魔女の血
─────だから………
僕のことは放っておいてくれと言ったのに……
10年前、母は僕の目の前で無惨に殺された。
その日からずっと僕は、母の敵討ちをすることだけを考えて生きてきた。
母は強かった。
その母を不意打ちとはいえ倒したんだ。僕なんかが叶うわけがない……
だからといって無理だと諦めるくらいなら死んだ方がマシだった。
僕の命なんて……
どうでも良かったのに────────
「まずはひと~り。」
狼男が醜悪なまでに顔を歪ませながらゲラゲラと笑った。
───────ツクモ………
会った時から失礼極まりない奴だった。
僕がどんなに冷たくあしらっても構わず話しかけくるから鬱陶しくて仕方がなかった。
でも……
何度も僕を助けてくれた。
僕のためを思って忠告してくれていたのに……
少しでも僕が聞いていれば……
……ツクモが死んだのは僕のせいだ……
「他人を助ける為に死ぬとはな。くっだらねえなあオイっ。」
狼男はツクモが倒れている場所に向かって何本もの尖った木を放り投げて地面にズブズブと突き立てた。
楽しそうに…笑いながら──────
「貴っ様……!」
狂いそうなぐらいの怒りで目の奥が熱くなる……
瞳が燃えるように紅く色付き出した。
髪が風になびくように長く伸びていき、身体中がオーロラの光に包まれていく……
僕の姿は女へと戻っていた。
ペンダントの力無しで変身を解除出来たのは初めてだった。
「はあ?なんだっ?!おまえ…女だったのか!!」
うろたえる狼男を睨みながら空に向かって手をかざした。
僕の気持ちに呼応するように大気が震え、星空が渦を巻いた真っ黒な雲で覆われていった。
「なんだこの桁違いの魔力……?それにその紅い瞳……まさか、おまえ魔女なのか?」
ぶ厚い雲からパチパチと激しい電流が漏れる。
「雷は無駄だっ俺には効かねぇよ!」
僕は狼男に向かって手を振り下ろし〈デンデ〉と唱えた。
天地を引き裂く轟音と共に、怒り狂った雷が大地を這う。
一瞬にして狼男の周り一帯が、黒焦げの大地へと化した。
「木が……1本もねえ!なんだこりゃあ?!」
僕は魔法書を取り出して〈フレア〉のページを開いた。
手をかざして念じると、魔法書からは月夜を突き抜けるくらいの巨大な火柱が上がった。
「ちょっ……一旦落ち着けよお嬢ちゃん、なっ?おじさんちょっと人間に腹が立っててさあ。でももうやんねえから。約束するよ、なっ?」
狼男は完全に戦意を消失していたが、その口元は相変わらずニヤついていて締りがない。
人間に腹が立ったからという理由で何の罪もない人々を殺し続けたのか?
よくも……ツクモまで………!!
「許してくれよ~なあ…いいだろ?」
「……許すわけがないだろ。死をもって償え。」
死の宣告を受けて逃げ出した狼男に向けて〈フレア〉を放った。
巨大な火柱が生き物のように狼男の背後から襲いかかった。
業火に包まれた狼男が体を焼かれてもがき苦しんでいる……
肉が焼ける嫌な匂いがした。
しばらくすると狼男は地面に倒れ込み、やがて……動かなくなった。
僕も膝から崩れ落ち、地面に突っ伏した。
母が殺された夜も今日のような満月の夜だった。
幼かった僕は、真っ暗な森の中で母の姿を求めて泣きながらさまよい歩いた。
否が応でも母の時とツクモが重なる………
結局僕は、あの頃とちっとも変わってなんかいない!
「イヤだ、イヤだイヤだイヤだっ……!!」
胸が、息が出来ないほどに締め付けられる……
これから僕は…何度こんな気持ちを味わえばいいのだろうか……
もう目の前で誰かを失うのが怖いっ……!
