Lv.1
ノックの音が室内に響き、座って用意されていた果実水を飲んでいた者が声を返せば、ゆっくりと扉が開かれた。
「ノーネ様、お時間です」
「まったく……早いものだ」
「そうですか? もう昼は過ぎていますが」
「今日の話ではなく、この十年の話だよ」
「はぁ…」
ノーネと呼ばれたフードの人物の言葉に、ノーネを呼びに来た兵士は首を傾げる。王の客人でもある為に機嫌を損なわせてはいけないと悩むが、要領を得ない返事をするしかノーネと初対面の兵士はできない。
「気にしなくていいですよ。ただの独り言ですから」
フードで表情は見えないが、ノーネの声は笑っている様にも聞こえる。
それにどう反応したものかと兵士が考えていると、ノーネはローブを整えて兵士に案内をするように頼んだ。
反応に困っていた兵士は、ノーネの言葉に頭を下げて答えた後に王が待つ広間へと先導を始める。
「おや?」
特に会話も無く、先導する兵士の後を歩いていたノーネは、進行方向で立ち話をしている二人を見つけて声を漏らす。すると、立ち話をしていた二人もノーネに気付き、軽く手を上げながら近付いてきた。
「よぉ、ノーネ」
「相も変わらず辛気臭いフードローブね」
「どうも、トロバス。カーニャも、相変わらず大きな帽子を被っていますね」
「これはこれで便利なの! 私の自慢の一品なんだから」
「私のローブフードも昔から愛用している一張羅です」
「あんた、普通に正装も持ってるじゃない」
「私にとっては、これが正装です」
ノーネにトロバスと呼ばれた身長体格共に良い男は、同じくノーネにカーニャと呼ばれた小柄で大きな帽子を被っている女とノーネのやり取りを聞いて、いつものことながら元気だなと苦笑いをしている。
カーニャはカーニャで、ノーネの返しに呆れた表情を浮かべつつ、そういえば…と言葉を続けた。
「最近、姿を見なかったけど、一応参加はするのね」
「えぇまぁ、勇者様の旅立ちの日ですし」
「ノーネにもそういう祝い事ーみたいな感性あったんだ」
「カーニャは適度な頻度で失礼ですね」
「あ、あの皆様……そろそろお時間がぁ…」
「ほら、あんまり部下を困らさんでくれ。王もお待ちだし、続きは歩きながらでいいだろう」
失礼発言に表情がヒクヒクと引き攣るカーニャを見て、ノーネを案内していた兵士が長引く予感を悟り声を掛ける……が、カーニャの睨むような視線に言葉が止まってしまう。
それを見て、軽く兵士の背を叩き慰めながらトロバスが助け舟を出した。
「ンーーーーー、はぁ。いいわ、行きましょう」
トロバスに何か言いたげに唸ったカーニャだが、笑みを浮かべるトロバスに毒気を抜かれ、兵士に謝ってから広場へ向けて足を進める。
「ノーネも、あまりカーニャをからかわないでくれよ」
「そうですね。久々に会えたのが楽しくて、ついはしゃいでしまいました」
「俺等は基本的に城に居るんだから、会いに来ればいいだろうに」
「たまにこうして会うというのも、中々にいいものですよ」
トロバスが言ったように、トロバスとカーニャは王に仕えている身。
勇者が誕生してから十年。王国一の剣士であるトロバスは剣を、王国一の魔法使いであるカーニャは魔法を、そしてノーネは座学と特殊な魔法基礎を勇者に教えてきた。
そうは言っても、ノーネが教えていたのは勇者が城へと来てから三年間の事で、それからは本当に時たまにしか姿を見せていない。だが、トロバスとカーニャは十年間、勇者の師として教えていたので、ノーネが城へ訪れれば会えた。
「そういうものなのか?」
「そういうものです」
そういうものなのか……と頷きながら足を進め始めたトロバスの後ろを、ノーネは案内役の兵士と共についていく。
