サイアクの始まり
「ツクモ・カガミ。迎えに来たわ。」
─────誰だこのおばさん?
朝っぱらからホテルのドアをガンガン叩く音がしたかと思えば、貫禄のある太ったおばさんがベッドの脇に立っていた。
「やだあツクモ〜。こんなおばさんも趣味なの?」
昨日BARで仲良くなった女の子も起きて寝ぼけたことを言った。
んわけあるか!てか…鍵はしっかりかけていたはずなのに、どっから入ってきたんだ?
全裸状態の俺達を見て、見知らぬおばさんはコホンと咳払いをした。
「合格通知をもらっていたはずだけど?」
……合格通知?
それは紺色の封筒に金字で書かれたものだという……
そう言えばこの国に入国してきた時にもらったっけ。
ゲートを渡ろうとした時に俺だけ呼び止められて変な魔具を渡された。
で、これを強く光らせたら良いことがあるわよと入国審査官のお姉さんが色っぽくウインクしながら言うもんだから張り切ったら……
合格!と言って手渡されたんだ。
ラブレターかと思ったらなんかの書類だったので見もしなかったんだが。
────メタリカーナ国立魔法学校入学許可証。
開けてみるととんでもないことが書かれていた。
あれは入国審査でもエッチなお誘いでもなく、魔法学校の入学試験だったらしい。
どうやら魔力があるかどうかを勝手に調べられたようだった。
「……俺、この国に来たばっかだし、学校とか面倒くせえの行く気ねえから。」
「他国の学生でも全額無料で三年間みっちり勉強出来るから安心して。」
「おばさん話聞いてる?俺は学校なんか行かっ……」
「拒否権はないわ。もう全員集合していて、来ていないのはあなただけなの。」
拒否権がないだとっ……?
近年、魔法を使うのに不可欠な魔力が人々の間で急激に弱まってきていた。
昔は誰もが多かれ少なかれ魔力を持って生まれてきた。
なのにここ50年ほどで、魔力を持たない赤ん坊が大半を占めるようになってきていたのだ。
新しく若い魔導師を育てることが、どの国も最重要課題になっていた。
この世界の端っこにある平和ボケしたようなメタリカーナ国も例外ではなかったようで……
なんでも今年、一度は生徒不足で廃校となったメタリカーナ国立魔法学校が再び開校されることとなったのだ。
これにより、15~18歳になった全ての国民に魔法才能試験を受けることが義務付けられたらしい。
魔力があるかないかを調べるための試験だ。
長い歴史があり、名だたる有名な魔導師を数多く排出したこの学校で学べるということは、それだけでとても名誉なことなのである。
わざわざ外国から試験を受けにくる輩もいるくらいなのだという……
「これに着替えて。入学式は今日だから。」
おばさんは圧のある声で命じてきた。
冗談じゃないっ。
渡された制服に着替えるふりをして隙をみて窓から飛び降りた。
……つもりだったのだが。
体に鎖をぐるぐる巻きにされてあっけなく部屋へと引き戻された。
これは束縛魔法の〈チェーン〉だ。
このおばさん…魔導師なのかっ?
「離せっ!こんなん違法だろ!なあっ今直ぐ警察呼んでくれ!!」
「いやよお。良かったじゃない。魔導師になったらまた遊んでね〜。」
昨日はあんなに濃厚な仲だったのに……えっと、名前なんだったっけ?
〇〇ちゃんはバ〜イと言ってあっさりと部屋から出ていった。
人生ってのは訳分かんねえもんだな。
金を稼ごうとたまたま訪れた国で、魔法学校に入学させられることになるんだから──────
「……んだよこの学校。ガキばっかだな。」
入学式典なるものを終え、大会堂と呼ばれるバカでかくてやたらゴージャスな建物から新入生達がゾロゾロと出てくる姿が見えた。
五百…いや、八百はいるか……あれが全部俺の同級生ってか?
なんで今さら学校で、あんなお子ちゃまらとクソ真面目に三年間も魔法を習わなきゃいけねえんだよ。
希望に満ち溢れた生徒達を遠目に見ながら、煙草をプカリと吹かした。
猫も杓子も魔導師なんてもんに憧れやがって……
俺は適当に小銭稼いで女と楽しく遊べりゃそれで十分なのに。
「はあぁあ……とんでもねえ国に来ちまった……」
─────俺には魔力がある。
魔法才能試験……
分かっていたら適当に切り抜けたのに……
俺が受けたのは簡易的なものだったが、正式には魔法に対する知識の筆記試験と、基本的ないくつかの魔具を使用する実技試験があるらしい。
冷静に考えれば気付けたのに、美人だったもんだからついうっかり張り切ってしまった。
なにやってんだ俺……
「あの時の俺を後ろから蹴り飛ばしたい……」
くっそ~……こんな横暴なことがまかり通っていいのか?
