第33話 一生遊んで暮らせる話し
「何ですか、その結婚するかもって」
陽介のこれまでの人生の中で、最大の『押しつけ』だ。
「それに言ってましたよね。『兄妹でなければ彼女になってあげられたのに』って」
「ああ。あれはただ陽介さんの反応を見たかったの。少しは残念そうな顔をしないかなって。だって美月はママの子だけど、私と信にいは違うわ。陽介さんとは血が繋がってないわ」
どうやら『彼女なれる』と、反論して欲しかったようだ。
「それに陽介さん、彼女が欲しいんじゃないかなって思って」
「僕には彼女がいますけどねえ」
「えっ、だって大学の寮でしょ。部外者は、特に女性は入れないんじゃ」
「まあ、捕食室とか、団欒の場所とかはありますけど、基本そうですね……。啓子さんは、彼女ができた寮生はアパートかマンションに移る筈だと思ってる? つまり寮生に彼女持ちはいないと?」
「少なくとも経済的な問題を抱えてないあなたが、彼女が泊まれない不便な寮に居る訳が判らないわ」
「なるほど」
それほど不便な訳でもない。何よりキャンパス内なら自転車があれば何処にでも行ける。
それに色々な人間性を持つ仲間の性格は勉強になる。彼女に逢う暇ができたら、こちらから行けば良い。
だがそんな細々《こまごま》としたメリット、デメリットを、啓子に説明するのは無意味だ。
「彼女とはいつか別れが来るからね。それにある意味遠距離だし。だから今のところは寮に居る」
「えー。なによそれ。別れるのに都合が良いから、女性が入れない寮に居るみたいな言い方。 酷い付き合い方をしてるのね。彼女を嫌になってるとか……。喧嘩でもしたとか?」
啓子の言葉自体は陽介を非難しているが口調はむしろ、嬉しそうになった。
「いや。仲はいい。もの凄くね。愛し合ってるし」
「訳が分からないんだけど」
訳が分からないのは啓子さんの発想なんだけどな。陽介は呟くが、勿論啓子には聞こえない。
「彼女はいつか遠くへ離れて行くと言った。だから、そのことを覚悟して付き合い始めた。それだけのことだよ」
人には夫々の恋愛観がある。少なくとも自分の恋愛の仕方が基準だなどとは思わないで欲しいと、と陽介は思う。
「それって……」と言う、興味津々といった啓子の言葉に陽介は言葉を被せた。
「いいですか、啓子さん。僕はあなたに彼女とのプライベートを話すためにここに来たんじゃないんです。それに血の繋がりに関係なく、今は誰とも結婚はしません。で? まさか新婚旅行の相談に呼んだんじゃないですよね」
「その内だとか、いつか、だとか、いずれにしても、彼女と別れることが決まっているんだったら、その相談をしておくのもいいんじゃないかしら。それに結婚しても私ならあなたがどこで誰と何をしようと構わない。自由にしてあげるわ。何だったら今からそう言う関係になってもいいわよ」
ベッドに目を向ける。
「但し、私も自由にさせて貰うわ。その上で籍を入れると約束して欲しいんだけど」
「それは、『結婚してくれるなら抱かせてあげる』と言ってるんだよね。しかも浮気も不倫も自由だと。それにそんな事を知った彼女は、必ず僕を軽蔑して離れていく。そう考えてるんだ」
「ちょっと。そのデリカシーの無い言い方、やめてくれる」
陽介は、啓子が言う『デリカシー』に「フッ」と笑い声を上げる。それにつられたように、
「それに、ベタな言い方だけど、あなたは一生遊んで暮らせられるだけの財力も一緒に手にすることになるわ」と言った。
「驚いた。啓子さんお金持ちなんだ。でもそんな財力どこにあるんだろ」
「陽介さん、パパの話を聞いたでしょ。財産ができるのは陽介さん、あなたなの。それを私の持っている株で買い、株価を上げてある人に売る。その金で今度はパパが買収する石油会社の株を買うの。この株は三年後には大化けするわ。これを見て」
啓子は鞄から証券会社の作った目論見書を出して陽介に見せる。
株価の予想推移が表されていて、特に陽介が受け持つ形の石油会社の株は、五年後、爆発的な値上がりを示している。但し、それはあくまで要所、要所に移行するときの、啓子の根拠の無い資源開発速度をデーターとして使った架空の株価だ。
「ある人に売るって言ってたけどある人って誰。信用出来る根拠は?」
「今日、証券会社の田中さんと言う人と会ってきたの。一年ぐらい前から付き合いのある人よ。その人のお陰で何度も儲けさせて貰ったし、その人が、買ってくれる人との橋渡しをしてくれるわ」
「ふーん。凄いね。啓子さんにはそんなブレーンが付いてるんだ」
「これ、絶対に人に見せるなって言われてるんだけど、陽介さんにだけ見せてあげるんだから、あなたも誰にも言わないで。勿論パパやママにも。人に見せた途端に何千億の利益が無くなるって言ってたわ」