先に歩いていたカーニャとも合流し、少し歩き続ければ大きな広間に辿り着いた。
「トロバス様、カーニャ様、ノーネ様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「自分はこれで失礼します」
扉を開け、広間で待っていたメイドが三人の案内を引き継ぎ、ノーネを案内した兵士は壁沿いに並ぶ隊列の中に加わる。
トロバスが兵士に労いの言葉を掛け、ノーネは口には出さずに軽く頭を下げることで礼を告げる。そして、メイドの案内に従って三人は用意されている席に座った。
「勇者をココへ」
「ハッ!」
並ぶ席より数段高い中央の席に座る者が言うと、扉の最寄りに居た兵士が敬礼をして広間から駆け足で出ていく。
王である男は、先程出ていった兵士が勇者を連れてくるのを静かに待った。隣に座る王妃も、その隣に並び座る王子と王女も同様に。口を開く事はなく、静かに座り待つだけなのだが、その姿は丁寧に仕立てられた服装も相まって一枚の絵画のよう。
静寂が更に高貴さを彩り数分。元々近くの部屋で待機させられていたのだろうか、ノーネが予想していたよりも早く先程出ていった兵士が戻ってくると、その後ろには数年ぶりに見る成長した顔があった。
「この様な場をご用意していただき、ありがとうございます」
広間に入ってきた青年は、慣れた様子で片肘を突いて王へ向けて深々と頭を下げた。
「面を上げよ」
王の言葉で頭を上げた青年は座っている者達を軽く見回し、視線を王へ戻しながら次の言葉を待っている。その様子を見ていた王は、少しだけ青年が落ち着く為の時間を与えてから口を開く。
「十年に渡り過酷な訓練を超え、旅立ちの日を迎えた勇者よ。貴殿の才には驚かされた。僅か十年でトロバスやカーニャに並び、この国でも有数の強者となった」
けして大きいわけではないその声は、誰の耳にもスルリと入り、不思議と聞き惚れてしまいそうになる。
「しかし貴殿は未だ成長している。ゆくゆくは魔王を討ち果たすと私は確信している。勇者よ、人々の光よ、貴殿に希望を託す事を許してくれ。強大な敵が待つ地へと送り出す事しかできぬ私を許してくれ。 勇者よ、今一度問おう。魔王を討ち果たしてくれ」
「お任せください!」
この問いを王が勇者に投げかけるのは初めてではない。数年前、勇者として国民に広めた際に、国民達の前でも問いかけていた言葉だ。
そして勇者は、今と同じ様に力強い眼と声で王に答えている。
「その言葉が聞けて嬉しく思う。では、旅立ちに向け、国からは荷馬車と資金を用意したが、本当に護衛も同伴もいらぬのか? 気心であれば、トロバスやカーニャとならば知れているだろう」
「はい。荷馬車と資金をご用意してくれただけでもありがたいです。その、師匠達は師匠達なので、少し恥ずかしいと言いますか……師匠達が側に居ると、甘えてしまいそうなので」
今の勇者の様に、王に対してはにかみながら喋れる人物は少ないだろう。臆する事なく意見し、裏表ない言葉を口にする勇者だからこそ、周りは何も言えず、咎められる事もない。
「そうか。貴殿がそれで良いのならば強要はせぬ。 他の者達は、勇者への言葉があるならば申すがよい」
王から発言の許可が出された事により、座っていた者達がそれぞれの言葉を勇者へと送る。そしてトロバスに順が巡ってきた。
「アルノス!」
「は、はい!」
勇者勇者と呼ばれていた中で、師の声で聞こえた自分の名前に、勇者は今日まで行ってきた修行の時の様に背を伸ばし、トロバスと視線を合わせる。
「お前は強い。だが、まだ未熟な所もある。日々鍛錬を怠らず、さらなる高みを目指せ! お前なら必ず辿り着ける。俺が保証する」