全てが終わったと思っていた僕は、不気味な影がにじり寄って来ていることに気付くことが出来なかった。
突然腕を引っ張られてそのまま地面へと押さえつけられた。
肉が焼け焦げて骨が半分むき出しになった血だらけの塊が、僕の体に股がって来た。
「詰めがあめえな~お嬢ちゃ~ん。」
ソレは……狼男だった───────
そんな……
あれを食らってもまだ生きていられるのか……?
「おまえ魔女のクセに魔法書なんて使うのかよ。本当に魔女かあ?」
狼男は生暖かい舌で僕の体をねっとりと舐めまわし、コートの下に隠していた魔法書を絡めとって空高く投げ捨てた。
そして血を垂らしながら口を開けると、鋭い牙で僕のシャツのボタンを引きちぎった。
左胸にある、ハート型の印があらわになった。
「胸にハートのマーク……聞いてた通り、本物だあ〜っ!」
狂喜したように笑う狼男の口からは大量の唾液と血がボコボコと溢れ、僕の上にボタボタと落ちてきた。
うっ…気持ち悪い……
「魔女の体を切り裂いて血をすすると無限の魔力が手に入るって本当かあ~?」
……なんだそれは……?
こいつ……まさか僕を食べるつもりなのか……
「同類のよしみだ。一瞬で殺ってやらあ。」
必死に逃れようとしたが狼男の力は強すぎてビクともしない。
狼男には〈デンデ〉は効かない。
魔法書も投げ捨てられた。
もう……為す術がない………
「綺麗な体だなあ。うまそうだぜえ。」
狼男は唾液と血で粘ついた口を大きく開くと喉元にかぶりつこうとした。
まさにその時───────
夜空から黒い帯のような塊がバサバサと近づいてきたかと思ったら狼男の脇腹に勢いよく衝突し、その巨体を跳ね飛ばした。
何千、何万匹はいるのだろうか……狼男を飛ばしたあとも黒い帯は何百mにも渡って押し寄せ、当たり一面を暗闇へと覆った。
それはコウモリの大群だった。
物凄い数である。
「魔女が狼男ごときにやられてんじゃねえよ。」
聞き覚えのあるこのハスキートーンの声はっ……
コウモリの大群の上に満月を背にした人影が立っていた。
あれは……ツクモっ──────?
驚く僕に向かってニッと笑った口元には、白くて尖った歯が二本生えていた。
ツクモの口にあるアレは牙だよな……?
あんなもの…生えていたっけ……
そもそもツクモって腹に木が貫通して死んだんだよな……
何がどうなっているんだっ?!!
「おまえ、ヴァンパイアか……」
狼男がツクモを見ながら忌々しそうに呟いた。
……今なんて言った?
「チッ……面倒なことに巻き込まれたくなかったから、魔法も使わずに人間の振りして生活してたっていうのに。」
ヴァンパイア……だと?!
ツクモも人間じゃなかったのか……!!
「ふざけるなっ!なんで僕に話さなかった?!」
「秘密主義なのはお互い様だろ。」
「本当に死んだかと思っただろ!!」
「安心しろ。ヴァンパイアは銀の十字架を胸に刺されない限り、死なない。」
ツクモは胸に親指を突き立てると僕に向かってウインクをした。
本来なら生きていたことを喜ぶところなんだろうけれど……
なんだろう、すっごい腹が立つ!
