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僕は妹をMAZyOにした  作者: 赤雪 妖
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 両親が別れたのは陽介が四歳のときだから、母と会うのは十八年ぶりになる。

 母と過ごした記憶はおぼろげだ。だから、逢いたいとか恋しいなどの感情は無い。


 むしろ、しがらみが増えることが煩わしい。

しがらみを 煩わしく感じるのは陽介の持つ誠実さのせいだが、肉親であれば更に情が濃くなる。だから陽介には家族としての交わりを深める気はなかった。


「美月です。初めまして」

 母の和子に呼ばれ、白いワンピースの裾を翻して階段を下りてきた少女はそう名乗った。

 明日十八歳の誕生日を迎える、母と再婚した相手との間に産まれた少女だ。

 いつの間にか、ゴールデンレトリーバーが美月の横に現れ、陽介をにらんでいる。

「パインです。三歳の女の子」

 美月の「シット。挨拶ッ」という命令に、座ってワンと一声吠えた。

「みっちゃん。こちらが陽介お兄さん。ママ、お片付けを済ますから、ガレージを開けてお兄さんの車を入れていただいて。そのあとで別荘のまわりのことを案内してほしいのだけど、いいかしら」

「あら、お茶でも飲んで、休んでいただいてからにしたら?」

 母に代わって陽介が返事をする。

「いや、疲れてないし、ここは木に囲まれていて方角が分からないから、明るいうちに周囲を確認しておきたい。明日の朝、ジョギングがしたいんだ。いいかな」

 美月は数秒、何かを考えるように陽介の顔を見つめてから、「分かりました。ではお兄様、こちらへ」

 手を差し延べて陽介の先に立った。

 美月は家の東側に建てられた大きなガレージに向かうと、壁に埋め込まれたリモコンのボタンを押してシャッターを開ける。

「ロックの番号は7913です。意味はないの。番号ボタンの四隅をZの順で押すだけ」

 ガレージの左端には和子と美月が乗ってきた、白いメルセデスが止まっていた。

「パパの車は四駆で大きいから、陽介お兄様は右端の除雪車の隣に入れると良いと思います」

 陽介はうなずき、玄関前に止めていたジャガーを、排気ガスを考慮して前から入れた。

 トップはオープンのままにしておく。


「まあ……懐かしい車」

 様子を見に来た和子が感嘆の声をあげた。

「何だか、以前よりも奇麗になった気がするわ。不思議な車ね」

「親父が大事にしてたし、整備の神様がついてるからね」

「わざわざ乗ってきてくれたのね」

「親父との思い出が詰まってると思ってね。どう?」

 和子は笑みを浮かべ、

「ありがとう」と深く頷いた。

「えー。なーに、何よママ。言いなさい」

 物思いに耽ける和子が唇をほころばせるのを見た美月が追求する。

 和子は笑いながら、

「はいはい。ええ。あのね……陽介さんのお父さんと結婚する前にね、この車で旅行したことが何度かあるの。三回目、四泊ぐらいのときだったかな。結構大胆だったのよ」

「えっ普通でしょ」

「今とはモラルが違ってたの。そのとき、そんなに荷物が積めないことを知ったのよ。車はこんなに長いのにね。だから途中ですごい喧嘩になったの。走るしか能のない車なんてサーキットで目を回してりゃいいんだわって言ってやった。オープンだと日差しが暑いし、帽子を被れば風で飛ぶ。最悪の車だわって。彼はとにかく運転してれば満足なのよ。彼は彼で君は荷物が多すぎるんだって怒りながらね。でもね、次のホテルに行くと、このトランクキャリアとトランクが届いていたのよ」

 和子は当時のままのトランクキャリアを指さして言った。

「へぇー。ちゃんと考えてくれてたんだ」

「そうなの。出発前から注文していて、でも間に合わないから届け先をホテルに変えていたのね。サプライズが苦手で、彼は確実なことしか口に出さない人だったから」

 和子は、

「何度思い出しても笑ってしまうの」

 と言い、口に手を当てた。

「おかしいでしょう。だって、着ようと思っていた服なんか、半分は置いてきたのよ。それなのに旅の途中で車にトランクつけて、さあ入れろと言われてもねぇ。しかもよ、私をほったらかしにして、ホテルの人と汗だくになって、楽しそうにこれを付けてるの」

