第7話 一緒にいたい
「そうかなぁ。私は違うと思うけどなあ」
美月は不満だ。
「だって優勝でしょう。価値はあるわよ。審判が悪い」
小さな怒りが、そう言わせた。
そんなふうに、自分のために憤りを感じてくれる者は、今まで恋人の友梨だけだった。
そうか。これが恋人なんだ。
みつきの、陽介への本気を見て、嬉しくなった陽介は、笑いながら美月をなだめる。
「だから、実は優勝だった。なんてことには価値は無いんだよ。そのときの、俺の相手の出場者がみーんな弱かったのかも知れないだろ。そんなところの優勝者と、強豪の中を勝ち抜いた優勝者と同じ訳がない。俺なんか全国大会で連覇を続けている九州の奴らの前に出たら、赤ん坊だ」
「それはいくら何でも卑下しすぎだわ」
「あのな。例えば俺の高校が優勝したとするだろ。そのたった一度の勝ちをいつまでいじくり回して喜んでるんだってことなんだよ。九州には七連覇、八連覇をして他校に真似が出来ない記録を出している学校がある。それでも彼らは優勝しても決して浮かれない。優勝したことが大変なことじゃなくて、優勝できなかったとしたら、それが大変なことなんだ。それって凄くないか」
「それは、確かに凄い……」
それなのに俺は、あの後、進学のために部をやめたから実力が下がっている。そんな状態で過去の栄光ってやつを口にすることが、どれだけ恥ずかしいか考えてみろ。
そう言って陽介は溜息をついた。
「お前が泣いたせいでつい話してしまったけど、こんなことは誰にも言うな。後にも先にも涙が出たのはあのときだけなのに、それをお前が見てたなんて最悪だ」
アスリートが、記録を破られた途端に過去の栄光を語らなくなるのには理由があるのだ。
*
「ふふっ。解りました。もう言いません」
美月は、「何か得をしたような気分」といって笑った。
「でも私、幾つも陽にいのことが解りました。うん。尽くそう。そう決めたわ」
陽介の頭に『妹』というしがらみができた。
そう。恋人ではなく、妹だ。この関係は血縁として、消えることがない。だから認めなくてはならないのだと陽介は自分に言った。
「俺に対してしゃかりきになるな。お前は自然に存在していてくれればいいから」
「それは嫌です。残りの四日で今までの分を取り戻すの。この先の会えなくなる分まで先取りしたいわ」
「それは大変だ」
「だからいいですか。約束しましたからね。恋人の五日間はここにいること。逃げて帰っちゃ駄目ですよ。武士は敵に後ろを見せないんでしょ」
「誰が武士で誰が敵なんだ」
陽介は美月の言葉に苦笑して話題を変えた。
「俺と友梨の結婚だって」
「陽にいは彼女さんと結婚をしたいと思って付き合っているの? 彼女さんは陽にいと家庭を持つことが目的なのかしら」
「ああ、そこか」陽介は頷く。
それは多分、恋愛中の女性の殆どが相手に対して持つ疑問なのだ。
「その質問に答えるには、俺達の関係は複雑で参考にならないと思うが、一例として俺の考えを言うことならできるが、それでいいか。
「いいです」
美月は自分の介入が陽介とその恋人との関係に与える影響が気になっていた。
「結婚についてだが、俺達のあまり解らないことの一つに、女性の花嫁衣装や結婚式への憧れというものがある」
「男性には無いの?」
「俺達の。と言っただろ。つまり俺達は、そんな一時的なものより、肝心なのは二人で一緒にいることや、その後の生活だと考えている」
「それは勿論だわ。だって一緒に居たくて結婚するんだもの」
「何故一緒に居たい?」
「えっ! 何故?って」
人を好きになり、相手の気持ちを知り、愛の深さを確かめ合い、結婚して一緒に住む。 協力して生活し、子供を作り育てる。
それが人の『営み』で、幸せな人の一生だと美月は思っていた。
特に、自分には望むべくもないことだと心に決めた後では、好きな相手と一緒に住む幸せに憧れを持つ。
恋愛は、結婚のための前段階であり、恋愛で相手を見極め、取捨選択することで、幸せな一生を確保する。
勿論その過程では失恋したり、別れたり、紆余曲折はあるだろうが、結局、別の人を見つけたり再婚したりして、基本的な『人の営み』に軌道を修正して生涯を終える。
そのことに『例外』はあっても『何故』は存在しない筈だった。
何故結婚しないの?
