の椅子に、うつむいてブルージーに座っていた三太郎は、立ち上がりもせず、会釈した。

 三助は三太郎に声を掛けた。

「服を脱いでこっちに来なさい」

「学さんは、中国の垢すりの名人だ、今日はその施術を受けるんだ」

「あかすり、僕毎日風呂入ってるんだよ、出ないよ」

「いいから、いいから」 

 三太郎はしぶしぶ裸になった。

 学さんが言った。

「ここはベッドが無いから、床に寝て」

 三太郎はタイルの床にうつぶせに横たわった。

「ああ、冷たい」

「じゃあ始めるよ」

 学さんは流ちょうな日本語で言った。

 三之助の背中にお湯が掛けられる。

 三之助は背中に垢すりが当たるのがわかった。

 その加減の絶妙な事!

 もう少しで痛くなると気持ちいいのの狭間を不快に感じさせず、垢すりは三太郎の体を滑って行く。

 足の先まで行くと、学さんは、

「今度は裏返って」と三太郎に言った。

 三太郎が体を回転させて、学さんを見ると、右手の垢すりには、黒々と垢がたまっていた。

「すごい」

 三太郎は驚いた。

 体の表側も心地よく垢すりがされた。

 肩から、腹、太もも、足と学さんの手が進んでいく。

 三太郎はそれを見て、感じた。すごい技術があるんだな、と

 さて両足が終わった。

 「謝謝」

 三太郎は知っている普通語でお礼を言った、その瞬間、

 「おひょー」と絶叫した。

 学さんが三太郎の陰茎を握り、その金玉の裏を垢すりし始めた。

 「そ、そんな所はしなくていいです」

「仕上げじゃ」学さんはそう言って手を止めなかった。

 が、かと言って痛かったり、不快な訳ではなかった。垢すりは絶妙に心地よい。

 そして金玉の垢すりが終わると、三太郎の体にお湯が掛けられた。

「ほら」学さんは右手の垢すりに集めた垢を三太郎に見せた。

野球ボール大の垢が溜まっていた。

「こんなに」三太郎は感動した。毎日風呂に入っている自分から、こんなに垢を集められる、痛くもなく、むしろ気持ちいい。

「どうだった」

 三助が三太郎に声を掛けた。

「気持ちよかった」

「そうだろう、世の中にはお前の知らないすごい技術があるんだ」

 三助は腕組みをしてしみじみと言った。

「わしらのへちま流三助術もこの極みを目指したいものだ」

 学さんは三助の師匠筋に当たるらしく、

今回三助の招待に応じてくれたようだ。

 学さんはそれから数日はだか湯に滞在して、三助と旧交を温めて、帰って言った。

 見送りの後、三助は言った。

「でもな、わし達はまだ幸せだぞ、人の金玉、生で触らなくていいんだから、学さんはずうっと北京の銭湯にいて、朝から晩まで人の金玉触ってるんだぞ」

 三太郎が、判ってないなとばかりに三助に言った。

「学さんと銀座に買い物に行った時、爆買いがすごかったよ、とても同じ銭湯稼業とは思えなかった」

「へ」三助が間抜けな顔をした。

「学さん、北京の中南海で、共産党のお偉いさんの垢すりをしてて、稼ぎがすごいんだってさ」

 三太郎が寂しそうに言った。

「収入の点では、学さんには敵わないよ」


 「来ちゃった」

 はだか湯の入口に、絆サクラが立っていた。

 番台の鶴亀が老眼鏡越しに、ほう、こちらを見ている。

 絆サクラは白いワンピースに麦わら帽子でお嬢様コーデで決めている。

 かという三太郎は、ステテコに丸首シャツに鉢巻といういで立ちだ。

「な、なんでここが」

「ナイショ」と絆サクラが小悪魔チックに笑った。

「風呂井君は、なにやってるの」

「こ、これは、宇宙人が」

「宇宙人が」

 勿論その後の事を三太郎は考えていない。

「へちま流の三助の修業中なんですよ」

 三助が三太郎の後ろから言った。

「三助、てなに」絆サクラが聞いた。

 「失礼、わしは三太郎の父で三助、三助は銭湯で、客の背中を流したり、マッサージしたりする仕事だよ」

 絆サクラが小首をかしげて言った。

「それってお金いっぱいもらえるの」

「いや、全然」三助がなぜか自慢げに答えた。

「こいつは高校出たら、わしの後をついで、三助になるんだ」

「三助はおじさんの名前じゃない」

「いや、わしの本当の名は了で」

 絆サクラが目に涙を浮かべて言った。

「何言ってるかわからない、風呂井君はあたしとおんなじ大学行くんでしょ」

 三太郎はあふあふしている。

「高卒で、そんな将来性のない人は付き合えない」絆サクラは存外計算高い言葉を残して去っていった。

 がっかり肩を落とす三太郎に、三助は声を掛けた。