「ありがとうございます!」
「達者でな」
「師匠も、お元気で」
二人のやり取りを他の者達は暖かく見守り聞いている。そして次は、隣に座っていたカーニャが腰を上げた。
「あんたの魔法はまだまだよ。慎重すぎる時もあれば、すぐに集中力が切れる時もある。剣よりは才能が無いわ……でもまぁ、十年でよく頑張ったわね」
「カーニャ師匠の魔法を目標に、これからも頑張っていきます」
「ふん!本気の私に追いつくには、もう十年は必要ね」
口ではそう言うものの、カーニャが勇者へ送る視線は優しく、口は笑みを作っている。口にはしないが、剣の修行と両立してここまで上り詰めた事を、カーニャは素直に評価している。彼の努力を十年見てきたのだから。
その事を勇者もしっかりと受け止めているからこそ、周りも知っているからこそ、それはカーニャなりの賛辞の言葉だと皆が知っている。
言いたい事は言えたのだろう。カーニャが席に座れば、視線は自ずと最後の人物へと集まった。
「まずは、この十年お疲れ様です勇者様。私が教鞭を執らせて頂いたのは、十年には至りませんが、そのご成長はしかと拝見させて頂いていました」
「そんな事はありません! ノーネ師匠にも、多くの事を学ばせていただきました!」
口元すら見えるか怪しいフードを被るノーネは、少しだけ間を置いてゆっくりと言葉を続ける。
「これより先、過酷な道になるでしょう。今よりも多くを知り、多くを得、多くを失う事もあるでしょう。しかし勇者様は剣を取られました」
「はい」
「教鞭を執っていた時、私は沢山の問いを勇者様に投げかけました」
「おかげで、沢山の事を知れました」
「では最後の問いです。答えは勇者様がお決めになってください」
ノーネの言葉に、勇者は小さく首をかしげるが、そんな事を気にせずにノーネは問うた。
「勇者様は、どうして戦うのですか?」
その問いかけに勇者は少しだけ驚いた表情を見せる。同時に、誰かが立ち上がろうと椅子を引く音がしたが、王が手を翳し制したことで、誰もノーネと勇者の間に口を挟むことはできない。
聞いていた者の中には、今の問いかけを止めたほうが良いと思う者も居る。王もそれが分からない訳ではない。
もしかしたら、その問いで勇者が足踏みをしてしまうかもしれない可能性だってあるのだ。この場は送り出す場であって、足止めの可能性を含んでいい場ではない事を王が分からないわけがない。だが、その問いの答えを王は待つ――そして勇者は答える。
「世界を救うために戦います!」
輝く様な声と表情で、力強い意志を宿した瞳で勇者は答える。
それに対してノーネは、自ら問うたにも関わらず、いつもの様に頷き、変わらぬ声で告げた。
「人々が望む勇者らしい勇者様に成られましたね。微力ながら、その旅路に幸ある事を、果てに光り続ける事を、武運長久を願わせていただきます」
言い終えたノーネが手を二回叩けば、勇者の頭上から光が降り注ぎ、淡い粒子が勇者を包み消えていく。その様子は、さながら神も勇者の門出を祝う様だと錯覚する者がいる程に、美しいモノだった。
「皆、まだ勇者に送りたい言葉もあるだろう。私が居ては、形式堅苦しい所も出てしまう。これにて公式な祝の場はお開きとする」
頃合いを見て王が立ち上がれば、座っていた者達も立ち上がり姿勢を正す。
「改めて門出を祝おう! 勇者アルノスよ、世界を救え!」
「はい! 行ってきます!!」
正された姿勢と清々しい返事を最後に、青年は広間を後にする。その背中は、幾分も大きく見え、彼の進む先には光が満ちていた。
あ、メインはノーネです。
勇者君の旅路を書く時は、多分あるかもしれないですし、無いかもしれません。