普通の幸せ
窓の無い真っ暗な廊下を進んでいくと奥に広間が見えてきた。
部屋というよりは丸まった洞窟みたいな場所だ。
中に入るとさっきの首無しマネキンが浮かび上がっているのが見えた。
偽幽霊が脅かす先には、泣いているルルちゃんを必死で庇うココアの姿があった……
「あいつらっ…くだらねえことしやがって……!」
手助けに行こうとしたのにシャオンがお姫様抱っこの状態でギュ〜っとしてきた。
「シャオンちょっとくっつき過ぎだっ。首が締まる!」
「怖いって言ってるだろ!なんで幽霊に近付こうとするんだ?!」
「目を意識して見てみろって。幽霊の正体はっ……」
「ムリムリムリムリムリムリっ無理だっ!!」
どんだけ耳元で無理って叫びやがるんだっ。
……っとに、手間のかかる奴だなあ!
「蛍火。」
俺は火炎魔法の〈蛍火〉を唱えて淡い光の玉を部屋中に浮遊させた。
大量の蛍火が暗かった部屋を明るく照らすと、お粗末な幽霊の仕掛けがあらわになった。
ボンボンと取り巻き達はココアに見つかり、しまったという顔をした。
「……お化けは奴らの仕業だったのか!」
ようやく正体に気付いたシャオンを抱えたまま、柱の陰に身を隠した。
シャオンは怒り心頭で今にも攻撃魔法をぶっ放すくらい殺気立っている。
さっきまではあんなに怖がって俺にしがみ付いてきたくせに……
「まあ落ち着けシャオン。ココアはルルちゃんを守ると言ってたんだ。ここは任せよう。」
ココアはティーチ博士からもらった巾着袋からバトンのような棒状の魔具を取り出した。
「おまえら…ルルちゃんをこんなに怖がらせてどういうつもりだ?いくらなんでもやり過ぎだろ!」
「おまえこそ女の前だからって調子に乗り過ぎだ。チビのくせに俺らとやり合おうだなんて十年早いんだよ!」
ボンボン達も金で物を言わせて買ったであろう物騒な魔具を両手に持ち、ココア一人に対して容赦なく襲いかかった。
しかし、ココアの魔具から放たれたネバネバのゴム状の物質を食らって全員返り討ちにあった。
次にココアは大きな猫じゃらしのような魔具を取り出し、ゴムがへばりついて身動きの取れないボンボン達をくすぐり始めた。
室内に響く狂ったようなヒーヒーという笑い声……
あれは…見た目よりもかなりキツい攻撃だ。
ココアもやる時は容赦ないな……
一通りくすぐり終えると、ココアは四人を解放した。
「次は魔具じゃなくて魔法で対決する?僕ならいくらでも相手になってやるぞ。」
ココアはそう言うと指先に魔法で火を付け、ボンボンの鼻先に突き付けた。
普段は小動物みたいに無垢なココアだけれど、本気を出せば魔具を扱う腕だって魔法の実力だってボンボンよりも断然上だ。
金に頼るしか能のないボンボンでは、はなから勝負になどならなかったのだ。
力の差をまざまざと見せつけられたボンボンは取り巻き達に罪をなすりつけ始めた。
「ぼ、僕はこんなイタズラ止めようって言ったんだ!なのにこいつらが……だからこんなことしちゃダメだって言ったじゃないか!」
「な、何言ってるんですか?!この作戦は全部……」
「黙れ黙れ黙れ!この卑怯者めえ!!」
卑怯なのはどっちだよ……相変わらずのクズだな。
ココアはルルちゃんにもう大丈夫だよと言って優しく頭を撫でて上げた。
にしてもこの部屋──────……
部屋の壁は赤くただれていて酸っぱい汁がしたたっていた。
床も濡れてきたし…なんか微かに動いているような気もしないでもない。
「ツクモ…いつまで僕を抱っこしてるつもりだ。もう下ろしてくれ。」
おっと、シャオンをお姫様抱っこしたままだった。
出来たらもうちょっとこの状況を堪能したいのだけれど……
無理矢理下りようとしたシャオンを力づくで腕の中に引き止めた。
「ツクモしつこい!いい加減下ろせっ!」
「……シャオン、ヤバい……」
さっきから足がヒリヒリすると思ったら……
靴を見ると底の部分が床から染み出てきた汁で溶けていた。
この汁…塩酸だ……しかも濃度がかなり高い。
こんな劇物が大量に分泌されてる館なんて……思い当たるのは一つしかない。
「……ここ…人喰い屋敷だ……」
魔物と言っても幾つかの種類がある。
俺やシャオンのような人間と同じ、またはあまり見た目が変わらない人型の魔物。
狼男や昆虫型の魔物のように、人間以外の生き物の見た目をした動物型、昆虫型等の魔物。
そして、生き物でない別の見た目をした無機物型の魔物……
そう……俺達は今まさにその無機物型の魔物、人喰い屋敷の腹の中にいるのだ。
ご丁寧にもぞろぞろと自らご馳走になりに入って行くんだからアホ丸出しだ。
しかも今いるこの部屋は食べ物を溶かす胃の部分のようだった。
