第十話 見つかる
そもそもここは本当に異世界なのだろうか、と西香はにわかに考え始めた。
そりゃ元の世界とはまるきり違う仕様だが、可愛い女の子がなんだかんだでつきまとってくれるような事は結局無いし、思った以上に地味な事しかしていない。とてもじゃないが異世界に来たという華々しさは感じられず、その上帰るには初めて出来た友達の犠牲が必要だと。
「むしろ地獄ですわよね……」
大きなため息をついて、少し距離を離して眠っているフェルディナントの寝姿を見る。
ドラゴンを介さないで行う帰還方法を探すことも諦めてはいなかったが、先延ばしにするかのように日々を変わらずに過ごしている。もう異世界に来てから二ヶ月近くが経過して、二人共一時的に異世界と現実という関係の話をすることをやめていた。
二人共頭の中でずっとその話の終着点を考えてはいたが、その答えを求めることでお互いに掛け合う言葉はただ何かを諦めてくれるように頼むしかなかったからだ。
だから二人は少しだけ元気を失って、ただ事態に向き合わずに過ごしている。
だが異世界というのはイベントに事欠かないもので、事態は転落するような展開を見せる事となる。
「あんた……あんた、もしかして、前に……」
それは西香が街で商売中の事。男が驚きの表情で西香に声をかけた。この日もまた商隊の日で、西香は気だるげに店を構えて、フェルディナントは何かを振り払うように街の子たちと遊んでいる、その日の出来事だった。
「はぁ、どちら様ですの?ナンパならお断りですけど」
客ではないし、見覚えの無いその男に首を傾げる。男の方は何かを探るように西香の周辺を確認している。
西香はあまり他人の名前を覚えようとしないし、相手の顔を見たところで自分に得をもたらしてくれる相手意外は覚える気も無い。そんな西香の前に現れた人物が、たとえかつてフェルディナントに刃を向けた人物であろうとも、それに気づくわけはなかった。
「あんた、あの時に魔刻と逃げた……」
その言葉でこの街に初めて入ったときの事を思い出す西香。自分の美貌なら相手からは覚えられてしまうというのは日常茶飯事だった西香にとって、この出来事には少しだけ自分の可愛さを呪わざるを得なかった。
「な、なぁ、あの魔刻はどうしたんだ……?何があってあんな事に……」
男の過去に何があったのかは定かではないが、かつてナイフを向けられた西香に対してまで、その口調はあくまで心配を含んでいた。
そこに運悪くフェルディナントが戻った。フェルディナントは声をかけずに窺っていたが、西香はそれに気がつきながら、あえて無視をした。だが男は西香の目線を追って、フードを目深に被る少年に気づく。
「まさか……」
男は何かを察してすぐにフードを被った少年に向かい、手を伸ばす。それを紙一重で躱したフェルディナントは一目散にそこを離れ、全速力でその場を立ち去った。
「ま、魔刻だァー!」
男は声を震わせ、少年を指差しながらそう叫んだ。どよめきが起こる街の中で、人の並を押しのけて逃げるフェルディナント。いつしかフードは脱げ、魔力に染まった銀の髪を風に晒し、マナの残滓が空間に残っている。追いかける男にとってその残滓は色濃い足跡に等しい。
西香もその場を離れ、遠回りして街の出口へと回る。
フェルディナントの方は子供の足の速さで大人を振り切ることは出来ず、仕方なく以前のように魔法の力で跳躍してその場から離脱していた。捕まることはなかったが、西香を置いてきたことが心配で街の出口から少し離れたところで見守ることにした。
そして男はフェルディナントの飛んだ方向を見極めた。以前に見つけたのと同じ門の方向に飛んでいったのだ。その事と西香が魔刻では無いことを併せて考えれば、もしかしたら以前と同じ門のあたりで待っていれば見つけることが出来るのではないかと考えた。
その考えは正解だった。西香はコソコソと、商隊の列に紛れるように身を忍ばせ、街から出ていったところを男は捉えていた。この世界で男を服従出来ないにせよ、可憐であることは間違いない西香の見た目が悪い方向に働いたのだ。
だが男はすぐに声をかけることはしなかった。遠くから様子を見て、物陰に潜んで西香の跡をついていく。そうすれば心配して待っていたフェルディナントと合流して、近くの森に二人で消えていくのをじっくり観察できた。
以前見失ったのもこの森だった。当時は単に見失っただけで、逃げられてしまったと思ったがそうではない。この森に住んでいるに違いない。男はそう考えて、一度態勢を整えるために街へ戻るのだった。