気付けばもうほとんどの生徒が自分のクラスへと入って行き、辺りは静まり返っていた。
唯一の救いと言えば、三年間にかかる費用が全て無料で完全寄宿舎制だということだ。
良く言えばタダで朝昼晩と飯が食えて屋根のある部屋でぐっすりと寝れる。
悪くいえば四六時中缶詰状態で自由が一切ない……
これからのことを考えたら吐き気がしてきた。
だからといってこんな人気のない場所でずっと煙草を吸ってサボっているわけにもいかない。
俺もそろそろ行かないと……
靴の底に煙草を擦り付けて火を消した。
せめて可愛い子でもいればやる気が出るのに……
校舎に向けて歩き出そうとした時、視界の端に赤くて小さなモノが過ぎった。
この魔法学校の敷地は端がどこにあるのだか分からないくらい広域だ。
敷地内には森のように木々が生い茂っている場所もあるのだが、赤いモノはその奥から一瞬だけ見えた。
赤いというか…一般的な赤色より濃い赤……
“紅い”と言った方がしっくりくる。
──────なんだか気になる。
普段ならそんな面倒くさそうなことは気にならないのだが、なにかに導かれるかのように足が森へと向かった。
どの木も樹齢何百年も経つほどの大木だった。
こんな規模の森が学校の中にあるってんだから驚きだ。
地面から盛り上がった幾つもの太い根っこを越え、あの紅いモノが見えた辺りへとやってきた。
「でけえな…千年ってとこか……」
そこには一際大きな木がそびえ立っていた。
四方八方へと広がった幹に青々と生い茂った大きな葉っぱ……
この木が歩んできた途方もない時の長さを感じずにはいられなかった。
しばらく感慨深くふけっていると、上からなにかが降ってきて避ける間もなく押し潰された。
────痛っってえ……
なんだっ?なにが落ちてきたっ?!
「すまない。足が滑ってしまった。」
落ちてきたものが俺の背中に乗っかりながら謝った。
人かよっ!!
こんな巨木で木登りか?!ワンパクすぎんだろ!!
「いつまで乗ってんだっ?!早くどけ!!」
振り返ってそいつの顔を見た瞬間、今までのどす黒い気分がパァっと晴れ渡った。
めちゃくちゃ可愛いっ───────!!
大きくて切れ長なグリーンの瞳が印象的な、美しく整った陶器のような顔立ち……
サラサラで柔らかなプラチナブロンドの髪が太陽の光で眩しく輝いている。
肌は透き通るくらいに白く、長い手足がスラリと伸びていた。
「本当に悪かった。立てる?」
その憂いを帯びた瞳に影を落とし、心配そうに俺のことを覗き込むと手を差し伸べてきた。
すっげえ……天使みたいだ。
少しヒヤリとする彼女の手を掴んで立ちあがった。
彼女は俺の服に付いた砂を払って怪我もないことを確認すると、じゃあと言って軽やかに校舎へと駆け出した。
……はっ!惚けて見送ってる場合じゃない!!
「ちょっと彼女!新入生だよね?どのクラス?」
彼女はピタリと立ち止まると、つかつかとこちらに向かって歩いて来た。
「誰が彼女だ?!よく見ろっ。僕は男だ!」
「………はい?」
目が点になった。
いや、どう見ても女だろ?
確かに男物の制服のズボンは履いている。でも女子はスカートかズボンのどちらでも選べたはずだ。
長めのショートヘアも、どちらの性別でもおかしくはない。
そいつは端正な顔で俺を睨みつけていた。
間近でじーっと見ても女にしか見えない。
手っ取り早く確かめるしかないなと思った俺は、手をある箇所へと伸ばした。
「マジかよおまえ、チンチンあるじゃん。」
チッ、なんだよ……
いくら可愛くても男には全く興味はない。
青ざめて固まっているそいつを残して校舎へと向かおうとした時、頭から痺れるような激痛が全身に走って地面へとぶっ倒れた。
薄れ行く意識の中で、そいつが足早に去って行く姿が見えた。
どれだけ気を失っていたのだろう……
まだ痺れる体を持ち上げて校舎へと向かった。
「君、どうしたんだい?気分でも悪いのかい?」
この学校の先生だろう……見るからに気の良さそうな男の人がフラフラと歩く俺を心配して話しかけてきた。
「大丈夫です。ちょっと…足をくじいただけなんで。」
「そうかい?もう各クラスでHRが始まっているから急いだ方がいいよ。」
この体への衝撃は何度も受けたことがある。間違いなく電撃魔法だ。
しかもかなり強烈だ。
……さっきのあいつが出したのか……?
