誓いの約束
──────誰……?
「こんな俺のことを、心から慕ってくれてありがとう。」
えっ……お母さん……?
……違う。
少しハスキーなこの声は………
……待って………
……待って!
行かないでっ!!
──────ツクモ!!───────
どれだけ時間が過ぎたのだろう────……
気が付くと僕は、ティーチ博士が運転する車の後部座席で横になって眠っていた。
助手席に座っていたナギが目覚めた僕を心配そうに覗き込んできた。
良かった…この子は無事だ。
優しく頬を撫でてあげると、くすぐったそうに首をすぼめた。
「……ティーチ博士、ツクモは?」
「わかりません。もうすぐ魔法学校に着きます。」
自分のおでこにそっと手を置いた。
まだ柔らかなツクモの感触が残っている……
大丈夫…大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせて
ギュッと目を閉じた─────……
学校に着いて目の前に広がる惨状を見て愕然とした。
地下空間があった森は大きく凹み、隕石が落ちたかのようなクレーターになっていたのだ。
あれだけ頑丈だったあの部屋は跡形もなく吹き飛び、瓦礫の山と化していた……
「わあシャオン。ホントに女の子じゃん。」
瓦礫を乗り越えてココアがやって来た。
元気そうなココアの姿にホッとしたが、いつもの屈託のない笑顔はなかった。
心臓が不安で張り裂けそうになる……
「……ツクモは?」
「テンチム校長とクマも一緒にずっと探してるんだけど……」
ココアがため息を付きながら首を左右に振った。
まだこの大量の瓦礫の下に埋まっているというのか……?
思うように動かない体でフラフラになりながらもツクモを探した。
でも…瓦礫をどけてもどけても出てくるのはこぶし大のドラゴンの肉片ばかりだった……
あの頑丈なドラゴンでさえこんな有様だ……
じゃあ、ツクモは……?
キスをした後に切なく見つめてきたツクモの顔が浮かんだ。
あれが…最後だったのか──────
絶望感を嫌というほど感じてその場にへたり込んだ。
もう動けない……
なにもする気になれない…なにも、考えたくない……
「立ちなさいっシャオン!!」
──────……僕を叱る母の声がした。
「どんなにバラバラになっていても彼はまだ生きているのよ?!探しなさいっ!諦めては駄目!!」
……テンチム校長………?
母だと思ったその厳しくも懐かしい声は、テンチム校長だった。
母が怒る時と同じ、左の眉だけが上に吊り上がる癖……目の前にいるテンチム校長と母の面影が重なった。
「ひゃっ!」
遠くでココアの悲鳴が聞こえてきた。
ココアのところに行ってみると、瓦礫の隙間に大きな血みどろの肉の塊が横たわっていた。
ナギを抱いたティーチ博士もやって来てその塊をペシペシと叩いて呟いた。
「これは……ドラゴンの内臓でしょうか?」
するとその内臓はもぞもぞと動き出した。
内側からスパッと切れ目が入ると、血塗れの人影が中からドロッと現れた。
「きっもちわり~。体中ベトベトだぜ。」
聞きなれたその声は……
ツクモだった……────────
そう、俺はピンピンしていた。
爆発する直前にドラゴンの腹の中に潜り込んだのだ。
全身が硬い皮膚に覆われた巨大なドラゴンの中なら、どんな防御魔法よりも安全だ。
一度は生きたままミンチになる覚悟を決めた俺だったが、別れ際にシャオンから大好きだなんて言われちまったら(←言ってない)男としては諦めたらなんねえって思ったんだよな〜。
最後の悪足掻きだったんだけれど、こんなに上手くいくとは思ってもみなかった。
超再生能力のあるドラゴンの体液を浴びたせいか、あれだけ穴だらけだった傷もすっかり治って絶好調だっ。
「ツクモ!!」
俺の愛するシャオンが駆け寄って来た。
おっ?お約束のチュウか?
なんて期待に胸を大きく膨らませてシャオンを受け止めようと両手を広げたのだが、思いっきり頬っぺたをぶん殴られた。
……って。なんでだよっ?!!
「僕のおでこにキスするなんてっ許せない!」
あの場合それくらいOKだろ?!
去って行く俺の後ろ姿を見て胸を切なくするシーンなんじゃねえのか?!