 それは父の大介が語ることのなかった母とのエピソードだった。

 邪魔で手入れに手間取るトランクキャリアを、何故父が外さなかったのか解った気がした。見慣れれば、それもこの車の景色になるからだと思っていたが、それだけではなかったのだ。

「それでね、これで君の不満はなくなったんだから、頼むからこの車を嫌いにならないでくれって言うの」

「わあー。素敵な言い方ね。でもおっかしい。ママなんて返事したの」

「それ、あなたよりもってこと?って言ってやったわ」

 二人の女は陽介をそっちのけにして笑い転げる。

「そしたら彼……目をぱちくりして凄く困った顔して……ママ、大好きになった」

 和子はコロコロと笑い、

「噓です。あなたを嫌いになんかなれません。そう言って、人がいるロビーの真ん中でキスをしたの」

 そう言って父を懐かしがった。

「すごーい」

 美月が、口を両手で覆いながら、若き日の母のロマンスに感嘆の声を上げた。


「ほんとうに、エンジンの前が長くて後ろが短いのね。初めて見る車だわ」

「ジャガーって言う、元はイギリス製だ」 

「豹君ですか。かっこいいね。今度乗せてね」

 美月はジャガーのエンブレムを指で撫でながら、車に話しかけた。



 陽介が高校生になり、車に興味を持ったことを知った父は、大事にしていたこの車の乗り方を教えてくれた。

 興味を持ったものはその時に与え、正しい使い方を教える。それが父のやり方だった。

 父が癌で死に、陽介のものになった車だが、普段は、松本のマンションの地下駐車場にシートを掛けて置いてある。


 月に数度、岐阜から戻っては恋人を乗せ、或いは一人で深夜に走らせてコンディションを維持している。

 岐阜での日常の足には、それまで乗っていたBMWのオートバイを無償で元の持ち主に譲り、型落ちしたマツダのロードスターを買った。

 それが父の遺産で買った、初めての大きな買い物だった。

 贅沢なようにも思えるが、父が大切にしていたジャガーを、父の意志と共に引き継ぐことで大事にしたかったし、学生の身分で高級外車を日常の足にするのは陽介の美学に反したからでもある。

 

 その反動のようにロードスターのチューンナップには思うさま手を掛けた。

 本当は、安全のためにもロールバーを着けたかったのだが、屋根を開いた途端に姿を現すその、『いかにも』という存在感に諦めざるを得なかった。


 陽介はカーボン調のシールテープを貼り付けて実力以上に見せかけたり、排気効率を無視して爆音を響かせるマフラーをつける、そういった虚飾が嫌いだったので、内装もウッド調に仕上げ、ナビやBOSEをそのままにして普通の車を装った。

 軽量化のためカーボンに替えたボンネットやトランクリッドも敢えて塗装をして、モンスターが息を潜めるように、目立たなくした。

 それは陽介に、有り余る能力を隠し持つという、虚飾とは真逆の秘かな満足感をもたらした。


 *


「玄関と部屋の窓が全部南に面していて、その前の菜園はママのテリトリーですから立ち入り禁止です」

 美月の説明は端的で分かり易い。

母の和子は古びた腕時計を見ながら、

「テリトリーだなんて。手伝ってくれれば幾らでも入って良いのに。そうね。あと、二時間ぐらいで暗くなるから遠くに行って迷わないで。今夜は雨みたいよ」

 美月にそう告げた。 

 陽介はその腕時計がブライトリングで、父とペアになっていたことを瞬時に理解した。

「大丈夫。この森のことなら私は、ウサ君の巣穴まで知ってるんだから」

 シャッターを閉めた美月が、ガレージの裏手から白樺の林に入る小径へ陽介をいざなう。

 道が細いので、並んで歩くと自然に肩が触れた。






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