魔法学校に入学したばかりの生徒が出せるような代物じゃない。
あいつはいったい─────……
校舎は石で出来た古城をそのまま利用しているせいか、空気が重苦しく薄暗かった。
凸凹とした石畳のような歩きにくい廊下の一番奥に、合格通知に書かれていた俺のクラス、Aがあった。
金属の装飾が施された分厚い扉を開けて教壇に立つ人物を見てゲッとなった。
そこには今朝俺を迎えにきたあの威圧的なおばさんが陣取っていたからだ。
「初日から遅刻よ、ツクモ・カガミ。早く席に着きなさい。」
「もしかしておばさんがこのクラスの担当なのか?」
おばさんと言われたことが癪に障ったのか、ギロリと睨んできた。
「私の名はマダム・ホーリィ。いいから早く席に着きなさい。」
マジかよ……サイアクだ。
席に着けってどこにだよ……
教室を見渡すと、4人掛けの長机が教壇に向かって半円状のすり鉢のように並んでいた。
どうやら真ん中を境に右と左で男女に分かれているようだ。
遅れてきた俺を、80人はいるクラスメイトが見下ろしてきているので圧迫感がエグい……
とりあえず右側に空いている席を一つ見つけたので急いで座ると、隣にはさっき俺に電撃魔法を食らわしたあいつが座っていた。
咳払いをしたり指で机をトントンと叩いてみたのだが、チラリともこちらを見ようとしない。
なんだこいつ……無視か?
イラっときて肩と肩が触れるほど体をすり寄せた。
「おい。誰のせいで俺が遅刻したか分かってんのか?」
「ツクモ・カガミ!私語は慎みなさいっ!!」
マダムから完全に問題児扱いされている。
にしても絶対に気付いているはずなのに、電撃野郎はスカした顔してそっぽを向いていた。
ガン無視とか……腹立つ奴だな~っ。
「みんな揃ったところで寮の部屋分けを発表するわ。寮は4人部屋。今座った同じ机の4人がルームメイトよ。これから三年間、仲良くしなさい。」
うん?……4人?
今座ってる机の4人がルームメイトって……
「ちょっと待て!なんでこいつと一緒なんだ!!」
思わず立ち上がって抗議した。
こんな電撃魔法をぶっ放す危険な野郎と相部屋だなんて冗談じゃないっ!
「適当に座った席でそんな重要なこと決めんなよ!」
「物事に偶然はないわ。あるのは全て必然。同じ机に並んで座った。これは運命なの。」
おばさんは当然かのようにぴしゃりと言い放った。
なんだそのめちゃくちゃな理論は……せめてくじ引きくらいさせろっ!
「それから……こいつなんて言い方しないの。彼は入学試験を歴代トップの成績で合格した魔法界期待のホープ、シャオン・ドゥ・アルディよ。」
─────歴代トップって……
みんながどよめきながらシャオンを見た。
「これから三年間、彼と魔法を学べると言うことはとても光栄なことよ。」
一昔前は桁違いの魔力を持った人間がゴロゴロいた。
凄腕の魔導師が一人いるだけで国同士の勢力図は大きく変わり、人々には魔法による潤いをもたらす……
この学校には誰もが知るような魔導師がたくさん卒業生でいたはずだ。
そんな名だたる魔導師達を差し置いて、歴代一位だと?!
