表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

掌編小説

願いの石

作者: タマネギ

寒い……眠りこんでいた。

膝に置かれていたブランケットを、

胸まで引き上げる。

瞼をもう一度閉じる。……あった。

私は、ポケットの中に

その石があることを確かめた。

淋しさはあった。

でも、もう涙はこぼれてこない。


そういえば、見送りに来てくれた友人は、

私から上着を受け取り、笑っていた。

私は、上着なんて、邪魔になるだけよねと言い、

それを友人に渡したまま、手を振った。

冬の夜の便、Sが待っている島に、

飛び立つために。


鉱山開発の技術指導……Sは、

早く島に来て欲しいと、

何度も言っていた。

私は、ずいぶん長い間、Sを待たせたが、

あの夜、その言葉を受けとめていたのだ。


飛行機を乗り継ぎ、まる一日半の旅の末、

私は、その島にたどり着いた。

Sからの知らせの通り、とても美しい島だった。


何処までも広がる空と海、緑豊かな森や草原、

降り注ぐ太陽の光は、日本のそれとは違って、

亜熱帯の、透き通る色合いだった。


人々は皆朗らかで、優しくて、誰も疲れていなくて、

目にする物すべてに感動し、

私は、待ち望んだSとの再会に、涙した。

もちろん、Sは私を、強く抱きしめてくれた。

私も、Sの腕の中で目を閉じた。


島の暮らしが、人々の祝福の中で始まり、

穏やかに過ぎていこうとしていた。

私は、Sとの生涯を、

この島でなら全うできると思った。

ほんとうに、そう思っていた。


半年が過ぎた頃だった。


私は、子供が出来たかもしれないと、Sに言った。

医者のいない島なので、

自分の感覚を言ったまでのことだ。

結局、そうではなかったが……


Sは、その時、一瞬、驚いた様子で、

その後に、何というか、

喜びと、薄い戸惑いの表情を、

浮かべたような気がした。


Sが見せたあの一瞬の間に、

どんな思いがあったのか。

私は、Sの表情が胸に引っ掛かり、

それからは、Sのことを、

もう一人の自分が、見るようになった。


Sは、技術者として、

毎日、森の中にある洞窟に、

入っていったが、

島の長老やその息子らと

連れだって行くのを見送るときに、

もう一人の自分が、

妙なことを考えるのだった。


例えば、その洞窟への侵入は、

Sが、私の知らない世界へ行って、

そこで、何かを企て、何かに手を下し、

何かを支配し、

そして、何も無かったかのように、

戻ってくるのではないかといった、

子供じみた空想ドラマのようなことだが……

どうしてあんな発想をしたのだろうと思う。


子供が出来たかもしれない。

その言葉に対して、たまたま、

戸惑いの表情があったからといって、

そこまで、考え込まなくても

よかったではないか。


それなのに私は、Sに対する気持ちだけでなく、

島に対する見方も、あの時、変わっていった。

島が美しければ美しいほど、

自分が現実から離れていって、

ちょうど、浦島太郎のような、

物語にいるのではないかと、

そんな風に思うようになっていた。

それも、やはり、Sの戸惑いがきっかけだった。


Sが、私のそんな別の目を、

感じていたかどうかは、

今となっては、わからない。

ただ、二人の間に、

何かしら、隙間が生まれていたことは、

Sも感じていたのではないだろうか。


その顔つきが少し強張っているような、

それでいてぼんやりしているような、

少なくとも、私には、Sが再会した頃と、

変わっていくように感じられた。


それでも、島での暮らしは続いた。

私は、毎日、部屋を拭き、寝床を整え、

島の限られた物資や食材で、食事を作った。

それは、私が、もっと、Sの苦労を知り、

やがて、本当の意味で、

Sを理解できるときが来るのだと、

そう考えようとしたからだった。


何しろ、Sは私を求めていたのだし、

私もSをずっと、そう、ずっと待っていたのだ。

島に向かった夜の、空港での自分を、

何度も思い出した。


そう思い直してみれば、

Sは、再会したときと同じように、

優しいことに変わりはなかったし、

島のありのままの美しさは、

人を愛していくことには、

とても大切で、

すばらしいことに違いなかった。


大自然の中の暮らしが、心や感情を、

何かしら矯正していたのかもしれない。

そのせいで、神経質になっていたのかもしれない。


私がそう考えてもいいと思うようになった頃、

島に、その時期には珍しく、雨が降った。

長老は、水が流れ込んで危ないから、

止めなさいと言っていた。

私も、今日は止めてと言った。

けど、Sは聞かなかった。


調べている地層の中に、

どうしても掘り出したい石があるので、

それを取ってくると言っていた。

Sは、すぐ帰るからと、

冷たい唇で私にキスをした。

あの時、体全部で、止めれば良かったのだ。


森は、命の営みを緩めて、

空からの水を受け止め、

その水を地下に送り込んでいた。

Sは後ろ手に手を振り、

その森に姿を消した。

最後に見た、Sの細長い背中が

今でも目に焼き付いている……


……私も、洞窟の中を、

村の人と一緒になって捜した。

複雑に入り組んだ迷路には、

尖った石がたくさん落ちていて、

怪我をした足を庇いながらSを捜しまわった。


もうこれ以上は奥に入るなと言われても、

私は、泣いて、皆の手を振り解こうとした。

洞窟の中に、私の声が木霊して、

魔物の叫びになった。

私は島の若者達に抱えられて、

長老の家に連れて行かれた。


そして、一人、地べたにうずくまり、

Sのことを、別の自分が見たりしたから、

Sは消えてしまったのだと悔やんだ。

私は、Sに帰って来てと心から願っていた。


Sは翌日になって、見つけ出された。

私を運んだ若者達が、命綱をつけて、

入り込んだ一番深いところで、

Sは、崩れた岩に挟まれたまま、

この石を掴んでいたという。


島では一度も見つかったことのない、

ムーンストーン……

Sが掘り出したいと言っていた石は、

これだったのか。


Sは何故、この石を掴んでいたのだろう。


愛を伝える石というけど。


アテンショ……ウイウイルビーランダッ……エアポー

……ニンフォーティミニッアワライバルタイ……

アッテンネーエム……サンキュ


機内アナウンス……

私は、Sとの日々を胸にしまい込み、目を開けた。


窓の外、雲海のすきまから、

赤茶けた山肌が見えている。

あと四十分で着く。もうすぐSの故郷だ。


Sの母親になんと言えばいいのだろう。

年老いた彼女に、Sのことを伝えられるのは、 

私しかいない。


高度を下げていく機体の羽が、

夕日に輝いている。

私は、形見のようになった石を窓に近づけ、

オレンジ色の光に翳してみた。


「……S、あなたは何を願っていたの?」


ムーンストーンの向こう、地球が丸く見えている。


ふと、思った。

Sは地球の願いを聞いていたのではないかと。


私の中のもう一人の自分は、

そんなSに、

気付いたのてはないかと。


愛を伝えること。

私は、Sの母親に話せることを見つけた気がして、

その石をポケットにしまい、

もう一度、瞼を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