一方通行
血の跡をポタポタと落とし、自分の居場所をわざわざ人に教えてやがる……
だからド素人かっての。
ずっと辿っていくと、それはフラワーガーデンと呼ばれる花が咲き乱れる庭園内にある温室へと続いていた。
中に入るとむせ返るような暑さだった。
「おいっ。大丈夫か?」
大きな花が垂れ下がるように咲いた南国産の木に、シャオンは頭からもたれかかり苦しそうに喘いでいた。
傷を押さえている布が血で真っ赤に染まっている。
「……ツクモ……だったのか?」
俺の登場に驚きの表情を隠せないでいた。
どうやら白コートから逃がしてくれたのが俺だとは気付いていなかったようだ。
顔を隠してたとはいえ、一緒の部屋で暮らしてんだから声で分からねえのか?助けがいのない奴だ。
てか、男に戻ってるじゃねえか……もう一度あの可愛い姿をじっくりと拝みたかったのに!
「こんなとこで何してんだ?押さえるだけで止まるような傷じゃねえだろっ。」
俺は傷口の布をひったくった。
ぱっくりと肉がえぐれて出血量も酷いが、神経や骨にまでは達していないようだ。
「痛っ!何をする?!」
「傷に効く魔薬だ。医務室こじ開けてかっぱらって来た。」
シャオンの腕に薬を塗ってやった。
よほど意外だったのか、シャオンは大きな目をさらに見開いて、俺の顔をまじまじと見つめていた。
「貸してくれ……自分でする。」
俺から薬をもらうとシャオンは無言で塗り始めた。
魔法の薬である魔薬にもいろいろあって、特に治癒系の傷薬は作る魔導師によってピンキリなのだが……
10分もすると傷口は完全に塞がった。
多分原材料にもこだわった超高級品なんだろうなこの傷薬。
盗んだのが俺だってバレてとんでもない金額を請求されたらどうしよう……
「……どこまで知っている?」
強ばった声でシャオンが尋ねてきた。
いろいろと尋ねたいことがあるのは俺の方なんだが……
「どこまでって…おまえが女に変身したことか?それとも扉壊した器物破損か?それとも不法侵入……」
「もういい!ずっと僕を付けてたのか?なんて奴だっ!」
シャオンは俺を見てハッとした表情をすると、警戒するように体を仰け反らせて身構えた。
「あの吹雪の魔法は君が出したのか?」
なんだか俺のことを疑ってやがる。
助けてやったってのに……つくづく失礼な奴だ。
「あれは護身用でいつも身につけてるこの魔具で出したんだよ。」
左手にはめていた指輪を外してシャオンに見せてやった。
魔力のない人でも魔法が出せる、アクセサリー型の使い捨てタイプの魔具だ。
「君はあんな強力な魔法が出せる魔具をいつも持ち歩いているのか?なんのために?」
「世界にはいろんな国があんだよ。治安の悪い国じゃあこんなの常識だぜ?」
「奴を倒したのか?どこかに欠けた星の印がなかったか?!」
「星の印?さあ…見なかったな。アレは魔法で出してたんだろうな。直ぐに消えて居なくなったよ。」
シャオンは俺の説明に拍子抜けしたようにため息を付いた。
シャオンて奴らのことを追っているのか……?
なんて危険なことを……
白コートの背中の印に気付いていなかったのは助かった。
温室の中が白々と明るくなってきた。東の空から朝日が顔を覗かせたようだ。
シャオンはよろけながらもなんとか立ち上がった。
大量の血を失って貧血気味なのだろう、足取りがおぼつかない。
「待てよシャオン。俺も聞きてえことが山ほどあんだけど……」
「断る。」
強い口調で俺の言葉を跳ね返した。
はあ?助けてやった命の恩人になんだその態度はっ?
俺には質問してきたくせに!
「そうか。じゃあ今日あったことを今から全部学校に報告してくるわ。」
もちろんそんなつもりは微塵もないのだが、横をすり抜けようとした俺をシャオンは待てと言って引き止めた。
「ひとつだけ。答えられることなら答えてやろう。」
ひとつだけって……
上から目線でケチくさいことを言いやがる。
シャオンは奴らのことをどこまで知っているのか。
なんの目的があって嗅ぎ回っているのか。
地下空間に通じる奴らのアジトのことをなぜ知っていたのか。
そもそもシャオンって──────……
聞きたいことは他にも腐るほどあるのだが、俺が本当に気になっているのはそんなことじゃあない。
「……おまえってどっちなんだ?その…男なのか女なのか……」
……なんだろう。
なんだがすっごく照れるんだが。
こんなに心臓がドキドキするのは久しぶりだ。
シャオンが呆れたように口を開いた。
「一番聞きたいことがそれなのか?」
「悪ぃか?俺にとっちゃ重要なことなんだよっ!」
シャオンは少しためらったあと、俺から視線を外して気だるそうに答えた。
「姿を偽り続けるのにはとても魔力がいる。あの扉の封印魔法を破るには相当な量の魔力が必要だった。だから変身を解いたんだ。」
……てことは、てことは、てことは─────!!
