第27話 神は救わない
叡智を語る陽介に知恵を説明する啓子の未熟さが美月の笑いを誘った。
「おかしい。自分は話し合う能力も無いくせに。世界が許さないって、どんな世界かしら」
「美月はうるさい。黙ってて。今は陽介さんと話してるの」
「こわーい。話しあえばっていう人が黙ってろだって。」
陽介は美月の服装をあらためて見る。今朝は半袖のブルーのブラウス。濃紺のミニスカートだ。
鎧だと言った革の装具はつけてないようだが、言葉にはあきらかに以前には無い皮肉と攻撃性が含まれている。
そんな美月の変化を誰よりも感じているのは啓子だったが、それは陽介がいるせいだと思っている。
自分がいない間にいち早く陽介を取り込んで味方にしたのだ。そんなもの陽介を論破すれば美月などは簡単に黙らせることができると思っていた。
「自分の国民が五億消えた方が良いとか思う相手に勝てる訳無いですからね。じゃあどうします?日本の安全は」
「だから、それを話し合いで解決するのが政治で、その為の政治家なんでしょう」
「啓子さん。生憎だが世界はそんな風にできていない」
「あら、あなたには世界が分かるのかしら」
「わかりますよ。世界と僕は以外と身近なんです。知っていますか?みつきは何年か前にある出来事があり、とても苦しんだことがあったようです。それで宗教に救いを求めたことがありました」
高木と和子は顔を見合わせ、そんな美月に気がつかなかったことを確認して互いに顔を横に振る。
陽介はみつきから同意を得て頷き、「みつきのことはみつきの問題だから、それは別にして、でもみつきがそのとき知ったのは神は人との対話を好まず、人が知恵を持つことも望まない。 という事でした」
神に救いを求めたとき、神はどのように人を救うのかを人は知らない。当然だ。救いはしないのだから。
「キリスト教の神は人々が協力しあって自分に近付く事を嫌い、協力できないようにしました。協力のための重要なツールである言葉を奪い、言語を分割したのです。話し合うこと、協力し合うことができないようにしたんです。世界が協力することを神が拒んだように、みつきは話し合う事すらできない人間がいることを知りました。啓子さんは、今まで、全て話し合いで解決してきたんでしょうけど、でも『話せば分かる』と言って交渉を望んだ民族が、いったいどれくらい絶滅したか、一度調べてみてはどうでしょうね。ただし、お願いですから」
陽介はこれから自分が言う言葉に自分で笑いながら、
「どこかの何とか言う星でみんな幸せに生きていた。とか言わないで下さいよ」
「もしかして、私すごく馬鹿にされているような気がするんですけど」
「いえいえ。ただ、話しても分からない相手がいることを知って欲しいのと、そんなあいてとどうすれば戦争にならないのかを訊いてるだけですが」
「それは……原爆を運んでくるミサイルを落とすミサイルを持つとか、戦闘機の性能を上げるとか、相手よりも性能がいい兵器を持てば済むことだわ」
「そうですね。僕もそう思いますよ」
「…………?」
「必要なのは相手より性能が良い武器なんですよ」
啓子の沈黙に爆笑が湧いた。
「よかった。啓子さんが、日本の平和は降伏する事だとか言い出さなくて」
高木の、
「じゃあ日本は水爆でも持つか」
という声に、啓子はようやく自分の言葉尻を捉まえられていたことに気がついた。
陽介が救いの手を延べる。
「お父さんは、原発が安全で無いのなら安全にする。でもその方法はただ廃棄するということではないと、そう仰有りたいんですよ。壊れた物も、病気になった者も修理し、直す。 次は故障しないように改善する。そうやって物も医学も進歩してきた筈ですが、やはり無知な者は批判して自己を正当化することや、逃げることしかなかったのでしょうね。勇気のある一握りの者が無知と闘い、改善・改良に立ち向かって進歩させたんだと思いますよ」
啓子が、ヒステリックな笑みを浮かべて陽介を見て言った。
「それはパパではなく陽介さんの意見だわ。あなたの中では物も者もいっしょなのね。医学の分野では今、自然治癒力が見直されているのをご存じかしら。クスリの副作用も無いので評判だわ。医学の進歩なんて、結局人を切り刻んで苦しみを長引かせるだけじゃ無いの。どう思います?」
中々めげない啓子に、陽介は少なからず感嘆する。
このプライドが、負けたときの啓子を狂気に誘うことを知っているのは美月と美月から『そのこと』を聞いた陽介だけだ。
だから陽介は、啓子の取り巻き達のように、啓子に迎合して話しに折り合いを付ける気は全く無い。
「自然治癒力というのは体組織の情報伝達物質によって免疫力を高める作用のことですよね。否定はしませんが、啓子さんは自然治癒という言葉を誤解していませんか? 自然とは放置して勝手に直るのを見ているだけのことではないですよ。傷は放置すれば毒や菌によって悪化するし、例えば癌細胞はある時期から『自分は異物では無い。悪者では無い』という偽の情報を発信して増殖します」
「……」
美月が眼を細めてニッと笑う。その目は(少なくとも医療の専門を目指している相手に、自然治癒力の話しを振ってくるかなあ)と言っていた。
「それに今、啓子さんのお父さんが話されている事はそういうことでは無いでしょう。本論から離れている」
「ありがたい」
高木の声が啓子に言葉を呑み込ませ、啓子の激高を抑えた。
高木が『やれやれ』といった調子で話を継いだ。
「これに信一が加わると、いつも話があらぬ方向に行き、結局どうでも良くなるんだ」
高木が陽介を見て笑った。
陽介が高木に向かって、
「色々なお話有り難うございました。お陰で高木さんのお考えだけでなく、父の考えていたことも良く分かりました」一礼して言った。
「本来これは父と高木さんのものだと思います。ですから、お返しする。というのが正しいと思います。どうぞご自由になさって下さい」
「はッ。有り難い。こんな決まり方をするとは思わなかったな」
力の抜けた高木が椅子に座り込む。
「すごい。じゃあ陽にいがパパと一緒に仕事するのね?」
「いや。僕はこのまま学問を続ける。それに会社の事は何一つ知らないからね」
「それではこういうのはどうだろう。特許の対価を相応以上の価格でお支払いするので、その受け皿としての法人をまず作る」
「いえ、法人を作る程のお金いりませんよ」
「そうじゃない。特許を高額にするのは内容に価値を付与して、守るためなのです。それからその金の一部で買収した石油会社の株式の一部を、陽介さん個人と、法人名義で持って貰いたい」
「それは?」
「一般の投資家を増やすために株を広く公開します。その際まとまった株を一部の投資家に持たせないためです」
「事実上の独占ね。それなら私にも譲って欲しいわ。陽介さんと組んで一緒にやればいい……」
「啓子。そう考えているなら、その株は持つべきでは無い」
啓子の言葉を最後まで言わさず高木が否定した。
「この会社はしばらくのあいだ、まだリスクが大きい。広く分散するのは万一の時、株主の被害をなるべく減ずるためだ。だが利益は集中しなければ利益にならない。だから収益が一定以上になれば株主の配当の何割かを善意の為に使うことを了承させるつもりだ」
「取引法に抵触するわ」
「私の最終的な考えは金儲けでは無い。人類の幸福だ。そのためのブレーンをパパは持っているから、法律のことはクリアできる。問題ない」
高木は、それよりも今は知りたいことができた。と言って美月に目を向けた。
「それはそうとして、ミッキ。陽介さんが言っていた、とても苦しんだ出来事というのは何だったのだろう。聞かせて貰えるのかな。それよりも私達が気付いてやらなければいけなかったことなのだろうけど」