シャオンは相変わらずツンとスカしていて、周りの喧騒など気にも止める様子がない。
こいつ……最初は天使みたいに見えたのに、今はすっげえ嫌味な野郎にしか見えないっ。
こんな奴と同じクラスで同じルームメイトでやりたくもない魔法の勉強を三年間も……
「サイアクだ……」
俺は頭を抱えながら深いため息をついた。
初日のスケジュールを終え、みんな寮にある各部屋へと移動した。
校舎は古くて辛気臭い建物だったが、寮は最近建てたらしく近代的で明るいイメージだった。
荷物の少ない俺はさっさと荷解きを終え、壁際に4つ並んだベッドの一つにゴロンと横たわった。
これから毎日このふかふかのベッドで寝れるのは単純に嬉しい。
「ツクモって言ったっけ?その桃色の髪の毛は自毛?この国の出身じゃないよね?」
桃色じゃねえよ……ピンクゴールドって言え。
フランクに話しかけてきたのはココア・キュリ・エラル。ルームメイトの内の一人だ。
クラスでした自己紹介によると、ココアは小人族と呼ばれているコビーナ村の出身の15歳だ。
体は140cmと小さいが、コビーナの人は魔力に長けている民族なので見た目よりはずっと優秀なのだろう。
「一番南にある国の出身だよ。小国だから名前言ったってわかんねえよ。」
「南?じゃあさ、ツクモは海の境目って見たことあるの?」
海の境目とは神話『三度目の審判』で、二度目に神が降り立った時に真っ二つに引き裂かれた大陸の跡のことだ。
境目を超えた向こうには未知なる大陸があるとかないとか……
今じゃ爺さん婆さんしか知らないような神話をココアが知っていることが意外だった。
「あるわけねえだろそんなもん。てか、南の海は年がら年中大嵐だから誰も寄り付きもしねえよ。」
ココアはそっか……と言ってショボンとした。
なんだろう…まるで俺が小さな子を虐めたみたいで後味が悪い……
荷解きを終え、机に向かって今日配られた教科書を開いて勉強し始めたのがもう一人のルームメイト、ダルド・レトルトン。
顔も体も厳つくてとてもココアと同じ15歳には見えない。
猛勉強してこの学校に入った、いわゆるガリ勉タイプである。
どう見ても肉体系なのだが……
先程からシャオンのことが気になるのか、教科書を見る振りをして横目でチラチラと姿を追ってやがる。
まあ、無理もないか……
中性的なシャオンの美しい外見に品のある身のこなし。
ただそこにいるだけなのに、とにかく目立つのだ。
「君の魔法書は随分と年代物だね。」
シャオンが鞄から魔法書を出すやいなや、ダルドが話しかけた。
なにか話すキッカケがないかとずっと探っていたのだろう……
ココアの目もクルクルと輝いた。
「本当だ。すごい装飾品が付いてる。骨董品なの?」
シャオンは二人の問いに、魔法書を持つ手を止めて冷淡に答えた。
「母の形見なんだ。」
シャオンの言葉にココアとダルドは顔を見合わせた。
まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう……
シャオンは二人の気まずさなど意にも返さず、淡々と荷解きを続けた。
他人を寄せ付けないその冷たい態度にカチンときた。
「はっ、マザコンかよ。」
クールを気取ってんだかなんだか知らねえけれど、感じが悪いったらない。
ベッドに寝転がっている俺のことをシャオンは鋭い目で睨んだ。
「言っとくけど……」
ゆっくりと話し出した口調には怒りが滲み出ていた。
「今朝のは失礼な態度を取った君が100%悪い!同じクラス、同じルームメイト、三年間も一緒でサイアクだと思っているのは、僕もっ、同じだ!!」
そう一気にまくし立てるとシャオンは部屋を出て行った。
なんだよあいつ……
意外と言うじゃねえか………
「何なに?今朝何があったの?」
興味津々でココアが尋ねてくる。
俺がチンチン触ったことを根に持ってやがったのか……?
別にそれくらい良くね?
男同志、減るもんじゃねえだろっ。
本来俺は面倒くさいことは嫌いで世の中楽しけりゃいいと考えている。
いつもなら自分からケンカをふっかけるような絡み方は絶対にしない。
なのに、だ。
シャオンを見てるとなぜだか突っかかりたくなってくるのだ。
「ねえツクモ。シャオンに謝りに行く?一緒に付いてってあげようか?」
「いらねえよ!あんな奴、もう関わりたくもねえわっ!」
なんなんだこの感情は……?
まるで子供が好きな子に振り向いて欲しくてわざと意地悪をするような………
いやいやまさか、俺にそんな趣味はない。
「シャオンてカッコイイよね~。クラスの女の子なんかシャオンが自己紹介してる時、目がハートマークになってたもん。」
シャオンは自分の名前と年齢を16とだけ素っ気なく答えた。
そこが女子にはまたウケていたのだからやってられない。
ちなみに俺は18歳、最年長だ。
「まるで王子様みたいだよね~。」
……王子様ってよりお姫様だろ。
華やかなドレスを着たシャオンが、微笑みながら俺に向かって手を差し伸べてきた。
……って。なにを妄想してんだ俺は……
待て待て違うっ……
俺に、そんな趣味はないっ!