第6話
学校祭が終わり、いつもの生活に戻った10月。最初に気がついたのは柊也だった。遅刻はいつも通りだが、変わったのは学校に来てから。いつもならば休み時間も席に座っていたりと大人しかった柊也が、今ではクラスの他のメンバーに話かけに行ったり、ふざけ合ったりとはしゃいでいるのだ。その変化に巻き添えを食うように秋月も席を立つようになった。
2学期からの学級委員長は夏樹になり、生徒会にいるヒナちゃんと昼休みや放課後、会議があると連れ立って歩くのを見かけた。
そんなある日。いきなり廊下に秋月が飛び出したのである。そのまま複数の走り去る足音と遠くから「待て!!」と秋月の声が聞こえた。
数秒もしないうちに戻って来た秋月の両手には、柊也の足が引きずられていた。ズルズルと引っ張られる柊也がケラケラと笑いながら「ヒナもだよー、僕だけじゃないよー」という。
「秋月、どしたの?」
クラスメイトが見守る中、代表するように問いかける。
「走れない僕に対する嫌がらせ!走れないのに一方的に鬼ごっことか始めるんだもん…」
「違う!こいつら、俺の弁当早弁しやがった!」
いきなりの秋月の声に驚く。男子高校生にしてはかなりの死活問題だが、今までクラスメイトにすら関わろうとしなかった秋月である。その声を聞いてクラス中が笑い出す。
その後、ヒナちゃん達からの懺悔のメロンパンをかじりながらみんなで新聞部に向かう。
「秋月ママのお弁当って、すごい美味しいの。少しだけのつもりだったんだけどなぁ。」
再び秋月が走り出す。ヒナちゃんが逃げる。僕らの隣で森岡さんが楽しそうに笑う。
「楽しいね、冬至。」
柊也の声に振り返る。だんだんと秋が近づく。2年生の半分が終わりこんな生活がこの先もずっと続くと、この時はまだ思っていた。
吹奏楽の練習が終わり、秋月と一緒に後片付けをする。遠くではヒナちゃんも楽器の片付けをしていた。
「今日から、柊也一緒に帰らないから。」
秋月がいきなり話しかけて来た。前に比べて話す機会はだいぶ増えた。今では言葉数は多くないが、たわいもない話ならいくらでも出来るようになった。そんな秋月が、なんだが寂しそうに話し出したのだ。
「体調?悪くなったとか?」
恐る恐る尋ねる。
「いや。彼女と帰るんだってさ」
突然過ぎて言葉が返せなかった。
3人での帰り道は、なんだか静かだった。
土日が明ける前までは4人で騒ぎながら帰っていたのに。駅に向かう秋月と分かれ、ヒナちゃんが話し出した。
「柊也、ビックリだよね。わたしも今日初めて知ったの。彼女なんて、今までそんな感じじゃなかったのにね。いつかみんなにも彼女が出来て、1人で帰る日が来るのかなぁ」
うつむきながら話すヒナちゃんに、どんな言葉をかけてあげればいいのか。けれど、色々と引っかかる。柊也に彼女が出来たならば、10年後のヒナちゃんは?それまでもずっと柊也を想っていたのか?それとも僕の考えは間違っていたのか?
