第六話 友達が出来た
西香は異世界に帰る手立てを調べるために本が必要になったのだが、それを購入するためにお金が必要になった。最初は立ち読みでなんとかしてやると思っていた西香だが、ネットもない異世界では本屋にあるのは一般紙や持ち込まれたエッセイ、どこかの詩人の書いた詩集などが置かれるのみで、専門書や資料などは本屋に前払いのお金を払った上で商人からの取り寄せとなるのが一般的だったのだ。
という前提に置かれ、西香は慣れぬ商売を始めたところだった。
「あーい……特殊なお薬ですわよー……いらんかねー……」
フェルディナントは街に入ることが出来ないので商売が出来ず、仕方なく西香が商店を立ち上げて、特別な布を販売している。のだが、本人には微塵もやる気がない。
「ぐぬぬ……どうしてわたくしがこんな事を……!一度はどっかの知らない会社の大株主になって経営の陣頭指揮を取ったこのわたくしがこんなみみっちぃ商売をぉ……」
もう二日ほど街で商店を開いているが、西香はやる気と共に笑顔は無いし、傍から見ればただの布を売っているのみで、現状ただの一つだって売れていない。
だがその布の効力だけは本物だった。フェルディナントの癒やしの魔法の効力が込められているのだ。
この布を売ることになった経緯だが、最初に西香が何か売れるものはないかとフェルディナントの小屋を見回した時に余っているようなモノなどありもせず。そこで目をつけたのがフェルディナントの魔法である。朝ごはんにとフェルディナントが鉄板でりんごを焼いたのだが、その時火を使っていないことに気がついたのだ。
聞けば魔法の力を付与、つまりエンチャントという形で一時的に宿らせることが出来るのだという。鉄板に熱を宿して焼いていたのだという。
そこに西香の守銭奴の嗅覚が鋭く働いた。こんな世界で怪我を治せる布があれば一儲け出来るのではないか、と。
そうして西香は街でなんとか布を集め、しっかり洗って(フェルディナントに洗わせて)回復魔法をエンチャントさせた。すると大成功で、擦り傷程度はその布でこするだけで治ってしまうことがわかったのだ。
「これはもう、奇跡の回復布として売り出せますわ……でかしましたボーイ!わたくし、早速商人を雇って……あ、雇うお金がありませんでしたわ。ではどこぞの商人に委託を……あ、でも委託だと純利益が減って……っく!どうすればいいんですの!」
そんなふうに悩むのだが、フェルディナントは乗り気ではなく。
「ボク、色んな人の怪我や病気を治したい気持ちはあるけど……これでお金をもらうのは……」
その言葉に西香は「甘っちょろいですわァ!」と愛ある張り手を食らわせる。
「あのですね。ここで売らなければあなたの才能はただ埋もれて消えるのみ。こうは考えられませんか?必要な人が購入することで、もしかしたら泣いている子供の傷を癒やすことが出来るかもしれない。でもこれを無料で配ると言ってみなさい、誰も信用しませんわよ。お金をとった上で、しっかり効果のある品物を提供する。それで誰かの泣き顔が笑顔に変わる……まずはそこからスタートするべきだと思いませんか?!」
「そ、そうかも……?」
そうやってフェルディナントを丸め込んだまでは良かったのだが、いざ商売を始めようとしてもにっちもさっちも行かず。気の抜けた無表情で店頭にぼやーっと座るだけの西香に近づく人間すらいなかった。そんなわけで、二日目の今日も戦果ゼロで帰宅する。
「なかなかうまく行かないね、お姉ちゃん」
「そうですわね……そもそもわたくしのような箱入りのお嬢様にこんな苦行を強いる異世界って……アニメでは必ず美少女がなんやかんやで絡みだして、なんやかんやで主人公に特別なパワーが発現して、なんやかんやでハッピーエンドっていう王道展開のはずですのに……わたくしの美少女のお友達はどこ!!はぁ、今の所接点があるのは薄幸そうな不思議ボーイだけ……もうわたくし、ここで生きていく自信がありませんわ……」
西香は頭を抱えて机に突っ伏した。いつのまにか家に居着いたカワウソ的な小動物は西香の頭をポフポフ叩いている。フェルディナントの方は少し焦ったように元気づけようと、明日の計画を話すことにした。
「そ、そんなこと言わないでよ西香お姉ちゃんっ……明日はボクも一緒に街に行けると思うから……っ」
「一緒にぃ?街に入るまでにまた命を狙われて危ないんじゃありませんの?ボーイは今の所わたくしの命綱なんですから、危ない目に合われては困りますわ」