天井から超強力な胃酸の塊が俺達目掛けて落ちてきた。
シャオンを庇うように覆い被さると、背中からジュっという音と共に肉が溶ける強烈な痛みが襲った。
「ツクモ!大丈夫かっ?」
息がしづらい…どうやら胃酸が肺にまで達して穴が空いたようだ。
心配そうに覗き込んでくるシャオンには問題ないと答えた。
シャオンがケガをしてないならそれでいい。
赤くただれた壁が激しく脈打ち始めたのでシャオンを連れて急いで部屋から出た。
壁や天井から湧き出た大量の胃酸が雨のように降り注ぎ、まだ中に居たココア達を襲った。
「ウィンドウ!」
魔法で起こした風で胃酸の雨を間一髪で吹き飛ばした。
ホッと一息つく間もなく、ボンボンの甲高い悲鳴が轟いた。部屋の中央の壁に不気味に光る白い玉がふたつ現れたからだ。
デカいっ…直径2mはあるだろうか……
それは獲物に気付いた人喰い屋敷の、ギョロつく巨大な目玉だった───────
「でっ、出た!幽霊の生首だっ!!」
シャオンが震えながら抱きついてきた。
「あんなデカい生首があるか!大体からして一家斬首の話もボンボンの作り話に決まってんだろ?」
シャオンがえっ?と驚いたまま固まった。
全く疑問に思わなかったのかよ…どこの世界に人喰い屋敷に住むデンジャラスな家族がいるんだ。
館のあちこちからクラスメイト達の悲鳴が聞こえてきた。耳だの口だのとワーワー言いながら叫んでいる。
どうやらそこかしこで同じことが起こっているらしい。
「シャオン、早くここから脱出しないとみんな食われちまう。」
「……分かった。ココア達は僕に任せろ。」
シャオンはペンダントに手をやり女の姿へと戻った。
魔女の姿をボンボン達に晒してしまうことになるが後で記憶を消せば良い。
「あんまり派手にやらかすなよ。5分後に外で合流しよう。」
「了解。」
俺は甲高い口笛を吹いてコウモリを呼んだ。
この暗闇で散らばった人を探すにはコウモリの超音波が役に立つ。
シャオンは水流魔法の〈ウズマキ〉を唱えた。
水は激しい渦となって人喰い屋敷の壁を爆音とともにえぐって突き破り、外へと繋がる巨大な水のトンネルを完成させた。
ど派手な魔法になにが起こったのかと呆然としているココア達に、シャオンが声をかけた。
「これを通って早く逃げるんだ!」
「あっ、シャオ……っじゃない。親切なお姉さんありがとう!」
事態を把握したココアはルルの手を握りトンネルをくぐって行った。その後を直ぐに取り巻き達三人が続く……
残りはボンボンだけなのだけれど……
「やあお美しいお嬢さん。あなたとは初めて会った気がしないなあ。」
そう言ってボンボンはキザに髪をかきあげた。
記憶を消されてはいるが女の姿のシャオンと会ったのはこれで三回目だ。
シャオンは女の時に会うボンボンの態度がすっごく苦手だ。
「まさかあなたのような綺麗な女性がこのような凄い魔法が出せるだなんて…まあ僕も魔法学校を卒業すればこれくらいの魔法なんてわけないですけどね。そうだ、今度お礼にディナーでも……」
「そんなもんいいからとっとと逃げろ!死にたいのか?!」
俺が最後の一人と共に外に出るとココア達も全員脱出していた。
「みんな無事か?ケガはしてないな?」
「それが…シャオン君がどこにもいないの!」
いや、シャオンなら今目の前にいる美女がそうなんだが……
メソメソとお通夜のように泣き出す女子達にどう説明すりゃあいいのだと悩んでいると、みんなが一斉に悲鳴を上げた。
人喰い屋敷の屋根にあのデカい目玉がギョロっと現れたからだ。
なんだか凄く嫌な予感がする……
外壁が横一文字にビキビキと裂けると、歯を剥き出しにした大口が現れた。
「……みんなっ、全速力で走れ!!!」
人喰い屋敷は屋敷全体を不気味にうねらせながら俺達を追いかけてきた。
みんな食われまいと必死になって走った。
ボンボンなんかわんわん泣きながら鼻水まで垂らしてて見れたもんじゃない。
ここは繁華街から近い。街の人達に気付かれずに倒すとなると……
シャオンはクルッと向きを変えると暴走する屋敷の前に立ちはだかった。
「みんな外に出たんだから手加減する必要はないよな?」
ないよなって…まさか……
頭のてっぺんに感じた熱さに空を見上げると、メラメラと燃え盛る火炎魔法のフレアの魔法陣が浮かんでいた。
これでもかってくらいに巨大化していく……
「スト────ップ!!もうそれで十分だから早く唱えろ!!」
シャオンが〈フレア〉と唱えると激しい火柱が空から怒号のような音と共に落ち、人喰い屋敷を一瞬のうちに灰にした。
一歩間違えたら俺達まで天に召されていた。
みんなその魔法のあまりの凄まじさに絶句してしまっていた。