陽介には株や証券取引の知識が無い。だが、それにしてもそれらの書類には違和感があった。
陽介は父の書いた文書の校正をよくさせられた。
それは単に、《《てにをは》》や変換ミスを見つけるためだけの作業ではあったが、公用文となる文書の構成は自然に身についていた。
証券会社自体は大手の信用ができる会社だ。用紙も印刷された文字も問題はないように見える。
末尾にある、『……当社はこの内容を保証するものではなく、一切の責任も負わないこととします……』というのは定型文だ。
だが、そのことを確定する合議の形跡も、参考とした資料、データーの一切がどこにも示されてなく、それらが別綴じになっているのは、言葉で説明するためだ。言うなればこの目論見書はフォームの位置合わせのために、定型文に挟まれたメモを出力しただけのものでしかない。
第一にやろうとしていることはインサイダー取引だ。
「啓子さん。この、会社関連の人が合併後の利益を知っていて買うのって、違法取引ですよね」
「だから、それを買った後、私は違う人になってるから大丈夫なの。あなたと結婚して小田の姓になってるわ」
「あっ。そのために僕と結婚したいのか」
「いいでしょ。あなたは好きな彼女がいるならその人と好きにすれば良いし、私も自由にさせて貰うわ。彼女と結婚したくなったら、いつでも離婚してあげるし」
陽介は唖然として口がきけなくなった。何と人の感情を、人生を舐めた人間がいたものだ。
姓が変わっただけで違法取引が可能だと思っている。啓子にそう吹き込んだ証券会社の田中という人物が、啓子を洗脳して罠に掛けていることは間違いなかった。
何よりも昨日、誕生会の席で高木が石油会社買収の説明したときに、啓子は燃料関係に手をつけることに反対していた。
なのに、今日出かけて帰ってきたときには真逆のことを言っているのだ。
「これは、確かにもう少し検討する必要がある」
その言葉を陽介は田中の不正を探求するために用い、啓子は陽介が自分と入籍する意思を固めるために、言ったと解釈した。
だから「持ち帰って詳細に検討したい。実際には石油会社の合併後の株価も、僕が手にする株券も何一つ具体化したものは無いのだから」という陽介の言葉を啓子は承諾した。
「ねえ、信にいは寝相が悪いからベッドが大きいの。二人でもゆっくり寝られるわ」
目論んだ内容は達成したと思った啓子が、悪魔の囁きをしたとき、陽介のポケットでスマホが振動した。
電話はゼミの後輩からで、検体に変化が現れたという内容だ。
一方、環境と投薬の量を変えている鳥取医大の検体には変化が無いので、明日、鳥大に検体を運び、合同でカンファレンスの準備をするという。
陽介は一度、友梨のマンションに寄って、そこから直接鳥取に向かうことにした。
啓子には、「プロジェクトが組織され、それが動き出すまでは先が見えないし、合併会社のクラウンジュエリ次第では株価が下がるのだから」と説明し、しばらくは株取引をするなと説得した。 しかし、『証券会社の田中』という人物が、極めて怪しいということは、啓子の態度が急変するのを避けて明かさないことにした。少なくとも刑事事件として立件できる状態にならなければ、警察は動けず、証券マンの背景も見えてこない。
*
明け方、陽介は息を止められて目が覚めた。
いつの間にか美月が横にいて、口で口を塞いでいる。
それだけでは目を覚まさなかったのだろう。指で鼻をつまんで、ようやく目を開けた。
「お早う。よく寝ていたわね」
「お早う。寝溜めは特技なんだよ。みつきは寝たのか」
啓子の書類鞄を持って部屋に帰ってきたとき、美月が起きている気配は感じていた。
「3時間ぐらい寝た。啓子ねえはどうだった?」
陽介は、昨夜啓子と話した内容の概略を説明した。
「まるでファンタジーのような話しを信じてる。多分、その田中って証券マンは、啓子が取引した上前をはねるつもりだろうな。バレそうになったら啓子の違法性をリークして逃げるとか」
「それって啓子ねえを恨んでる人が居るって事かな」
「そうかも知れないし、もっと大きな背景があるのかもしれない。いずれにしてもメディアは、高木さんが娘にインサイダー取引をさせたという見方を作り上げるだろう。その時のダメージは計り知れない」
「ほんっとうに、あいつって駄目な奴。パパに言わなくちゃあ」
「俺から言う方が良いだろう。啓子から預かった証拠の書類もあるし」
陽介は、昨夜後輩から連絡があったことを伝えた。
「だから朝、ここを出る。高木さんには帰ってから、名古屋で話すよ。みつきとは約束した五日間より半日早いけど、残りは借りにしといてくれ」
「いいわよ。今度逢うときも半日は恋人ということだよね。その代わり利子をつけて、その分今から愛して」
再び美月の唇が陽介の口に重なった。