「ううん、大丈夫だと思う。あのね、三日か四日に一度、街には大きな商隊が来るの。馬車をばーって引き連れて。そこに紛れて歩くと結構すんなり街に入れるんだ。それでもう何度か街には入ったことあるの。明日はその日だから、ボクも頑張って商店手伝うよ。ばれないようにしないとだからあんまり出来ないかもしれないけど……」
「そうですの。言っておきますけどボーイ、いざとなったらわたくし、自分のことを最優先にする自信がありますから、くれぐれもわたくしに危害を加えないように気をつけるんですのよ?」
「う、うん。もちろん」
こうして次の日は予定通りに二人で町中へ侵入することが出来た。商隊のメンバーがほとんどフードのあるマントを着用していて、街に入るなりほとんどの商人はフードを脱いでいたが、数人は脱がないで作業をしていたりする。だから街に目深にフードを被った人間がいてもそうそう違和感を覚える事の無いタイミングで、フェルディナントがしっかりフードで自分の魔刻を隠していても誰も気に留めなかった。
「さーさ、不思議な治癒の布ですよー……いらんかねー……」
商隊がいる時期は街はとても賑わって、多くの人がバザーを覗いて買い物に勤しむ。だから西香の小さな売り場も昨日までよりは確実に人の足が伸びている。
ただ、商品を眺める客に対して西香はセールスアピールをすることはなく「買うんですの?買わないんですの?」と若干威圧的に言うだけであったので、これまたチャンスを逃しまくっていた。
「さ、西香お姉ちゃん……多分もっとニコニコしたほうが売れるんじゃないかなぁ……」
「ボーイ、わたくしね、宗教上の理由で他人にへりくだるってことが出来ないんですの。無料でわたくしの笑顔を配るなんてもったいないこと出来ないですわよ……はぁ……わたくしの魂そのものがこうした小売業みたいなことにアレルギーがあるんですのね……」
フェルディナントは苦笑いを浮かべる。これは相当厳しいだろうなと思ったし、でももし売れなければ、西香が元の世界に帰るためのヒントも持てず、ずっと一緒にいてくれるのではないかと考えた。
もう親はなく、頼る手の無い彼にとってはそれはとても魅力的な話だった。だが西香は帰りたいと言っているのだから、自分の考えが自分勝手なものだと思い至って頬を軽く叩き、大きな声で「特別なお薬のついた布でーす!怪我した時に使えますよー!」と、行き交う人々にアピールすることにした。
その間西香は感心したようにフェルディナントを見つめる。ただ協力するつもりはまったくないままで時間は過ぎていき、フェルディナントもいたため街が賑やかな間に撤収することにした。時間はまだ夕方にも差し掛からない午後の三時頃で、街の子供達は元気が有り余ってはしゃぎ通している。
フェルディナントはその様子を羨ましそうに目で追いながらも、なるべく気に留めないようにと西香の隣を歩いた。だがその目の前で、男の子の一人が見事に転倒してしまった。フェルディナントより少しだけ年下のグループで、転倒した子に別の男の子と女の子が心配そうに寄り添っている。見れば膝からじんわりとかすり傷程度ながら血が出ていて、フェルディナントはすぐに商品の治癒の布を西香から取って走っていった。
「こ、これっ……」
勇気を持って差し出した腕は震えていて、キョトンとした子供らは動かずにフェルディナントを訝しんだ。西香は「大事な商品をー!」と後ろで騒いでいるがフェルディナントには聞こえていない。
「ちょっとごめんね。傷に当てるよ……」
フェルディナントは涙目の少年に優しくその布をあてがってやると、膝を傷つけた子供はみるみる不思議そうな表情を浮かべて「痛くない」と呟いた。
「これでもう大丈夫だよ」
優しく布を傷口から外すと、そこには血で滲んだ布とふさがった傷口が見えた。子どもたちは「すげー!」と驚嘆の声を上げる。近くを行き交う大人たちは子供がじゃれあっているだけだと思って、フードをかぶるフェルディナントを気に留めてはいないようだった。
「どうやったの?!」
子どもたちは目を輝かせてフェルディナントに迫った。ほとんど交流の無い同年代の子とのふれあいに、フェルディナントはフードを両手で抑え、目元を隠すようにしながら「えっと……」と言葉に詰まっていた。フェルディナントの中では嘘をつくことになるのが嫌なのだ。
「もしかして、商隊の人なの?」
中の紅一点の少女がそう尋ねる。この質問にもフェルディナントはまた言葉を濁していると、後ろから西香が近づいて言った。
「そうですわよキッズたち。このボーイは商隊のお仕事で忙しいので、今日はもうお開きですわ」