「母が…最後に同じことをした。母は帰って来なかった。なのにっ、ツクモまで!!」
……えっ……?
シャオンの目からは涙が零れ落ちた。
「ツクモまで、もうっ帰って来ないと思ったじゃないかーっ!」
シャオンは俺の胸にしがみつくとボロボロと泣いた。
まさかリハンが死ぬ直前にシャオンのおでこにキスをしていただなんて……
シャオンにとって一番辛い記憶を思い出させてしまった。
「ごめんシャオン…本当にごめん。」
なにしてんだ俺は………
シャオンのなにを見ていたんだ……?
今目の前で俺に寄りかかって大泣きしているシャオンは、こんなにも俺のことを頼ってくれている一人の普通の女の子じゃないか。
シャオンは誰よりも繊細で傷付きやすい。
魔女だから、強いから俺がいなくても大丈夫だなんて……
守ってあげなきゃいけないのに、その俺がシャオンのことを悲しませてどうするんだっ。
「……約束する。俺はずっとシャオンの側にいる。シャオンを残してどこかに行くようなこと、もう二度としないから。」
ずっとずっと守ってみせる。
なにが起ころうとも、シャオンを悲しませるようなことは俺が絶対させやしない。
子供のように泣きじゃくるシャオンを
強く、強く抱き締めた───────……
「……臭い。」
シャオンはピタリと泣き止んだかと思ったら両手で鼻を押さえた。
「ツクモ…どうやってドラゴンのお腹の中に入ったんだ?」
「そんなもん、ケツの穴からに決まってんだろ。」
それを聞いたシャオンは後退りしながら離れて行った。
さっきまで俺に甘えて泣いていたくせに、急に汚物扱いか?
「離れんなシャオン!約束通り口にキスさせろっ!」
「そんな約束をした覚えなどないっ!臭いから近付くな!」
「別に舌を入れさせろとかは言ってねえだろ?軽く触れる程度にするから!」
「サイっっっテーだな!このどスケベ野郎!!」
ココアとティーチ博士まで俺のことをサイテイ呼ばわりしやがった。
うるせえわ…こちとらハンバーグになる覚悟で頑張ったんだ。これくらいのご褒美もらったって罰は当たらねえだろ?
「待てシャオンっ!逃げんな!!」
「しつこいっ!!」
俺は嫌がるシャオンを追いかけ回した。
「やれやれ、ここまで大きな騒ぎを起こしといて楽しそうなこと。」
テンチム校長は半ば呆れながら微笑んだ。
「テンチムさん。お体に触るから早く校長室に戻られた方がいいっぺ。」
テンチム校長は荒れた大地から魔物が入って来ないように、東の門であるこの魔法学校を絶えず守っている。
その負担はとてつもなく大きく、あの神聖な領域へと組み替えられた校長室でないと体がもたないのだ。
「私は平気よ。ここは私が処理しておくから、クリマー先生は直ぐにコビーナ村に飛んでちょうだい。」
コビーナ村の全員が今回の騒動を目撃した。
知られてはいけないドラゴンや魔女の存在を知ってしまったのだ。
外に情報が漏れ出す前に、全て無かったことにしなければならない。
でも山が吹き飛んだりもしているし、一体クマはどうやって誤魔化すのだろうか……
この時の俺はそんなことは気にも止めてなかったし、穴だらけだった体がドラゴンのおかげで綺麗に治ったこともラッキーくらいにしか思っていなかった──────
──────それから二日後。
コビーナ村ではドングリじいさんの葬儀がしめやかに行われ、俺とシャオンも参列した。
ドングリじいさんの棺の横にはナギの小さな棺も並べられた。
ナギの亡骸は元の可愛らしい姿で、まるで眠っているかのように安らかだった……
テンチム校長に頼んで、除去魔法でナギの体に宿る人魚の肉を全て取り除いてもらったのだ。
全身に細胞レベルで点在するものを除去するのだ。ばあさんのような最高峰の魔導師でないと、とてもじゃないけど出来ない魔法だ。
人魚の肉で今まで生きながらえてきたナギにとって、それは死を意味する。
でもナギは、強くそれを望んだ。
最後に俺はナギを背中におぶってコビーナ村を散歩した。
あの頃も体が弱くてベッドで寝てばかりいるナギを不憫に思い、こうやって村中連れ回してはドングリに見つかって怒られたっけ……