柊也の彼女は同じクラスの女の子だった。女の子から告白をしたらしく、しばらく保留をした上での返事だったそうだ。登校した教室では、その女の子を中心に黄色い会話が弾んでいた。
その日は3限目の途中で柊也は登校して来た。隣の席の僕に小さな声で「おはよう」と言ってから再び職員室に向かうため教室を出て行った。
「敷島君って、柊也と仲良かったよね?」
次の休み時間、柊也の彼女になった女の子が他の女の子数人と僕の席まで来た。
「うん、多分。秋月の方がもっと仲良いと思うんだけど…」
「横野君、なんか私らの事嫌ってるみたいでさ。話しかけようとすると、すぐどっか行っちゃうの。そんなに柊也取られたの根に持ってるのかって!」
そう言い、その場の女の子が笑い出す。
「で、どうしたの?」
「あのさ、私言っても全然話聞いてくれないからさ。敷島君から言ってやってよ。遅刻するなって。卒業とか危ないじゃん?彼氏留年とか笑えないしさ。」
話に違和感を感じた。柊也の遅刻は仕方のない話で、学校だって認めている。今日だってきっと病院に寄ってから来たはずだ。
「ごめん。柊也から何か聞いてない?」
「え?何か?あぁ。貧血凄くて朝なかなか起きれないんだーっては言ってたかな。でもさ、学校も遅刻するし、この前だって、デートに3時間も遅刻して来たんだよ!?その癖だけは、本当嫌になる。」
柊也に彼女が出来てから、僕らは行動を共にする機会が少なくなった。柊也に真相を聞く機会もなく、2週間が過ぎた頃。それは突然だった。ヒナちゃんが倒れたのだ。2限目の終わり。夏樹の号令でクラス全員が立ち上がったところで、ヒナちゃんは倒れた。後ろの席の秋月が必死に支え、そのまま保健室へ連れて行った。3限目になっても秋月は帰って来なかった。
4限目には帰って来たが、昼休みにヒナちゃんも秋月も早退をした。柊也が登校してきたのは秋月が教室にヒナちゃんと自分の荷物を取りに来た後だった。
「冬至、秋月たちは部活?」
「いや。朝、ヒナが倒れてさ。秋月が一緒に帰ったみたいよ?」
夏樹がお弁当を持って席まで来たついで、僕の回答を代弁してくれた。親が共働きのヒナちゃんを気遣って自分も早退したのだろう。そんな秋月の男気に感心する間もなく、柊也が下を向き黙り込む。口を開いた一声が、
「夏樹。たしか自転車通学だよね?放課後までには返すから、貸して。頼む。」
クラスに顔を出してすぐに教室を出て行った柊也をクラスメートのほとんどが見ていた。きっと、柊也の彼女も見ていただろう。あのおっとりな柊也が自転車まで借りて急いで2人の後を追いかけた所を。
後から夏樹に聞いた話。その日は、放課後に柊也は帰って来て、自転車を返して行ったそうだ。ヒナちゃんは風邪と腸熱を併発しており、1週間近く休む事になった。次の日には秋月も柊也も登校してきたが、2人とも放課後になるとヒナちゃんの家にお見舞いに行っていた。
そんな中で、机に1人になっていた森岡さんに柊也の彼女達が何かを話しているのをみた。
一週間が過ぎ、久しぶりにヒナちゃんが登校してきた。いつも通り。元気そうな顔でみんなに「おはよう」と返していた。
「ねぇ、山脇。ちょっと話あるんだけど。」
ヒナちゃんが席に着くか着かないかくらい。柊也の彼女がヒナちゃんに声をかけにきた。そして、その彼女の取り巻きを含め4人が教室から出て行った。嫌な予感がした。けれど、全くの第三者である僕には、何もしてあげられなかった。珍しく早く登校してきた柊也に事情を話す。話を聞き終わるか否かに、柊也は教室から飛び出していった。行き先は分からない。
授業が始まるまでには全員が帰ってきたが、何があったか聞けるような雰囲気ではなかった。
昼休みになり、柊也と新聞部に向かった。その日は生徒会のため、ヒナちゃんと夏樹はいなかった。PC室には森岡さんだけだった。
パソコンを立ち上げる間に思い切って柊也に尋ねた。「今朝、何があったの?」と。意外な返事だった。
「渡辺君、ヒナちゃんの事まだ好きなんでしょ?なのになんで返事したの。相手に失礼だよ。」
こちらに振り返り、いつもとは違う、泣きそうな顔で森岡さんが言った。彼女達が森岡さんに話しかけた理由がこれだったのかと納得し、柊也の答えを待つ。
「僕じゃ、秋月には敵わないよ。」
柊也達が別れた事を知ったのはその日の放課後だった。
吹奏楽部が終わり3人で玄関に向かう。すると、自販機で2週間前と同じ、いつも通りの柊也が壁にもたれかかっていたのだ。
「フラれちゃったぁ。」
と苦笑いをし、本来予定になかった【フラれて残念会】が開催された。と言っても、近くのコンビニで柊也にみんなで何かをおごるというだけである。この街には高校生で入れるような飲食店もない。
残念会という名前のくせに、誰もそのことについては話題には上げなかった。僕は、昼休みに森岡さんとの会話で聞いてしまっていた。けれど秋月も、ヒナちゃんだって。みんなから買ってもらった特大肉まんを頬張りながらニコニコしている柊也を眺めていただけだった。
この3人には、僕も一緒に過ごした7カ月以上の、もっと長い付き合いがある。きっと、その間にお互い『言葉で伝えなくても察する事が出来る』空気があるのだろうと予測する。たまに感じる疎外感はこのせいだろうか。
コンビニの店頭には肉まんの保温ケースが出ていた。もう、そんな季節なんだな、っと。
この時間に来て7カ月が過ぎた。もうすぐ、僕の住んでいた街には降らなかった雪が降る。