それは西香にしてみれば面倒がないうちに街を出たいがための言葉ではあったが、子どもたちにしてみれば商隊所属の自分たちと同じ年代の子供として、もう一度「すっげー!」という言葉を引き出すきっかけになった。
「ねぇねぇ!君はまた次のときも来るの?!」
一番リーダー格っぽい男の子がはしゃぎながらそう聞いた。フェルディナントはこの質問に対しては先ほどよりはずっと明瞭に答える。
「う、うん、たぶんっ」
「じゃあ次の時にまた会おうね!この通りで商店を出してるの?」
「うんっ」
相変わらず目元は見せず、フードも外すことが出来ないフェルディナントではあったが、その声はこれまでに無いほど弾んだものであった。
「はいはい。ほんじゃあ行きますわよ。まったく、キッズたちは空気を読まないんですから……」
なんて呟いてフェルディナントを連れ出そうとする西香の方が空気は読めていないのだが、子どもたちは四人とも手を振りあって、お互いの存在をしっかり胸に刻んだようだ。
その帰り際にフェルディナントが楽しそうに聞いた。
「ねぇ西香お姉ちゃん、ボク、あの子達と友達になれるかなぁ?」
「お友達ぃ……?」
西香はこの異世界に来て最も大きなため息をつく。なぜなら異世界はまだ来てから数日。だが西香にとって、友達が出来ない期間はこの生涯そのものなのである。
「あのねぇボーイ、その展望は楽天家が過ぎますわよ。お友達というのはそんな簡単に出来ないんですの。わたくしはね、入念にお友達を作るためにお友達誓約書の作成やそれが法的に効力を持つかという検証、そして実際にそれを渡した相手の反応も見ていますのよ。今の所それが成功したことはありませんわ。たった250項目足らずの承認事項にサインするだけでわたくしのような素晴らしい人間とお友達だと名乗る権利が与えられるはずですのに……いいですのボーイ、お友達というのは生涯に一人か二人くらいしか出来ないものなんですの。ボーイより年上のわたくしですらまだ一人も出来ていないのですから、ボーイはまだまだそんな期待すべきではありませんわ」
西香は自分の呪われた運命を吐き出すかのようにマシンガンのようにそう言い尽くすと、がっくりと肩を落とす。現実の自宅で同居しているバカどもは全員友達じゃないらしいし、唯一友達だと言ってくれたあの子は女神のような優しさで哀れみから言ってくれだけに違いない、西香はそう思っている。
「そ、そうなんだ……でもボク、あの子達ともっとおしゃべりしたいって思って……それに西香お姉ちゃん、ボクは西香お姉ちゃんの事、友達だと思ってるんだけど……」
そのフェルディナントの言葉に西香は一瞬真面目な表情を作りながらピクっと反応し、腰のあたりを探ると、異世界に来るに当たってお友達誓約書を持ってきていないことに気がついた。
「あー、でもボーイは男の子なんですのよね……わたくしが必要としているのは女友達なんですの……男はみーんなわたくしのファンという形で落ち着いてしまいますので……とは言え、まぁ……その……不思議と悪い気はしないですわね。わたくしったらこんなボーイに何を言ってるんでしょう」
西香は感じたことの無い感情にどこを見て良いのかわからず、とりあえずフェルディナントから自分の表情を覗き込まれない方向を見ることにした。安直に言えば照れていて、フェルディナントはそれが少し嬉しかったらしい。
「ねぇねぇ、じゃあ西香お姉ちゃんはボクの事、友達って思う?」
「あぇ?……まぁ、お友達誓約書が今ここにあればサインしてもらおうとは思いますけど、あいにく今は持っておりませんの。ですからまぁ……法的効力は弱いですが口約束で……でもその……あなたがそう言ってくださるのであれば、わたくし、やぶさかではありませんわよ……?あ、でも、口約束の時効はたしか5年になるんでしたっけ……じゃあ5年だけのお友達ですわね」
「え、えぇー……ボクはずっと友達でもいいけど……」
「うー!ボーイ!わたくしなんだかムズムズしますわ!うー!」
西香は身を縮こませるようにして地団駄を踏んでいる。
「じゃあ西香お姉ちゃんがボクの、それからボクが西香お姉ちゃんの初めてのお友達だね!」
フェルディナントは屈託のない笑顔を西香に向けている。今日は彼にとって一番と二番に嬉しいことがあった日を更新したのだから、それは当然作られる表情だったのだろう。それを向けられた西香はギューッと目をつぶって、夕暮れに落ちていく陽の光と同じような色合いを頬に染める。
「あー!肩のとこがブルブルしますわー!」
それはきっと嬉しいという感情だったに違いない。