第23話 大介の発明
「それは大丈夫だったらしいが、どうも啓子を見ると避ける素振りの二十五~六ぐらいの男性がいるものだから、啓子に「知りあいか」と聞いたらそういうことだった」
「ほんとに。何て子かしら。どう思う?陽介さん」
和子には同じ世代の男性の眼に映る、啓子の言動が気になるようだ。
「どう思うと聞かれても――というか……僕はそんなに紳士じゃないから、本当に危なかったら声を掛けずにいきなり掴みますよ。綺麗な子だったら転ぶのを見てるかな」
意外な返事に高木は「ホウ」と椅子を乗り出し、和子はシバシバと眼を瞬かせる。
「えっどうして? 助けないって事?」
「だって美人が転ぶ姿なんか、そうそう見られるものじゃないし。それで怪我でもしたら治療の練習台にして、対価にコーヒーか食事を奢らせますね」
「上手い手だ」
「ひどいわー」
言葉だけの遊びに、三者三様の笑い声があがる。
「まあ、それは冗談ですが、そんなことで気分を害するようじゃ、その男性は線が細すぎますね。マザコンの傾向があるかもしれない。今の女性は手強いですからね」
「確かに女性には武器が多いから、男性不利ではあるな」
「何ですの。その女性の武器って」
「それは決まってるよ。女性である事だ。例えば営業ひとつ見ても、美しい女性であれば先ず話しだけでもしてみたいと男は思うから、交渉のテーブルにつける機会は多い。次に泣く、笑う、怒る、そういった感情表現が全て男心を動かすからね」
「まあ。それって相手の人に色仕掛けとか言われません?」
「色仕掛けだって!」
「参った」と言うように高木は手を頭にやり、
「相手はともかく君が言うなら色仕掛けだろうな。僕の会社の部課長に女性が多いのは能力主義にしたせいだ。陽介さんに伺いたいのだが、仮に自分の上司が女性である事になったらどんな感情を持たれるんだろう」
「そうですね。勿論僕はそんな経験は無い訳ですが、そうなったら、多分かなりの過大評価をすることになるでしょうね」
「過大評価?とおっしゃると」
「その役職に加えて、こうなるためには大変な努力をしてきたんだろうな。家庭がある人には両立させる苦労。独身の人なら恋をする暇も無く仕事に打ち込んできた努力。それらを経て今の地位がある人なんだと無条件で考えてしまうということですね」
「あら。それはその通りだと思うわ。ねえ、あなた」
高木は何度も頷きながら、
「相乗効果というのかな。管理職に女性が多いと、総合職に限らず、全ての部署の女性が未来に希望を持って頑張ってくれるんですよ。我が社の色仕掛けって、こういう事なんだけどな」
高木が豪快に笑う。
「それだったら色仕掛けなんて言えないわ……」と、和子も手で口許を隠してコロコロと笑った。
「とてもよい評価を頂いたから、陽介さんとの交渉相手にはとびきりの美人をつければ成功するのかな」
高木がさりげなく、探るような一言を発した。
「僕は交渉事に慣れていないので」と、高木に微笑みかけた。
「駆け引き無しで、僕をご招待下さった訳をお話下さいますか。特許の件ですよね」
「これは……驚いた」
高木が、ビジネスマンの顔になった。
「ものには順序があると思って、先ず雑談をさせて頂いたのですが」
和子が「えっ何のお話?」と、戸惑うのを、高木は頷きながら手のひらで制した。
「そこまでご存じなら話が早い。そう言って頂いたおかげで茶番を演じるところを救われました」
「茶番にはならないと思いますよ。高木さんは誤魔化したり謀をするような人ではないようですから」
「そう言われると益々噓、偽りが言えなくなる。いいですね。あなたのような人が我が社には必要だな」
「僕は経済や経営に素人です」
「今はその方が良いんですよ。経営の戦略は優秀なスタッフ達が提示します。私は、トップに立つ者に必要なのは方向を決める決断力と、それを見極めるのは人格だと思っています。その方針に現場が如何なる戦術を用いるかがブレーンの役割。それで企業は伸びるか潰れるかが決まるのです」
「僕にその人格があると思ってくださった訳ですね」
「ほら、そこだ。変に謙遜しないし誇示もしない。あなたの自然な感じが実にいいな」
「そう言われると、くすぐったい気はしますけど。ではお訊ねしますが、仮に父の特許を手に入れられたらどのようになさるお積もりでしょう」
和子が早呑み込みをして、何か言い出すのを再び高木が手で制した。(そんなに単純な話ではないのだ)と。
「和子さん。実はあなたにも秘密にしていた事があるんだけどね。今、陽介さんにお会いして決心がついた。これは是非聴いて頂こう。それにしても流石、大介君と和子さんのご子息だ。一目で信頼に値する人物だと分かりましたよ。大介君の風格すら感じられる」
「僕のような若輩者に風格なんて言われると、ご挨拶の言葉が無くなります」
「若輩者と仰有るが、戦国時代、武士の子は十四・五で死生観をもっていたようですからね。歳には関係がありません」
高木は、嬉しそうに擦り寄るパインを撫でて、背筋を伸ばし、瞑想する。
そうして話しの切り口を見つけるのを、陽介と和子は黙って見守っていた。
やがて静かに目を開けると、「さて」と陽介に向き合い「陽介さんはお父さんの特許についてどこまでご存じでしょうか」と訊ねた。
「実は全く知らないのです。多分意図的に教えられなかったように思います」
「流石大介だ」
高木は何故か陽介が無知であることについて、大介を褒めた。
*
「簡単に言うと、彼の発明は気体の還元装置です。エバポレーターと言われているものに類しています。これとは別に、これのコントロール、採取した気体の保存からリンケージにいたるまでを新発明として別の用途に使える名目で網羅しています。一見複雑で何か分からない形をしているのは、核心の部分を隠すために偽装してあるからです」
陽介は、明け方友梨に出会ったときのことを思い出した。
父からの急な依頼で夜中にバイクを飛ばして、マンションにあった分厚い書類を友梨の所属する研究室に運んだ。
初めて友梨を見て、恋をしたと打ち明けた後で、「これが頼まれた書類です。保管を……」とチラシを渡すように事もなげに渡した書類。
「そう。それが特許の書類だったのさ」と父は亡くなる前に教えてくれた。
「何故、そこまで秘密にしなければいけなかったのでしょう」
「それは、エナジーの世界に革命を起こす発明だったからです」
「エネルギー革命……ですか?」
「そうです。私と大介はまだ学生だったとき、ある左翼のデモで知り合い、親友になりました。しかしそのデモの主張が欺瞞に満ちたものである事に気がついた彼は、活動を止めるよう私を説得しました。彼はそのとき、日本近海に数百年規模の天然ガスがある事を知り、一緒にその富を世界に還元しようと語ったのです。
「『こんな自由な国で自由に守られて反体制を唱える事に何の意味がある。まるで俺達は仏の腕の中を走り回って悦に入ってる猿じゃないか』そう言って『「本物の革命を起こそう』と私の手を握った」
高木は大介に握られたという手を広げて見つめた。
そんな時代からの父の知り合いで、しかも親友という関係が陽介には不思議というより、異常に思えた。一度も父の言葉に高木の名が出たことはなかったからだ。




