寄生する魔物
シャオンを抱きかかえたまま医務室へとやってきた。
扉を少し開けて中の様子を伺うと静まり返っていた。
いつもは怪我やら体調不良やらで休んでいる生徒が何人かはいるのだが、今日は医務室の先生さえ見当たらない……
なにやら様子が違ったのだがこの方がシャオンの姿を見られないから都合が良い。
シャオンをベッドに下ろして布団をかけた。
「とりあえず魔力が回復するような魔薬探して来るから、誰にも見られないようにそのまま布団かぶって寝てろ。」
シャオンはとろんとした目をしながらもコクリと頷いた。
魔薬で魔力を回復させてこの場は凌げたとしても一時的なものだ。
もっと根本的なことを解決しないといけない。
夜寝てる時だけでも変身を解除出来るのが一番理想的なのだけれど……
魔女だということは伏せて説明したとしても、ダルドは真面目すぎて思考がパンクしそうだ。
ココアは柔軟に対応はするだろうけれど、悪気なく他の人にもペラっと喋ってしまいそうだ……
仕切りを作るとかシャオンだけ一人部屋にしてもらうとか……不自然だよな〜。
なにか良い解決策はないかと考えながら備蓄室で探していると、薬棚の奥にあったラベルに目が釘付けになった……
ウソだろ……?これって──────……
シャオンがいる医務室に揺らりと人影が現れた。
そいつは何も言わずにシャオンが寝ているベッドの側まで来ると立ち止まった。
「……ツクモか?」
人の気配を感じたシャオンが布団からそっと顔を覗かせると、土気色の顔をした男が見下ろしていた。
それはよく見るとダルドだったのだが……
シャオンを見下ろすその瞳は
蜂の巣のように不気味に光っていた────────
まさか世の中にこんな夢のような魔薬があるだなんて……
「シャオン、ちょっとこの薬飲んでくれよっ。」
俺は意気揚々とシャオンのいる医務室の扉を開けたのだが、そこには驚くような光景があった。
ダルドがシャオンに馬乗りになって首を絞めていたのである。
「な、何やってんだよダルド!?」
慌ててダルドの腕に飛びついて引っ張ったのだがビクともしない。
なんなんだこの馬鹿力はっ……!
いくらダルドが厳つくて筋肉質だとしても岩のような硬さである。
シャオンを見ると真っ青で気絶寸前だった。
持っていた薬をダルドの顔面にぶちまけるとようやく力が緩んで引き剥がすことが出来た。
「大丈夫かシャオン!!」
シャオンは首を締められていた反動で激しく咳き込んでいた。
優しく抱き起こしてあげようとしたのだが、ダルドに突き飛ばされて壁に後頭部を強打してしまった。
……ってえ〜。この野郎っ!
またシャオンに襲いかかるのかと思いきや、咳き込むシャオンの背中を優しく撫でている。
ダルドの頬はほんのりとピンクに色付いていて、シャオンを愛おしそうに抱きしめるとスリスリと頬ずりをし始めた。
あちゃ〜……
どうやら俺がかけた魔薬が効いているらしい……
「なんなんだこれはっ!ツクモっ、なんの薬をダルドにかけた?!」
しつこくくっついてくるダルドを押しのけながらシャオンが聞いてきた。
「えっと~…俗に言う惚れ薬ってやつ?」
「……貴様っ……それを僕に飲ませようとしてただろ?!何考えてんだこのどスケベ野郎っ!!」
当然のことながら大激怒である。
ちっきしょ〜あんなこととかこんなこととか出来たのに……
ようやくダルドの手から逃れたシャオンはフラフラになりながらもベッドから抜け出してきた。
「どうなってるんだ?ダルドじゃないみたいだ。目も変だし……」
「あれは昆虫型の魔物に寄生された時に起こる複眼化だ。」
昆虫型の魔物なんてとっくの昔に烈士団によって全滅させられたと思っていたのに、まだ生き残りがいたのか……
それにしてもどうやって学校の周りに二重に張り巡らされていたあの魔法を潜り抜けて入れたんだ……?