「シャオンは女なんだな!!」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ……」
シャオンは両手を高々と上げて大喜びする俺を尻目に、よろけながらも再び歩き出した。
「シャオン!寮に着くまでは女に戻っとけよ。その姿だと魔力使うんだろ?」
「……襲われそうだからいい。」
シャオンは変態でも見るかのように俺を見た。
……酷くね?
誰かが俺の背中をポンポンと叩いて起こそうとしてくる……
数時間前にベッドに入ったってのに勘弁してくれ。
「ツクモ君、もう起きて用意しないと。また今日も遅刻するつもりかい?」
「……今日はだりぃから休む……」
この野太くてしゃがれた声……
ダルドって厳つい見た目の割には人当たりが柔らかなんだよな。
俺の体調が悪いと思ったのか、枕元に水と薬を置いてくれるし…良い奴だ。
どっかのツンケン野郎とは大違っ……
枕に顔を突っ伏していた俺はベッドから飛び起きた。
「シャオンは?!」
「えっ…シャオン君ならいつものように早起きしていたよ。寮の中庭で新聞でも読んでるんじゃないかな。彼の日課だからね。」
傷は治ったけど血の量はまだ全然足りてないはずなのに……真面目かっ!
急いで身支度を済ませてシャオンのいる中庭へと走った。
シャオンは何事もなかったように朝日が差し込む中でベンチに座り、新聞を読んでいた。
なにしてても絵になるよな…こいつ。
今日も女子寮からは悲鳴のような声が聞こえてきてるし……
女のくせになんでこんなにイケメンなんだ。ズルいだろ。
「シャオン、今日くらい休めよ。顔色悪いぞ?」
「休んだら怪しまれる。」
新聞から目を離さないシャオンの隣にドカッと座って足を組んだ。
毎日新聞を熱心に読んでいるのは奴らに関する記事を探しているんだろうか……
恨み?憧れ?人探し?単なる好奇心?
いずれにしてもシャオンにはこれ以上首を突っ込んで欲しくないのだが……
「怪しまれるって誰にだよ?おまえなんと戦ってんの?」
「質問はひとつだけだと言ったはずだ。」
シャオンは新聞を丁寧に折りたたむと立ち上がった。
ちょっとは距離が縮んだかと思っていたのに、相変わらず俺のことをシャットアウトするんだな。
「止めとけよ、また大ケガしても知らねえぞ。」
シャオンは苛立つようにベンチの背もたれをバンと叩くと、俺のことを睨みつけた。
「助けてくれてありがとう。でも助けてくれと頼んだ覚えはない。あんなの僕ひとりでも切り抜けられた。もう、僕のことは放っておいてくれ!」
カっチ───ン!
なんなんだこの言い草は?!
全っ然可愛くね─────っ!!
「俺はなあ!そん時楽しければいいし面倒くさいことは嫌いだし他人のことなんて正直どうだっていいんだよ!!」
「じゃあなんで僕に構うんだっ?」
言われてみればそうだ。
この学校が奴らと関係していることは確定している。
巨大な防御魔法で逃げ場もないこの状況で目立つ行動をすることは危険だ。
しかもシャオンは奴らのことを調べている。
今回は俺も顔を隠していたしシャオンも女の姿だったからバレずに済んだ。
でも次はそんなに上手くいくとは思えない……
俺が危険だから止めろなんて言ったところでシャオンが聞くわけが無い。
シャオンみたいな危なっかしいのを相手にしていたら、嫌でも面倒なことに巻き込まれるだろう……
分かってる…分かっているのに─────
俺はぐぁーっと叫びながら自分の髪の毛をガシガシとかきむしった。
シャオンが訳が分からないといった顔をしている。
「多分……」
俺はそう言って手を止め、熱い視線をシャオンに送った。
「よこしまな理由だ。」
シャオンが1、2歩後ずさりした。
「言っとくがおまえにじゃねえぞ!女の方のおまえがめっちゃ好みなんだ!!」
バカバカしいといった感じで、シャオンは叫ぶ俺を無視して学校へと向かっていった。
一服してから教室に入ると、ココアが小さな体で飛び跳ねるように近付いて来た。
「ツっクモ~!今週の金曜日にクラスのみんなで夜の街に出て交流会する計画してるんだけど、ツクモもどう?」
俺の周りを嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねて、まるで小動物のウサギのようである。
ココアはいつも明るくてクラスのムードメーカーみたいな存在だ。
無邪気な子供のような笑顔で話しかけられると、こちらの警戒心も自然と緩む……
「交流会はいいけど、夜に学校からどうやって抜け出すんだ?」
「ふふ~ん。それはこのココア様におまかせあれ。」
そう言ってココアは拳で自分の胸をドンと叩いた。
あの防御魔法が破れるとはとても思えないのだが……
「じゃあツクモもメンバーね。今ねえダルドとクラスの何人かからもOKもらってんだ〜。」
ココアのくるくるした目が一人で座っていたシャオンを捉える。
シャオンは朝の騒がしい雑踏に染ることなく、そこだけが切り取られた空間のような静かな時間を過ごしていた。
他人が切り込む余地なんてとても無さそうなのだが、ココアは臆することなく話しかけた。
「シャオンも来る?交流会。」
なんて無謀なことを……
この学校に入学して早三ヶ月になるが、シャオンが俺達ルームメイト以外と話している所を見たことがない。
そんなシャオンがクラスメイトと仲良くなるための会になんかわざわざ来るわけがないっ。
「行くよ。」
ほら、来るわけ……って。
は?はぁああ……?!