ツクモは僕の隣にひらりと舞い降りると、指を口に加えて甲高い口笛を吹いた。
それを合図に渦を巻いていたコウモリの大群は、また帯を成して空高くへと帰っていった。
あれは…ツクモのペットかなんかなのだろうか……
「十字架にニンニク、太陽の光も駄目な弱点だらけのひ弱なヴァンパイアが何人増えようが、俺様の敵じゃあねえわ!」
狼男は激しく吠えまくりながら、焼け焦げて転がっていた大木を2本掴むと空高くへと放り投げた。
「三百年生きてる俺様をなめんじゃねえ!!」
それは満月の所でちょうど交わり、シルエットが十字架のように見えた。
ツクモはそれを目にすると胸を押さえて苦しみだした。
「ざまあねえな。よくも狼男ごときだと?笑わせんな!」
狼男は口から血反吐と一緒に何かを吐き出した。
先ほどの神父の持ち物だろうか……それは十字架のネクレスだった。
「うっ…やめろっ……!」
ツクモはまともにそれを見てしまい、身悶えしながら地面へと倒れてしまった。
狼男が十字架を指でクルクルと回しながら楽しそうに近付いてくる……
ツクモを助けないとっ……
周りを見渡したが投げ捨てられた僕の魔法書が見当たらない。
狼男はツクモの髪を掴んで強引に顔を引き上げ、十字架を額へと押し当てた。
ツクモの苦痛のうめき声に狼男は恍惚の笑みを浮かべる……
相手が苦しむのを見て興奮するだなんて……どこまで性根が腐ってやがるんだ。
早くっ…魔法書はどこだっ?!
「……な~んちって。俺の演技上手かった?」
ツクモはそう言ってペロっと舌を出すと、狼男の鼻頭を思っきりぶん殴った。
突然のパンチに驚いた狼男は目をパチクリとさせている。
「なんで十字架が平気なんだ!おまえ…本当にヴァンパイアか?!」
「ヴァンパイアだぜ、半分だけな。半分は人間だ。」
ツクモの答えに狼男はもちろん、僕も言葉を失った。
は、半分人間とかも有りなのか?
「おまえの唾のついた十字架、くっせえんだよ。」
ツクモは中指をおっ立てて狼男を挑発した。
冷静に考えたら校舎裏で太陽の光を浴びながら昼寝をしていたし、ニンニクの効いたご飯も美味しそうに食べていた。
ツクモが無駄に迫真の演技をするもんだから僕まで騙されたじゃないかっ!!
「クソ生意気な~っ!半分人間の分際で調子に乗るんじゃねぇえ!!」
狼男が全身に青筋を立てて目を血走らせると、筋肉がメキメキと隆起して体がさらに巨大化していった。
前身からみなぎる鬼迫に煽られ、恐ろしさで身震いがする……
肉が焼け焦げて骨が半分むき出しになった瀕死の状態なのに、まだこんなにもパワーが残っているのか……?
とてもじゃないけど勝てる気がしない……
「おいシャオン!」
無力感に襲われそうになった僕をツクモが呼んだ。
「狼男はすごいタフだ。俺が奴の動きを止めるから、フレアをもう1回思いっきりぶち当てろ。」
「僕にトドメを刺せと言うのか?あんなの無理だっ!」
「おまえが売った喧嘩だろ?無理じゃない。やれっ。」
……ツクモの言う通りだ。
心のどこかでツクモが倒してくれるんじゃないかと甘いことまで考えていた。
そんな考えじゃいつまで経っても母の敵など討てない。
意を決して辺りを見回したのだが、肝心の魔法書がどこにも見当たらない。
「本で出す魔法なんか見てくれだけのハリボテだっ。おまえ魔女だろ?魔法陣なんか自分で出せ。」
練習も無しにレベル2の火炎魔法を?
それこそ無理だ。出せっこない!
ツクモは僕の不安を取り除くように、人差し指をピストルのようにして僕の胸をバンと撃ち抜いた。
「自分の中にある血を感じろ。」
そう言うとツクモは狼男へと向かって行った。
血………
………僕の中の魔女の血──────
まだ自分が魔女だなんて信じたわけじゃない。
でも………
幼い頃から自分には人とは違う何か特別な力が秘められていることはわかっていた。
それは自分自身でもとても制御出来るようなものではなく、とてつもなく恐ろしいものなのだと本能的に感じ取っていた。
だから決して触れてはいけないパンドラの箱のように、必死で開かないようにと蓋をしていたのだ……
暴れ狂う狼男をツクモが一人で相手をして僕のために時間を稼いでくれている。
僕は静かに瞼を閉じて精神を研ぎ澄ませ
自分自身と、向き合った─────……