第38話 花の宴
春の鶴舞公園は、桜色に包まれる。
この季節、この公園は不思議な雰囲気を醸し出す。
明治、大正の頃から連綿と続く一般大衆の花見客と、その先鋒を競う華やかなファッションをリードする女性達。それに何時の頃からか、この公園を聖地とする時空を越えた衣装のコスプレイヤーや、茶室に出入りする着物姿の女性達とが、渾然一体となり、春爛漫の公園を彩るのだ。
そんな中から抜け出してきた美月と友梨のマント姿は何の違和感も無く、その美しさを際立たせた。
二人から漂いでる微かな花の香りはすれ違う人々を、春の妖精かと怪しませ足を止め振り返らせた。
浮見堂に向かう二人の足取りは緩やかで、時折、桜を見上げては何かの言葉を交わし、口許を綻ぼせる。
その、たおやかな風景に思わずカメラを向ける幾多の人は、二人が素早くフードを被り、或いは両手で顔を覆う仕草で、肖像権を持つ一般人である事を知り残念そうにシャッターボタンから指を外した。
「いたいた」
「やっぱりここだったね」
浮見堂で、ノートパソコンの画面に指を走らせている陽介の姿を認め、桟橋の袂で歩みを止めた二人は、しばらくその様子を見ていた。
この公園で集まることを決めたのは友梨だが、陽介には場所も時間も知らせてはいない。
「愛し合ってるんだし。つるまって公園名だけで出会えるはず」というのが友梨の言い分だ。
「こんな近くに私達が来てるのに気がつかないんだ、あいつ……。そういえば啓子さんに朴念仁って言われたんだって?」
「そうみたいですけど、それって何なんですか」
「うーん。女が裸になって部屋に入っても、『お風呂はここじゃないですよ』とか真顔でいう奴」
「くっ」笑いを抑え「て言うより、陽にいってリア充だから、現実以外に反応できないとかでしょう」
「そう思うわ。みつきちゃん。念を送ってみて」
「わかった」
美月は浮見堂にいる五人の中から陽介の脳波を探り当て、歯車を噛み合わせるように自分の脳波とシンクロさせる。
「みつきだよ。陽にい。気がついて……」
僅かに身じろぐが振り返ろうとしない陽介に、「じゃ、次は私」
友梨は両手でソフトボールほどの元気玉を作り「陽介ッ」と、叫び投げつける。
その声に、陽介を含む浮見堂に居る花見客が振り返って友梨を見るが、それは元気玉が破裂したからではない。
「相変わらずだなあ」
人前でも平気で大声を出す友梨に、陽介が苦笑いしている間に、友梨は「勝った」と美月に言い置いて大股で桟橋を渡り、「ドカーン」と言いながら陽介に抱きついた。
「ずるいー」
美月もマントの裾に風を含ませて陽介に近寄り、友梨共々抱えて三人でハグをする。
「陽にい。会いたかった」
「うん。元気そうでよかった。これは友梨の計りごと?」
美月が来るとは知らされてなかった。
夏以来陽介は意図的に高木家との接触を控えていた。
それが美月にとって一番良いことだと思い、また友梨もそのようにアドバイスをしてくれていたからだ。
「そうなの。友梨さんのおかげで、陽にい。私、信大医学部医学科の一年生になりました」
「おっ。お目出度う。えっ。何だ。信大?だって」意外だった。
「陽ちゃん。私、博士課程後期だからね。小田陽介は今年どうなってるの?」
「俺は六月、そこに」 ―― 木々の梢から空に突き出た、菱形を二つ連ねた幾何学形の建物を示す。
上空から見れば折り鶴を想起させる建造物は名大附属病院だが、陽介が示したのはその奥の建物だ。
「三年次学士編入試験願書を出す。成績証明書とシラバスをつけて、学士は余裕で取れる予定、一般教育科目単位四十五単位取れる予定。予定ばかりだけど八月に一次通る予定。そしたら九月に二次だ。二次では難治疾患の研究成果を口頭とプロジェクタを使って発表する予定なので、今からパーポの準備中。そのあとは医大生やりながら、獣医師国家試験だ。凄いだろう」