「やったー!シャオンが来るんならもう一度断られた女の子達にも声掛けてみよっと。」
なんで来るんだ?
どう考えてもおかしいだろっ?
飢えた女共の餌食になんぞ!
「おいっ、シャオ……」
「カガミ・ツクモ!席に着きなさい。朝のHRの時間よ。」
きつい女教師、マダムが教室に入って来た。
なんでいつも俺だけ怒られるんだ?
シャオンの奴…すました顔しやがって。
何考えてんだかますます分っかんね~っ……!
シャオンの真意を尋ねることも出来ずに、あっという間に金曜日の夜が来てしまった。
「みんな揃ってるかな~?ひい、ふう、みい、よお……」
ココアが集まった生徒の人数を数えている。
夜の8時、交流会に参加するメンバーが学校を取り囲む高い塀の一角に集合していた。
いったいココアは何人に声を掛けたのだろう……
クラスの交流会と言っていたのに、違うクラスの生徒まで来てるじゃねえか。
ざっと見ても100人近くはいる。
よくこんだけ寮からぞろぞろと出てきて見つからなかったもんだ。
「女子の諸君、あちらでの費用は全部この僕が受け持つから安心したまえ。」
ボンボンが気前のいいことを言っている。
女子にモテたくてモテたくて仕方がないのであろう。
でも大半の女子の目当てはシャオンで、シャオンを見ながらひそひそきゃあきゃあと盛り上がっていた。
シャオンはそんな視線など気にする様子はなく、群衆から離れた所でポツンとたたずんでいた。
モノトーンの縦縞のシャツに黒の革パンを履き、その上にファーの襟が付いた黒いロングコートを羽織っている。
胸にはいつもの翡翠のペンダントが揺れていた……
制服とラフな部屋着姿は何度も見たが、私服姿のシャオンは初めてだった。
今のシャオンは男なのに、それでもついつい目で追ってしまう……
「よし、みんな居るね!では……これを見よっ!」
ココアがじゃじゃーんと言いながら輪っか状のロープを登場させた。
張り切って見せてくれた割にはなんてことの無い、ごくごくありふれた普通のロープである。
「なにを隠そうこれは、物質も魔法も通り抜けることが出来る魔具、ループ君なのだ~!」
これ、が……?
第一そんな魔具があるだなんてことが信じられない。
その怪しげな魔具を塀に貼り付けると、囲まれた部分にぽっかりと空洞が出来て外の景色が見えた。
みんなが驚きと歓喜の声を上げる。
見た感じ、あの防御魔法さえも貫通している様だ……
「ココア…どうやってこんな魔具を手に入れたんだ?」
こんな便利な魔具、世界中のどんな大富豪だって持ち合わせていない……
やりようによってはとても危険な魔具だし、間違いなく超・超一級品だ。
「僕の住んでる村に魔具創りの鬼才がいてね。これはまだ試作品みたいだから短時間の使い捨てだけど、朝まではもつって言ってたから大丈夫。」
ココアを先頭にみんながあとに続いた。
本当にあの防御魔法と感知魔法までもが無力化出来ている……
魔具創りの鬼才か……是非一度会ってみたい。
最後にダルドが通ろうとしたのだが肩が引っ掛かってしまった。
ロープの輪は人ひとりがやっと通過出来る程度の大きさで、体の大きなダルドには無理そうだった。
諦めずに悪戦苦闘するダルドにココアが謝った。
「ごっめ~んダルド。次はティ兄に頼んでもっとでっかいループ君送ってもらうようにするから、今日は留守番しといてーっ。」
「ココア君がどうしてもと誘うから来ただけで、べっ別に行けなくても全然構わないさ。はははは……」
強がりにしか聞こえない。
しっかし……全然期待していなかったのに思いもかけず外に出ることが出来た。
久しぶりの外の空気を思いっきり吸い込んだ。
今夜は満月で視界も良い。こんな好機を見逃す手はない。
奴らの手のかかったあの学校にいるのは危険だ。
夜のうちに国境を越えてこの国からも脱出しよう……
ふとシャオンを見ると、物悲しい表情で丸い月を眺めていた。
いつもは嫌味なくらいのポーカーフェイスなくせに、なんで今になってそんな泣きそうな顔を見せてんだよ……
そのまま儚く消えてしまいそうなシャオンに胸が苦しくなってきて目を逸らした。
シャオンは俺の助けなんて求めていない。
俺が居ようが居なくなろうが
関係ないんだ─────……