いつもの通り、やり過ぎである……
たくさんの人が騒ぎに気付いて集まって来てしまった。
クマの仕事がまた増えたな……
ごめん、クマ……
「ルルちゃん大丈夫?ケガはない?」
「うん、大丈夫。ココア君が守ってくれたから。」
ルルちゃんはココアの顔に付いていた汚れを優しく拭いてあげた。
自分に向けられたルルちゃんの笑顔に、ココアは意を決したように靴を掴んで脱ぎ捨てた。
身長を誤魔化すためにと履いていたシークレットブーツだ。
「ルルちゃん!!僕は見ての通りチビだけど、君を思う気持ちは誰よりもデカいからっ……!」
ココアはそういって両手を差し伸べ頭を下げた。
「だから、僕と……付き合って下さい!!」
緊張で震えるココアの手を…ルルちゃんは体全体でそっと包み込んだ。
「………はい。」
クラスメイトだけでなく、騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬からも拍手喝采が起こった。
誰が見てもお似合いのベストカップルだ。見てるこっちまで嬉しくてウルっときてしまった。
ただ一人、ボンボンだけは悔しそうにしてたけれど……
「……ココア、良かったな。」
「なんだよシャオン、そう言う割りにはやけに寂しそうだな?」
別にと言ってシャオンはペンダントを見つめながら遠い目をした。
「母が僕に言ったことは……きっとああいう幸せを積み重ねていくことなんだろうなって、思っただけだ。」
……シャオン……?
シャオンは男に戻ってくると言って森の方へと行ってしまった。
──────シャオンは………
シャオンは普段は男の姿で過ごしている。
それは魔女であることを隠すために、母であったリハンが考えた苦肉の策だったのだろう。
男の子になれば、これからは誰に追われることなく普通に生活が出来るのよ。
リハンがペンダントを渡す時に託した言葉……
普通に生活……か……─────
魔女であるシャオンが正体を晒しても普通に暮らせる日がいつかくればいいのに……
俺達のような魔物には叶わない夢だと分かってはいるけれど………
そう、願わずにはいられなかった──────
そんなこんなで俺達は無断で外出していたことが学校にバレてえらく怒られた。
罰として魔法陣を100個もノートに写すようにと言われた。
なんだよその罰は…小学生かよ。面倒くせえ……
「あああ…こりゃ後始末さ考えるんややこしいだ。」
なにか問題があった時のためにテンチム校長から裏の契約で雇われている掃除屋のクマが頭を悩ませた。
今回は閉鎖的だったコビーナ村とは違って街の人がどれほど目撃したのかが把握出来ないということで、事実に基づいたフィクションを考えることとなった。
あの屋敷はある企業が創ったお化け屋敷の魔具だった。
経営不振に落ち入り、仕方なくあのまま空き地に放置されたのだが誤作動を起こして人を襲ってしまった。
みんなを救ったあのなぞの美女は、その企業に頼まれて屋敷を解体しにきた魔法師解体屋さんなのだという……
なんとも派手な真夜中の解体ショーである。
突っ込みどころ満載のシナリオなのだが、俺達がやらかした事なので真摯に反省するしかない。
みんな机に座って黙々と魔法陣を書き写していた。
「ルルちゃん大丈夫?手が疲れてない?」
「大丈夫だよ。ココア君こそ疲れてない?」
お互いの手をマッサージするようにもみ合っている。
絵に描いたようなバカップルだ。良い意味での……
ホント…幸せそうでなによりだ。
「別にいいさ、僕にはあの超美人の解体屋さんがいるから。」
ボンボンがブツブツと文句を言っている……
聞き捨てならないセリフだが聞き流そう。
「ツクモ君は彼女と話をしていたけれど知り合いかい?」
「あ?アレは俺の女だ。残念だったな。諦めろ。」
ボンボンのくせにシャオンに手を出そうなんて千年早い。
今回は記憶を消す必要はないのだけれど、もう俺が消しちまうか?
なんなら産まれた時からのも全部……
こいつの性根はもう一回やり直した方が良いと俺は思う。
「君みたいな不良を彼女が相手するわけないじゃあないか!」
「はぁあっ?!っんだとてめえ!!」
俺がボンボンの胸ぐらを掴んだらポカポカと殴ってきやがったので腹に蹴りを食らわしてやった。
さらにやり返してくるので取っ組み合いの喧嘩になった。
「シャオン止めなくていいの?二人の男が自分を取り合って争ってるけど。」
ココアが小声でシャオンに聞いていた。
「知らん。放っておけ。」
早々と魔法陣を書き写したシャオンは俺を冷たい目でいちべつすると教室から出て行った。
俺とボンボンはさらに魔法陣を100個書き写すことを追加された。
くそ面倒くせえ………