ドングリは年の離れた小さな妹をとても可愛がっていた。
人間の平均寿命は80歳だ。それを130歳まで生きたのだ。
ナギを1人ぼっちにしないために、そのためだけに懸命に生き続けていたのだろう……
背中でナギがありがとうと言ってきた。
それはとても言葉と言えるものではなく、昆虫の羽音のような音だったのだが、ナギの感謝の気持ちが痛いほどに伝わってきた。
「ナギと天国で幸せに暮らせよ…ドングリ。」
棺に花を手向け
親友に別れを告げた────────……
葬儀が終わり、俺とシャオンはコビーナ村を一望出来る小高い丘の上に来ていた。
焼け焦げた山に苗木を植える村人の姿が小さく見えた。
クマは村中を走り回って人々の記憶を書き換えた。
さすがに山を元に戻すことは無理だったようで、代わりに、コビーナ村を取り囲む山の一つが原型を留めないほどに噴火したことにしたようだ。
その時流れ出たマグマや噴石により、村のあちこちが破壊されてしまったのだと……
ドラゴンや魔女の記憶は完全に消され、ドングリとナギは寿命により亡くなったものとされた。
俺は三本目のタバコを吸い終わり、隣に座るシャオンの頭をそっと撫でた。
「シャオン、もうそろそろ帰るぞ?」
「……無理だ。もう少し待ってくれ……」
シャオンは立てた両膝の上に頭を乗せて疲れ果てていた。
ドラゴンとの激しい死闘で魔力が底をつき、二日経った今でも男の姿を保つのがやっとなくらいヘロヘロの状態なのだ。
体の怪我なら治癒魔法で治してあげられるけれど、魔力だけはどうにもならない。
「膝枕してやろうか?」
「いらない。」
「腕枕の方が良い?」
「いらない。」
「抱き枕になろうか?」
「いらない。」
「じゃあ俺がシャオンを抱き枕にしよっと。」
抱き締めようとしたらぶん殴られた。
「僕に余計な気力を使わすなっ!寄るな触るな話しかけるなっ!!」
ちょっとした茶目っ気だったのに大激怒である。
なんだよ…思ったより元気そうじゃん……
「相変わらず仲良いね。」
ココアが丘に上がってきていた。
本来ならば魔物の存在を知られたら記憶は消す決まりとなっている。
でも…おじいちゃんが僕のために亡くなった記憶をしっかりと覚えておきたいというココアの強い熱意を受け、テンチム校長は例外を認めてあげたのだ。
俺達が魔女やヴァンパイアであることも、ココアには全てを話した。
ココアはなにも言わず、黙って話を聞いてくれていた……
それからココアは葬儀の準備や村の復旧作業に追われて忙しくしていたので、正体を明かしてからゆっくりと話しをするのはこれが初めてだった。
ココアは俺達から少し離れた場所に静かに腰を下ろした。
自分しか真実を知らない中でこの村で過ごした二日間は、辛くはなかったのだろうか……
そう思いつつも、穏やかな海を眺めるココアの横顔に話しかけることが出来なかった。
「僕が村から出る時、じいちゃんが言ってたんだよねえ……」
ココアはまるで独り言を話すかのようにぽつりと話し始めた。
「コビーナは大昔に人間と妖精がくっついたのが始まりなんだって。だから小人族とか言ってバカにしてくる奴らがいても負けるんじゃないぞって。そん時はまたボケたこと言ってるやあって感じだったんだけど…… いるんだね、妖精も!」
そこまで言って、ココアは俺達にいつもの屈託のない笑顔を向けた。
「ツクモとシャオンのおかげで信じることが出来た!じいちゃんは僕のヒーローだっ!」
ありがとうと言いながら俺達に飛びついてきたココアの顔は晴れ晴れとしていた。
俺達が人間ではなく魔物だと知っても、怖がるどころか全く変わらないココアの人懐っこさだった。
「ココア…この先も友達でいてくれるのか?」
「なに言ってんのシャオン?そんなのあったり前だよ!」
港に停泊する船から、ドングリじいさんとナギを送り出す汽笛の音が鳴り響いた。
コビーナ村では死んだ人の歳の数だけ汽笛を鳴らし、死者を見送る風習がある……
いつまでもいつまでも鳴り響くその音を
三人で肩を寄せ合いながら
ずっと…聞いていた────────