「成る程。美女がふたりいても気がつかない訳だわ。みつきちゃん言ってたけど、本当にリア充なのね。でも面白そうじゃない」
「えっ。という事は来年私が二年になったとき、陽にいは?」
「一般の学生がほぼ5年をかけて修得する医学専門科目の単位を4年間で修得することになる。かなりハードだけど望むところだ。それでこそ難病に対する研究に取り組めるし、六年次に発表できるだけの成果が期待できる」
「陽にいは益々時間が無くなるのね」
美月がポツリと言った。
「この二年間だけだ。そんなものみつきだってドタバタしてる内にあっという間に過ぎてしまうぞ。それより何故家から通える市内の大学にしなかったんだ」
美月と友梨が顔を見合わせて「ほら言った」と笑った。
「何故だと思う?私も理由を聞いてビックリしたけど、ヒントは私と同じマンションに住むけど、私のためではない。ということかな」
「友梨さんに何かあった時には役に立てれると思ってるし、それ以上に私の為だわ。
でも、大学を何処にするか決めた訳は、人に言うとあきれられるし理解出来ない人もいるけど、私にはとても大事な事だったの」
「それはどんな医師になるというか、何科の医師とかに関係があるか?」
「あります。なりたいのは精神科の医師。日本の医師として紛争でトラウマを抱えた子供達の心のケアをしてあげたいと思ったの」
「では教授かな」
尊敬する教授の下で学びたい。それは誰しもが思う事で、特に驚くことでも、呆れることでもないと思いながら、そう言った。
「答えは教授ではなく、大学が尊敬出来るかどうかでした」
「それは……俺は考えたことがなかった」
第一何が『尊敬』の基準なのだ。偏差値ではないだろうし、ブランド名でもないだろう。
「卒業式と入学式のビデオを見た時ね、信大だけが国旗を掲げていたの」
「国旗……て、日の丸か」
そう言えば陽介の大学入学式には国旗も国歌もなかった。
「それが尊敬する理由?」
「国立の大学だって言う誇りを持っていると思ったし、学問への考え方が柔軟だわ」
「国旗を掲げないのは、学問はボーダーフリーであるべきだという考え方からじゃないのかな」
「それは分かるけど、その前に国民の為の国の機関が国を象徴する国旗や国歌を否定する姿が嫌なの。私ね、語学も増やして将来は紛争地帯の子供のケアをしたいの。難民や移民ってね、自分が頼るべき国そのものがないのよ。それが心を凄く不安定にしているんだって。だからそういう子供達と接するためにも、自分の、日本人だって言うアイデンティティーを持っていたいと思ったの。そして子供達に、自分の祖国を立て直したいという意識を芽生えさせたい」
「それにみつきちゃんはね……」
友梨が、今度は美月を後ろから抱きしめる。
「そういう子供の頃の心的障害とかトラウマの臨床経験が、虐めに遭った子供とか私のストレスの治療に役立つのじゃないかって考えてくれてるんだよね」
陽介は腕組みし、大袈裟に唸り声を上げる。浮見堂に居た何人かの花見客はいつの間にか皆いなくなり、三人にこの場所を譲ったかのようだ。
「そうか。そこまで考えているのか。みつきは偉いなあ。俺なんか自分のやりたい研究をどうやれば安く早くできるかだけしか考えて無かったから」
「でも陽ちゃんだって遺伝子工学が難病治療に役立つ可能性やら、脳が体組織をコントロールする治療法を私の為に研究しようとしてくれてるじゃない。それって結局世界の人の為になることだよ。だからこそ獣医学科からの願書が受け付けられることになったんでしょ」
「まあ、一応研究成果出したし、出願資格は全てクリアできるからね。学校側としては普通の医学生とは視点の違う研究員としての人材が欲しいんだと思うけどな」
「それでね。ここからが本題なんだけど」
美月と友梨が並んで陽介に対峙する。
「私達三人の関係についてだけど」
突然の展開で心の準備ができていない陽介に、友梨の言葉が衝撃を放った。