そう言えばダルドは交流会の時から様子が変だった。
とすると……
あの夜に塀に空いていた穴から入って来たのか……
「ダルドを元には戻せるのか?」
シャオンが心配そうに聞いてきたのだけれど、戻るとは言いきれなかった……
どれだけ寄生されてるかによるのだ。
ダルドの場合、寄生されてから時間が経ち過ぎている。
せめて何の昆虫なのかが分かればいいのだけれど……
ダルドの首がカタカタカタと妙な角度に曲がったかと思ったら、口からいきなり大量の糸を吐き出した。
不意をつかれた俺達はその糸によってまとめてグルグル巻にされてしまった。
「変なところを触るなっ!僕から離れろ!!」
「耳のそばで喚くな!文句ならダルドに言えっ!」
俺の体がぴったりと密着しているもんだからシャオンは露骨なまでに嫌がっている。失礼な奴だっ。
俺としてはどさくさに紛れてもっと触ってやりたいのだが、この状況をじっくりと堪能している場合ではない。
この細くて粘ついた糸……こいつの正体は蜘蛛かっ。
蜘蛛ならば寄生を解く方法を知っている。
かなり荒療治だが……
「ツクモ、あれを見ろ!」
シャオンが叫んだ方向を見ると天井に大きな昆虫の巣のような塊があり、その巣の周りに全身をグルグル巻にされたミイラのような人間が五人ほど吊るされていた。
どうやら医務室の先生と生徒のようで、みんな意識はないが息はまだあるようだ。
巣の中から蜘蛛の子がわさわさと這い出してきた。
子蜘蛛と言うにはデカすぎる、10cmはあろうかという大群が次から次へと出てきた。
巣の中で黒い影が蠢いている…あの中にはまだ何千匹といるのだろうか……
俺達はあの産まれてきた子供の為のエサってことか……
「シャオンこれ飲んで魔力回復させろ。戦うぞ!」
俺は備蓄室で見つけていた魔力を回復させるドリンクをシャオンに差し出した。
回復と言っても全回復できる訳じゃない。微々たるものなのだが、無いよりはマシだ。
シャオンは大丈夫かってくらい顔が引きつっていた。
「どしたシャオン?」
「……蜘蛛…苦手なんだ……」
……はぁあ?
こんな時になに甘っちょろいことを言ってやがるんだ。苦手だとか言ってる場合かっ!
天井から大量の蜘蛛の子がボトボトと落ち始め、身動きの取れない俺達の体の上にも何匹も這いずり回った。
その余りのおぞましさに、蜘蛛が苦手なシャオンは卒倒してしまった。
「おいっシャオン!しおらしく失神してんじゃねえっ!いつものクソ生意気さはどうした!!」
なんとか起こそうと体を揺さぶり怒鳴り散らしたのだが、くてっとしたままで全く起きる気配がない。
マジか……なんて面倒くせえ奴なんだ!!
ダルドの体からメキメキと嫌な音が聞こえてきたかと思ったら突如腹が裂け、中から8本の長い足が生えてきた。
頭からは蜘蛛独特の触肢が伸び、臀部が大きく膨らみ始めた……
人間の形を成していない。
もう、手遅れだ……───────
俺は〈ブリザード〉を唱え、鋭い刃のような氷で俺達に巻きついていた蜘蛛の糸を切り刻んだ。
「……悪いな、ダルド……」
せめて、苦しまないように一思いに殺ってやるしかない……
気絶してしまったシャオンを壁際のベッドへと運び、蜘蛛に変貌したダルドと対峙した。
騒ぎを大きくしないように死体を残さないよう、跡形もなく消し去るしかない。
俺は火系の攻撃魔法の中では最強の〈カエンマ〉を唱えた。
灼熱に煮えたぎったマグマがダルドを襲う────
「……ツクモ君……」
マグマが当たる寸前、微かにダルドの声が聞こえた。
俺は咄嗟に魔法の軌道を変えて壁にぶち当てた。
壁は熱で一瞬の内に蒸発し、外の景色が丸見えの状態になった。
脳は完全には寄生されていないのか?
だったらまだ、助かる望みがあるかも知れないっ……!