「大丈夫だ、あの子泣いてたから、また戻ってくるよ」

 三太郎は泣いていた。

「もう恋愛するチャンスは二度と来ないかもしれない」


 三助が修業中の三太郎に言った。

「いいか、一見わし達が客に奉仕しているように見えるが、そうじゃないんだ、客もわし達に力を与えてるんだ」

 近所のご隠居さんの背中をかぽかぽ叩きながら、三太郎は聞いていた。

「なに禅問答みたいなこと言ってるんだ、僕がお客にサービスしているんじゃないか」

 あの絆サクラの一件以来、三太郎はただでさえ気の乗らない三助修業が更に身の入らない物になっていた。

 心の中は寝ても覚めても絆サクラの事ばかり、どうやってこの三助地獄から抜け出して、またイケメン男子としてストリートに戻るかを考えていた。

 ご隠居の肩をポンポンたたく。

 絆サクラの可憐なワンピース姿を思い出す。

 ご隠居の背中をトントンたたく。

 絆サクラのワンピースから、スラリと生えた美脚を思う。

 ご隠居の腰をパンパンとたたく。

 絆サクラの白い二の腕を渇望する。

 偶然に今、三太郎はご隠居の存在を完全に忘れている。

 三太郎の腕だけが、絆サクラの事を考えている妄想だけをエネルギーにして、ある意味、客の事を無にして叩いていた。

 ご隠居が言った。

 「おー、今日は叩き方がうまい」

 その声に三太郎は我を取り戻した。

 そうか、僕が客の背中をたたき、客が僕に背中を無防備にさらしだしている、三助は客の背中がなければ成り立たないのだ僕が客の背中をたたき、客が僕に背中をたたかせている。行ったり来たりだ。

 ああ、僕はここに三助道の究極を見たのかもしれない。

 とんとんとんとん背中をたたき、とんとんとんとん背中をたたかれる。

 客と三助の主従関係がぐるぐるとはだか湯の中を廻っている。

 ああ、僕は、やはり三助だ。

 三太郎がそう思った時、世界が真っ暗になった。


 ばっしゃーん。

 三太郎に三助が水をかけた。

「は、ここは」

 三太郎は、がばと跳ね起きた。

 「馬鹿野郎、三助の息子がこれくらいで、湯あたりしやがって」

「へ」

 三太郎は惚けていた。

「なんだ、そんな事か」

その時脱衣所のガラス戸ががらっと開いた。

「風呂井君」

 絆サクラが大胆にも男湯に入っている。

「わー」

 三太郎ははだかだった。湯あたりしていたのでステテコと丸首シャツを脱がされていたのだ。

 三太郎は慌てて股間にケロリン桶を置いた。

 絆サクラはそろそろと男湯に入ってきた。

 「この間はごめんね」

 三太郎は股間のケロリンをしっかり握りしめた。

「おじいちゃんに聞いたら、三助さん、て

たいこ持ちさんと同じくらい珍しい仕事だって言ってたの」

 絆サクラは後ろ手に手を組んでくねくねして見せた。

「それに昔は結構お給料もらってたんですって」

 三太郎は唖然として聞いていた。

「だから、三助がもう一度イケテル仕事になるように、あたしが考えてみようと思って」

 三太郎はようやく笑顔になった。失恋したのではなかったのだ。

 気が緩んで、ケロリン桶を持つ手が緩んだ。かこん。

 「キャー」

 絆サクラが両手で、格子を作りながら、顔を覆った。

 三太郎が言った。

「ご、ごめん、そして、ありがとう」

 そして三太郎は絆サクラに聞いた。

「で、三助をイケテル仕事にするには、どうすればいいの」

 絆サクラは銭湯の湯気の中、小首をかしげて考え居ていた。

 三助は三太郎とサクラの様子を満足気に眺めている。

 小考ののち、絆サクラは答えた。

「例えば、ゴージャスな、三助さんとか」

「親父とおんなじかい」

 三太郎はずっこけた。

 番台の鶴亀が入ってきた。

「さあ、もう一度始めるから、お嬢さんは出てった、出てった。

 絆サクラがさよならをした。

「風呂井君、またね」

 絆サクラが出てゆくと、近所のお得意さんが入ってきた。

 三助と三太郎のへちま流三助の音がもうすぐ聞こえるだろう。

 

            了

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― 新着の感想 ―
[良い点] 三助という職業を初めて知りました。 昔の庶民文化と現代の若者の出会いが明るく軽妙に書かれている。父・三助の「ただ者ではない」感、謎の中国垢擦り名人等、登場人物の個性も際立っていて楽しめまし…
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