そう聞かれたときの答えは色々ある。
生活に不安があるから。セックスの相性が今一。環境が……。資金が……。歳が……。病気が……。同性が好き……等々、結婚出来ない理由があるからだ。
それは、理由さえなくなれば結婚すると言う裏返しでもある。やがて、か、いつか。ではあるが。
何故結婚するの。という問いの答えは家庭を作るためだ。それが幸せというものだから。
「それって理由が要るのかな?。好きな人と一緒にいられるのって嬉しい事よ。それだけでは駄目なの?」
「嬉しいのは最初だけだろう。やがては慣れて遠慮が無くなった自分以外の者が、自分のエリアに存在して干渉を始める。ああしてくれ。こうしてくれと時間が奪われる。社会的にも家庭を持つことでの義務が生じる。それが結婚生活だ」
「女性としては、頼める人が居ることも、頼まれることも嬉しいことなんだけどな」
「それだ。自分で出来ることさえも……だ。そういう我が儘で甘えた行為をするための結婚であれば、そこには如何なるゴールも到達点も含まれてはいない。結婚というセレモニーの意味を敢えて言うなら、人類、種の存続の為の行為を、これからこの相手と、おおっぴらに始めると宣言する行為でしかないというのが俺個人の考えだ。だから子供を作らない俺達の最終目的が結婚である筈がない」
「でも、彼女さんを愛しているのでしょう。彼女さんもそう考えているのかしら?」
「この形は元々、彼女の望みだった」
彼女に、想いを伝えたとき、自分のことを紹介し合い、自分の望むこと、望まないことを相手に伝えるというルールを作った。
彼女の望みはセックスとストレスの解消、経済の独立、たまに食事の共有で、それ以外は干渉しない。相手の自由を尊重することだった。
望まないこと――彼女は、「わたし、何もしてあげられないよ」と言った。
「私のマンション、寝泊まりは自由だけど、生活拠点にはしてほしくないの。それから、私が別れてって言ったらすぐにあなたは私の前から立ち去って。そのときになって傷つかないようにあなたが自分で、私を好きになる度合いをコントロールして欲しい」
「だから彼女が望まないことは、彼女のマンションで一緒に生活することだけど、そんな心配は必要なかった。僕は寮だし、岐阜だからね」
『心配には及ばない。必要なときだけ呼んでくれれば良い。ただし僕も絶対行けるとは限らないけど』そう言った。
だが不思議なことに、急に会いたくなるときがある。
ルールを無視し逢いに行くと彼女が淋しさに泣いているときがあった。
試験前、彼女に呼ばれて行ったときには、大量の弁当をくれて、ただぐっすりと眠る時間を作ってくれた。
恋愛感情にはテレパシーを強化する作用があると、俺達は確信した。
だがそれと生き方とは違うものだ。
「彼女のライフは研究者としての功績を上げることだけれど、分野が違う俺がそれを助けることは出来ない。当然彼女も俺を助けることは出来ない。
もし俺が岐大でなく、彼女と同じ信大にいたとしても、彼女を恋人として選べば、一緒に生活することはないだろう。
仮に俺が助けを求めれば彼女に負担がかかる。そんなことで彼女の目的を阻害したくない」
「わかりました。私も――本当は友梨さんと同じで、結婚して家庭を持てるとは思ってないの。でも、もう少し質問してもいいですか?」
「みつきの理由も知りたいけどな。いいよ。言ってみろ」
「一つは、別れた後で、別れる原因が無くなったらまた二人は恋人に戻れますか。それから、そんなに忙しくて、一人が大事なお二人がどうして恋愛関係になったの」
「先ず、別れる原因が無くなったあとのことは……それは彼女が判断することだ」
別れれば環境が変化する。その歪みは当然彼女に多く影響を与える。
失われた環境を元に戻すのは、最早、叡智と呼ばれる世界だが、彼女にはその力がある。
だから彼女が決めれば良い」
「二人が恋愛関係になったのは、一言でいうと俺の一目惚れだ」