先ずはダルドに寄生した蜘蛛を見つけ出して排除しなければならない……
「うわっ!なんかあの建物壊れてないかっ?」
「本当だ!あそこは確か医務室ですよね。」
外から何人かの声が聞こえてきたので見ると、それはボンボンと取り巻き達だった。
蜘蛛になったダルドも四人の存在に気付いたようだった。
「おいっお前ら!直ぐ逃げっ……」
俺がそう叫ぶより早く、ダルドは糸を吐き出して四人を捕まえた。
いきなりグルグル巻にされて目の前に大きな恐ろしい蜘蛛が現れたもんだから、四人は気が狂ったみたいにヒステリックに叫びまくった。
その声を聞きつけて他の生徒まで集まってきてあっという間にカオス状態である……
こんなに人がいるんじゃ魔法が使えない。
ダルドの吐いた糸が再び俺にも伸びてくる……大人しく捕まるしかなかった。
「ツっツクモ君!なんなんだい、この…こっこの生きものはぁ?!」
ボンボンが恐怖におののきながら聞いてきた。
クラスメイトのダルドだよと言って信じるはずがない。
さて、どうしよう……
ここは烈士団の支部だ。
このまま大人しく捕まって知らんぷりをしていれば奴らが現れて倒すだろう。
誰が団員かも知ることが出来る。
でも……
それだとダルドは助からない。
散らばっていた子蜘蛛がカサカサと音を立てながら一箇所に集まりだした。
その集合体が集まっている中心には、ベッドで寝ているシャオンの姿があった──────
「おいっ起きろ!食われるぞっ!」
「ツっツクモ君!その美しい女性は誰だ?しょ、紹介してくれ!」
「うるせえ!!俺に話しかけんなっ!!」
ダルドはシャオンの腰に糸を巻き付けると、子蜘蛛がたむろする床へと下ろした。
シャオンは冷たい床の上で身動きひとつしない。
ダメだ…全然起きそうにないっ……!!
「僕の未来のお嫁さんがぁ~!!」
ボンボンが耳障りなたわけたことをほざく。
何千もの子蜘蛛がシャオンに群がり、瞬く間に黒く覆い隠していった────────
「……てめえら……シャオンに触るんじゃねえ!!」
ヴァンパイアの力を全解放してまとわりつく糸を引きちぎった。
群がる子蜘蛛を風を起こして吹き飛ばし、シャオンを救い上げた。
どこにもかじられているような跡はない…良かった……
エサを奪われた子蜘蛛がギーギーと口を鳴らして威嚇してきた。
「へえ〜おまえら度胸あんな。」
あろうことかシャオンを食おうとしやがって……
一匹残らず同じ目に合わせてやるっ!
俺は白い牙が生えた口に指を加え、天高く口笛を吹いた。
その生き物は世界に生息する全ての哺乳類の種類の中で約20%もの割合を占め、広い範囲に棲息している。
雨風がしのげる場所なら隙間からも侵入し、集団で住みつく……
つまり、こんなバカでかい校舎なら何十万匹も住み着いているのだ。
俺の元に続々と集まってきたコウモリ達が空を旋回し、黒く埋め尽くしていった……
「夜でもないのに呼び出して悪いな。さあ、好きなだけ食ってくれ。」
ヴァンパイアだからコウモリを操れるという訳ではない。
多くのコウモリは超音波を発して周囲の環境を認識している。
俺はそれを利用し口からエコーを増幅させ、催眠術をかけてコウモリ達を操っているのだ。
圧倒的な数によって子蜘蛛は逃げる間もなく全て食べ尽くされてしまった。
シャオンに手を出そうとするからだ。地獄で詫びろ。
ダルドが上顎から薄気味悪い音を出して触肢をカタカタと震わせている。
子蜘蛛を殺されて怒っているようだ。
「ちょっとシャオンを頼む。」
まったく起きそうにないシャオンをコウモリ達に預けた。
この騒ぎの中で寝れるってのが信じられないのだが……
コウモリ達は空飛ぶ絨毯のように平らに集まるとシャオンを乗せて安全な場所へと移動していった。
「ダルド、まだ意識はあるのか?」
鼻だった部分から下は硬くて鎌状の上顎へと変形し、先端には鋭い牙が付いていた。
ダルドの複眼化していた二つの目も、今は8個に分かれて真っ黒な無機質なものへと変化している……
ダルドの面影などまるでなく、蜘蛛の気味の悪い顔そのものだった。
その1つの目から、涙がこぼれ落ちた────……
「……待ってろ。今助けてやる。」
そうは言ったものの、ここまで昆虫型の魔物に寄生された人間が元に戻った事例は聞いたことがない……
だからといって諦めるけわにはいかない。
ダルドが良い奴なのを知っている。
それに……
シャオンの周りでこれ以上人を死なせたくなかった。
ダルドから突如、耳を劈くような不協和音が発っせられると、上顎から紫色の臭気を巻き散らした。
その臭気を浴びたボンボンの髪の毛がドロリと溶け、それを間近で見た取り巻き達が吊るされながらもなんとか逃がれようと大パニックになった。
ツルツルになった頭を手で触ったボンボンが断末魔のような悲鳴をあげている……
こいつらっ…全員邪魔だっ!
俺は造氷魔法の〈ブリザス〉を唱えて氷の剣を創った。
ボンボンと取り巻き達、それに他にも吊るされていた先生や生徒達の糸を素早くかっ切った。
「てめえら四人でそこでのびてる奴ら運べっ!!」
俺に怒鳴られたボンボン達が泣きながらも気絶したままの人を運び始めた。
蓄えていたエサを全て奪われ、激しく唸るダルドに向かって剣を構えた。
小細工してる猶予はない。
俺はダルドの懐へと全速力で走っていって剣を振り上げ、大きく膨らんだ腹にブスりと突き立てた。
ダルドは身悶えするように仰け反ると医務室の屋根を吹き飛ばし、外へと転がり落ちた。
地面に落ちた衝撃で手を離しそうになったがここで振り落とされるわけには行かない。
俺は刺さったままの剣を片手で強く握り直し、腹に開いた傷からもう一方の手をねじ込んだ。
どこだっ……どこにいる─────!!
緑色の粘ついた体液で全身ベトベトになりながらも、ダルドの腹の中をぐちゃぐちゃに探り回った。
ダルドは痛さで七転八倒し、長い8本の足で俺を叩き落とそうとしてくる。
紫色の臭気を吐き続け、俺の背中に火に炙られたような激痛が走った……
指先に内蔵の感触とは違う異物なものを捉えた。
逃げようとしたそれをガッチリと掴み、ダルドの腹の中から引きずり出した。
ダルドに寄生した昆虫型の魔物、本体である。
それは子蜘蛛よりかなり小さい2cmほどのサイズだった。
俺はそのままそいつを握り潰した。
「弱えくせに手間かけさせやがって……」
問題はここからだ……
軽い寄生であれば本体を抜き取った後に魔薬や魔法で原状回復も可能だ。
寄生が半分以上だと、本体を倒したところでその後は元の姿に戻るどころか生きることさえ難しくなってくる……
ダルドはもうほぼ寄生されてしまっていた。
本来なら望みはゼロなのだがやるしかない。
俺はダルドの腹に刺さった剣を抜き取り、体から生えた8本の足を全て切り落とした。
頭に生えた触肢や上顎、何個もの目も切り落とし、腹も内蔵を残して全て削ぎ落とした。
ダルドだけの部分を残すとそれは30cmにも満たないただの肉の塊となった。
その塊に止血代わりの冷却魔法を施した。
大きく息を吸い込み、呼吸を整え……
全神経を手の平に集中させる……──────
傷を癒す治癒魔法、欠けた部分を補う変換魔法、強化魔法に促進魔法……
今のダルドに効きそうなありとあらゆる魔法を思い浮かべて次々と魔法陣を出現させた。
魔力の消費量が半端ない……一瞬でも気を抜いたら意識がぶっ飛びそうだ。
でもこれじゃあ足りない……
もっと、もっとだ……─────!!
俺を中心とした辺り一面が、様々な色や形の無数の魔法陣によって埋め尽くされていった。
大量の魔法による質量に耐えきれなくなった地面がピシピシと地割れを起こし始める……
魔法陣同士が擦れるように共鳴し合い、大気が鋭いカマイタチとなって俺の体を切り刻んだ。
大爆発を起こす限界スレスレまで魔法陣を出し切り、今度は順番通りに一気に唱えた。
肉の塊となったダルドへと無数の魔法が雪崩のごとく流し込まれていく……
頼むっ…助かってくれ──────!!
もう、祈ることしか出来ない……
ダルドの体が宙に浮いたかと思ったら、眩く光り出した。
それは……
心が安らぐような
とても穏やかな煌めきだった──────……